第百一夜
「ヴォワ・ラクテ!」
「おっと、外れだ」
空を駆ける星屑の刃をルーセットは舞うように躱し続ける。
逃げ遅れた蝙蝠が数匹、斬り裂かれて地に落ちるが、ルーセットは不敵な笑みを浮かべて腕を動かした。
「お前の弱点はフィジカルの脆弱さだ。包み隠せ!」
ルーセットの操る蝙蝠の群れが、ヴェガを包むように蠢く。
黒い嵐が細い肉体に絡みつき、ヴェガの姿は蝙蝠の中へ消えていく。
一匹一匹は軽い蝙蝠だが、大群が身体に張り付けば重みでヴェガは身体が動かせなくなる。
ヴェガを傷つけずに無力化する最善策だ。
「私の能力を、忘れていませんか?」
勝利を確信したルーセットの背後から声がした。
同時に、背中から生えていた翼が根元から消失する。
飛行能力を失って、地上へ落下しながらルーセットは後ろを振り返った。
「転移能力で逃げていたのか…!」
「あなたの弱点はイクリプスの脆弱さです。斬り裂きなさい」
翼を失い、空中で身動きが取れないルーセットへヴェガは星屑を放つ。
輝く光の刃は、雨のようにルーセットへ降り注ぎ、その身を削ぎ落としていく。
手足を失い、血肉を削り取られ、小さくなっていくルーセットをヴェガは冷徹な目で見つめる。
「止めです」
血塗れになったルーセットへ最後のギロチンが放たれる。
それは寸分狂わず、ルーセットの首を斬り飛ばした。
頭部を失った肉体が灰へと変わっていく。
呆気なさすぎる。
そうヴェガが思った時、首筋に痛みを感じた。
空に浮かぶヴェガの首に、一匹の蝙蝠が齧り付いている。
「ざーんねん。こっちが本体さ」
「…くッ…いつの間に、入れ替わって…」
「君が蝙蝠の群れに包まれて、目隠しされていた時さ」
ルーセットはヴェガの能力を忘れていた訳ではなかった。
蝙蝠でヴェガを包み隠したのは無力化する為ではなく、ヴェガの視界を覆う為。
その隙に他の蝙蝠と入れ替わる為。
「この…ッ!」
逃げるように飛び去る蝙蝠へヴェガは星屑を放つが、的が小さすぎて当たらなかった。
「前にも吸ったが、やっぱり君の血は美味しいねェ」
蝙蝠から元の姿へ戻りながらルーセットは言った。
「本当にあなたと言う男は、卑猥なことばかり言いますね」
噛まれた首筋から血を流しながら、ヴェガは呆れたように息を吐く。
その様子は以前と何も変わっておらず、記憶も消されていないようだ。
(記憶操作も感情操作もされていない。なら、この敵意は何だ?)
戦いながらルーセットはヴェガにかけられた能力を分析していた。
単純に心を操る能力と言っても、色々と種類が存在する。
それを打ち破るには、まず能力の性質を知る必要がある。
「…俺が憎いか。ヴェガ」
「憎くはありませんよ、ただ怖いんです。純血を欺き、殺すことが出来るあなたの力が。迷いのないあなたの強さが」
秘めた本心を打ち明けるように、ヴェガは告白した。
「だから殺すのか、この俺を。怖いから、危険だからと俺に殺意を向けるのか」
「殺す? 私が、ルーセットを…?」
ヴェガは困惑したように首を傾げた。
その恐怖は、確かにヴェガの中にあったものかもしれない。
だが、今のヴェガにある敵意や殺意は元々ヴェガの中にあったものではない。
「ヴェガ…?」
「私がルーセットを殺す筈が………いや、私はルーセットを殺そうと……でも、私は…私は!」
苦しみを払うように頭を振り、ヴェガは狂ったように叫ぶ。
心証を表すように、星屑が嵐となって吹き荒れる。
制御を失った星屑はヴェガ自身の身体を傷つけていた。
「あーあー、可哀想に。ルーセットが迷わせるから、好意と敵意が衝突して心が壊れちゃった」
「ソルシエール…!」
口ぶりとは裏腹に楽しそうに笑うソルシエールをルーセットは睨んだ。
これだけ他者の心を掻き乱すことが出来る者は、一握りの吸血鬼だ。
そんな心の隙をつくことに長けた吸血鬼を、ルーセットは彼女しか知らない。
「…これは全てアンタの仕業か」
「全て? どこからどこまでのことを言っているのかしら? 心当たりがあり過ぎて迷うわ」
「………」
「冗談よぉ。そんな怖い顔しないで、私のルーセット」
クスクスと笑ってはぐらかすソルシエールをルーセットは睨み付けた。
「惚けるのなら代わりに教えてやる。アンタの能力は、心を操る能力だ。不安や疑心を煽って心を暴走させる悪質なマインドコントロールだ」
心を操るイクリプス。
それこそが、ソルシエールがルヴナン達にも隠していた能力。
厄介な能力だが、他の純血のように直接的な力を持たない異質な能力。
「…少し違うわね。私は別にヴェガを乱心させた訳じゃない………『役』を与えたのよ」
ルーセットの推測を訂正しながら、ソルシエールは腕を軽く振った。
その指先で赤い糸が光り、ヴェガの動きが止まる。
「手中の舞台」
指先から伸びる赤い糸はヴェガの背に繋がっていた。
ヴェガだけではない。
この場で乱心している全ての者が赤い糸が繋がっており、それらは全てソルシエールの手に収束している。
「糸に吊られた役者よ。我が悲劇で踊れ」
魔女の指先が怪しく動く。
糸人形達はその命令に従って、踊り狂う。
