第五十七夜
「ルヴナンまで到着か。いよいよ逃げないとマズイな」
外の赤い霧を見ながらルーセットは呟く。
数で劣りながらもファミーユは善戦していたようだが、ルヴナンが出てきてしまっては分が悪い。
大戦を終わらせた英雄に対抗できるのは、同じ英雄だけだ。
「………」
ルーセットは無言で自分の手を傷つけ、零れた血を蝙蝠に変えた。
開いていた窓から蝙蝠を放ち、飛び去る姿を見送る。
蝙蝠が赤い霧を抜けたことを確認すると静かに窓を閉めた。
「何をしているんですか?」
「…何だ、ヴェガか」
突然聞こえた声に少し緊張したルーセットだったが、相手を確認して脱力した。
「何だとは失礼ですね。探していたんですよ」
ヴェガは憮然とした表情で言う。
苦労して相手を見つけ出したのに、この態度はあんまりだ。
「いや、ごめん。俺としても都合が良かった」
ルーセットは気分を害しているヴェガを宥めるように笑う。
何にせよ、ヴェガと合流できたのは幸いだ。
これでいつでも転送して、二人で逃げることが出来る。
…誰か忘れているような気がするが、気のせいだろう。
「ところで、フェーはどこですか?」
「………あ、あー! いや、忘れてないよ。彼女も連れて帰らないとな」
「…忘れてましたね」
ジト目で睨むヴェガから視線を逸らし、ルーセットは考えるふりをした。
とにかく、移動手段を得たのは大きい。
まずはルヴナンに見つかる前にリコルヌやプラニスフェルの居場所を知って起きたい所だが…
「ッ!」
その時、屋敷を揺らす大きな魔力を感じた。
魔力と魔力がぶつかる、激しい戦闘音も聞こえる。
ルーセット達が現在いる三階より、下の階からだ。
「ヴェガも気付いた?」
「はい。下で何か…」
丁度、二人の真下に位置する二階の一室から膨大な魔力を感じる。
屋敷の端に位置する広めに作られた部屋。
ルーセットの記憶が正しければ、そこは『リコルヌの部屋』だった筈だ。
「…行ってみよう、多分プラニスフェルもそこにある」
「立ち上る影よ、極刑の杭となれ!」
「グルァ!」
モールの詠唱を阻止するように、アミティエは床を駆ける。
サーベルタイガーのように異常発達した牙を剥き、噛むと言うよりは突き立てるような動きでモールへ襲い掛かった。
「『インペイルメント』」
牙が突き刺さるよりも、モールの方が早かった。
モールの影から勢いよく白木の杭が突き出る。
それは敵を貫く為ではなく、モールの身を守る為の杭だ。
間髪入れずに次々と突き出る杭は白木の壁となり、アミティエの進行を妨害した。
「ぐるっ…!」
「まだまだァ! 完全詠唱した杭の数はこんなもんじゃないぜェ!」
杭の壁を見てアミティエの動きが止まった直後、別の杭が影から立ち上る。
今度は攻撃の杭だ。
立ち止まったアミティエを串刺しにしようと影から杭が放たれる。
野性的な直感で躱し続けるアミティエも、次々と現れる杭に動きが鈍っていく。
「そこだァ!」
やがて、一本の杭がアミティエの動きを捕えた。
飛び跳ねて空中に浮かぶアミティエの腹部を食い破るように、巨大な杭が放たれた。
いかに身体能力が高くとも、空中で杭を躱すことは出来ない。
「アミティエ! 上だ!」
「グルル!」
瞬間、リコルヌの声に反応してアミティエの身体が膨らんだ。
元々巨大だった筋肉が膨張し、ゴムのように伸縮する。
ぐにゃり、と歪んだアミティエの身体は空中で向きを変え、迫る杭の先端を踏み締めた。
「何ィ!」
曲芸のように杭の先端に乗ったアミティエは大きく跳躍し、天井に迫る。
それはモールを守っていた白木の壁すら飛び越え、モールの頭上に落下した。
