第百三夜
ソルシエールの襲撃から一日が経過した。
魂が傷つけられたヴェガはまだ眠り続けており、ルーセットはその看病をしていた。
「………」
肉体の傷はともかく、魂の傷を治すには時間が必要だ。
度々ルーセットは魔力を送り込んでいるが、目を覚ますのはいつになることか。
「…まだ目が覚めないみたいね」
「フェーか」
眠るヴェガを眺めていたルーセットは声に気づいて振り返る。
その顔に覇気がないことを見て、フェーは呆れたような表情を浮かべた。
「演技が得意なフロドゥールがそんな顔をするなんて、相当まいっているわね」
「うるさいな。そう言う君は、操られた割には元気そうじゃないか」
「私の場合、植え付けられた感情が元々の私と合致していたからね。心に負担が少なかったのよ」
「つまり、後押しされただけで殆ど素だった訳か」
「どちらかと言えば、コカドリーユ様にボコボコにされた傷の方が痛いわ」
不満そうにフェーは言うが、アレと戦って死ななかっただけマシだろう。
裏切りや反逆を好むコカドリーユとは言え、うっかり殺されていてもおかしくなかった。
生き残ったのは、フェーの能力が『的を逸らす』ことに特化しており、コカドリーユの能力と相性が良かった為か。
(…コカドリーユか)
「そう言えば、アイツどうしてる?」
「………コカドリーユ様は、派閥の吸血鬼を使ってプーペを探させているわ。でも、まだ見つからないみたい」
荒れているコカドリーユを思い出したのか、フェーは苦い顔を浮かべた。
そう、ソルシエールの襲撃後、プーペが行方不明になったのだ。
たった一人の腹心が消えたことに、コカドリーユは取り乱した。
常にプーペとコカドリーユを繋いでいた眷属の絆さえ消えており、今生きているかどうかすら分からない状況らしい。
今までの状況から見て、ソルシエールが関わっているに違いない。
「…あの女は何を考えてルーガルー側に寝返ったのかしら」
フェーは不思議そうな表情で呟いた。
操られたことを恨む訳でもなく、純粋にソルシエールの行動が理解できない。
裏切りが常の吸血鬼とはいえ、かつて共に戦った純血を全て裏切ってルーガルーに味方する意味は何か。
全ての吸血鬼を滅ぼすと豪語しているルーガルーに味方して、何か得る物があるのだろうか。
「考えるだけ無駄だ。アイツの言葉は全て嘘ばかり。俺も大概だが、アレは本気で自分以外は人形や道具程度にしか考えていないぞ」
自分の目的の為なら誰だろうと利用するルーセットが認める究極のエゴイスト。
性格が冷たいとか、手段を選ばないとか、そう言うレベルではない。
本気で価値観に自分しか存在しておらず、それ以外は等しく無価値なのだ。
たった一人の舞台。
それがソルシエールの世界。
『失礼ね。少なくともルーセットは可愛らしいペットだと思っているわよ』
「ッ!」
突然聞こえた声に、ルーセットとフェーは身構えた。
この場には二人しかいない。
ルーセットとフェーは顔を見合わせ、声のする方向を見た。
『いや、思っていた。もう過去形ね。私の言うこと聞かない子犬なんて、ペットですらないわ』
そこには、一匹の猫がいた。
黒い毛並みに、赤い瞳の小さな猫。
猫らしからぬ嘲笑を浮かべて、二人を見ている。
「そう言うお前は、子猫ってか?」
『魔女の使い魔と言ったら、黒猫と相場が決まっているのよ』
黒猫を包むように赤い糸が光る。
ソルシエールの操る糸のイクリプスだった。
その糸を媒介にして、ソルシエールの声を届けているのだろう。
「今度は何をしに来た?」
警戒したルーセットの言葉に、黒猫は前足を動かして得意げな笑みを浮かべる。
『預かり物を返してあげようと思ってね』
「…プーペのことか?」
その時、勿体ぶる様な黒猫の背後にコカドリーユが音もなく現れた。
