第2話 聖女様はヘイセイより来たらしい
翌朝、我々はミカ様への聞き取りを行うことになった。
正確には、聖女候補への身元確認である。
本人は聖女を否定し、自らをギャルと称した。
神はそれを否定されなかった。
よって我々は、神によって否定されなかったギャルについて、正式な聞き取りを行うはめになったのである。
私は記録係として、神官長の隣に座っていた。
場所は神殿奥の小さな応接室だった。白い布、白百合、白い石壁。神殿らしく静かで、余分のない部屋である。
そこにミカ様が座っていた。
昨日リナが渡した布だけが神殿のもので、それ以外はまったく神殿ではなかった。
神官長は、昨日より少し疲れた顔で口を開いた。
「聖女様」
「だから、その聖女ってのやめろし」
始まってしまった。
「ミカでいいって言ってんじゃん」
「そういうわけにはまいりません。あなたは、主に認められた御方です」
「神ちゃんが、よいって言っただけっしょ?」
神官長の指が震えた。
神ちゃん。二度目である。
しかし昨日、天罰は落ちなかった。鐘まで鳴った。そのため、止める声に以前ほどの力がない。
「……主を、そのようにお呼びするのは」
「でも本人、嫌がってなくない?」
神官長は口を閉じた。
否定しないことが、すでに少し怖い。
「では、ミカ様」
「様もいらない」
「まず、あなたがどのような世界からおいでになったのかを確認したく存じます」
神官長は強引に進めた。よい判断だったと思う。まともに受け止めていては、聞き取りが一歩も進まない。
「どんな世界って言われてもなー。普通のとこだけど」
「普通」
「うん。学校行って、カラオケ行って、プリ撮って、ファミレスでだべって、みたいな」
私は羽根ペンを走らせた。
学校。カラオケ。プリ。ファミレス。だべる。
すでに不明語が多い。
神官長は順に尋ねた。
世界の名は地球。国は日本。地方は関東。そして時代は――ヘイセイ。
ヘイセイ。
響きだけは妙に整っている。神聖語ではない。だが、王朝名と言われれば納得できなくもない。
「そのヘイセイとは、国名ではなく時代名なのですね」
「たぶん?」
「たぶん」
「平成の前が昭和で、その前が……何だっけ。江戸時代?」
「ミカ様ご自身も、ご存じない……?」
「歴史とか苦手だし」
「時代についての知識は、聖女教育には含まれていないのですか」
「だから聖女じゃないってば」
会話が同じ場所へ戻る。
私は記録しながら、頭の奥が少し痛くなっていた。
ミカ様によれば、ヘイセイの前にはショウワ、その前にはエドジダイがあるらしい。ただし本人も詳細はよく知らない。
彼女は「社会とか寝てた」と言った。
社会とは、おそらく歴史を教える施設か人物だろう。寝ていたとは、修行中の瞑想を意味するのかもしれない。
そうであってほしい。
「では、ヘイセイにおけるギャルとは、どのような立場なのですか」
「立場?」
「階級、職業、役割など」
「いや、別に職業じゃないし」
神官長が固まった。
「では、ギャルとは何をする者なのですか」
「何って……盛る?」
出た。
昨日の記録にもあった語だ。
「盛るとは」
「かわいくするってこと。髪とか、メイクとか、爪とか、服とか。あと写真」
「その行為には、宗教的意味があるのでしょうか。神に近づくための装飾、あるいは呪術的強化など」
「いや、テンション上げるため」
テンション。また知らない語だ。
「気分を上げるために、髪や爪を飾る」
「そうそう」
「それは、祈りの前に行うのですか」
「遊び行く前とか? 友達と会うし」
神官長は長い沈黙の末に言った。
「……ギャルとは、儀礼職ではない」
「そりゃそう」
「戦士階級でもない」
「なんで戦うの」
「巫女でもない」
「違うって言ってんじゃん」
「しかし、神は否定されなかった」
「それ、うちに言われても」
その通りだった。
我々は、何かをミカ様に聞けば答えが出ると思っていた。だが、彼女は自分の世界の神学を背負って来たわけではない。ただ、カラオケという場所にいて、突然ここへ来た。そして自分をギャルだと言った。それだけだ。
神官長は、昨日お持ちだったケイタイについても尋ねた。
ミカ様が取り出した二つ折りの小さな箱は、昨日見た時と同じく、表面に光る飾りがびっしり貼られ、小さな人形や透明な玉が揺れていた。
箱を開くと、内側の小さな面が淡く光る。
「うわ、電池減ってる。最悪」
「電池とは、魔力の蓄積器官ですか」
「え、電池は電池だけど」
補充にはジュウデンキがいるらしい。
用途は、連絡、メール、写メ、そしてデコ。
神官長の背が、わずかに伸びた。
離れた者と声を交わせるなら、それは冗談では済まない。
だが、今は使えない。
「圏外だし。あと電池ないし」
終わっているらしい。
