第三十七夜
「それで『ルーセットさん』はどうして今まで行方不明だったの?」
ムスッとした顔でフェーが言った。
散々泣いて少しは冷静さを取り戻したようだが、不貞腐れた様子を隠す気がない。
露骨に他人行儀な態度を取って、ルーセットを睨みつける。
「俺も大変だったんだよ。ルヴナンに殺されかけたり、こんな可愛い刺客が送られてきたり」
隣に立つヴェガの頭をポンポンと叩きながら、ルーセットはへらへらと笑った。
「気安く触らないで下さい…この、撫でるな!」
その手を叩いて睨むヴェガに、ルーセットは笑みを深めた。
頭に乗った手を退かそうとしているが、純粋な腕力でヴェガはルーセットに敵わない。
結局、されるがままに頭を撫でられてしまっている。
そんな微笑ましい親子の様子を見て、フェーは胸がムカムカした。
「ず、随分と仲が良さそうだけど、そちらのおチビちゃんは誰かしら?」
「純血のヴェガ。子供扱いはやめて下さい」
バチン、と頭に乗せられた手を叩き、ヴェガはフェーへ目を向けた。
その目は初めてルーセットと会った時のように冷たい。
「純血? 不干渉の純血がコカドリーユ様のアジトにいる訳ないじゃない…」
「無知ですね。最近五人目の純血が加えられたことも知らないのですか?」
傲慢な態度でヴェガは嘲笑する。
最近はルーセットの影響で隠れがちだが、元々ヴェガはこう言う性格だった。
純血を至高と見なし、人間上がりを下等と見下す。
ルーセットのお蔭で僅かに改善されたが、根本はあまり変わっていない。
「ぐ……知ってるし! ルヴナンが保護したって噂の奴でしょ! でも、そいつだってルヴナン派だからここへ来る筈ないじゃん!」
「少しは自分で考えたらどうですか、下等。元々形だけの同盟。この私がルヴナンから離反してコカドリーユに付いたとは思わないのですか?」
「うう………フロドゥール! 私、コイツ大ッ嫌いー!」
涙を流して抱き着いてきたフェーを見て、ルーセットはため息をついた。
喧嘩する姉妹を見る父親のような目で、フェーとヴェガを見る。
その場合、どちらが姉なのか。
外見年齢的にも実年齢的にもフェーの方が年上なのだが。
「…ぐすっ、昔に比べて薄くて細くなった胸板だけど、この際我慢するわ」
「君も割と毒舌だね」
フェーの頭を撫でながらルーセットは苦笑した。
こうして泣きつかれていると昔を思い出す。
実力主義の派閥に於いて、弱いことから孤立していたフェー。
外見こそ取り繕っていたが、実際は吸血鬼に成り立てだったルーセット。
何となく親近感を覚えてフェーの愚痴や相談を聞いてあげていたら、随分と懐かれた。
当時は娘が出来たような感覚だった………吸血鬼歴はフェーの方が上だが。
「…そろそろ、こっちにも紹介して貰えませんか?」
何故かやや苛ついた様子でヴェガが言った。
「この子はフェー。俺がまだこの派閥にいた時の知り合いさ」
ルーセットはフェーの髪を触りながら答える。
「能力が少し似ていて訓練したこともあったから、弟子と言ってもいいかも」
「能力が?」
訝しげな顔をしてヴェガは泣きついたままのフェーを見た。
ヴェガに口で負けて泣いている姿は、とても戦いが得意なようには見えない。
外見年齢こそルーセットより少し年下くらいに見えるが、精神面はヴェガより下に思えた。
「この子も、変身能力を持っているんだよ」
ルーセットは小さな頭に手を置きながら言った。
「リコルヌ! リーコールーヌー!」
眷属派閥『ファミーユ』の本拠地である中世風の屋敷。
真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を荒々しく歩く男がいた。
水着だけを着用して鍛えられた肉体を晒している男、アンスタンだった。
「リコルヌ!」
叫びながらアンスタンは蹴り破るように一つの扉を開いた。
中のソファーに座っていた人物は、驚いたように来訪者を見つめる。
「どうしたのよ、そんなに慌てて」
その部屋の主、リコルヌは読んでいた本を置きながら言った。
「どうしたもこうしたもあるか! 何なんだよ、あのモールって男は!」
