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我々は聖女を召喚したはずなのに。「主よ、ズっ友とはなんですか!?」  作者: tomato.nit
第三章 神はどこから学んでいるのですか?

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第15話 神様、推しとは何ですか


 指示コメがよくないと神託されてから、リナの朗読練習は静かになった。


 正確には、静かすぎた。


「泣く者のそばに膝をつく者を、主は遠ざけぬ」


 だべり場にはノアとエマがいて、老女も窓辺に座っている。少し離れた場所では、神官長が聖典を開いていた。


 誰も口を挟まない。


「飢えた者へ手を伸ばす者を、主は忘れぬ」


 次の一節で語尾が少し揺れ、神官長の眉が動いた。


 それでも何も言わない。


 ノアも何か言いたそうに口を開きかけて閉じ、エマに至っては両手で自分の口を押さえていた。


「寒き者へ布をかける者を、主は友と呼ぶ」


 リナが読み終えて顔を上げても、誰もすぐには口を開かなかった。


「あの……終わりました」


「うん。ちゃんと聞こえた」


 ノアが言う。


「私も。今日は途中で分かんなくならなかったよ」


 エマもようやく口から手を離し、老女が微笑んだ。


「とても聞きやすかったですよ」


 リナは少し安心したように息を吐いたあと、神官長を見る。


「神官長様は、いかがでしたか」


「改善できる点はいくつかあります」


 全員の視線が神官長へ集まり、白百合の間で神託石が一度光った。


 神官長はしばらく黙ってから、聖典へ目を戻す。


「……今日は申しません」


 指示コメという言葉の正確な意味は、いまだ誰も知らない。


 しかし、神官長にはよく効いていた。


 リナは小さく笑い、また頁へ目を落とした。


 練習を始めた頃より声は通るようになったが、まだ時々つかえ、人が増えると頁を持つ手にも力が入る。それでも、途中で本を閉じることはなくなっていた。


 聖典の隣には、いつも寄せ書きが置かれている。


 リナはその日も続きを読んだ。


 途中で、救護室から戻ってきた母親が足を止め、少し離れたところで聞き始めた。花を替えに来た娘も手を止め、回廊を通っていた若い神官まで壁際へ寄る。


 誰も声はかけなかった。


 頁をめくった時、リナがようやく顔を上げた。


 聞いている者が増えている。


 一瞬だけ声が小さくなり、視線が寄せ書きへ落ちた。


 あなたが読む言葉は、もう届いています。


 神官長の文字が淡く光る。


 リナは一度息を吸い、また続きを読む。


 そのまま最後まで読み終えると、聞いていた者たちはそれぞれの仕事へ戻っていった。


 救護室へ戻ろうとした母親だけが、リナの前で足を止める。


「ありがとうございました」


「え?」


「久しぶりに、ゆっくり聖典を聞けました」


 小さく頭を下げて去っていく背中を、リナはしばらく見送っていた。


 数日もすると、今度は神殿のあちこちで声をかけられるようになった。


「リナさん」


 朝、正面扉を掃除していたところを、一人の女性が呼び止める。


 神殿では何度か見かけたことがあるが、だべり場へ来る者ではない。


「何でしょうか」


「朗読をなさる日は、もう決まりましたか?」


 リナの箒が止まった。


「朗読……ですか」


「皆さんの前で聖典を読まれると聞きました」


「どちらで、その話を」


 女性が少し離れたところを指さす。


 鉢植えへ水をやっていたノアと目が合った。


「言ったよ」


「まだ日も決めていないでしょう」


「でも読むんでしょ?」


「それは……そのつもりですが」


 女性が困ったように笑った。


「決まりましたら、教えてください。聞きに来たいので」


「私の朗読を、ですか?」


「ええ」


 そう答えて、女性は聖堂の方へ歩いていった。


 その日の昼には別の者からも尋ねられ、夕方には救護係までやってきた。


「患者のご家族が、朗読の日を知りたいそうです」


 その頃には、リナはだべり場の机へ突っ伏しかけていた。


「どうしてでしょう……」


 珍しい姿だった。


 ミカ様が隣の椅子を引く。


「何が?」


「どうして、皆様が私の朗読を聞きたがるのか分からないのです」


