025-2「だから毎日出来る事をしたいの」
「…………」
疲れた。この散歩の感想はそれに限る。子どもでありながらも、子を持つ母親の心情を理解した。
「南葵、違う。そっちじゃない」
「南葵、何で来た方に戻るの?」
「南葵、何で門の方に出るの」
最終的には
「………………南葵、お願いだから私と手を繋いで私の後をついてきて」
こう言わざるを得なかった。
探すのを諦めた。そういった神楽の言動をこの短期間で理解してしまった。
南葵は神楽よりも少し年下だろうけれど、私よりも年上だ。方向音痴な所は仕方ないとしても、自分が方向音痴という事を理解して慎重に進んでほしい。間違った方に自信を持って進まないでほしい。
南葵は、私の疲れを察したのか、何も言わずに私の手を取った。
「……」
南葵が静かになった事で、少し反省した。私自身が、これを散歩と思って歩くのを楽しめれば良かった。南葵自身も言っていたではないか。「散歩に行こう」と。研究室への用事のついでかもしれないが、この迷子を楽しむべきだったのだ。否定してばかりなのも違う気がする。
「……研究室への用事終わったら、お散歩したい」
私の罪悪感に気が付いたのか、南葵は私の頭をひと撫でした。
「あっ、あーー!」
績の医務室に着く前に、他の部屋と違う表札を見つけた。それは、以前緑弥と医務室に向かっていた時に何となく見つけた表札だ。他のシンプルな表札と違い、シャボン玉のような淡いカラフルな表札。以前はよく分からないまま通り過ぎた。けれども今なら分かる。分かりすぎる。
「どうした?」
「あった! あったよ、南葵の研究室!」
「え、あ……、本当だ」
南葵は目を丸くして研究室を眺めた。この表札は誰がつけたものかはわからないが、迷子になっている南葵が近くまで来たら自分の部屋を見つけられるようにつけたものだろう。
『ナギの研究室』
「ナギって、南葵の事だったんだね」
静かな波を思い浮かべる名前は、不思議と心に入り込む。
「どうぞ」
南葵の部屋には、いかにも研究室というようなフラスコ瓶も魔女のような大釜もありふれる植物も、何もなかった。あるのはひたすら積み重ねられた書籍。
「南葵は本が好きなの?」
「まぁ、これでも、研究者だからな」
研究者というものは、これほどまでに本を読まなければならないのか。紺青に勝色、鉄紺に藤納戸。部屋の至る所に渋い色の背表紙が積み重ねられているせいで、部屋が不思議と暗く感じる。けれども空気は優しい。
「……聖女のご本ばっかり」
積み重ねられている本の題名は眺めればゆっくりとだが読み取る事が出来る。
『聖女の奇跡』『聖女の歴史』『浄化された土地』
聖女に直接関係はあるのか分からないものもあるが、南葵は聖女について調べていたから、きっと何かしらの関連があるのだろう。
部屋をぐるりと見渡した時に目に入った『方向音痴の特性』『道に迷わない方法』という題名の本は見なかった事にした。
「少し書類を片付けるからそこに座っていろ」
南葵が指差した端にある椅子に座ると、先ほどよりも全体がよく見渡せる。
南葵は私よりもずっと年上なのだろう。けれども私と同じような見た目年齢をしておきながら大人のように研究室を持つという事に違和感がある。恐らく見た目は子どものままだが、中身は私の想像がつかないほど大人なのだろう。
「南葵って、自分の方向音痴、嫌にならないの?」
「……そうだなぁ。前は嫌だったけど、その御蔭で良い事もあったから、今はそこまで嫌じゃない。寧ろ、感謝すらしている」
「……そっかぁ」
南葵が自分の方向音痴に嫌気をさしていないのならば、彼自身道に迷ったとしてもそれほど気になる事ではないのだろう。むしろ道に迷う事を楽しんでいる雰囲気すらある。
「聖女って、今まで何人くらいいたの?」
「この国は聖女様が初めて。太陽の国も今いる聖女様が初めて。地の国と水の国は2人。魔の国は……、1人だけだ」
「へぇ。思ったより少ないんだ」
「だから、聖女は特別なんだ」
そこでふと、疑問が湧く。初めて会った時、霙は私があの場所に現れたのは「言い伝え通りだ」と言っていた。という事は、あの場に現れた聖女が、いるという事ではないのか。
「どうした?」
「……何でもない」
考えても私には分からない。霙に直接聞くのが良いだろう。
研究室の物を勝手に触るのは憚られるが、本ならば良いだろう。目の前の机の一番上に積み重ねられている本を手に取る。『聖女様の導く未来』という、いかにも堅苦しそうなタイトルの表紙をめくる。そこには、タイトルと大きな島のようなものが描かれていた。
