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黒いモノクロな世界と白いカラフルな世界  作者: ちぇしゃ


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002-3「おわっ、た?」


「私は構わない」

「俺もだよ。聖女様の可愛いおねだりだからね」


 霙と白鴎は早速私が望んだように抱きしめて手を握ってくれた。

 出来る事ならばもう少し心の準備をしたいのだが、そうもいかないだろう。私の心情とは別に、績は私の左手を取った。


「はい、それじゃいきますよ」

「……」


 恐怖から白鴎の手を握る私の手とぬいぐるみを抱きしめる腕が震えるけれど、績は待ってくれない。これを恐怖と言わず、なんと言うのだろうか。

 そして何より恐怖を掻き立てるのが、績は「いきますよ」と言っているにも関わらず、一向に始める気配が無い。目を強く閉じ、研ぎ澄ませたくもない神経に意識を集中させる。


 思わず涙目になっていた瞳からぽろぽろとこぼれてしまう。


「……っ、ひぅ」


 嗚咽がこぼれ落ちようとも、霙が私を抱きしめる腕と白鴎が私の手を握る力は緩む事がない。そして、私の左手に添えられた績の手もなかなか離れる事はないし、注射を打ち始める様子もない。霙がしっかりと私を抱きしめているから、私は針の方を見る事も出来ない。見たくもない為、霙の胸にしっかりと顔をうずめる。一体いつまで耐えなければいけないのだろうか。

 もしかしたら績は今、血液をとる準備をしているのだろうか。それならばそうと言ってほしい。「いきますよ」と言ったのだから来て欲しい。本当は来て欲しくないけれど、怖い時間が続く方が嫌だ。若干の腕の違和感に呼吸が浅くなり、ぬいぐるみを握る力が強くなる。

 針が抜かれてもしばらく、自分の腕を見ることができなかった。

 くまのぬいぐるみを抱く指先にだけ、まだ強く力が入っている。痛みが遅れて来るのではないかと身構えていたけれど、思っていたような鋭さは、どこにも訪れなかった。

 

「終わりましたよ」


 績の言葉に私から手を離した。


「おわっ、た?」

 

 恐る恐るそう尋ねると、績は小さく笑って頷いた。


 「ええ。よく頑張りましたね」


 頑張った、という言葉が何に対して向けられたものなのか、一瞬よく分からなかった。泣かなかった事だろうか。それとも逃げずにここに立っていた事だろうか。褒められるような事をした覚えは無い。ただ、言われた通りにしただけだ。

 それでも、誰も次の痛みを用意する様子がない事に少しだけ肩の力が抜けた。白衣の袖が動くたびに身構えていた身体も、ようやく呼吸の仕方を思い出していく。ふわふわのくまを胸元へ寄せると、その柔らかさだけが妙に現実味を持っていた。こんなものを抱いたまま医務室に立っている自分が、少しだけ不思議だった。

 

「聖女様、えらかったね」


 白鴎の声が頭上から降ってきて、次の瞬間、また身体が軽く浮いた。抱き上げられたのだと気づいても、今度は先ほどほど抵抗する気になれなかった。

 逃げようと思えばまだ逃げられるかもしれない。そう思ったのに、腕の中のくまを落とさないよう抱え直す事の方が先だった。

 思わず自分の左手を腕を見てみると、そこには小さなテープが貼られていた。


「これは?」

「ここから血液を取ったので、血が出てしまわないように、テープを貼ってるのですよ。」

「血液を取った?」

「ええ」


 呆然と眺める目に力が入らない。


「ね。痛く無かったでしょう?」


 績さんの言葉にゆっくりと一度首を縦に振る。驚く事に多少の違和感はあったが、本当に痛くはなかった。これは績が上手だからだろうか。どちらにせよ、私にとっては嬉しい誤算だ。


「あのね、全然痛くなかったの」

「それは績が医者として優秀だからな」



 績以外の医者の診察を受ける事に抵抗感を抱きつつも、績に視線を向ける。ぬいぐるみを返そうとして少し、迷う。

 誰も怒らなかった。逃げても、泣いても、叫んでも。

 

