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我々は聖女を召喚したはずなのに。「主よ、ズっ友とはなんですか!?」  作者: tomato.nit


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第5話 聖典、ギャル文字にされる


 神官長は疲れていた。


 花。椅子。色布。鉢植え。神像の飾り紐。


 それらすべてについて、主は「まじ、よい」と仰せになった。


 神託である以上、取り外すことはできない。


 できないのだが、神官長は朝からずっと神像の首元を見ている。


 朝日を受けた飾り紐のせいか、神像の表情が以前より柔らかく見える。


 気のせいであってほしい。


「記録係」


「はい」


「あの飾り紐は、本当にそのままにすべきだろうか」


「主は、まじ、よいと仰せになりました」


 神官長は目を閉じた。


「……まじ、よいとは何なのだ」


 その問いに、私は答えられなかった。


 事件は昼前に起きた。


 白百合の間の端には、参拝者向けの聖典の写しが置かれている。本物ではないが、神の言葉を民へ伝えるための大切な写しだった。古い神聖語で書かれ、神官が読み上げ、民が聞く。それが正しい形だと、私は思っていた。


 ミカ様は、その聖典の写しを開いていた。


 手には羽根ペン。


 そして余白には、すでに何かが書き込まれていた。


「ミカ様」


 声が裏返った。


「何をされているのですか」


「注釈」


「注釈」


「うん。これ、読みにくくない?」


 私は慌てて神官長を呼んだ。


 神官長はやってくるなり、聖典の写しを見て固まった。顔色が白百合のように白くなる。


「これは、神の言葉です」


「うん」


「神の言葉に、勝手な書き込みをすることは」


「でも読めないじゃん」


 神官長の言葉が止まった。


 ミカ様は、悪びれる様子もなく聖典の写しを広げた。


「これ、みんな見てるけどさ。意味分かってる人、どれくらいいるの?」


「神官が解説しております」


「解説ないと分かんないってこと?」


「古い言葉ですので」


「じゃあ、横に今の言葉で書けばよくない?」


 簡単に言う。


 いつもそうだ。


 ミカ様の言葉は簡単すぎる。


 だからこそ、こちらの複雑な言い訳が少しずつほどけてしまう。


 神官長は写しを手に取った。


「『汝、隣人の飢えを見過ごすことなかれ』の横に、何を書かれたのですか」


 余白には、丸く、跳ね、ところどころ記号の混じった文字が並んでいた。


トナリσ仔ヵゞぉ腹すぃτナニら、飯ゎナナろ☆

見τ見ぬフリゎ、ふ⊃ーレニナシ!!