「おち、た。……し、まは、セイジョサマの、ち、こら?……からに、よて。ちにお……、りたた?」
大きな島の下の方に描かれているサブタイトルのようなものは、読めるが意味は理解出来ない。何かの物語のあらすじのようなものだろうか。この世界の人間でない私には、聖女について書かれている書籍がフィクションなのか、ノンフィクションなのか、分からない。
聖女についてわかる事は少ないと言っていた。だからこそ私も何をすべきかわからない。大体私はいたって普通の人間であるつもりだ。そのような私が聖女としての特別な力を持っているとは限らない。この世界にいるだけでこの世界を救っているだなんて到底信じがたい話だ。
「どうして聖女はこの世界にいるだけで国を救えるの?」
「……」
南葵は書類を積み重ねていた手を止め私を見る。恐らくこれだけ聖女について調べている南葵ならば聖女の役割や力についても私以上に知っているだろう。きっと今私以上に私が分からない人はいない。
「……それを知ってどうするんだ」
「……え?」
予想外の返答に言葉が詰まる。
南葵の表情にあるのは怒りではなく、恐れや不安、そして期待と悲しみ。入り混じる感情が南葵の無表情を作り出している。
「……知って、」
知ってどうするのだろうか。例えば自分の中に不思議な力があったとして、私はそれをどうするだろうか。信じられるのか、それとも信じられないか。
自分の体の中で起こる不思議な事知りたいと思うのはおかしい事だろうか。それに、今まで、誰も教えてくれなかった。
「……あのね今までの話の中で、聖女は浄化の力があるって分かったの。あと、私がいるだけでこの国は平和になるって言ってたから、きっと私がいる事でこの世界の何かを浄化出来ているんだなっていうのわかったの」
披露会の時も街で大きな鐘を鳴らした。あの時、浄化の鐘を鳴らすと言った。
「あの時、初めて空気にも色があるって分かった」
真っ白な空気が、私を包み込み、国中に広がった。
「あれが浄化だって言うなら、私はもう一度あの鐘を鳴らしたい」
叶う事ならば、この国の為に毎日だって鳴らしたい。国中にひびきわたる音に乗せて、祈りを込めた浄化の力を国中に届ける。
「でも、多分それは無理だから」
あの鐘を鳴らすのは頻繁には無理だ。根拠は全くないけれど、私の力が足りない。あの時は、あの鐘自身が私を手伝ってくれたように思う。けれど私一人の力だけではあの鐘を、国中に響き渡らせるように鳴らす事は不可能だ。単純に物理的な力も足りない。
「だから毎日出来る事をしたいの」
大きな力での浄化は、私の中の何かを消費している気がする。それ自体に全く問題はないのだけれど、それで倒れてしまっては元も子もない。しばらく浄化が出来なくなってしまう。
そもそも私は『何を』浄化しているのかという肝心なところは何も知らないのだ。それがわからないのに私は何も出来ない。
「……やはりお前も聖女なんだな」
「……え?」
南葵の言葉の意図が分からず繰り返し尋ねるが、結局答えてはくれなかった。
「どうして聖女はこの国にいるだけでこの国を救えるか、だったな」
「うん」
南葵は少し考えた後に私の顔を見て言葉を続けた。
「聖女は何かを浄化してるというのは知ってると言っていたな」
「うん」
「聖女が浄化しているのはこの世界全体に溢れる瘴気というものだ」
「……瘴気?」
聞きなれない言葉に首を傾ける。
「瘴気って何?」
イメージとしては黒い煙のようなものだ。見た目からしても誰かを取り巻くような怖いもの。たったそれだけのイメージしか私の中にはない。けれどもこの世界にきて、私がイメージする瘴気というものを目にした覚えはない。
「瘴気というのはこの世界に住む者の体から生み出されるものだ。」
「……?」
この目の前の白い人達から黒い物が生み出されるというものに全くイメージがつかない。
「どうやったら黒いモヤモヤしたのが人の体から作れるの?」
「黒いモヤモヤ?…………ああ、聖女様は瘴気というものにそのようなイメージを持っているのか。それが聖女様の世界でのイメージされた瘴気というものなのか」
南葵は興味深そうに何かを紙に書き留めると、すぐに手を止めた。
「瘴気というのはいわば二酸化炭素のようなものだ。この世界の者は酸素の他に、神気というものを皮膚から取り込んでいる。その神気を体の中で瘴気に変えて体から吐き出しているんだ」