「ああ、彼の事? 訳あって僕らの仲間になって貰った新人だよ」
「眷属でもない得体の知れない奴を、どうしてファミーユに!」
怒り狂ったようにアンスタンが叫ぶ。
仮にも主であるリコルヌに対する態度ではなかったが、口が悪い彼が本当は誰よりも心配性であることをリコルヌは知っていた。
それにリコルヌの望むファミーユとは文字通りの『家族』なのだ。
主人や下僕と言った主従関係など要らない。
故にリコルヌはそれを咎めることなく、家族を心配するアンスタンを安心させるように笑った。
「大丈夫。流れる血は違っても、吸血鬼は皆家族だから。それに万が一があっても君が家族を守ってくれるでしょう?」
「…ケッ、本当に博愛主義の主人を持つと苦労するぜ」
呆れたように、しかし少しだけ嬉しそうにアンスタンはため息をついた。
「だが、全ての吸血鬼がお前のような奴ばかりだと思うなよ」
「それは分かっているけど。でも、少しは信じたいのよ。あの醜い『人間』とは違って、僕達は手を取り合うことが出来るのだと」
僅かな憎悪を漂わせた笑みを浮かべ、リコルヌは言った。
それに気付きながらも、アンスタンは気付かないふりをした。
「…例の人間狩りは順調に進んでいるぜ」
「そう…全く、人間から吸血しなければならないことが吸血鬼最大の欠点だよね。それさえなければ滅ぼしてやるのに」
額から伸びる角を撫でながらリコルヌは酷薄な笑みを浮かべた。
表面を撫でる指が角に付いた古傷に触れる。
再生力の低いリコルヌでは治せない傷跡に触れると、リコルヌの心が騒めいた。
その時、開けっ放しだった扉が叩かれる音がした。
「ちわっす。開いてたからノックだけしましたぜ」
そこにいたのは、先程までアンスタンが話していたモールだった。
返り血なのか、身体を赤く染めている。
「チッ…俺はもう行くぞ、リコルヌ」
その姿を目にした途端、アンスタンは早足で部屋から出た。
すれ違い様に忌々しそうにモールを睨んでから去って行った。
「嫌われたものねー。俺っち傷付いちゃうわ」
「彼は心配性なだけなのよ。許してあげて」
「ま、嫌われるのは慣れてますけど。それはそうと任務を終えてきましたよ」
「うん。ご苦労様」
血生臭いモールを前にしてもリコルヌは優しく微笑んだ。
アンスタンは不審に思っているようだが、彼は真面目に任務を行ってくれている。
今日も頼んだ人間狩りをいち早く終わらせてくれたようだ。
「ところで、リコルヌ。非効率だと思わないか?」
笑顔で頷いていたリコルヌに、モールは唐突に言った。
「何の話?」
「人間狩りだよ。人間の数を少しずつ減らして管理しようだなんて気の長い計画だと思わねえ?」
危険思想を持つ人間の粛清。
その任務の裏にはリコルヌの暗い計画が隠れていた。
吸血対象である人間を減らし、その数を管理する計画。
「いくらファミーユが百人以上いるとはいえ、数も時間も足りなすぎる」
「仕方ないのよ。人間に脅威を抱いている吸血鬼は僕くらいさ。他の吸血鬼の理解を得られる筈もない」
元々人間社会で育ったリコルヌは人間を憎む以上に恐れているのだ。
そして、その感情は恐らくどの吸血鬼も理解できない。
故にこの計画はリコルヌと彼に忠誠を誓うファミーユだけで成し遂げなければならない。
気の長い計画だろうと、吸血鬼に寿命はないのだから。
「『理解』は得られなくても『協力』は得られると思うぜ?」
「…何を言っているのよ?」
「力で従えればいい。お前にはその力がある。ファミーユって言う戦力がある!」
モールは興奮したようにリコルヌを見つめた。
手に杭槍を生み出し、リコルヌに渡す。
「お前がその気になるなら、俺っちも力を貸してもいいぜ」
その槍を取るなら、喜んでモールはリコルヌと共に戦うだろう。
モールにとって争う理由は何でもいい。
ただ戦争が起きて、その中で戦えるなら理由はどうでもいいのだ。
「遠慮しておく。僕はこれでも現状に満足しているのよ」
リコルヌは迷わず槍を押し返した。
「そうか。まあ、気が変わったらいつでも言ってくれ」
モールは不満を顔には出さず、部屋から出ていった。




