第百四夜
「…簡単すぎ。拍子抜けだわ」
向かってくるコカドリーユ派閥の吸血鬼を蹴散らしながら、ソルシエールは進む。
この派閥には確かに実力者が集まっているが、百年前の戦いを生き抜いた吸血鬼には勝てない。
ソルシエールの傍に控える吸血鬼は五人だけだが、それだけで派閥全ての吸血鬼を超える実力を持っていた。
退屈そうに息を吐きながらソルシエールはガラス玉を揺らす。
映し出される映像にルーセットは映っていない。
「これだけ騒がしくしても逃げる気配はなし、か。本当にヴェガとか言う娘っ子が大事みたいね」
大事にしていた玩具を取られた子供のような顔で、ソルシエールは呟く。
下僕の吸血鬼を蹴飛ばし、八つ当たりをしながら歩き続ける。
「そうだぁ。今度はそのヴェガをコカドリーユにけしかけてみようかしら」
ソルシエールの顔が拗ねた子供の表情から悪質な魔女の表情に変わる。
「きっとコカドリーユは容赦なく殺すでしょう。そうすれば、どんな言葉で取り繕ってもルーセットはコカドリーユの下を離れる」
子供のような無邪気さや残酷さではない。
それは確かな知性を持った狡猾な魔女の企みだ。
「そうして孤独になったルーセットなら簡単に手に入る。私の仕業だと知っていても構わない。どうせ死んでからも復讐に走る様な性格じゃないし」
人間らしさを捨てきれないルーセットだが、そこまで人間臭いことはしない。
ルーセットがヴェガに執着しているのは、それが生きているから。
もし、何らかのきっかけで死んでしまえばそれまで。
死んだ者の復讐に命をかけるような、そんな人間みたいなことはしない筈。
吸血鬼を一目見るだけで性格や心の方向性まで見抜く魔女はそう判断する。
「そうと決まれば………あら?」
楽し気に計画を練るソルシエールの前に、目的の者が現れた。
いつも通りの燕尾服と山高帽を着こなした女顔の優男。
ルーセットは表情のない顔で佇んでいた。
その隣に、フェーと言う女もいるがソルシエールの目に入るのはルーセットだけだ。
「逃げもせずに待ってくれるなんて、私のペットになる気になったのかしら?」
ソルシエールは満面の笑みでそう告げた。
「何もない。プーペがいると言うのも嘘だったのか」
同じ頃、フロンの平原に辿り着いたコカドリーユは呟く。
灰色の大地が広がる平原には、コカドリーユ以外の吸血鬼はどこにもいなかった。
罠を張ると言う言葉自体が嘘だったのか。
単に虚言でコカドリーユを誘き出すことだけが目的だった。
「別に嘘はついていないぞ、コカドリーユ」
アジトへ戻ろうと考えていたコカドリーユの背後から声がした。
さっきまで何もいなかった場所に、一人の吸血鬼が立っている。
それは男だった。
吸血鬼らしい青ざめた肌に、冷たい整った顔立ち。
貴族風の黒いローブを纏い、その隙間からは黒い煙のような物が僅かに漂っている。
人間のイメージする吸血鬼像そのものであり、映画の中から出てきたように現実感のない姿。
「お前、は…」
「どうした、幽霊でも見たような顔だな? そんなに私が怖いか?」
「…馬鹿な。お前は既に死んだ筈だ、ティミッド」
コカドリーユの言葉に、ティミッドは薄く笑った。
笑ったティミッドの頬に、僅かに亀裂が走る。
それを隠すように触れながら、ティミッドはコカドリーユを見た。
「まあ、私のことは後で話そうぜ。それよりもこの場にソルシエールがいねえことの方が気になるんじゃねえか?」
勝ち誇るように笑いながらティミッドは言う。
「今、お前のアジトを襲撃しているよ。ジジイの置き土産も使って大暴れだ。皆殺しだな…ククク」
ティミッドは心底愉快と言った様子で笑い続ける。
自分より遥かに実力が上なコカドリーユが罠に嵌まった姿が滑稽でならない。
おまけに自分を殺したルーセットもソルシエールの奴隷にされるなら、言うことはない。
蘇った甲斐があったと言うものだ。
「…やはり、そうだったか。本命はルーセットだったのだな」
「あぁ? そうだよ。出来ることなら私の手でアイツを殺したかったが、ここでお前の足止め役だよ」
「そうか、それは良かったな」
コカドリーユはフッと笑みを浮かべた。
その笑みに違和感を感じ、ティミッドは首を傾げる。
良かった、とはどう言う意味だ。
それに罠に嵌められたと言うのに、この余裕は何か。
「お前の手で仇を打てるチャンスが回ってきた訳だ。何故ならルーセットは…」
コカドリーユの影が伸びる。
その輪郭が影に包まれて曖昧になる。
段々と変わっていく姿を見て、ティミッドは息をのんだ。
「まさか、お前は…お前は…!」
「ここにいるからな」
影が消えた時、そこにいたのはルーセットだった。
「そんな、馬鹿な…!」
ソルシエールの前でルーセットの姿が崩れていく。
散っていく粉の下から現れたのは、フロンの平原に向かった筈のコカドリーユだった。
それを確認すると、ソルシエールはすぐに隣に立つフェーを睨んだ。
この能力は、イリュジオン。
鱗粉を纏わせることで他者の姿を変貌させる能力。
ソルシエールが歯牙にもかけていなかったこの女の能力だ。
「…実際に戦ってみて、この能力の有用性に気づいた。余もまだ未熟だな」
自身の至らなさを恥じるように言いながらコカドリーユはソルシエールを見た。
その眼には出し抜いた愉悦と明確な殺意が宿っている。
「ルーセットと話してな、お前の思い通りに行動するよりも罠を張って抑えることにしたのだ」
「くっ…行きなさい!」
ソルシエールは後退りながら下僕に命令を出す。
大戦を生き抜いた五人の吸血鬼達はそれぞれの能力を使って、コカドリーユへ襲い掛かった。
しかし、
「脆い。アエロリット」
降り注ぐ光の一撃が吸血鬼達を焼き払う。
彼らは大戦で活躍した吸血鬼達だが、相手にするのは大戦の先頭に立った英雄だ。
単なる兵士でしかなかった彼らは、英雄の一撃の前に灰となった。
「一撃…!」
「既に周囲は倒されたふりをしていた皆で塞いでいるわ。今度はプラニスフェルを使っても逃げられない」
逃げる機会を伺っていたソルシエールにフェーは冷たい声で言う。
予想以上に手応えがないと感じていたのは、この為だったのか。
ソルシエールは悔し気に手に持ったガラス玉を握りしめた。
「チェックメイトだ、ソルシエール」