「『グラン=ギニョール』」
「かっ…あああ…!」
糸に吊られたヴェガの身体が痙攣する。
「ルーセットに対する『憎悪』を追加。ティミッドに対する『親愛』を追加………っと」
ありもしない心が捏造される。
偽装された心がヴェガの中に植え付けられる。
「――――完成。キャスト『復讐に燃える少女』」
「………」
痙攣が止まったヴェガの顔から表情が消えた。
言葉は発さず、ただ睨むようにルーセットを見ている。
その眼に、確かな憎悪を宿して。
「…何をした」
「『グラン=ギニョール』は心を植え付けるイクリプス。土や鉄に意思を与え、生物に新しい感情を与えることが出来る」
それは、ソルシエールの手中の舞台。
ソルシエールの考えた感情と心を持った『役』を与えられた者は、それに忠実に従う。
今のヴェガは、父親の復讐に燃える一人の吸血鬼。
「ヴォワ・ラクテ…」
植え付けられた『役割』に操られ、ヴェガは星屑を放つ。
例え偽造された物だろうと、今のヴェガにとっては真実。
その胸から芽生える復讐心に身を任せ、仇敵へ襲い掛かる。
悲劇が、始まった。
「でも、心を操るのって言葉で言うよりずっと難しいのよねぇ」
星屑を躱すルーセットを楽しそうに眺めながらソルシエールは言う。
「私の能力は、ただ心を植え付けるだけだから元々ある感情や本来の人格までは消せない。だから元々の性格に矛盾する心を強制できない、使い勝手の悪い能力なの」
「………?」
ヴェガと向き合いながらもソルシエールの言葉に耳を傾けていたルーセットは訝し気な顔をした。
元々の性格に矛盾する心は強制できない?
なら、今のヴェガは何だと言うのか。
元々ヴェガは父親を嫌っていた。
ルーセットに対して親愛を抱いていた。
なのに、今のヴェガは嫌いな父親を思ってルーセットに復讐しようとしている。
まるで真逆の感情で動いている。
「そう、それがこの能力の使い勝手の悪いところなの。無理に矛盾する役を与えられた者は心が自己崩壊を起こし始める…」
ルーセットの脳裏に、クリュエルの姿が過ぎる。
長年仕えたルヴナンを一時の感情で裏切ってしまい、その後悔から錯乱していた男。
「やがて、言葉も感情も支離滅裂になり、暴走し…」
元々あった忠誠と芽生えた不信感。
その二つが衝突し、暴走していた。
「最後は心が完全に壊れて、廃人になる」
「何だと…!」
動揺し、思わず立ち止まったルーセットの顔を星屑が掠める。
流れる血も構わず、ソルシエールを殺意を込めて睨んだ。
「もう元に戻すことは出来ないし、いっそ一思いに殺してあげちゃった方が幸せかもよぉ」
「ふざけるな! 俺がヴェガを殺すなんて…!」
「出来ないなら殺されるだけよ。あなたは死なない為に吸血鬼になった。誰よりも生きることを望んでいるあなたは、他人の為に死ねるのかしら?」
「…ッ!」
魔女の言葉がルーセットの胸に突き刺さる。
出来る筈がない。
他人の為に死ぬことなど、出来る筈がない。
ルーセットは生きたいから吸血鬼になったのだ。
一人で死ぬことが怖かったから、吸血鬼となった。
なら、ヴェガの為には死ねない。
「ああああああああ…!」
その時、錯乱したヴェガの腕がルーセットを貫いた。
魔力で強化された細腕がルーセットの胸を突き破り、心臓を抉る。
正面からそれを見届け、ルーセットは血を吐きながら笑みを浮かべた。
「俺は死なない。生き続ける………君も一緒にな」
「なっ…」
にやけながら様子を見守っていたソルシエールの口から驚きの声が漏れる。
心臓を貫いたヴェガを抱きしめたルーセットは、その無防備な首筋に噛み付いたのだ。
「く…あ…あ…」
「血を吸い尽して殺す為…?……いや、コレは…!」
ヴェガから吸血しているのではない。
逆だ。
ルーセットはヴェガに、血を送り込んでいる。
吸血鬼が人間に血を与え、眷属とするように。
既に吸血鬼であるヴェガに新たに血を与える理由は…
「月を隠す影よ。隠し偽れ『シメール』」
ヴェガの首から口を放し、ルーセットは慣れ親しんだ言葉を告げる。
それは、姿を変えるイクリプス。
しかし、変わったのはルーセットではない。
「魂の、改竄?…まさか、血を送り込むことでヴェガの魂を…」
「愛の成せる技さ」
脱力したヴェガを抱き止めながらルーセットは得意げに笑った。
ルーセットのシメールで、ヴェガの魂を正常な状態に『変身』させる。
血を送り、眷属の絆を利用することで影響範囲を強引に伸ばす賭けだったが、上手く行った。
「くっ…」
苦い顔をしたソルシエールの指先が動く。
指先から赤く光る糸が伸び、生物のように蠢いた。
ルーセットによって千切られた糸が、再びヴェガを狙って伸びる。
「断ち切れ『ヴォワ・ラクテ』」
瞬間、怪しく動いていたソルシエールの指先が消失した。
「く…あ! 私の指を…!」
指から伸びていた赤い糸が消え、ソルシエールは失った指を抑えて後退る。
余裕を失った表情。
それを見て嘲笑いヴェガはよろけながら立ち上がる。
ルーセットの隣へと。
「俺達の愛の勝利だ。ソルシエール」




