002-4「絵本、読んで、ほしいです」
私がソファに座ったところで績は話を始めた。
「まず、大きな病気はありません」
その言葉に私だけでなく、霙や白鴎も息を吐く。安心という感情が最も近い。けれども績の言葉を脳裏で反芻した時、「大きな病気」という言葉が引っかかった。
「大きな病気ではないものは?」
霙も私と同じところが引っかかったのか、績に問いかける。
績は胸元を抑える私と、霙、白鴎を交互に眺めながら、私が予想していた答えとは別の問いを返した。
「聖女様は今何歳でしたか?」
「えっ?えっと、15歳です」
「そう、ですか」
績は少し考えながら呟いたけれど、それがどういった意図を持っているのかわからない。私が15歳と言った事を疑われているのだろうか。この姿形を見れば更に幼く思われても仕方がない。
「自分の歳が分かっていて偉いですね」
先ほどの表情とはうって変わる。実年齢は15歳である為、覚えていて当たり前だけれど、褒められた事に悪い気はしない。績は私の頬に手を伸ばしてきた。思わず肩が強張る。けれど手が止まった先が頭だと分かって、そっと力を抜いた。そして優しい手つきで私の頭をゆっくりと撫でてくれた。なんだか頭がムズムズするような不思議な感覚だった。
「夜、眠れていますか?」
その言葉は疑問形になってはいるものの、確信をついた物言いだった。責めるような響きはないのに、なぜか視線を逸らしたくなる。昨日はよく眠る事が出来たように思うが、今までを思えば素直に頷く事は難しいように思える。
夜は長く、日が出る朝はあっという間に思える。そういうものだと、知っているから。疲れた日はよく眠れる事も知っている。
「ね、むれて、ますよ」
結局目線を逸らしながら績にそう答える。績はそれ以上追求せず、手元の紙に視線を移した。
「年齢の割には身長と体重が少し見合っていませんね」
遠回しに体重が軽いと言われているのだろうか。15歳の女の子としては体重が軽いと言われても嬉しいだけなのだが。けれども、医者の績が言うのだから、決して褒められた事ではないのだろう。
自分の腕を見つめる。男性であり、身長が全く違う績と比べるのは違うとは思うが、手首は確かに細い。これが当然と思っていたが、そうでないという事を考えた事がなかった。
「ここのご飯は食べられそうですか?」
昨日と先程の食事を思い出してみる。ここの食事は以前の聖女様が伝えてくれたのか、日本で食べられているような食事が出てきている。なかには私が食べた事がないようなものもあったけれど、日本で食べられているものであるから、きっと私の口にも合わない事はないだろう。そう思ったので迷わず首を縦に振る。
「そうですか。それは良かった。」
安心したようにそっと息を吐く績。
「しばらくは少しずつ食べる量を増やしましょう。一度に無理をすると、かえって具合が悪くなりますから」
食事の量が足りていないと言いたいのだろう。私はお腹一杯食べているつもりだが、まだまだ食べたほうが良いということか。
美味しい物を沢山食べられるようになるのは楽しみだ。一番美味しいのはニンジンだけれどね。
「……にんじんも、ですか」
少しずつと言う言葉を聞いて、ニンジンを沢山食べる事は叶わないのかと思い問いかける。
績が一瞬だけ目を瞬く。それから、薄く笑った。
「ええ。ニンジンもです」
白い部屋の中で、その返事だけが妙に柔らかく聞こえた。
「先程、霙達に言いましたが、血液検査の結果、問題はなかったので、今はご飯をしっかり食べてよく眠ってくださいね」
「はい」
次の瞬間、績は紙の一番下へ視線を落とす。
「それと、もう1つ」
その声音だけが少しだけ変わる。まだ終わりではない事にどきりと心臓が音を立てる。
「少し、気になる数値があります」
異常を、訴えられるのだろうか。
私が腕の中にいるぬいぐるみを抱きしめたところで、績が言い淀む。
「採血の結果には、これといった問題ありません。ただ――」
績の言葉がそこで止まった。
「回復が少し、遅いですね」
意味が分からず、瞬きをしてその言葉を繰り返す。
「本来なら、もう少し脈が安定していても良い頃です」
脈と言われても、何が違うのか分からない。
「無理を続けると、倒れやすいかもしれません」
そう言われて、漸く、何となくではあるが意味を理解する。績の声はひどく穏やかだったのだが、どこか冷たく感じた。
「もう1つ、不思議なのは」
二枚目の紙を捲り、そこを注視する。
「この程度の疲労で、ここまで数値が乱れる人は珍しい……」
小さな声で呟く績はいつになく真剣な表情で私の不安を煽る。
「……績、さん?」
私の声にハッとして笑顔をとりつくる。
「いえ、なんでもありません。診断はもう大丈夫ですよ」
績にここまで言われてやっと安心する。終わったのだと思えば全身の力が抜けていく。であるならば一刻も早くここを立ち去りたい。医務室は怖いものが沢山あるから。この独特の匂いも苦手だ。この部屋はどうやったって、好きになれない。
績は紙を閉じたまま、少しだけ窓の方へ視線を向けた。窓から差し込む光はまだ白く淡い。
「……今日は、早く休んだ方がいいでしょう」
