第百夜
『教育係になったソルシエールと申します。よろしくお願いしますね?』
いけ好かない女だった。
殆ど会うことすらなくなっていた傲慢な父親が寄越した使用人。
あの男の息が掛かった者と言うだけで、憎らしかった。
『俺は、アイツの使用人とよろしくするつもりはない』
『ロワ様…あなたのお父様は、あなたのことを心配しているのですよ』
『ハッ、あの親父が見ているの俺じゃない。俺に引き継がれた奴の血だけだ!』
父親の興味はいつも、コカドリーユの持つ血だけだった。
どれだけ努力しようとどれだけ成果を出そうと、見ているのはコカドリーユに引き継がれた血だけ。
それはコカドリーユを通して、自分の能力を確認しているに過ぎない。
『オラージュ、でしたっけ? 確か、王族は代々同じイクリプスを継承していくのでしたね』
『…ッ! お前、何でそれを』
『あぁ、その顔。ようやく私を見てくれましたね? 私のこと、興味出てきたのではないですか?』
『お前、ただの使用人じゃないな』
『クスクス…よろしくお願いしますね。若様』
本当に、いけ好かない女だった。
教育係となったソルシエールは、同時にもう一つの任務を始めた。
純血の王であるロワに反抗的なコカドリーユの監視。
ソルシエールは全てを逐一報告した。
ロワに敵意を向けるコカドリーユの様子を全て、そのまま伝え続けた。
コカドリーユはそれに感付き、ソルシエールには一切心を許さなかった。
『最近、若様は人間の眷属を飼い始めたようです。それを友と呼び、必要以上に入れ込んでいるように見えました』
そして、
『ヌーヴェル=リュンヌが力を増している今、純血達は人間上がりに敵意を抱いております。このままでは若様から人心が離れてしまうでしょう』
決定的な出来事が起きる。
「…少し眠り過ぎたか」
簡素なベッドの上でコカドリーユは目を覚ました。
そこは高価な家具などない、殺風景なコカドリーユの自室。
贅を尽くすことに関心がないコカドリーユらしい部屋だった。
特に見張りなどを用意していないのは、寝込みを襲われても対処できると言う自信故か。
「…やはり、アイツは追い出すべきか」
夢で見た過去の出来事を思い返しながらコカドリーユは呟く。
父親の監視役としてコカドリーユに付き纏っていたソルシエール。
彼女がプーペの存在を父親に告げ口したことが、結果的にプーペが殺される原因となった。
直接手を下したのは父親だが、あの狡猾な魔女がそうなることを理解せずに密告した筈がない。
あの女は、他者の不幸を喰らって生きる魔女だ。
「………」
コカドリーユはクッションの上で羽根を休めるプーペを見た。
あの日、コカドリーユが父親の企みに気付いた時、プーペは既に瀕死だった。
肉体は殆ど灰になり、魂は今にも消えそうだった。
プーペの魂が月へ帰ってしまえば、どうすることも出来なくなる。
必死に考えたコカドリーユは、プーペの魂を地上へ繋ぎ止める方法を思いついたのだ。
即ち、その魂を自ら取り込むことを。
(…余の選択は、正しかったのだろうか)
結果的にプーペの魂を保存することに成功し、後に復活させた。
しかし、プーペの魂の殆どがコカドリーユの魂と癒着してしまい、イクリプスも返すことが出来なかった。
復活したプーペに残ったのは、ガラス細工の矮小な体のみ。
肉体もイクリプスも、コカドリーユに奪われたままだ。
「………」
もっと良い方法があったのではないか。
プーペを完全な状態で復活させることも出来たのではないか。
そう考えると、どうしても………
「珍しく悩み事ですか、コカドリーユ様」
考え込むコカドリーユに、声がかけられた。
それにコカドリーユは首を傾げる。
ここは、仮にもこの派閥のトップの自室だ。
特に禁止している訳ではないが、来客が多い場所ではない。
疑問を抱きながらコカドリーユはその声の主、緑のワンピースの女を見る。
背中から生えた薄い膜のような羽根も相俟って、妖精のような印象を受ける女。
あまり話したことはないが、見覚えはある。
