027-2「……お勉強したくない」
コンコンというノックの音がし、慌ててソファの後ろに隠れる。穏やかなノックの音から、その音の正体が南葵ではないと推測する。けれども私を探しに来た人かもしれない。
「どなたですか?」
「俺です」
聞こえてきたのは神楽の声だった。神楽ならわざわざ私を探しに来たりしないだろう。績の視線を受けて私は一つうなずく。
私の許可を得た事で績は扉を開けた。その後に入ってきた神楽はため息をつきながら績に礼をして入ってくる。
「績さん、さっき南葵さんが聖女様をさがしてたんすけど、って、なんでお前ここにいんだよ」
私の推測とは異なり神楽も私を探しに来てしまったようだ。ソファの後ろにいるにも関わらず、神楽の様子を伺っていた事でいる事が知られてしまった。
「南葵さんにここにいた事を知らせてくるかぁ。…………今南葵さんどこにいるんだぁ?」
面倒そうにあくびをして扉から出て行こうとする神楽の引っ張り止める。
「やっ!」
「あぁ? 何でだよ」
神楽は頭をかきながら面倒そうに足を止める。私の力などないに等しいはずなのにそれでも足を止めてくれる。
「つーか、お前は何で南葵さんから逃げてんの?」
「……お勉強したくない」
「はぁ?」
神楽はくだらないとでも言うように言葉を吐き捨てた。
「んなくだらねぇ理由で南葵さんから逃げ回ってたのか」
神楽はもう一度大きなため息をつき、私の前に膝をついて座った。
「どうしてそこまで勉強を嫌がる」
「……」
績に助けを求めるが績は遠くの方で微笑んでいるだけで、私を助けてくれようとはしなかった。私に問いかけた神楽は、口の悪さとは反対にいつまでも待つ様だ。恐らく私の口から彼が満足する言葉を聞き出さない限りはこのままなのだろう。
「……」
シワになっている服の裾をもう一度強く握りしめる。
「……だって」
思い出したって何もいい事はない。
「だって」
けれども思い出したくないと思った時にはもうすでに思い出しているものだ。
窓の外が煩い。
「……だって、失敗したら、怒られるもん」
思い出したくない事を思い出してしまった。
「誰に?」
「……」
言いたくない。言えば、どうしても自覚してしまうから。
「どういう時に怒られていたんだ」
神楽は私が答えないと察したのか、質問を変えた。
「間違えちゃった時とか……、あとは、字がちゃんと書けなかった時とか……」
だからいつも、何かを見せるのが怖かった。
「私、南葵に嫌われたくない」
いつだって私は人を失望させてしまう。それが怖い。
自分が描いた絵を見せる事だって、本当はものすごく勇気がいった。何とも思ってないような顔でスケッチブックを差し出していた。どのような感想が返ってきても気にしないようにしていた。
ご飯を食べる時だって本当はずっと緊張していた。私は食事のマナーなどというものを知らない。
私は失敗が怖い。
「南葵さんは別に、間違えたくらいじゃ怒らねぇよ」
励ますような言葉に少しだけ顔を上げる。
「確かに南葵さんは怒ったら怖ぇけど、それは真面目にやらねえやつに対してだ。ちゃんと頑張ってるやつに理不尽に怒ったりしねぇ」
確証を持った言葉に漸く神楽の顔を見る事が出来た。
「そぉなの?」
「ああ。俺も南葵さんに勉強教わったんだ。まあ俺はどっちかというと不真面目なやつだったし、覚えも悪かったが、必死だったからな。真面目かは分かんねえが勉強は頑張った方だと思う。こんな俺でも怒られた事はねえんだ」
神楽は完全に南葵の味方だ。
「まあ何よりさ、」
神楽はしゃがんだまま自身の頭をガシガシと掻く。
「知ってほしいんだよ。この国や、世界の事。聖女様はこの先、この国で生きていくんだろう? なら、この国の事を知って、出来るならば好きになって欲しいんだ」
「…………」
そうか。これは私が望んだ事だ。私は私を皆に知ってほしい。けれども私は知ってもらうには私も皆の事を知らなければならない。つまりはそういう事だろう。
それにこの世界で生きていくのに、世界の事を全く知らないというのは、さすがに無理というものだ。