「リナが読むからじゃない?」


「そこが分からないのです」


 リナは顔を上げた。


「聖典を聞きたいのでしたら、神官長様に読んでいただく方がよいでしょう。発音も正確ですし、聖典の意味も私よりずっとご存じです」


 少し離れたところにいた神官長が顔を上げる。


「技術について言えば、その通りです」


「自分で言うんだ、それ」


 ミカ様が言う。


「事実ですので」


 リナは神官長を見る。


「でしたら、やはり神官長様が」


「私は読みません」


 返事が早かった。


「私の朗読なら、いつでも聞けます。皆が聞きたいのはあなたの朗読なのではないのですか」


 それでも納得できないらしく、リナは眉を寄せた。


 その横で、ノアが鉢植えから顔を上げる。


「僕に最初に読んでくれたのはリナなんだよ」


「最初?」


「僕が、これ何って聞いた時」


 ノアは机の上の『やさしい解説』を指した。


「リナが読んでくれた」


 エマも隣から口を挟む。


「私、リナの声好きだよ」


「神官長様のお声も立派でしょう」


「神官長は……怖い」


 神官長が咳払いをすると、老女が茶器を置きながら小さく笑った。


「私は、リナさんが聖典を手に取るようになった頃から見ていますから」


「私を、ですか?」


「ええ。最初は少し読んでは、誰かに見られていないか気にしておられました」


 リナの顔が赤くなる。


「そんなところまで」


「人が集まって、途中で本を閉じてしまったこともありましたね」


「……覚えていらっしゃるのですね」


「覚えていますよ。だから、今度は最後まで聞いてみたいのです」


 リナは返事をせず、膝の上で手を重ねた。


 ミカ様が頬杖をつく。


「上手い人が見たいんじゃなくて、リナが見たいってことでしょ」


 白百合の間から鐘が鳴った。


 すでに光っていた神託石の表面に、文字が浮かんだ。


 ――それ、推し。


 誰もすぐには意味を掴めなかった。


「推し」


 神官長が復唱する。


 私にも分からない。


 ミカ様だけが少し首を傾げた。


「推し?」


「ご存じなのですか」


「推しメンとかなら聞いたことあるけど」


「推しめん」


「好きな人っていうか、応援してる人っていうか」


 神託石が光った。


 ――だいたい、そう。


 神官長が石へ向き直る。


「主よ。推しとは、どのような存在なのでしょうか」


 神託石には、短い言葉が一つずつ浮かんだ。


 ――見たい。


 ――応援したい。


 ――うまくいってほしい。


 最後に少し間を置いて、


 ――そう思う相手。


 神官長は並んだ文字を読み返す。


「友とは異なるのでしょうか」


 ――似ているが、違う。


「どのように」


 そこから先は何も浮かばなかった。


「主よ」


 光まで消える。


「説明を途中で止めないでください」


「神ちゃんも、ふいんきで言ってるだけなんじゃない?」


「その可能性は、否定したいのですが……」


 リナは、文字が消えた神託石を見ていた。


「では、皆様は……私を推してくださっているのでしょうか」


「そうなんじゃない?」


 ミカ様が答える。


 リナは少し迷ってから口を開いた。


「でも、私より上手に読める方はたくさんいます」


「じゃあ、ノアは、上手いからリナがいいの?」


 急に聞かれ、ノアが首を振る。


「違う。リナだから」


「おばあちゃんも?」


「ええ」


 ミカ様はもう一度リナを見る。


「ほら。上手いか下手かじゃないんだって」


 リナが何か言おうとして、結局口を閉じる。


 神官長も手にしていた聖典を閉じた。


「少なくとも、誰を応援するかを決めるのは、応援する側でしょう」


 ミカ様がそちらを見る。


「神官ちょーは誰推しなん?」


「おりません」


 神官長の言葉は明らかにミカ様の言葉を遮っていた。


 神託石が少し光った。


 神官長は見なかったことにしたらしい。


「で、いつ読むの?」


 ノアに聞かれ、リナの肩が跳ねる。


 リナは手首のミサンガに触れたあと、机の上の寄せ書きへ目を向けた。


 ノア、エマ、老女、神官長、ミカ様。


 そこから白百合の間へ視線を移し、顔を上げる。


「三日後にします」


 ノアが目を丸くした。


 リナは一度息を吸った。