静かな声だった。けれども、そのあとに続いた一言だけがわずかに引っかかる。
「月が、欠け始めますから」
なぜそこで月が出てくるのか分からず、顔を上げる。
「体調を崩す人が時々いるんです。特に、疲れている日は」
それだけ言って、手に持っていた紙を机の上の紙と合わせ、揃え始めた。体調と月が結びつかないまま、窓の向こうへ目を向けた。まだ昼の明るさは残っている。それでも、昨日は月が丸かったと、記憶を蘇らす。
「じゃあ、部屋に戻るか」
霙の言葉に首を縦に振る。
「つむぐさん、ありがと、ございました」
績のお陰で血液とるのも怖かったけれど痛くはなかった。
「また来てくださいね」
「…………つむぐさんに、会いに来ます」
「ええ、是非そうしてください。」
遠回しに医務室には来たくないと言うけれど、績的にはそれで満足みたいだ。何故此処にぬいぐるみがあったのかは分からないが、貰えるものは貰っておこう。私以外の小さい子ども用のものかもしれないけれど。
「何かあれば呼んでください。明日は……、少し様子を見ます」
明日。またその言葉が胸に残る。明日があるように言われるたび、まだ少しだけ不思議だった。
部屋に戻ると、やっと帰ってこられたのだと力が抜けた。ベッドに飛び込みたい気持ちを抑えつつも、霙と白鴎がいる為、ソファに座る。私が座ると霙と白鴎も向かいのソファに座った。まだ何か用事があるのだろうかと思案するが、正直今日はもう何もしたくない。
「今日はこれから聖女様の採寸を……、と思ったのだが、今日は辞めておこうか」
冒頭を聞いて思わず顔を顰めてしまいそうになったが、直ぐに表情を元に戻す。績からも休むように言葉を貰った訳でもあるし。
「風呂に入るぞ」
「はぁい」
返事をして、自分専用のお風呂に向かっていく。
「こら。違うでしょ」
「あう……」
白鴎に抱き上げられ、止められてしまった。今日こそ1人でお風呂に入れると思ったのに。1人は危ないと分かっているけれど、気持ちと行動は別物だ。私は1人で入りたい気持ちを訴えると、「せめて俺たちの胸あたりまで身長が伸びたらね」と言われた。
それは一体何年後になるのだろうか。自身の成長に疑問を残す。
僅かな羞恥心を残しながらも心休まる空間に息を漏らした。
「そろそろ寝る時間だ。」
「はぁい」
白鴎は風呂を堪能しているようで、今日もここにはいない。昨日のように挨拶をしたかったけれど、ここは現実だと思うから、「さよなら」ではない。
だから別に焦る事はないのだろう。
布団へ入ってからも、腕のあたりに熱だけが残っていた。けれど痛みは思っていたほど続かず、代わりに胸元のぬいぐるみの柔らかさばかりが気になる。このぬいぐるみを返すべきだったのか、それとも持っていてよかったのか、よく分からない。
「あ、あの」
「ん?」
白鴎がいない代わりに今日はぬいぐるみに抱きつく。
「絵本……」
「絵本がどうかしたか?」
絵本が入っている引き出しに目を向ける。今日の朝に入っていた絵本は3冊。そのうち1つは既に読んでしまった。
「あ、えっと……」
図々しいとは承知だが、言うならば今しかない。
「絵本、読んで、ほしいです」
力が入った腕の中で、ぬいぐるみが姿を変える。
「自分で読めるのではなかったか?」
その言葉で、俯く顔に力が入る。読めはする。
「そう、です……。けど」
読んでもらうのが特別だと、そう思ってしまう。震える指を隠すように拳を握りしめた。
少し時間をおいて、霙が口を開いた。
「何を読んで欲しいんだ?」
そう言って引き出しから絵本を取り出した。見た事がないような絵本が入っていた。私がその話を知らないだけかもしれないけれど、日本語ではなかった為、おそらくこの世界で考え、描かれた絵本だろう。
私がまだ読んでいない『シンデレラ』はそのまま入っていたが、既に読んだ絵本はもう新しい絵本と取り替えられていた。
「……」
読みたいと思っていた本が無い事を寂しく思いながらも、新しい本に視線を向ける。
絵本のタイトルを見てみるとなんとなく読めた。表紙に綺麗な夕方が描かれた『ゆうがた』に興味を示されたけれど、なんとなく『おとなりさんのりんごばたけ』を手に取る。
「霙さんは、ゆうがた好き?」
「嫌いでは無いが、朝の方が好きだな」
「そっか……」
私が手に取った絵本には綺麗な朝焼けに照らされたりんごが光っている。私もだんだんと暗くなっていく夕方よりも、明るくなっていく朝の方が素敵だと思う。朝の方が、私は好きだ。夕方よりも遥かに。
「読んでやるから、横にはなっていろ」
夜更かしを禁止され、布団に横にならされる。腕の痛みはもうほとんど残っていなかった。
絵本を子守唄代わりに眠りにつけるのならば、これほど幸せな事は無い。
綺麗な朝陽に照らされたりんご畑は、光輝き、艶を増した。夕方になるとりんご畑は段々と光を失い、暗闇に落ちていく。けれども、また朝になると、りんご畑は光に照らされ、水に輝き、反射する。
そうやって美しく照らされていった。霙の声が遠くなるころには、本をめくる音も止んでいた。
「おやすみ」
だんだんとしていく視界の中で朝が輝き、夕が黒く染まっていく気がした。明日になれば、空にも色が戻るのだろうか。