「ぐ、うおおおお!」
「グルァァァ!」
咄嗟に前に出したモールの左腕へアミティエが喰らい付く。
骨と肉が砕ける音が響き、モールの肩から先がアミティエの中に消えた。
「…俺っちの腕は、美味いか、クソ犬…」
激痛で震えながらアミティエの頭をモールは握り締める。
左腕を咀嚼する音が響く中、モールの顔には狂ったような笑みを浮かんでいた。
自分の腕を喰われる絶望と激痛の中で、笑っている。
戦意が消えていない。
「ッ! アミティエ、退くんだ!」
嫌な予感がしたリコルヌが叫ぶが、既に遅かった。
モールの影が伸びる。
その巨大な影は、アミティエの影を飲み込んでいた。
「もう遅ェ! 串刺し刑だァ!」
モールを中心にして円状の杭が展開される。
剣山のように等間隔に、内側から杭が立ち並ぶ。
それは地獄の光景の一つ。
全ての杭が展開された時、アミティエの身体は十を超える杭に貫かれていた。
「あ、アミティエ…!」
「そら、隙あり!」
灰へ変わっていくアミティエの姿に言葉を失うリコルヌを縫い止めるように、一本の杭が放たれる。
アミティエに対して放っていた物よりも細く、殺傷力を抑えた杭。
虫を抑え付けるピンのように、リコルヌの身体を空中へ磔にした。
「あ、ぐ…! モール…お前は!」
「プラニスフェルを解放する方法を教えてやるぜ」
激高するリコルヌを無視して、モールは手から落ちたプラニスフェルを拾う。
黒い球体のプラニスフェルに、リコルヌの血が付着していた。
「コイツの起動方法は『純血』だ。つまり、お前の血だよ」
プラニスフェルに血が浸み込み、カタカタと震える。
それはまるで吸った血に喜んでいるようだった。
「くはは…プラニスフェルには強い『引力』がある。死して月へ帰る筈の魂を、引き込む引力が」
アミティエに噛み砕かれたモールの左腕を黒い影が包み込む。
プラニスフェルと同じ色の影に包まれた左腕は、時が戻るかのように元の姿へと再生していく。
再生能力が著しく低いモールでは考えられない速度だった。
「そして、集めた魂は所有者の魔力として『還元』できる。コレで中身は使い切った。オネットの魂はもう消え失せた………この戦争は全て茶番だったなァ」
初めからオネットの魂がなかったことは敢えて告げず、煽るようにモールは笑った。
「と言っても、俺っちが始めた茶番だ。俺っちがこの手で、終わらせてやるよ」
プラニスフェルの表面に無数の星々が浮かび上がる。
展開される巨大な星空。
それは、この場にいる全吸血鬼の魂の光だった。
「『狼座』を展開しろ、プラニスフェル!」
雲一つない夜空。
無数に展開される星々の一部が、赤い線で結ばれていく。
幾つかの点と線で夜空に描かれるのは、狼を模した星座。
『ルーガルー』を意味する『狼座』だった。
「空が…それに、この感覚は」
空の異変に気付いたアンスタンが呟く。
アンスタンの身体から薄い靄のような物が零れ、空へ上っていく。
目に見えない何かを吸い出される感覚。
それは、以前プラニスフェルに魂を奪われかけた時の感覚に似ていた。
「コレはルーガルーの…! クソっ、遺物を起動させたのか!」
アンスタンと交戦していたルヴナンが苦し気に叫ぶ。
同時に周囲を包んでいた赤い霧が消え失せる。
ルヴナンの霧の身体が、空へ吸い込まれていく。
「おのれェ!」
忌々しく叫び人型の霧も消えてしまった。
ルヴナンの魂を取り込んでも、空に浮かぶ『狼座』は消えない。
変わらず貪欲に、地上の吸血鬼から魂を奪い続ける。
この場にいる全ての吸血鬼を喰らうまで、止まらない。