黒猫が何かを言う前に首を掴み、片手で吊し上げる。
「今すぐ居場所を吐かなければ、握り潰すぞ」
『ぐぐ、苦しい…!…………なーんちゃって、この猫を殺したところで私は痛くも痒くもないわよ』
ギリギリと首を絞められながらも黒猫はクスクスと笑う。
挑発的な言葉に、コカドリーユの力が僅かに強まった。
骨が砕ける音を聞きながらも黒猫は嘲笑を崩さない。
『良いことを教えてあげる。プーペは今、フロンの平原にいるわ』
「…本当か?」
『嘘でも信じるしかないでしょ? そうねぇ、無傷で返して欲しければ、コカドリーユ一人で来なさい。それが人質解放の条件よ』
今、思いついたようにソルシエールは条件を付け加えた。
『とっておきの罠を張って待っているから、必ず一人で来るのよ?』
敢えて自分の計画を暴露し、黒猫は笑みを浮かべる。
馬鹿にするようにけらけらと笑うと、グルンと目がルーセットを向く。
『ああ、ルーセットは来ちゃだめよ。コカドリーユを殺してから、迎えに行ってあげるから』
「………」
『利口にしていたら、ヴェガのことも治してあげるし、悪いようにはしな…』
ボキン、と音が鳴り黒猫の言葉は中断される。
コカドリーユの怪力によって黒猫の首はへし折れていた。
動かなくなった黒猫をゴミのように投げ捨て、コカドリーユは不快そうに鼻を鳴らした。
「…余はプーペを取り戻す為に、出るぞ」
爬虫類のように獰猛な目がルーセットを見る。
「お前はどうする。ルーセット」
「…そうだな」
ルーセットは難しい顔をして考え込む。
人質を使った明らかな罠。
ソルシエールにしては単純すぎるほどに分かり易い作戦だ。
それ故に、ルーセットがそれに付き添うメリットはない。
チラッ、とルーセットの視線が状況についていけないフェーへ向いた。
「な、何? フロドゥール」
「フェーはどうしたい?」
ルーセットは子供のような笑みを浮かべてそう言った。
「クスクス……コカドリーユはどうするのかしら?」
赤いガラス玉を眺めながらソルシエールは一人笑みを浮かべた。
コレは声を送るタイプのガラス玉ではなく、映像を送るタイプのガラス玉。
映写機のように浮かび上がる風景は、コカドリーユのアジトだった。
「お? 出てきた。コカドリーユ一人か」
にんまりと猫のように笑うソルシエール。
見え透いた罠でも、人質の為なら動かざるを得ない。
コカドリーユの性格をソルシエールは分かり切っていた。
「そしてルーセットはお留守番っと」
ガラス玉は、アジトから出ていくコカドリーユとそれを見送るルーセットを映し出す。
単純すぎる作戦を怪しみながらもリスクを嫌う性格故にルーセットは動けない。
逃げる可能性も考えていたが、昏睡したヴェガを置いていくことは出来なかったようだ。
「…これでコカドリーユはしばらく戻らない。その間に襲撃があれば、どうなるかしら?」
パチン、とソルシエールは指を鳴らした。
影から這い出るように現れるのは、かつて共に戦った大戦時代の人間上がり達。
クリュエル同様にルヴナンに管理されていた吸血鬼達が、ソルシエールの糸に吊られて従っている。
「分かっていると思うけど、ルーセットだけは殺しちゃだめよ。アレは私の玩具だから」
「ググ……ア…アアア…」
「…命令は聞いているようだけど、長くは持たないわね。まあ、ルヴナンの遺品整理してたら見つかった偶然手に入れた戦力だし、使い潰してもいいんだけど」
以前共に戦った仲間にすら、ソルシエールは微塵も感情を向けない。
楽しそうに歪んだその眼に、誰も映っていない。
お気に入りのルーセットでさえ、興味がいつまで持つか分からない。
愛とは、執着。
愛を嫌い、誰も愛さないソルシエールは何物にも執着しないのだ。
「さあ、悲劇を始めましょう。この長い吸血鬼の歴史に終止符を」