「それって、皆そうなの?」
「この世界のものはそうだ」
この世界の人と私が元いた世界では、そもそもの体の作りが違うのだろう。このような不思議な話を信じがたいが、私はこの人たちが目の前で飛ぶ姿を目にしている。これ以上自分の元いた世界と違うところが出てきても、そうそう驚かないだろう。
彼は二酸化炭素のようなものと言っていたけれど、私はどうしてもその瘴気というものに良いイメージを抱く事が出来ない。いつだってその言葉は悪いものに使われる。
「瘴気を体に取り込んだらどうなるの?」
「そもそも瘴気は体に取り込む事が出来ない。二酸化炭素と同じで我々の体は瘴気を受け付けていない。出来るのは聖女様だけだ」
南葵の話からすると、私はどうやら植物のような役割らしい。
「じゃあ空気の中に瘴気がいっぱいになったらどうなるの?」
「簡単に言うと生きていけなくなるな」
「えっ?」
想像以上に深刻な事態に陥ってしまうようだ。では神気というのはいわゆる酸素のような役割だろう。酸素を取り込めなければ呼吸が出来ず死ぬ。それと同じように神気を取り込まなければそのうち体に何かしらの不調が起きて生きていけなくなるという事だろう。
「この国は前まで聖女がいなかったんだよね? 大丈夫だったの?」
「他国に聖女様がいた為、多少良い影響があったようだ。けれども聖女様が今回この国にきてくださったという事は、この国がそれほど限界だったのだろう。聖女様が現れるのは、危険信号を出した国だけだ」
「ふぅん?」
つまり私はたまたまこの国に落ちてきただけではなく、落ちるべくしてこの国に来たのだろう。
私がこの国にいるだけで、この国が救われるというのはそういう事だ。私自身何もしている感覚はないが、私が来てすでに良い影響が起きていると言っていた為、私がいる事は無駄ではないとわかった。
少しずつでもこの国が豊かになるように私にも何かが出来ればいいのだが。
「じゃあ私は何をしたらいいの」
「何をとは?」
「いるだけでいいって言ってたけど、私はこの国の為に何かがしたい。どうやったらもっと役に立てるの?」
私自身が今この国で何をしているかという事がわかったとしても全く実感はない。私には役に立っているという実感が欲しい。この国の為に何かしているという証拠が欲しい。
ただ遊んで笑うだけではなく、ありがとうと言われたい。
ああ、けれども。
私がこの国の為にこの世界に連れてこられたのならば、瘴気を全て浄化してしまえば私の役割は終わる。私はこの世界での存在意義を失うのだろうか。そのような考えが頭によぎったが、すぐに首を横に振った。南葵はこの世界の人から瘴気が生み出されると言っていた。つまりはこの世界のものが生きている限りは私の役割も他の聖書の役割も終わる事はない。
「他の…………」
他の聖女はそれをよしとしているのだろうか。私はこの世界にとどまり続ける事を望んでいる。けれども他の聖女はどうなのだろうか。元の世界に帰りたいと望んだ事はないのだろうか。
「……正直、聖女様のどのような行動が浄化を促しているのか分からない。聖女様の体から神気が生み出されている事も最近漸く分かった事だ」
「そうなの?」
「ああ。太陽の聖女様の知識で判明した事だ」
「太陽の聖女様に会った事があるの?」
「いや、ない。だが聖女様についての研究グループがあり、そこに在籍しているものからの情報だ」
研究グループなどというものがあるのか。他国とも通じているとなると、とても大きな組織である可能性がある。南葵と同じように聖女と近しい存在がその研究をしているのだろう。
「そしてもう一つ分かっているのが、太陽の聖女様が歌った時に浄化がされるという事だ。けれどもそれは偶然かは分からないが一度しか成功していない。何か条件があるのか、それすらもわからない」
「歌……」
この世界に来てから私も歌った事がある。その時に浄化が起こったかどうかは分からない。私の体にも何も変化がなかった。というよりも浄化を行ったら、私の体に何か変化があるのだろうか。いきものが息をするように私が体は浄化を行っているという事だが、その実感すらないのだから、たとえ無意識に何かしらの行動が浄化につながったとしても気づかない可能性がある。どうすればその浄化に気がつけるのだろうか。
「どうやったら浄化したって気づけるんだろうね……」
何の変化もない自身の手を見つめる。