「その顔、名前までは思い出せないと言う感じですか? フェーですよ」
「それで、余に何の用だ。女」
「ふふふ…名前では呼んでくれないのですね。弱い吸血鬼は、記憶に残らないって?」
「……?」
奇妙だった。
物覚えがあまり良くないコカドリーユだが、それでもフェーの性格くらいは覚えている。
自分の前にいる時も、ルーセットの傍にいる時も、フェーはこんな風に笑わなかった筈だ。
「弱い吸血鬼に価値はないの? この派閥は、あなたのエゴの塊よ。弱い吸血鬼は馬鹿にされ、蔑まれ、奴隷のように扱われるだけ!」
フェーは鬱屈した思いを叫びながら羽根を広げた。
キラキラと、羽根から鱗粉が舞う。
「一夜の夢。夜空を舞う羽ばたきよ………『イリュジオン』」
ズズズ…と光る鱗粉がフェーの姿へ変わる。
部屋を埋め付くほどのフェーの分身が、コカドリーユを狙っている。
「知らなかったかしら、コレが私のイクリプスよ。幻想のイクリプス。小細工が暴力を覆すこともあると知りなさい!」
「………」
コカドリーユは同時に襲い掛かるフェーの幻影を冷静に見つめる。
暴力への羨望。
純血への嫉妬。
それを宿すフェーの眼は、クリュエルによく似ていた。
思えば、クリュエルも様子がおかしかった。
長年仕えてきたルヴナンを裏切った割に、そのこと自体に後悔しているような。
相反する感情に苦しんでいるようだった。
「…何が、起きている」
「…何だ、コレは」
与えられた部屋で休んでいたルーセットは血の臭いを感じて飛び起きた。
アジト内で濃密に漂う流血の臭い。
飛び交う怒号、怨嗟の声。
派閥内で、殺し合っている。
「前々から気に喰わなかったんだよ! テメエは!」
「目障りだ。弱え奴らはこの派閥に要らねえんだよ!」
長年隠していた心が破裂したように、剥き出しの感情を叫ぶ吸血鬼達。
誰かの命令に従っている訳ではない。
ただ自分の心に従って、感情の赴くままに暴れている。
「乱心、錯乱………誰かに心を乱されているのか?」
「…ルーセット」
「おお、ヴェガ。無事だったか。取り敢えず騒ぎが収まるまで、お前の能力で…」
ルーセットが言いかけた時、星屑が煌めく。
輝く星屑の刃は瞬く間にルーセットを掠め、その腕を斬り飛ばした。
ルーセットは宙を舞う自分の腕を呆気に取られたように眺めていた。
「…お前もかよ。ヴェガ」
メキメキと腕を再生させながらルーセットはヴェガを睨む。
ヴェガは星屑を纏い、冷たい目でルーセットを見ていた。
「あなたは、危険なんですよ。ルーセット」
「はぁ? 俺のどこか危険だって?」
「あなたは自分の為なら手段を選ばない。もし、純血の血を飲むことが不老不死を得る方法だとすれば、あなたは私を殺して血を飲むでしょう」
それは、確かにヴェガの言葉だった。
ヴェガが抱えていた微かな不信、僅かな恐怖。
それがルーセットへの敵意と結びついて、牙を剥いている。
「…前言撤回。コレは単なる乱心じゃない、洗脳だ。しかも、かなり性質の悪いやつだ」
単に命令を刷り込むのではなく、内から心を芽生えさせる能力。
まるで本当にそう思っているかのように本人すらも騙し、心を操るマインドコントロール。
こんなことが出来るのは、優れた洞察力と他者を扇動する人心掌握術を持つ者だけ。
「…俺が思い至るのは、一人しかいないな」
「『ヴォワ・ラクテ』」
「それより、こっちが先か。何だか初めて会った頃を思い出すな」
地面に零れた血からルーセットは蝙蝠を作り出す。
星屑の代わりに蝙蝠を纏いながら、ルーセットは不敵に笑った。
「行くぞ、反抗期の馬鹿娘。愛の鞭を喰らわせてやる」
「激情に従え。魂に従え。本能のままに肉を喰らい、血を啜れ。我らは血の獣、吸血鬼」
魔女は歌うように呟く。
「そもそも、派閥と言う繋がり自体が間違い。吸血鬼とは一人で生き、一人で死ぬ怪物。他人など快楽の為の道具でしかない」
魔女は嘲るように呟く。
「さあ、私の快楽の為に踊りなさい。我が流血喜劇で」