さらに表面の飾りを見て、ミカ様は「あ、デコ取れてる。まじ萎える」と言った。
萎える。
植物に関わる語だろうか。魔力が萎縮するという意味かもしれない。
「そのデコとは、装飾術ですか」
「うん。かわいくするやつ」
「魔力を高めるためではなく」
「テンションは上がる」
「つまり、精神強化」
「そうなの?」
そうなのではないか。少なくとも、ミカ様の中ではそれが力を持っているように見える。
その時、扉の近くで小さな音がした。
リナだった。
盆に茶器を載せて立っている。昨日、ミカ様に布を渡した下働きの娘である。
「失礼いたします」
リナは頭を下げ、慎重に机へ茶器を並べた。その手が少し震えている。
神官長と私がいる場に入るだけでも緊張するのだろう。まして、召喚された聖女候補――本人申告ギャル――の前である。
ミカ様は、リナを見てぱっと表情を変えた。
「あ、リナじゃん」
リナの肩が跳ねた。
「覚えていてくださったのですか」
「普通覚えるっしょ。布くれたし」
普通。
ミカ様はそう言った。
だが、神殿ではそれは普通ではない。
下働きの娘の名を、聖女候補が覚える。昨日だけなら偶然だった。今日も覚えているとなると、偶然ではない。
リナは困ったように笑って、茶器を置いた。
その時、袖口が少しめくれた。
細い手首が赤くなっている。
火傷だろうか。茶器の湯でやったのかもしれない。
私は気づいた。
しかし、声をかける前に、ミカ様が手を伸ばしていた。
「それ、痛くない?」
リナが固まる。
「い、いえ。この程度は」
「痛いでしょ。赤いし。冷やした?」
「あとで」
「今でしょ」
神官長が顔を上げた。
ミカ様はリナの手首を軽く持ち、真剣な顔で見ている。
派手な爪と、赤くなった細い手首。
また、不釣り合いな光景だった。
だが、目を逸らせない。
「水ある?」
「救護室に」
「じゃあ行けばよくない?」
「ですが、お茶が」
「お茶より手じゃん」
当たり前のように言われて、リナが黙った。
神官長も、何も言わなかった。私も言えなかった。
神殿では、下働きの小さな火傷は後回しにされる。大きな怪我ではない。儀式の妨げではない。本人も「この程度」と言う。
だから我々も、その程度として扱ってきた。
ミカ様は違った。
火傷を見た。痛いかと聞いた。今、冷やせと言った。
ただ、それだけだ。
リナは泣きそうな顔で小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「いいから冷やそ」
ミカ様は立ち上がった。
神官長が反射的に言う。
「ミカ様、聞き取りがまだ」
「あとでよくない? 火傷、あとでってなると痛いやつじゃん」
神官長は何か言いかけ、口を閉じた。
ミカ様はリナと一緒に部屋を出ていった。
扉が閉まる。
応接室に、白百合の香だけが残った。
神官長はしばらく黙っていた。
私は記録用紙を見下ろした。
ヘイセイ。ショウワ。エドジダイ。ケイタイ。デコ。テンション。
どれも分からない。分からないことばかりだ。
だが、今のミカ様の行動だけは、分かってしまった。
赤くなった手首を見て、痛くないかと聞いた。お茶より手だと言った。
たぶん、それだけである。
それだけのことを、我々は時々、忘れる。
神官長が小さく呟いた。
「……聖女らしくは、ありませんな」
私は答えなかった。
ただ、その声には昨日ほどの拒絶はなかった。
やがて、遠くの廊下からミカ様の声が聞こえた。
「リナ、我慢しすぎ。まじで」
リナの小さな笑い声が続いた。
神殿の廊下で、下働きの娘が笑っている。
それもまた、あまり聞き慣れない音だった。
私は記録用紙の端に、ひとつだけ書き足した。
ミカ様、火傷を見逃さず。
祈祷なし。
奇跡なし。
ただし、リナは笑った。
記録二 ヘイセイとは何か
ヘイセイとは何か。
ミカ様の証言によれば、ヘイセイとは異界における時代名であるらしい。ヘイセイの前にはショウワがあり、その前にはエドジダイが存在したという。ただし、ミカ様ご本人も詳細を把握しておられない。
また、ヘイセイに属するギャルは、歴史知識は心許ない一方、他者の変調には異様に早く気づく。
特筆すべきは、ギャルが「盛る」ことを重視する点である。盛るとは、髪、爪、衣服、顔などを装飾し、己のテンションを上げる行為であるらしい。
テンションとは気分、士気、あるいは霊的張力と思われる。ゆえに、盛るとは精神強化術の一種である可能性がある。
なお、聞き取りの途中、下働きの娘リナの火傷を確認し、即座に救護室へ向かわれた。聖女らしい祈祷はなかった。神聖語もなかった。奇跡も起きていない。
しかし、リナは笑った。
ギャルとは何か。ヘイセイとは何か。いまだ分からない。
ただ、聖女の条件と一部重なるものがある。
認めたくはない。
だが、一部重なる。




