第三十二夜
羽根の付いたパーカーを揺らし、コカドリーユはルーセットの方を向く。
「この余を利用するとは、大した奴だな。お前」
皮肉のような言葉とは裏腹に、本当に称賛するような声色だった。
深く被ったフードの中からは赤い瞳が興味深げにルーセットを覗いている。
「あれ、もしかして俺のこと忘れてる? 俺だよ、俺。ルーセットだよ」
「ルーセット? 聞かない名だ」
以前プーペから聞いたことはすっかり忘れ、コカドリーユは首を傾げる。
その爬虫類染みた外見にそぐわぬ、妙に愛嬌のある仕草だった。
変わらない様子にルーセットは状況を忘れて苦笑した。
「んん。フロドゥールって言った方が分かるか?」
「フロドゥール………ああ、お前があの時の」
ポン、と手を叩きながらコカドリーユは頷く。
コカドリーユの記憶に残るフロドゥールの姿と、今のルーセットは似ても似つかないが、纏う雰囲気や魔力は同じだった。
理性よりも本能で物事を判断するコカドリーユの直感は、ルーセットの言葉が真実であることを伝えた。
「…十年前は、黙って抜けて悪かったな」
「気にするな、その程度のことで腹を立てたりはしない。余は寛容だからな」
ルーセットの軽い謝罪にコカドリーユは小さく手を振った。
以前、行方を晦ませて別の派閥に入ったことは裏切り同然だったが、コカドリーユは本気で気にしていないようだった。
寛容と言うべきか、大雑把と言うべきか、最大級の派閥を指揮する純血の器を思い知る。
「変わらないな………っと」
懐かしむように言いながらルーセットは倒れていたヴェガに駆け寄った。
先程のコカドリーユの攻撃で霧は晴れ、ルヴナンから解放されたようだ。
その余波を受けたように見えたが、特に酷い傷は見当たらない。
「ほら起きろ、役立たず」
「あいた! 何で叩くんですか!」
乱暴な扱いにヴェガは激怒したが、ルーセットも珍しく機嫌が悪かった。
失態のお仕置きをするように、ヴェガの頬を抓む。
「いたたたた! 放ひて、放ひて下さいぃ…!」
涙目で訴えるヴェガを見て、ルーセットはようやく安堵の息を吐いた。
表面上は落ち着いているが、ルヴナンに殺されかけたことに内心追い詰められていた。
動揺する心を落ち着ける為に、ヴェガをイジメていたのだ。
完全な八つ当たりだった。
「そっちのガキは誰だ?」
「………アンタが命を狙ってた純血の娘だよ。今は俺と一緒にルヴナンに狙われている」
「…よく分からんが、ルヴナンの敵は余の味方だ」
コカドリーユはそう言うと、視線をヴェガから周囲へ向けた。
ルーセット達が会話している間に、周囲に再び霧が立ち込めていた。
ルヴナンの魂の形である霧が。
「コカドリーユ…何故、その罪人を庇うのじゃ。その者は純血を殺したのじゃぞ!」
「実力があって良い事じゃないか。余のモットーは実力主義なのでな」
「…ただ殺すだけに留まらず、そやつは純血を喰らった。禁忌を犯したのじゃ!」
漂う濃霧がざわめく。
肌に突き刺さるような殺意を浴びても、コカドリーユは顔色一つ変えなかった。
「禁忌、禁忌と………そんな言葉で隠しているが、実際は怖いだけなのだろう?」
「…何じゃと?」
「同族の血を喰らう者が、純血の権威を脅かす者が、再び現れることを恐れているだけなのだろう?」
嘲笑するようにコカドリーユが言った時、ルヴナンの纏う空気が変わった。
今までの説得しようとしていた冷静さは消える。
「儂が恐れるじゃと? 戯言も大概にしろよ、この蛮族め!」
叫ぶ声と共に霧が人型の輪郭を形作る。
そこまでは先程と同じだが、今回は数が違う。
コカドリーユを取り囲むように霧の中から現れた人型の数は、二十以上。
顔のない人型に違いはなく、幽鬼のようにぼんやりと浮かび上がる。
この霧全てがルヴナンの一部である以上、各々に真偽の違いはないのだろう。
本気を出したルヴナンを見て、コカドリーユは獰猛な笑みを浮かべて両腕を広げた。
「月よ。我が声に応えよ!」
コカドリーユの身体が羽根のように浮かび上がる。
重さを感じさせない動きで地上のルヴナンを見下ろす。
その背には、淡く輝き月を背負っていた。
「『アエロリット』」
唱えられた言葉に応えるように、月が一際輝いた。
夜空を瞬く光の一つが、段々と大きくなっていく。
それはやがて月と変わらない程の巨大な光となって、地上へ降り注いだ。
「流星……?」
ヴェガの口から零れた声は、光の爆発に掻き消された。
空から落ちてきたのは、流星。
より正確には小型の『隕石』だった。
「くっ…本当に純血ってのは、どいつもこいつも化物だな…」
ルーセットは隕石が落下した余波に耐えながら、苦い顔をする。
流れ星、と言えば聞こえが良いが、要は岩石の塊だ。
質量を持つ岩石の塊が発火しながら落下すれば、それは爆弾にも等しい衝撃になる。
そんな物を受けて生きていられる者などいない。
「…陽光を遮る霧よ。魂を拘束しろ」
しかし、その相手をするのも同じ純血だった。
「『ブルイヤール』」
隕石の衝撃で蒸発していた霧が収束する。
霧と同時に浮かび上がるルヴナンの幻影は、ゆらゆらと風に揺られて空を舞った。
高熱、と言う相性の悪い攻撃を受けたと言うのに弱った気配は感じられない。
「しぶといな。まあ、これくらいで死ぬようなら、百年前に殺してるって話だな」
「互いにな」
無数に揺らめくルヴナンの幻影の一つが、コカドリーユの足を掴んだ。
霊的な幻影は肉を透過し、コカドリーユの魂に直に触れる。
「ふん」
瞬間、幻影は激しい光に貫かれて霧散した。
一瞬で発火し、燃え尽きたのは小さな隕石。
摩擦熱で自壊寸前の隕石を落とし、光の矢のように幻影を貫いたのだ。
…制御が甘かったのか、コカドリーユ自身の足も少し焦げているが。
「…礼儀は忘れても、実力は衰えていないようじゃな」
自身に並び立つ実力を見て、ルヴナンは冷静さを取り戻した。
人格は認めずとも、その実力は認めるように称賛する。
苛立ちを隠さずに大きく舌打ちをして、身を退く。
「また逃げる気か! この臆病者が!」
消えていくルヴナンを見て、コカドリーユが吠える。
それにもう一度舌打ちをして、ルヴナンはコカドリーユを睨んだ。
「チッ…その塵芥を抱き込むなら、背中に気を付けておけ」
最後にそう言うとルヴナンは霧と共に消えた。