 そう思えば、多少の我儘は許される気がした。


「……これ、持ってていい?」

 

 ぬいぐるみの耳を撫でる。


「勿論」


 績は柔らかく笑い、「聖女様に差し上げたつもりでした」と言う。


 こんなものを貰ったのは、いつぶりだっただろう。



 

「それでは、結果が出るまでご飯でも食べてらっしゃい。もうすぐお昼ですからね」


 績の言葉に、体に住む虫が悲鳴を上げた気がした。




 


 


 医務室を出る時、思わず一度だけ後ろを振り返る。白い部屋も、白衣も、薬の匂いも、やはり好きにはなれそうになかった。けれど。


「……ほんとうに、いたくなかった」


 誰に聞かせるでもなく零れた声に、前を歩く霙の肩がほんの僅かに揺れた。





 

 医務室を離れてもしばらく、刺された腕だけは妙に意識の中に残っていた。痛みというほどではない。ただ、そこだけが薄く脈打っているようで、何度か袖の上から指先で確かめてしまう。

 けれど、廊下を進むにつれて漂ってきた温かな匂いに、少しずつそちらへ意識が引かれていく。胸元には、医務室で渡されたくまのぬいぐるみがある。返す機会を失っただけだ、と自分に言い聞かせながらも、手放してしまうと何か落ち着かない気がして、結局そのまま抱えた。

 

「お腹、空いただろう」


 霙の声に、ようやく昼である事を思い出した。

 

 食堂に入ると、昨日よりははるかに少ないような食事が用意されていた。安心した。昨日と同じ量を出されたら絶対食べきれない。それでも今日用意されていたものは遥かに私の食事量よりは多いけれど、種類も少なくなっているから、選びやすい。あの場で言われた「終わったら美味しいもの」という言葉を、半分ほどしか信じていなかった自分に気づいて、少しだけ視線を伏せる。


「……ほんとうに、ごはんでた」


 思わず零れた声に、霙が一瞬だけ目を細めた。


「嘘はつかない」


 短い返事だった。けれどその言葉は、不思議と医務室で聞いたどの慰めよりも静かに胸へ残った。


 席に座り匙を持つ。


 一口目は熱く、すぐには飲み込めなかった。口の中に広がる温度に戸惑って、しばらくそのまま止まる。


 食べてよいものなのか、まだ少しだけ迷っている自分がいる。


 誰も取り上げない。


 急かしもしない。


 その事実を確かめるように、もう一口だけ運ぶ。


「……おいしい」


 言った後で、自分の声が思ったより掠れていた事に気づいた。霙は何も返さなかったが、盆を置く手がほんの少しだけ緩んだ。


 器の底が見える頃には、腕の熱もほとんど気にならなくなっていた。代わりに、窓の外がわずかに白んでいる事に気づく。窓の隙間から差し込む光はまだ淡く、色までは分からない。



 その頃にもまだ、自分はここにいるのだろうか。


 

 食べ終わったスープの器を端に寄せ、サラダの入ったボウルを近くに寄せると、青菜の影に紛れていた橙色の欠片が見えた。

 

「ニンジンだ……」

 

 口の中で確かめるように呟く。その一片だけを先に口へ運ぶと、ほろりと崩れて、わずかな甘みが舌に残った。昨日食べた中で一番美味しかった。ドレッシングが付いていても、ついていなくても、あんなに甘くて美味しい野菜は他にないと思う。きっと料理を作ってくれた人が私が昨日ニンジンを沢山食べていたのを見て、今日も出してくれたのだろう。昨日よりは少し柔らかいけれど、それでも甘味は全然失われていなくて、とても美味しい。

 

「本当にニンジンが好きなんだな」

 

