第三十一夜
「………」
ルーセットは魔力を巡らせ、知覚を研ぎ澄ます。
感覚器官を普段以上に広げ、周囲の血の臭いを探る。
(…どこだ)
どれだけ視界が悪くとも、臭いまでは消せない。
霧で何も見えないとはいえ、ヴェガは近くにいる筈だ。
目を閉じて、嗅覚と第六感に集中する。
(いる筈だ。見えずとも、聞こえずとも、いる筈なんだ!)
「貴様の考えなど手に取るように分かる」
逸る心を抑えて集中するルーセットに冷酷な声がかけられた。
思わず、目を開けてしまう。
「浅はかなり」
ルーセットの目に見覚えのある少女が映る。
手足を氷で拘束され、意識がないように項垂れている。
ルーセットが必死に探していたヴェガの姿がそこにあった。
ヴェガの能力を利用する手段は、失われた。
「…気絶させた娘に悪戯か? イイ趣味とは言えないぞ、爺さん」
軽口を叩きながら、ルーセットは感覚器官を更に広げる。
最早、ルーセットが生き残る手段は一つしかない。
ルヴナンの肉体を見つけ出し、条件を対等にする。
魂だけのルヴナンには手も足も出ないが、肉体を確保すれば条件は同じ。
問題は『ヴォワ・ラクテ』が届く範囲にルヴナンが肉体が存在していないことだが…
「ははは、滑稽よ。今度はどんな悪足掻きをしておる?」
ヴェガを拘束したまま、ルヴナンは嘲笑する。
「小賢しい貴様のことじゃ。逃げられないと分かったら、すぐに儂を殺す手段を考えておるのじゃろう」
「ッ…」
「じゃが、貴様も分かっている筈じゃ。霧である儂は殺せない。そして、貴様が必死で探している儂の肉体も…近くにはない」
勿体ぶるようにルヴナンは言った。
ルーセットの微かな希望すら毟り取るように。
不遜なルーセットにより深い絶望を味わわせるように。
「諦めるが良い。貴様はここで死ぬ…次の月を拝むことは出来ぬ」
「死ぬ、だと…俺が、か?」
愕然とルーセットは呟いた。
こんな何でもない所で、死ぬ。
何一つ残さず、誰の心にも留まらず、無意味に死ぬ。
ちっぽけな虫けらのように、無価値に消える。
「…………………………………………………………………」
ルーセットの脳裏に、いつかの光景が過ぎる。
何もない白い病室。
誰も訪れることのない、閉じた空間。
一人では歩くことすら出来ない脆い生命。
ただ時だけが過ぎる、変化のない世界。
何も変わらないのに、確実に死だけは近付いてくる日々。
(…死んで、たまるか)
あんな思いは二度と味わいたくない。
二度と味わいたくないから、吸血鬼になった。
魂を売り渡し、太陽に背いた瞬間に誓った。
不死を手に入れると。
それまでは、死ぬ訳にはいかない。
「………?」
その時、ルーセットはぴくりと身体を揺らした。
研ぎ澄まされていたルーセットの知覚が、何かを感じ取った。
霧を抜けて、銀の檻を抜けて、その先…
肉眼では見えない遠く離れた場所に………いる。
「…ははっ…ははははははははは!」
突然ルーセットは狂ったように笑いだした。
今までの緊張感も消えて、その場に座り込んだ。
「どうした。恐怖のあまり、気が触れたか?」
ルヴナンは訝しげに呟く。
豹変したルーセットは、その困惑にすら可笑しそうに笑った。
「ははは!…吸血鬼ってのは、太陽に背いた者だ。俺も軟弱な肉体を嫌って、太陽を裏切った。そんな俺がこんなことを言うのはおかしいんだろうな」
「…何を言っている?」
ルヴナンは本気でルーセットの言葉が分からなかった。
気が触れた、と口では言ったがルーセットの目には理性が見える。
そのことがルヴナンの心を騒めかせた。
状況は圧倒的に有利だと言うのに、胸騒ぎがする。
場の空気が変わり始めたことを悟り、ルーセットは満面の笑みを浮かべて告げた。
「天は我を見放さずってか」
その姿が、ヴェガの物へ変化する。
それに合わせて、周囲に星屑が光り輝く。
ヴェガの能力だった。
そのことを知るルヴナンは訝しげに唸った。
「そんな能力で一体何を…」
ざわっ、とルヴナンの霧が揺れた。
表情のない人型に緊張が走る。
光り輝く星屑の中、空間を超えて近付く気配。
ルヴナンに決して劣ることのない強大な気配。
この気配は…
「き、貴様…何故…!」
「久しぶりだな。ルヴナン!」
瞬間、光の爆発が周囲を包み込んだ。
太陽が墜ちてきたような爆発は人型の輪郭を吹き飛ばし、広がる霧を蒸発させる。
遅れてきた熱によって霧が完全に晴れた時、ルーセットの隣には一つの影があった。
「アンタに相応しい、派手な登場だな」
呆れたような称賛するようなルーセットの言葉に、男は自慢げに笑った。
「当然だ。余の辞書に謙虚の文字はない!」
自信満々にコカドリーユは宣言した。




