第四十三夜
「………」
(予想通りと言えば予想通りだが、大した情報はないな)
顔を顰めそうになるのを堪えながら、ルーセットは屋敷内を歩いていた。
この屋敷に住み着いている眷属達に聞き込みを行っているが、どの眷属もルーガルーの名前すら知らない。
怪しげな黒い球体の存在など、聞いたことすらない。
聞いた所によるとファミーユは主に人間社会を中心に活動しているらしい。
故に吸血鬼界の情勢に疎い者が多く、真新しい情報は得られない。
数こそ多いが、これでは無駄足だ。
(…そう。数が多い、多すぎる。百二十の眷属なんて、何の冗談かと思ったよ)
その常軌を逸した数を思い出し、ルーセットはすれ違った眷属を見た。
集めた情報によるとリコルヌはそれほど強い能力を持たないらしいが、百を超える眷属を従える時点で十分に化物だ。
自身の血を分けた眷属を百以上も従え、その全てに心から慕われている。
破壊力のコカドリーユや不死身のルブナンとは異なるが、同様の脅威であることに違いはない。
敵に回したら厄介だ。
「…フロドゥール、そろそろ」
後ろからついてきていたフェーが小さな声で言う。
薄々ルーセットも気付いていた。
フェーとヴェガにかけた変身が解けかけているのだ。
二人の被る男の顔に薄い罅のような浮かんでいる。
「そうだなぁ。もう時間切れか」
コカドリーユの目的としていた情報は得られなかった。
だが、リコルヌに関してはそれなりに有効な情報を得られた。
取り敢えずコレを持ち帰って…
「そこで何をしているのですか?」
外を眺めていたルーセットに声がかけられた。
立ち止まる三人の前に、恰幅の良い老人が立っていた。
丸々とした大きな腹を持ち、手足が短い。
薄っすらと赤ら顔をしており、吸血鬼にしては血色が良い。
ミチミチと悲鳴を上げるスーツを纏い、右手にはステッキ代わりに酒瓶が握られている。
「いや、何でもないぜ。ちょっと外に遊びに行こうか相談していただけだ」
「外に? もうじき夜明けです。そろそろ寝室に戻った方が良いかと」
紳士的な態度で言った後、老人は酒瓶を口に含んだ。
既にかなり飲んでいるようで、周囲には酒気が漂っている。
「ああ、そうだな。なら、遊びは明日にしよう」
酔っ払いを避けるようにルーセットは足を進める。
老人の横を通り抜け、後ろのフェー達も続く。
「『ルヴァン』」
フェーが横を通る時、小さな破裂音が響いた。
先を歩くルーセットが思わず振り返る。
見ると、フェー達を囲むように無数のシャボン玉が浮かんでいた。
葡萄のような色のシャボン玉の一つがフェーに触れて、弾ける。
「そこの二人、妙に甘い匂いがしますね。この匂いは、若い女の匂い」
「ッ!」
老人の言葉にルーセットが苦い顔をする。
フェーの能力では匂いまで誤魔化せない。
しかし、そんな些細な所で気付く者がいるとは…
シャボン玉の水分がフェーとヴェガの変装を溶かす。
青い顔をして元の姿に戻った二人を見て、老人は満足そうに頷いた。
「ふむ。やはり偽物でしたか。ボケじゃなくて良かった」
「くっ…!」
咄嗟に星屑を放とうとするヴェガ。
だが、能力を展開する前に身体から力が抜け、崩れ落ちてしまった。
同様にフェーも頭を抑えて膝をつく。
「暴れない方が良いですよ。わたくしの『ルヴァン』は酒虫の泡。吸い込めば、吸血鬼だろうと酩酊状態になりますから」
宥めるように言いながら老人はルーセットの方を向く。
「改めまして、わたくしはグール=ド=ボアと申します。侵入者の皆様、あなた方のお名前を聞かせて貰ってもよろしいでしょうか?」
慇懃に笑みを浮かべて老人『ボア』は言った。
「…やれやれ、流石は純血リコルヌの眷属だ。優秀な者が揃っているね」
ルーセットが変身を解きながら困った様な笑みを浮かべた。
「恐れ入ります」