 好き、と言ってよいものか分からない。けれど否定する理由も見つからず、小さく頷いた。


「……たぶん」


 昨日と同じく曖昧な返事になった。


 「明日は少し多めに入れてもらおう」


 その言葉に、手が止まった。明日。当然のように明日を口にされることに、まだ慣れない。


 けれども胸元のくまを抱え直した指先は、さっきより少しだけ力が抜けていた。

 

 それからは、おにぎりを1つと卵焼きを1つを食べてご馳走様をした。これで十分お腹いっぱいだ。


「もういいの?」

「うん、お腹いっぱいです」


 ぽっこりと膨らんでる腹部を見て自身で軽蔑した。これ以上食べたならば腹痛を訴える事になるだろう。


「そっか、やっぱり少食だね」

「だな」


 などと言っているけれど、これを少食という2人は一体どのような胃袋をしているのだろうか。

 

 ご飯を食べた後に医務室の方に向かっていたけれども、ぼんやりと視界が滲んで、廊下の花がやけに近く見える。もう少しで着くというのに、まぶたが重かった。眠い、と自覚するより先に首が小さく落ちる。慌てて持ち直そうとしても、今度は足の力まで抜けてしまった。その途中でふらふらとしてしまって、気がつけば、霙さんの足に頭をぶつけていた。けれど、霙は予測していたようで、私が倒れ込んできてもなんなく受け止めた。


 「……眠いのか」

 

 遠くで声がした気がした。廊下を歩く靴が一段と大きな音を立てた。けれど返事をする前に意識がゆっくり沈んでいった。気づかれないように霙の袖を少しだけ掴んだ。












 ほんの少しの腕の違和感に目が覚めた時、視界に映ったのは朝に目が覚めたような私の部屋ではなく、真っ白なレースのカーテンが引かれたベッドだった。


「?」


 ここは一体どこだろうか。鼻の奥に残る、少しだけ薬品の匂い。嗅ぎ覚えのある匂いがするけれど、見覚えのある景色ではない。寝かされているのは、医務室の簡易な寝台だった。薄い毛布が胸元まで掛けられている。

 

「霙、さん、はくおーさん……」


 1人でいる事は心細い。今までは誰かが傍にいたり、知ってる場所だった。でも今は誰もそばにいない。起き上がってキョロキョロと見回してみると、視界にベージュ色のくまが映った。知ってるものが近くにある事に安心した。そのクマをぎゅっと抱きしめると落ち着いてきた。このクマがここにあるという事は、きっと霙が私をここに連れてきてくれたのだろう。


「目を覚ましましたか」


 ベッドのカーテンを開けて入ってきたのは績だった。


「おはよぉ、ございます」

「はい、おはようございます。ちゃんと挨拶ができてえらいですね」


 また、挨拶をしただけで褒められてしまった。自分でも驚く事に、績の顔を見て安心している自分がいた。


「ごめんなさい、寝ちゃって……」


 意図せず眠ってしまった事への謝罪を伝えれば、「疲労がでたのでしょう」と首を振られる。


 この世界で信用出来るのは、霙と白鴎だけだと思っていたけれど、績の事も信頼してよいのだと感じる事ができた。この短時間で私が信頼に値する人間が3人も増えるなんて自分でも驚きだ。彼らは何か特別なものを持っているのだろうか。


「霙と白鴎もこちらに居ますから、一緒にいらっしゃい」


 こくりと1つ頷いてから、績が差し伸べてくれた手を取り、ベッドから降りて霙さんと白鴎さんの元に一緒に向かっていく。どうやら私が今寝ていた所は医務室の隣の部屋のベッドだったらしい。


「霙さん、白鴎さん!」


 いくら績の傍に安全性を見出し始めたからといって、私が最初に出会った霙と、霙と同じくらい一緒に居てくれた白鴎と離れるのは少なからず不安だったようだ。霙と白鴎の姿を見ると、驚く事に思わず駆け出してしまった。


 けれども、いきなり抱きつく勇気はなくて、目の前で止まる。そうすれば2人は頭をゆっくり撫でてくれた。



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