「南葵に、…………会ってくる」
「ああ」
一度、南葵の話を聞いてみよう。ろくに話も聞かずに飛び出したのは私だ。
そう思って扉を開けると、息を切らせた南葵が立っていた。
「いたっ!」
たくさん走り回ってくれたのだろう。寒い季節だというのに、汗をたらしながら膝に手をついている。恐らくこの廊下を走り回っていて、たまたま扉が開いたところに私が出て来たのだろう。
「……南葵、どうしてここにいるの?」
「聖女様を探して庭園を走り回っていたんだ」
「……ここは医務室だよ?」
「え……?」
南葵は改めて表札を見て「灯台下暗しか……」と呟いた。
「南葵、探してくれたの?」
「当たり前だ。俺のせいで聖女様が傷ついているし、途中雨も降り始めた。怪我をしてないかと心配していたが……。無事で良かった」
怒りという感情が全く見られない南葵の表情に私は思わず涙がこぼれた。
「えっ、はっ?」
突然の私の涙に南葵は動揺したように手を顔の前で上下左右に振る。
「ごめっ、ごめんなさいっ」
つっかえながらもう言葉を発すると、余計に南葵は戸惑ったようだ。
「お、俺も悪かった!」
つまり私は、勝手に南葵を誤解していたという訳だ。出会って数日である為無理はないとは思うが、それでも私はよく知りもせず、勝手に南葵の人柄を決めつけ逃げた訳だ。私が泣くのはずるいと分かっているが目から罪悪感が溢れている。
南葵では収拾がつかない状況に、部屋の中から績と神楽が出てきた。
「よろしければお部屋の中で」
南葵はそこで漸く中に績と神楽がいた事に気がついたらしい。
「あ、ああ」
神楽が私の手を引き、南葵がその後をついてくる。
「……おいしい」
本日2度目のミルクティーに癒される。南葵の視線は感じるが気まずさからそっと目をそらす。
「さて、」
績が場を仕切るように言葉を発する。
「どこから話しましょうか」
績の言葉を受けて、私は漸く落ち着いた状態で言葉を口にする。
「……お話聞かずに逃げちゃってごめんなさい」
「いや俺の方こそ悪かった。そこまで嫌がると思ってなかったんだ」
お互い、漸く一息がつけた。けどこれで終わりではない。私達は話をしなければならないのだ。
「…………どうして勉強しないといけないの」
私はこの肝心な事を聞かずに逃げてしまった。南葵は腕を組みながら言うか言わないか迷うような表情をした後に決意を固めたのか唾を飲み込んで言葉を発した。
「お前、文字書けないだろ」
「……」
「昨日手紙を書こうと誘った時、お前は断っただろう。文字が書けないのが悔しいのかと思ったんだ。だから文字の練習をすればいいと思った。だが、…………お前の気持ちを全く考えてなかった」
南葵はもう一度私に済まないと謝った。つまり、南葵は私に馬鹿だから勉強しろと言ったのではなく、私の為を思って勉強勧めてくれたという事だ。南葵の言っている事は理解出来る。私がこれ以上、文字を書けない事に対して落ち込まないよう提案してくれているのだ。
それでもやはり、勉強したいとは思わない。
「……私はまだ子どもだから勉強したくない」
そもそも勉強するかしないかで悩むこの時間も好きではない。
「なら、絵本はどうだ?」
「……絵本?」
「あぁ、絵本に登場する文字を少しずつ覚えていくんだ。勉強ではないし、覚えたい時に文字を覚えればいい」
「……それなら」
南葵はどうやっても私に文字を覚えさせたいようだ。これ以上拒否するのも面倒だし、絵本を読むついでに文字覚えるのならば、普通に椅子に座って勉強するよりは幾分かましかもしれない。覚えたい時に覚えれば良いという事は、覚えていなくても責められる事はないだろう。絵本を読んでいて覚えたくなったら覚えれば良い。
けれども、絵本を純粋に楽しむ事は今後難しそうだ。絵本を勉強の一環にしてしまうなど私にとっては言語道断だ。
「なら早速」
私が了承した事で、南葵は安堵を覚えたのか、績と神楽に挨拶をし、自身の研究室へと赴いた。不思議と南葵は迷う事なく辿り着いた。




