第11話 神様、バズるとは何ですか
青鐘神殿の副神官長が訪れたのは、朝の祈祷が始まる少し前だった。
濃紺の外套には雨の跡が残り、胸元には青い鐘をかたどった銀章が留められている。
彼は正面扉の前で立ち止まり、入口に掛けられた板を見上げた。
#白百合神殿
#ズッ友
「こちらが、報告にあった異界の印ですか」
迎えに出た神官長も、板を見上げる。
「おそらく」
「おそらく、なのですか」
「説明すると長くなります」
「その説明を伺うために参りました」
副神官長は外套の内側から封書を取り出した。封蝋には青鐘神殿の紋章が押されている。
「主の神託へ異界の俗語が混入していること。聖堂内に、祈祷を目的としない滞在場所が設けられたこと。身分の異なる者を同列に描いた肖像や、私的な帳面が掲示されていること」
読み上げるたび、神官長の目がわずかに細くなる。
「いずれも事実でしょうか」
「事実ではあります」
「では、確認させていただきます」
神官長が中へ案内しようとしたところで、だべり場から老女が顔を出した。
「あら。雨の中、大変でしたね」
副神官長は封書を持ったまま、姿勢を正す。
「お気遣いなく。調査に参りましたので」
「お茶くらい飲めるでしょう」
「まずは事情を伺ってから――」
老女は返事を待たず、机の空いた席へ茶器を置いた。
「座っても、話は聞けますよ」
副神官長は茶器を見た。
濡れた外套の裾から、石床へ雫が落ちている。
「では、少しだけ」
外套を脱ぐと、リナが受け取り、窓辺の掛け具へ運んだ。
副神官長は長椅子の端へ腰を下ろす。
「こちらが、例の滞在場所ですか」
「参拝者用休息所です」
神官長が答える。
蜂蜜パンの包みを開いていたミカ様が、顔を上げた。
「だべり場ね」
副神官長の筆が止まる。
「だべり場」
「正式名称ではありません」
「でも、みんなそう呼んでるし」
周囲では、ノアとエマが一冊の帳面を覗き込み、救護係が窓辺で薬草を選り分けていた。リナは茶布を畳み、老女は副神官長の茶器へ湯を足している。
「ここでは、何を行うのですか」
神官長は室内を見回した。
「決まりはありません」
「祈祷や教義の講義を行う場所ではないのですか」
「必要があれば行います」
「必要がなければ?」
「茶を飲みます」
副神官長は筆先を浮かせたまま、湯気の立つ茶器を見た。
「なるほど」
何がなるほどなのかは、分からなかった。
壁には、プロフ帳の写しが並んでいる。
副神官長は席を立ち、リナの紙へ顔を近づけた。
「名前、好物、苦手なもの……最近アガったこと」
「プロフです」
リナが畳んだ茶布を棚へ戻す。
「信徒の嗜好まで掲示する必要がありますか」
「話しかけやすくなります」
「神殿の名簿では不足だと?」
「名簿には、私が焼き林檎を好きだとは書かれておりませんので」
リナはそれだけ答えると、残りの茶布を畳み始めた。
副神官長は赤い髪紐の描かれた紙を見てから、その隣に並ぶ肖像へ移る。
神官長、ミカ様、老女、リナ、ノア、エマ、救護係、そして私。
誰もが同じ大きさで一枚に収まり、ノアとエマの頭には猫の耳がついている。
神官長の両脇には、蜂蜜パンが浮いていた。
「なぜ、神官長と下働きの娘が同じ位置にいるのですか」
「一緒にいたから」
椅子に立ったノアが答えた。
副神官長はノアを見て、次に肖像を見た。
「この蜂蜜パンは?」
「主によるフィルターです」
神官長の声が一段低くなる。
「除去方法は不明です。その件について、詳しい調査は不要です」
「承知しました」
副神官長は何かを書きかけ、筆を止めた。
ノアたちの前にある交換ノートには、太った猫の絵と祈祷時刻の変更が同じ頁へ記されていた。
その下に、
既読 十三。
「こちらも異界の形式ですか」
「来られない日に、皆さんの話を読める帳面です」
老女が茶器を両手で包んだ。
「重要な連絡を記すものではないのですか」
「重要なこともあります。猫や蜂蜜パンのお話もあります」
「それは必要なのでしょうか」
老女は少し考えた。
「来られない日には、読みたい話ですね」