「それで? いきなり殺すなんてことはないんだろ?」
「そうですね。我らの主、リコルヌ様は慈悲深いお方だ。侵入者と言えど、同じ吸血鬼なら見逃すかもしれません」
心酔しているように大袈裟な仕草でボアは言う。
胴長短足の愛嬌のある姿をしているが、中々堂に入っている。
「しかし、もし仮にですが。あの方を害するつもりで侵入したというのなら………眷属である我らが黙っていませんよ?」
慇懃な笑みの中に確かな殺意を込めてボアはルーセットを睨んだ。
ルーセットは向けられる警戒心に慣れたように、朗らかな笑みを浮かべる。
「そんなつもりは毛頭ないよ。俺はただリコルヌに尋ねたいことがあっただけだ」
「ほう。それならば、すぐに会われるといい。こんな変装などしなくともリコルヌ様は疑問に答えてくださるでしょう」
「それは良かった………っと」
何かに気付いたようにルーセットは屋敷の外へ目を向けた。
「どうやら、帰ってきたみたいだな」
窓から見える人影を見て、ルーセットは目を細めた。
何もない、白い空間が広がっていた。
扉も窓も存在しない閉鎖的な空間の中に、四つの椅子だけが置いてある。
その内の一つに霧となったルヴナンは座っていた。
『………』
無言で座り続けるルヴナンの前方の椅子が、チリチリと音を発てる。
空間から這い出るように透き通った人影が現れ、椅子に座った。
姿がぼやけて顔の判別は出来ないが、そのシルエットは女性に見えた。
『いきなり呼び出すなんて…私だって暇じゃないのよ、ルヴナン』
影は冷めた女性の声で不機嫌そうに言った。
『と言うか、他のプレーヌ=リュンヌの子達は? あの鳥頭とお坊ちゃんは招集義務を忘れたのかしら?』
『…今夜、招集をかけたのはお前だけじゃ。ソルシエール』
重々しくルヴナンは疑問に答えた。
ルヴナンの能力で魔力をこの場に飛ばしているソルシエールは周囲を見渡した。
残された二つの椅子には座るべき者がいなかった。
『私だけ? 今のところ条約を破ったつもりはないわよ。むしろ、銀の檻の門番をサボっている者や、眷属を作り過ぎている者を注意すべきじゃないの?』
『それは分かっておる。小言を言う為に呼び出した訳ではない』
ルヴナンはそう言うと、軽く腕を振った。
四方を囲む椅子の中心に、薄っすらとローブが出現する。
狼座が描かれたローブ。
それはルヴナンが撃退した者が着ていた物だった。
『ヌーヴェル=リュンヌの残党が現れた』
百年前に戦った者達の名をルヴナンは呼んだ。
ソルシエールの纏う空気が張り詰める。
『…冗談でしょ? どうして百年も経った今になって』
『分からん。じゃが、最近コカドリーユが遺物を求めていることにも関係しているかもしれん』
『大戦の遺物ね…あの鳥頭にそこまで考えられるとは思えないけど』
『そうじゃな。儂としても共に戦った盟友を疑いたくはないが』
『まあ、誰かに利用されているか。それとも、派閥内に裏切者がいるのか』
言葉の割にソルシエールはどうでもよさそうな態度だった。
その態度はルヴナンにとって慣れた物だった。
意見を仰げば助言くらいはするが、基本的にこの純血は他者の人生に興味がない。
四人の純血の中で唯一、派閥を一切作らない所からもその性格が見て取れる。
『裏切者と言えば、最近あの蝙蝠を派閥に入れたようじゃな』
『…蝙蝠?』
『十年前にティミッドを殺した身の程知らずの人間上がりじゃ。奴がコカドリーユを利用している……と言うのは考え過ぎか』
忌々しそうにルヴナンは吐き捨てた。
『…ああ、あの弱虫坊やを殺した彼ね。ふーん』
『とにかく、そちらでも調べておいてくれ。また連絡する』
そう言うとルヴナンは返答を待たずにソルシエールを送り返した。
『………』
人影が完全に消えたのも確認してから、ルヴナンも姿を消した。




