第四十二夜
「お、テメリテ。意外と早かったな」
屋敷に入ろうとすると門番に声をかけられた。
ゴリラのような大男に変装したルーセットは焦ることなく、視線を移す。
「おう。思ったより簡単でな」
「人間狩りだろう? 終わったなら見張りを変わって欲しいぜ」
「自分でやれ。俺はさっさとリコルヌに報告しないといけねえんだよ」
話を合わせるように会話しながらルーセットは考える。
ルーセットが化けている男の名は、テメリテ。
目の前にいる門番は友人なのだろう。
付き合いの長い友人ならボロが出る可能性がある。
長く会話をするのは得策ではないだろう。
「珍しく律儀じゃねえか。つーか、リコルヌなら留守だぞ」
「何? どこに行ったんだ?」
「さあな? 何か、アンスタンを連れてどっか行った」
「…分かった。ありがとう」
そう言って会話を切り上げると、ルーセットはさっさと歩きだした。
その後ろを変装した二人が追う。
「どうするんですか。そんなに長くは潜伏出来ませんよ」
門番から離れた所でヴェガが小声で言う。
ルーセット達が気絶させた眷属達はかなり離れた所へ転送したが、戻ってくるのにそう長い時間は掛からないだろう。
変装して潜伏していられる時間には限りがある。
その間に情報を集めなければならない。
「まあ、リコルヌがいないなら自由に行動できる。眷属なら沢山いるみたいだし、聞き込みでもするか」
とは言っても『ルーガルーの魔力』について知っていることは少ないのだが。
星空が浮かぶ黒い球体。
そんな物の噂は吸血鬼界を渡り歩いたルーセットですら知らなかった。
コカドリーユ直々の依頼だった為に引き受けたが、有益な情報を得られる可能性は低いとルーセットは予想していた。
しかし、コカドリーユの庇護下に入る以上、何かしらの能力を示して自身の利用価値を見せる必要がある。
(情報代わりに、リコルヌの弱みの一つでも見つければ良いのだけど…)
ファミーユの『餌場』となっている廃工場。
リコルヌの方針で必要以上に手酷く人間が扱われている場所で、リコルヌとモールは対峙していた。
「それで、君と一緒に行動していたオネットはどこなの?」
世間話でもするようにリコルヌは言った。
怪しい笑みを浮かべるモールに対し、特に警戒心を抱いていないようだった。
オネットが呼んでいる、とモールに言われてここまでついてきたが、何一つそれに疑いを持っていない。
人間を憎む反動で、同胞の吸血鬼を必要以上に信じすぎるリコルヌにはモールの心が読めていない。
「…早く答えろよ」
護衛するようにリコルヌの隣に立つアンスタンが言う。
リコルヌとは違い、薄々モールの悪意を理解しているような顔だった。
自然に前に出て、黙り続けるモールを睨み付ける。
「そんなに怒るなよ。ちょっとしたサプライズだって」
「サプライズ?」
「そう………ほら、受け取れ」
モールはにやけた顔を隠そうとせず、手に持っていた袋を投げた。
小さな布袋はリコルヌの顔にぶつかり、中に入っていた粉のような物が舞う。
「リコルヌ!」
「げほっ、げほっ! いきなり何するのよ、君は」
慌ててアンスタンが振り返るが、特にリコルヌは苦しんでいる様子はない。
咳き込みながら恨めし気にモールを睨んでいるが、それだけだ。
布袋に入っていたのは、単なる灰のようだった。
「吐き出すなんて酷いなぁ。オネットも可哀想に」
「…?」
そこで何故オネットの名前が出てくる。
二人は顔を見合わせて、それから地面に落ちた灰に目を落とす。
サラサラとした、白い灰。
何かが燃え尽きた、その残骸。
遺灰。
「ッ! まさか!」
先に気付いたのは、嫌な予感がしていたアンスタンだった。
すぐに臨戦態勢になってモールへ振り返る。
だが、全てが遅すぎた。
「『インペイルメント』」
アンスタンの足元から複数の鋭い鋭い杭が突き出る。
槍のように細い杭はアンスタンの両手足を正確に貫き、その動きを完全に封じた。
「ぐああああ!」
「アンスタン!」
リコルヌは手を伸ばすが、宙づりとなったアンスタンに手は届かない。
「気付くのが、五秒遅かったな。敵から目を離すんじゃねえよ」
「モール、君は…アンスタンを、オネットを」
「鈍いお前でも流石に気付くか? そうだ、お前の足元に転がっているのはオネットの遺灰さ」
地面に落ちた灰を踏み締めながらモールは告げた。
リコルヌは呆然と膝をつき、散らばった遺灰に触れる。
かつての家族の変わり果てた姿に、言葉を失う。
「ぐうう…テメエ、絶対に許さねえぞ!」
チリチリと空気が焼けつくような熱気を感じた。