副神官長は帳面へ目を落とした。
筆は動かなかった。
祈祷の鐘が鳴る。
老女が茶器を机の端へ寄せると、リナがすぐに腕を支えた。ノアとエマは交換ノートを閉じ、長椅子を元の位置へ戻す。
救護係は、寝台で休んでいた患者の家族へ声をかけた。
「祈祷が始まります。こちらでお待ちになりますか」
「私たちも、ご一緒してよいのでしょうか」
「もちろんです」
だべり場にいた者たちが、白百合の間へ向かう。
副神官長も立ち上がった。
机の上には、飲みかけの茶と、割りかけの蜂蜜パンが残された。
白百合の間には、以前より多くの椅子が並んでいる。
老女は壁際へ座り、ノアとエマがその隣へ収まった。救護室から来た親子も、後ろの席へ腰を下ろす。
神官長が祭壇の前で聖典を開いた。
その日の聖句は、特別なものではない。
隣人を知り、その声に耳を傾けよ。
己の言葉のみを語る者は、隣人の渇きを知らぬ。
神官長の声が白い柱の間を抜け、後ろの席まで届いた。
祈祷が終わると、ノアは老女の手を引いてだべり場へ戻った。リナは冷めた茶を温め直し、エマは交換ノートを開いて、今の聖句の横へ花を描き始める。
救護室の親子も、そのまま空いていた席へ腰を下ろした。
副神官長は白百合の間に残り、先ほどまで人が座っていた椅子を見ている。
神官長が聖典を閉じた。
「調査を続けますか」
「はい」
そう答えたものの、副神官長の顔はだべり場へ向いたままだった。
調査は午後まで続いた。
副神官長はプロフ帳を読み、肖像具の使用手順を確かめた。交換ノートを神託石の前から持ち出すと、同じ内容の写しが残る様子も記録している。
最後に、入口の板を調べた。
#白百合神殿。
#ズッ友。
二本ずつ重なった線を指でなぞってから、副神官長は帳面を閉じた。
「一つ、お願いがあります」
神官長が向き直る。
「プロフ帳と交換ノートの形式を、青鐘神殿へ持ち帰ってもよろしいでしょうか」
「調査資料としてですか」
「それもあります」
副神官長は、だべり場を振り返った。
老女と救護室の母親が、焼き林檎の作り方を話している。ノアは新しく撮る肖像にも猫の耳をつけるよう、神託石へ頼んでいた。
「我々の神殿では、祈祷が終われば、皆すぐに帰ります」
「それが通常でしょう」
「ええ。私も、そう考えておりました」
副神官長の手には、調査用の帳面がある。
何行か書き足そうとして、結局開かなかった。
「必要なものは、お持ちください」
神官長が言った。
「よろしいのですか」
「我々も、いただいたものですので」
神官長の視線の先で、神託石が静かに光っている。
副神官長が頭を下げると、リナが布包みを持ってきた。
何も書かれていないプロフ帳と交換ノート。肖像具の扱い方を記した紙。それから、小さな板。
板には、神殿名を書き込むための空欄が残されていた。
「もう用意していたのですか」
「必要になると思いましたので」
「なぜ分かったのです」
リナは、窓辺に掛けられた濃紺の外套を見た。
「お茶を飲まれてから、調査の筆が遅くなりました」
副神官長は自分の帳面へ視線を落とした。
「そうでしたか」
「はい」
神殿を出る前に、副神官長が足を止めた。
「同じ場所を作る場合、休息所と呼ぶべきでしょうか」
神官長は入口の札を見る。
参拝者用休息所。
その下に、誰かが小さく書き足していた。
だべり場。
「利用する者に通じる名でよいでしょう」
ミカ様が振り返った。
神官長はそちらを見ず、副神官長を見送った。
青鐘神殿から手紙が届いたのは、六日後だった。
封書には報告書と一枚の肖像が入っている。
倉庫から長椅子を二脚出したこと。
最初の日には、祈祷後に三人の老人が残ったこと。
プロフ帳へ子どもが絵を描き、交換ノートが足を痛めた信徒の家へ運ばれたこと。
入口には参拝者休息所と掲げたが、利用者はすでに、だべり場と呼んでいること。
同封された肖像には、副神官長と三人の老人、五人の子どもが並んでいた。
全員の頭に猫の耳がついている。
副神官長の周囲には、青い鐘がいくつも浮かんでいた。
「主よ」
