第三十八夜
『く、うう…ぐすっ…』
同じ派閥の者達から隠れるように少女は涙を流していた。
少女の属する派閥は血統も人格も問わない代わりに、徹底した実力主義だった。
自身を眷属化した主から逃げることで自立した少女は、戦うことを知らない。
身を守る為に入った派閥では疎まれて馬鹿にされる日々だった。
その日もまた、人知れず悔し涙を流していた。
『はぁ……人を騙すのって疲れるなぁ。違った、相手は吸血鬼だったか』
声を殺して涙を流す少女の耳に声が聞こえた。
年を取った渋い男の声。
しかし、その口調は少年のように軽い物だった。
『流石は最大派閥。どいつもこいつも化物揃いで騙すのは骨が折れるよ。全く、成り立てにはきつい…』
言いかけて男は少女を見た。
そこで初めて少女に気づいたように、男の顔がサッと青くなった。
『い、いつからそこにいたのかね? 全然気付かなかったよ』
取り繕ったように口調を変える男の顔を少女は注意深く見た。
最近派閥に迎えられた男だった。
敵対する吸血鬼を同時に二十人も仕留めたことがあると聞いている熟練した吸血鬼。
少女の目に嫉妬の色が宿る。
『泣いていたのか?』
『…何でもない。自分の弱さに悩んでいただけ………あなたには分からないだろうけど』
少女の言葉に男は自嘲するような笑みを浮かべた。
『弱くていいじゃないか。強い奴ほど敵を作る。弱い奴ほど長生きするものさ』
『その言葉自体、強い者の傲慢だよ!』
劣等感を感じて怒る少女。
それに対して男は似合わない子供のような笑みを浮かべた。
『秘密を教えてあげよう。実は俺の武勇伝、全部嘘なんだ』
『…え?』
『それどころか、俺はまだ吸血鬼と戦ったことすらないんだ。秘密だけどね』
人差し指を口に当てて男、フロドゥールは笑った。
「と言う経緯で私とフロドゥールは出会ったのよ」
変わらず騒がしいアジト内を歩きながら、フェーは言った。
何故か自慢げで、過去の出来事を誇るような顔をしている。
だが、それを聞きながら隣を歩くヴェガは無表情。
「それから私達はずっと一緒にいたわ。フロドゥールはいつも優しくて格好良かった。顔は変わっちゃったけどそれは今も変わらないわ」
「そう…」
本当に興味なさそうにヴェガは相槌を打つ。
フェーはそのヴェガに振り返りもせず、夢中で言葉を続けた。
これはフェーにとっての牽制なのだ。
ルーセットの正妻は自分であるという、牽制。
ヴェガとルーセットの関係を知らないフェーは完全に誤解していた。
「分かるかしら。私とフロドゥールの絆は十年前からあるの。そこにあなたみたいな小娘が入り込む余地なんてないのよ!」
「…その割には、十年前に逃げられたみたいでしたけど」
思わず零れたヴェガの言葉は、フェーの胸に突き刺さった。
大袈裟にウッと呻いて、胸を抑える。
その事実を誰よりもフェーが気にしていたことの証明だった。
「ち、違うもの! 何かやむを得ない事情があったのよ! そうでないなら、私に何も言わずにいなくなる訳ないもの!」
「へえ…」
「ああ! 信じていないわ、この子! 本当だもの!」
既に涙目になっているフェーを見て、ヴェガは微かに笑みを浮かべた。
普段はイジメられるばかりだが、他人をイジメるのは意外と悪くない。
少しだけルーセットの気持ちが分かった瞬間だった。
太陽の差し込まない薄暗い地下室。
乱雑に転がった木材と鉄くず。
かび臭い石造りの部屋の中、コカドリーユは朽ちた木の椅子に座っていた。
「まあ、適当に座れよ」
寛ぎながら部屋にいるもう一つの影に言う。
部屋の様子に顔を顰めていたルーセットはその言葉に素直に従った。
近くのゴミからまともな椅子を探して、荒々しく座る。
「この地下室のことを知る者は殆どいないのだ」
「内緒話するには持って来い?」
「その通りだ」
楽しそうにコカドリーユは笑った。
わざわざ部下から離れた場所にルーセットを呼び出したのだ。
この場所でする話は部下にすら話していない機密事項。
十年前に裏切ったルーセットを求めた理由。
それこそがルーセットの利用価値であり、それを失えばルーセットは後ろ盾を失う。
ルヴナンに命を狙われているルーセットとしてはそれだけは阻止したい所だった。
「…プーペと違って余は交渉が苦手でな。なので単刀直入に聞こう」
「………」
「『遺物』について何か知っていることはないか?」
コカドリーユの質問は、何かの隠語だった。
ルーセットは瞬時に今までに集めた情報を探るが、見当もつかなかった。
顔には出さず、ルーセットの心を焦燥が支配する。
「ああ、率直すぎたか。百年前に終結した戦争は知っているだろう?」
「…数百年前から続いた戦争か? 純血の支配から逃れようとした眷属のクーデターが発端って言う」
「そうだ。純血は最初に吸血鬼となった『始祖』の末裔だが、奴らは血を誇るが故に傲慢だった」
苛立ったようにコカドリーユは吐き捨てた。
純血でありながら、純血主義を嫌うコカドリーユは純血の傲慢な態度が嫌いなのだろう。
現在では滅んでしまった多くの純血を思い出しているのかもしれない。
「奴らが奴隷のように扱った眷属達は元々は単なる人間。反乱が起きるのは必然だった」
そして、純血と眷属の戦いは数百年も続いた。
百年前にルヴナン達によって戦争が終結された時、たった四人の純血しか生き残らなかった程に長く激しい戦いだった。
「戦争中に純血を裏切った者の話は前にしただろう」
「…ルーガルーか」
「そうだ。奴の遺骸は百年経とうと朽ち果てず、戦争が残した『遺物』と呼ばれている」
死して尚残り続ける戦争の象徴。
負の遺産とも言うべきルーガルーの遺骸。
それこそが『遺物』
「ルーガルーの遺骸。伝説的な魔力を求めて多くの吸血鬼がそれを求めた」
「………」
「だが、ルーガルーの遺骸にはかつて振るった魔力が欠片も残っていなかったのだ」
「死んだなら当然じゃないか?」
「いや、魔力が尽きれば灰となるのが常識。肉体が残っていると言うことはどこかに魔力が残っていると言うことだ」
コカドリーユは笑みを浮かべた。
「それが余の探している、もう一つの『遺物』だ」




