第三十夜
赤みがかった霧がルーセット達を包む。
その濃度は以前の比ではなく、最早隣にいるヴェガすら霞んで見える程だ。
魂すら凍てつくような濃霧に包まれ、ルーセットは前を向いた。
目の前のルヴナンではなく、その先にそびえ立つ『銀の監獄』を見据える。
「わざわざ監獄の前に転送させるとは、気が利いているな」
「案ずるでない。あの『銀の檻』に貴様が入ることはない」
霧の中に浮かぶ星型から冷たい声が響く。
「銀の檻に入れられるのは、罪を犯した純血のみ………牢に入るのはヴェガの方じゃ」
その声には何の感情も込められていない。
独断行動した時点で、既にヴェガの処遇は決まっていた。
和を乱す吸血鬼は処刑されるのが秩序。
だが、純血の場合は血の保存が優先される。
故に魔力を阻害する銀に覆われた監獄に幽閉。
それがルヴナンの定めた決定だった。
「この馬鹿デカイ監獄が純血専用だってのか? アルジャン=ラルジャンが入れられていた筈だぞ」
「…銀の吸血鬼か。管理を任せていたコカドリーユの怠慢じゃ。チッ、監獄を私物化しおって」
「なるほど、粛清したと見せかけて監獄に隠していた訳か」
注意を逸らすように会話を続けながら、ルーセットはヴェガを一瞥した。
狙いは以前と同じだ。
ルヴナンの隙を見てヴェガに転移してもらい、すぐにヴェガも転移させる。
それが四方を取り囲むルヴナンの霧から逃れる唯一の方法。
「この『銀の檻』は純血が純血を裁く為に造られた。貴様のような凡俗が足を踏み入れて良い場所ではないのじゃ」
「相変わらず純血純血と煩いな。十年前に純血を吸血した俺にも、少しは純血が流れているんだぞ?」
ぴりッ、と張り詰めるのような殺意がルーセットを包んだ。
周囲を覆う霧の動きが乱れ、下がっていた気温が更に低下する。
「我らの血を僅かに奪った盗人が、我らの血族を騙るか。不遜にも程があるぞ、下等!」
ゴッ、と霧が吹き荒れる。
吹雪のように襲い掛かる霧を見て、ルーセットは舌打ちをした。
軽く挑発するつもりだったが…相変わらず沸点が低い。
「陽光を遮る霧よ。魂を拘束しろ…『ブルイヤール』」
迫る霧から逃げるように走るルーセットの前に霧状の人型が出現した。
星型の浮遊物体を核とした輪郭。
周囲に広がるルヴナンの身体だった。
「チッ!」
ルヴナンは懐から数本の銀のナイフを投擲する。
手を傷つけないように刃だけを銀製に加工したナイフ。
「ふん…」
吸血鬼共通の弱点である銀は、確かにルヴナンを貫いた。
人型にナイフが衝突し、僅かに輪郭が崩れる。
だが、それだけだった。
霧にナイフは刺さらず、虚しく地に落ちる。
霧の身体を持つルヴナンに、物理的な攻撃は無力だ。
「…銀製なら少しは効果があると思ったが」
「愚者が少しは考えたようじゃが、その程度の浅知恵。片腹痛いわ!」
叫びながらルヴナンはルーセットの腕を掴んだ。
霧状の腕はルーセットの肉を透過し、沈んでいく。
それを見て、ルーセットは後退しようとしたがルヴナンの方が速かった。
「削り取れ、ブルイヤール!」
ブチブチィ、と繊維が引き千切れるような音が響いた。
ルーセットの腕が千切れた訳ではない。
腕は無傷だ。
物体を透過するルヴナンの手が掴んでいたのは、その内部。
ルーセットの『魂』だった。
「ぎ…ああああああああ!」
魂を引き千切られたルーセットが絶叫する。
どれだけ肉体が傷つこうと気に留めなかったルーセットが真っ青になる。
激痛に叫びながらも、ルーセットは距離を取る為に後方へ飛び退いていた。
「ルーセット!?」
「魂を、俺の魂を『また』千切りやがったな!」
心配するヴェガを見る余裕もなく、ルーセットは腕を抑えた。
ルヴナンが触れた腕は、死人のように白く変色している。
「どうじゃ? 十年ぶりに味わう魂が裂かれる痛みは?」
その様子に痰飲が下がったようにルヴナンが言う。
霧状の身体に表情はないが、もし顔があれば嘲笑を浮かべているだろう。
「まだ味わってみるか?」
「ッ!」
恐怖からルーセットは後退る。
その時になってようやく、近くにいたヴェガの存在に気付いた。
「ヴェガ! 今すぐ俺を転移し………!」
「この儂が、一度した失態を繰り返すと思うか?」
二人を遮るように、霧が吹き荒れた。
一寸先すら見えない霧の闇。
近くにいるヴェガの姿が、ルーセットの視界から消えた。
「ヴェガ! ヴェガ、どこにいる!」
それは心配故か、保身故か、ルーセットは青ざめた顔で叫ぶ。
だが、答えはない。
周囲は濃い霧に包まれ、何も聞こえない、何も見えない。
「……!」
マズイ。
ヴェガと引き離されてしまっては、逃げることが出来ない。
ヴォワ・ラクテでは自分を転移できない。
(…考えろ。考えろ考えろ!)
どうすれば助かる。
どうすれば生き残れる。
戦うことは不可能だ。
霧の身体を持つルヴナンは殺せない。
どんな攻撃をしても痛みすら与えられない。
「無様じゃな」
「ッ…ああああああ!」
見下すような声と共にルーセットの足に激痛が走る。
先程と同じだ。
外傷などないのに、魂が引き千切られている。
それがルヴナンの能力。
「貴様の悲鳴を聞くと、十年前を思い出す。泣き叫び、無様に命乞いをした貴様の姿を」
「はぁ…はぁ…はぁ…」
十年前、ルーセットはティミッドを暗殺した。
血を奪って自身に取り込んだ、その直後にルヴナンと出会った。
純血を殺した反逆者と純血のリーダー格。
すぐに殺し合いが始まった。
結果は、ルーセットの惨敗。
魂の殆どを引き千切られ、命辛々人間社会へ逃げ延びた。
命こそ拾ったが、その代償は大きく…魂の修復には十年の時を必要とした。
「しぶとく生き残っていたようだが、その悪運も今日までじゃ」
「………」
ルーセットは自身が生き残る為に思考を続ける。
魂を引き裂くこと、それがルヴナンの能力。
つまり、周囲に広がる霧の身体もその一端。
霧状の物体は、恐らく全てがルヴナンの魂。
ルヴナンは自分の魂に能力を使うことで、周囲に広がっているのだ。
(…それなら肉体がある筈だが、辺りには見当たらない)
肉体と魂を引き裂き、魂だけで活動することも出来るのだろうか。
だとすれば、魂を攻撃する手段を持たないルーセットでは殺せない。
何か、別の手はないか…
何か…