アンスタンは磔となったまま、殺意を込めた目でモールを睨む。
イクリプスを起動しようとしているのだろう。
モールはそれに焦ることなく、懐に手を入れた。
勿体ぶる様に懐から取り出したのは、黒い球体。
表面に星空が浮かび上がる、球状の天体。
「『プラニスフェル』…起動」
浮かび上がる星々の一つが強く光る。
その瞬間、アンスタンに満ちていた熱気が跡形もなく消え失せた。
「何ッ!」
再びイクリプスを発動しようとしても、何かに妨害されて発動できない。
それどころか、肉体の再生力すら弱まり杭の刺さった傷から血が溢れる。
魂を奪われるようなおぞましい感覚だった。
「いつもならお前と殺し合いも吝かではなかったんだが、こっちにも事情があるんだ」
バスケットボール程の球体を弄びながら、モールは笑みを浮かべた。
「それは、一体…」
「お前も純血ならルーガルーの名前くらい知っているだろ。コレはその魂の一部」
吸い込まれそうな黒い球体の表面には小さな光が浮かび上がっている。
まるで本物の星空のように綺麗だが、その怪しい光はリコルヌの心をざわめかせた。
「悪名高い『狼座のルーガルー』が同族の魂を喰らう為に生み出した魔力だ」
小さな光の一つが再び強く輝いた。
それに呼応するように弱ったアンスタンから薄い靄のような物が零れる。
虚空を漂う靄は吸い寄せられるように黒い球体の中に消えた。
「何を、しているの…」
「アンスタンの魂を取り込んでいるのさ。もうすぐ全て吸収できる」
モールは見せつけるように残忍な笑みを浮かべた。
「あのオネットと同じようになぁ!」
「やめろっ!」
思わずリコルヌは駆け出した。
アンスタンの命までも奪おうとするモールを止めようと、拳を握りしめる。
それは戦闘経験などない素人の動きだった。
吸血鬼特有の身体能力すらない、人間以下の動きだった。
モールは避けるまでもなく、出現させた杭槍を振るう。
リコルヌの血が虚空を舞った。
「期待外れだぜ。純血ぅ!」
「ぐっ…はぁ…はぁ…はぁ」
貫かれた右腕を抑えて荒い息を吐くリコルヌに、モールは心底失望した。
これならその近くで磔になったアンスタンの方がマシだ。
「吸血鬼にはイクリプスに比重を置いた『能力特化型』と再生能力に比重を置いた『再生特化型』の二種類がいる。イクリプスを持たねえお前は、再生特化型かと思っていたが…」
リコルヌの右腕を見る。
槍に貫かれた傷は修復する気配すら見せず、真っ赤な血を流し続けていた。
イクリプスを持たず、身体能力は人間以下、再生能力すら皆無。
「まるでお前の大嫌いな人間同然だなぁ」
「はぁ…はぁ………くっ!」
怒りに顔を歪めてリコルヌは傷口を抑えていた手を放した。
痛みに耐えながら右腕を大きく振るう。
まだ再生しきれていない傷口から流血が跳ねた。
その血の一部が磔となったアンスタンに付着する。
瞬間、アンスタンを貫いていた杭が根元から炎上した。
アンスタンの身体が紅蓮の炎に包まれる。
「何ィ…!」
猛烈な熱気を受けて、モールは一歩後退る。
黒い球体『プラニスフェル』に封じられていたアンスタンのイクリプスが発動している。
モールの妨害を物ともしない程の魔力がアンスタンに満ち溢れている。
先ほどとは比べ物にならない程、強化されている。
モールは熱気に顔を顰めながらリコルヌを睨んだ。
「それがお前の能力か、リコルヌ!」
「違うよ。僕に能力なんてないの…コレは、眷属化さ」
迂闊に近づけない程の熱気の中で、リコルヌは言う。
「僕の血をほんの少し得ただけで吸血鬼の力を得たんだ。追加で血を与えれば強化することも出来ると思わないの?」
それは眷属を百以上も作ったリコルヌだからこそ気付いたことだろう。
仮に誰かが気付いたとしても、眷属化の枠は限られている故に試そうとも思わないだろう。
眷属に限りがないリコルヌだからこそ出来る方法。
リコルヌは、歴代のどの吸血鬼よりも眷属化に精通している。
「は…ははははははは! 腐っても純血ってか! 面白い、面白いぜリコルヌ!」
モールは臆することなく満面の笑みを浮かべた。
幾らでも眷属を強化できるリコルヌに、強い能力を持つアンスタン。
相手にとって不足はない。
「笑っている所、悪いけど。もう終わりだよ」
笑うモールが戦闘態勢に入る前に、リコルヌは無表情で言った。
爆発のような熱風がモールの身体を包み込む。
杭を出す余裕も、影を動かす時間もなかった。
錆びれた廃工場を壊すような熱に吹き飛ばされ、モールはどこかへ消え失せた。
「………」
その場に、プラニスフェルを残して…