「三日後の午後。祈祷が終わったあと、ここで読ませてください」


「分かった。僕来る」


「私も聞く」


 エマが続き、老女も微笑んだ。


「楽しみにしております」


 神官長はすでにだべり場を見回している。


「では、椅子を少し増やしておきましょう」


 白百合の間から鐘が鳴り、神託石に文字が浮かんだ。


 ――予定、把握。


「神ちゃんも来んの?」


 少し間を置いて、


 ――いる。


「ずっといるじゃん」


 ミカ様が笑った。


 神託石は否定しなかった。


 その日の夜、リナは一人で寄せ書きを広げ、紙の端に「三日後」と小さく書いていた。


 書き終えてからもしばらくその文字を見つめている。


 頁をめくる指が、僅かに震えた。


「緊張してんの?」


 後ろから声をかけられ、リナが振り返る。


「ミカ様。いつからいらしたのですか」


「今来たとこ」


 ミカ様は隣の椅子を引いた。


「三日後だね」


「日を決めたら、急に怖くなりました」


「逃げたい?」


 リナは少し考えた。


「……少しだけ」


「そっか」


 それ以上何も言われないため、リナの方からミカ様を見る。


「止めないのですか」


「何を?」


「逃げないように、と」


「逃げたいなら、逃げればよくない?」


「そうなのですか?」


「でも、リナ読みたいんでしょ?」


 リナは寄せ書きへ目を落とした。


「……読みたいです」


 ミカ様はそれ以上何も言わず、隣の椅子に座っていた。


 やがて寄せ書きの端が淡く光り、何もなかった余白に新しい文字が浮かんだ。


 ――我も、リナ推し。


 リナが文字を見たまま固まる。


 ちょうど回廊を通りかかった神官長も足を止める。


「主が、特定の一個人を推しとされたのですか」


「応援してるだけなんだったらいいんじゃないの?」


 リナは浮かんだ文字と白百合の間を何度か見比べていたが、やがて少しだけ笑った。


「……では、三日後」


 寄せ書きを胸元へ寄せる。


「最後まで、聞いていてください」


 白百合の間から、淡い光が届いた。


### 記録十五 推しについて


 推しとは何か。


 本日の神託によれば、


 見たい。


 応援したい。


 うまくいってほしい。


 そのように思う相手を指すらしい。


 友と似ているが、同じではないとのことである。


 ここまでは、まだ理解できる。


 問題は、その後である。


 主ご自身が、


 ――我も、リナ推し。


 と表明された。


 神官長によれば、神が特定の一個人を「推す」という状態が、従来の神学において何に分類されるのかは不明とのことである。


「主より特別な加護を受ける者、という意味では、聖女や勇者に近いのでしょうか」


「リナが勇者?」


「そうは申しておりません」


「でも今言ったじゃん」


「分類上の可能性を検討しているだけです」


 私も考えた。


 主が見たいと思う。


 応援したいと思う。


 うまくいってほしいと思う。


 これは、神の寵愛に含まれるのだろうか。


 あるいは、加護の一種なのか。


 しかし、リナが勇者というのは、やはり何か違う気がする。


 そもそも、本人は三日後に聖典を読むだけである。


 ミカ様は、


「別によくない?」


 との見解であった。


 現在、特に問題は起きていないため、分類については保留とする。


 朗読の日は三日後となった。


 現在、参加を希望している者は七名。


 主を数に含めるべきかについては協議中である。


 なお、本日、私は神官長へ尋ねた。


「神官長にも、推しはいらっしゃるのですか」


「おりません」


 神託石が光った。


 ――いる。


「主よ」


 続けて文字が浮かぶ。


 ――解像度、まだ低い。


「存在しないものの解像度を測らないでください」


 ミカ様が横から神官長を見る。


「また神官長さんが知らんこと、神ちゃんだけ知ってんじゃん」


「何もありません」


 神官長の推しについては不明である。


 本人は存在そのものを否定しているが、主は否定していない。

 

 主には何が見えておられるのか。その答えはいずれ分かるのだろうか。


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