神官長は肖像を神託石へ向ける。
「フィルターまで移ったのですか」
――好評。
「本人の希望は確認されましたか」
返事はない。
肖像の裏には、二つの印が記されていた。
#青鐘神殿
#だべり場はじめました
「いいじゃん」
ミカ様が肖像を壁へ掛ける。
「白百合神殿の外で、初めてのだべり場じゃん」
「正式名称は参拝者休息所です」
「向こうでも負けてるし」
神官長は報告書を畳んだ。
翌日には、赤樹神殿からプロフ帳の見本を求める書簡が届いた。
その次の日には、北門神殿から交換ノートについて問い合わせが来た。
青鐘神殿を訪れた別の神官が、自分の神殿にも長椅子を置きたいと申し出た、という報告も続く。
机の上へ封書が積み上がった。
リナは返送用の見本を綴じ、私は神殿名と希望する資料を記録する。神官長は、肖像についた猫の耳を外す方法はあるのかという質問へ、除去方法不明と回答していた。
白百合の間から鐘が鳴る。
神託石には、短い一文が浮かんでいた。
――バズった。
ミカ様が首を傾ける。
「ばずったぁ?」
神官長が私を見る。
私は首を横へ振った。
また、ミカ様も知らない言葉である。
「神ちゃん、何それ」
――多くの者へ、短い間に広まること。
ミカ様は積まれた封書を見た。
一番上の手紙には、
#赤樹神殿
#プロフはじめます
と書かれている。
「ふーん。便利なら、みんな使えばよくない?」
神官長は神託石を見上げた。
「主よ。どこまで広げるおつもりですか」
――行けるところまで。
「どこまで行けるのですか」
――知らんけど。
白百合の間が静まり返る。
ミカ様が最初に吹き出した。
「神ちゃん、それ言いたかっただけでしょ」
神託石は、かなり明るく光った。
その日の夕方、青鐘神殿から届いたプロフ帳の写しを、だべり場にいた皆で読んだ。
知らない名が並んでいる。
好きな食べ物。苦手な天気。なんて呼ばれたいか。
最近アガったこと。
ある老女の欄で、ミカ様の手が止まった。
神殿で、久しぶりに誰かとお茶を飲んだこと。
「神官長さん」
ミカ様が帳面を向ける。
「これ、よくない?」
神官長はその一行を読んだ。
帳面を受け取ったまま、すぐには頁を閉じない。
「ええ」
小さく息を吐く。
「まじ、よいのでしょう」
私の羽根ペンが止まった。
ミカ様が顔を上げる。
神官長も、自分の言葉に気づいたらしい。
「今のは」
「記録しました」
「訂正してください」
「主の御心に沿った表現と思われます」
神託石が光る。
――まじ、よい。
訂正は行われなかった。
### 記録十一 バズることについて
バズるとは、言葉や道具、行為などが、人から人へ短期間に広まる現象である。
白百合神殿のだべり場は、青鐘神殿へ持ち込まれた。
青鐘神殿を訪れた者が、それを別の神殿へ伝えた。
主が設置を命じたわけではない。
副神官長が持ち帰ることを望み、リナが見本を用意し、神官長が許可した。
白百合神殿の扉を開いても、遠い街に住む者は入ってこられない。
しかし、長椅子の置き方や帳面の綴じ方なら、布包みに入れて運べる。
現在までに、だべり場を設けたとの報告が三件。
プロフ帳の見本を求める書簡が五件。
交換ノートに既読を表示する方法についての問い合わせが二件。
肖像についた猫の耳を除去する方法についての問い合わせも二件届いている。
除去方法は、現在も不明である。
なお、青鐘神殿から届いた手紙は、
本日も、あげ。
という一文で結ばれていた。
主の語彙は、白百合神殿の外へ出た。
本日、神官長も「まじ、よい」と発言された。
人への侵食も、順調に進んでいる。
これは、おそらく。
まじで、バズっている。
ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
神様は勝手にちょっとずれた文化を吸収しながらどこまで世界を歪めていくのか。
第三章はしばらく後になりますが、気長にお待ちいただければ幸いです。
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