 読めない。


 いや、少し読める。


「……これは、何語ですか」


「ギャル文字」


 また増えた。


「内容は?」


「隣の子がお腹すいてたら、飯わけろ。見て見ぬふりは普通にナシ、って」


 神官長が沈黙した。


 私は、うっかり頷きそうになった。


 分かりやすい。


 さらにもう一つ。


ぇらぃ服着ττも、中身ヵスナニ″っナニら

意味ナょレヽぢゃω。


 神官長は本文を見下ろした。


 白き衣をまとう者、まず己の心を清めよ。


 確かに、かなり遠回しに言えば、そういう意味である。


 神官長は聖典の写しを閉じかけた。


 閉じられなかった。


 リナが、横から小さく声を漏らしたからだ。


「……読めます」


 神官長が振り返る。


「読めるのですか」


「全部ではありません。でも、なんとなく」


 リナはおそるおそる聖典の写しに近づいた。彼女は古い神聖語を読めない。


 しかし、余白の奇妙な文字を、目で追っている。


「トナリの子が……おなか、すいてたら……飯、わけろ」


 リナの声が、白百合の間に落ちた。


「見て見ぬふりは、普通に、ナシ」


 彼女は目を丸くした。


「分かります」


 その一言で、神官長は何も言えなくなった。


 午後には、下働きの娘たちが集まっていた。


 たぶん、リナである。


 彼女たちは白百合の間の隅で、注釈入りの写しを囲んでいた。


「これ、何て書いてあるの?」


「えらい服着てても……中身カスなら意味ないじゃん」


 娘たちが小さく笑う。


 神官長は離れた場所からそれを見ていた。止めなかった。


「よろしいのですか」


「よろしいとは言っていません」


「では、止めますか」


 神官長はしばらく黙った。


 娘たちの声が、白百合の間に淡く広がっている。


 いつもより騒がしい。


 だが、不思議と不敬には感じなかった。


「彼女たちが聖典を読んでいるところを、私は初めて見ました」


 その声には、怒りではないものが混じっていた。


「我々は、開いていたつもりでした。聖典も、神殿も。ですが、読めないものを開いていると言えるのか」


 私は答えられなかった。


 ミカ様は娘たちの輪の中にいた。羽根ペンを持ったまま、また何かを書き足している。


「大丈夫、本文には書いてない。余白だけ」


「余白も聖典です」


「余白って、書くために空いてるんじゃないの?」


 神官長は両手で顔を覆った。


 その問いは神学的にかなり危険だった。


 だが、娘たちは笑っていた。


 その笑い声を聞いていると、何が危険なのか、私にも少し分からなくなった。


 夕方、神託石が光った。


 白百合の間の空気が一瞬で張りつめる。


 ミカ様は聖典の写しを抱えたまま、神託石を見た。


 神官長も、大司教も、私も、黙って祭壇へ向かう。


 神託石の表面に、文字が浮かぶ。


 ――伝ゎること、まじ、よい。


 大司教が座った。


 また椅子が役に立った。


 神官長は動かなかった。


 私は、息を止めた。


 伝ゎること。


 主が。


 表記まで。


「主が……寄せておられる」


「何にですか」


「聞くな」


 主は、ミカ様の注釈を否定されなかった。


 それどころか、伝わることを肯定された。


 表記まで、少しだけ寄せながら。


 白い石床。白い柱。花。椅子。金色の飾り紐。


 そして、下働きの娘たちが囲むギャル文字注釈入りの聖典。


 神殿はもう、以前のように静かではない。


 だが、神の言葉は、以前より少しだけ近くにあった。


 夜、神官長は私に言った。


「正式な聖典を書き換えることはできません」


「はい」


「ですが、民向けの解説書であれば」


「作られますか」


「……試験的に」


 私は記録用紙を用意した。


「表現はどうされますか」


「ミカ様のものをそのまま使うわけにはいきません。ですが、意味は残します」


 神官長は疲れた顔で聖典を開いた。


「隣人の飢えを見過ごすことなかれ、とは」


 少し考える。


「空腹の者を見たならば、食を分けなさい」


 私は書き留めた。


 ミカ様が横から覗き込む。


「かたくない?」


「これでも、かなり柔らかくしております」


「飯わけろでよくない?」


「よくありません」


「えー」


「協議します」


 ミカ様はつまらなそうに頬を膨らませた。


 だが、すぐに笑った。


「まあ、読めるならいいけど」


 神官長の手が止まった。


 それから、小さく頷いた。


「読めるものにします」


 その声は、思っていたより静かだった。


 静かで、少しだけ強かった。


記録五 ギャル文字および伝わることについて


 ギャル文字とは何か。


 ミカ様の書く文字は、我々の文字体系とは異なる。丸く、跳ね、時に記号のような飾りを伴う。文字と暗号と勢いの中間にある。


 本人によれば「かわいくしただけ」であるらしい。ただし、可読性には重大な疑問が残る。


 重要なのは、神聖語そのものではなく、注釈の効果である。


 下働きの娘リナは、ミカ様のギャル文字注釈を通して聖句の意味を自力で理解した。他の娘たちもまた、聖典の写しを囲み、声に出して読んだ。


 聖典は以前から白百合の間に置かれていた。だが、彼女たちは手に取らなかった。神の言葉はそこにあった。しかし、届いてはいなかった。


 主はこの日、こう神託された。


 ――伝ゎること、まじ、よい。


 加えて、「伝わる」の表記が一部ミカ様の文字に寄っている。主は明らかに、応用を始められている。これは神学上きわめて重大な事態である。


 しかし、伝わることがよい、という部分については、おそらく疑いようがない。


 美しい言葉が、必ずしも届く言葉とは限らない。俗な言葉が、必ずしも汚れた言葉とも限らない。


 ギャルとは何か。ヘイセイとは何か。ギャル文字とは何か。いまだ分からない。


 だが、ミカ様が書き込んだ余白から、神の言葉を初めて読んだ者がいた。その事実は、記録に値する。


 なお、ミカ様は今回の一件を「聖典、読みやすくしただけじゃん」と述べられた。神官長は頭を抱えられた。


 しかしその後、民向け解説書の作成を命じられた。


 表題案は以下である。


 『白百合聖典 やさしい解説』


 ミカ様案。


 『神ちゃんの言ってること、だいたいこう』


 後者は却下された。


 ただし、主は少し光られた。


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