003-1「これ、なぁに?冷たい……」
朝、最初に気づいたのは腕の重さだった。くまのぬいぐるみを抱えたまま眠っていたらしい。今日も、目を細めたくなるほど光が強かった。昼と言っても差し支えがないほど眩しい事だけは分かる。
まだ暗い朝の外は、日が昇り切ってはいないけれど、だんだんと眩しくなっていく光が私の部屋も照らしてくれる。こんなに綺麗な朝焼けは、久しぶりに見た。それを見ても、全く飽きる気配もない。世界はこんなにも美しいものだと、この世界で3日目の朝、神に祈りを捧げたくなった。
「おはようございます」
朝から私の部屋に迎えに来てくれた霙と白鴎に挨拶をする。二人は今日もきちんと着替えていて、朝からとても整って見えた。私も着替えた方が良いのだろうかと思ったけれど、すぐに自分の袖を見る。ふわふわした可愛い服を着ている。そう思うと、少しだけ口元が緩んだ。昨日着ていたものは洗われているらしく、今着ているのは別のパジャマだった。オレンジ色で、これにも裾や袖に小さな飾りがついている。
今日はこのまま過ごすのだろうかと思ったが、それでも全く問題はない。そもそも、一体こういう服はどこから出てきたのだろうか。ここには私以外の子どもはいないと聞いたけれど、それとも誰かが作ってくれたのだろうか。どちらにしても、このような可愛い服を用意してもらえているのだから、ありがたいと思う。
「今日は少しゆっくりした後に、採寸がある」
そういえば昨日そのような事言っていた気がする。本当は昨日その予定だったみたいだったけれど。
「はぁい」
けれども私は採寸の必要性を感じられない。私に合いそうな大きさの服を適当に着れば良い。わざわざ細かく測る必要はない。日本にいる時だって採寸などした事がない。そういうものは、きっと特別な服を着る人がするものだと思っていた。たとえば、ドレスとか。私が測った事があるものといえば体重と身長くらいだ。流石にスリーサイズも測る必要性がなかった。そこまで考えて、少しだけ虚しくなる。思い出さなくてもいいことを思い出してしまった。
たとえ私が15歳とは思えないような体付きだったとしても、身長が小さかったとしても、どうにもならない。思い出さないのが私のためだ。
「あと、普段着も届く事になっている」
「?」
それはとても嬉しいのだけれど、採寸までする必要性があるのか。よく意味が分からないけれど、そのような流れで進んでいるのだから、今更私が口出しする事はない。この国にはきっとこの国のやり方があるのだろう。普段着だって採寸して作ってもらっているのかもしれない。霙と白鴎もきちんとサイズに合った服を着ているのだから、その横で私がサイズの合っていない服を着ていても格好悪いだけだ。
「はぁい」
ベッドを降りようと踏み台に足をかけた所で、手元にくまのぬいぐるみがない事に気づき、探すとベッドの端の方に寝ていた。くまのぬいぐるみが手元に戻ってきた事に安心して踏み台から降りる。このぬいぐるみも、すっかり私のものだ。もうこのぬいぐるみがないと寂しくて寝られる自信がない。
「すっかりお気に入りだね」
「……うん」
思わずぬいぐるみに顔を埋めながらの返事になってしまう。 改めて思うと15歳になってまでぬいぐるみを抱いているのは、どうなのだろうか。
「採寸まで時間があるが、何かしたい事はあるか?」
霙にそう聞かれるけれど、この世界の事は全く分からない為、特にしたい事も思い浮かばない。欲を言えば絵本を読みたいというくらいだろうか。小説も読んでみたいのだけれど、なんとなく体が小さくなった今しか読めない絵本を堂々と読みたい。別に絵本は小さい子ども限定のものではないのだけれど。それに読んでもらえるのが嬉しいから。だが、絵本は夜でも読める。今、特にしたい事もない。霙に向かって首を横に振る。
「なら、部屋でゆっくりしているか?」
「そうします」
ゆっくり過ごしてもいいのかもしれない。ここに来てからなんだかんだで動きっぱなしだったように思える。勿論、夜はしっかり休めているけれど、ゴロゴロするのもいいかも。
「なら、採寸する時にまた呼びに来るね」
「はぁい」
返事をした私はまた踏み台を駆け上がってベッドに戻る。さて、何をしよう。とりあえず、布団の上をころがってみる。私の体が小さい影響か、布団が大きく感じる。布団から落ちる事はない。
ごろごろごろ。ごろごろごろ。
今度はくまのぬいぐるみと一緒に転がる。転がりすぎて危うくベッドから落ちるところだった。そこで1つの欲望が生まれ、果たしてそれをしてもよいのか葛藤する。今しか出来ない。そろりと布団の上に立ち、そして、飛び跳ねる。
「!」
思わぬ弾力に足元がふらつく。一度跳ねると、止まらず何度も飛び跳ねる。以前からやってみたいと思っていた、布団トランポリン。まさか実現するとは思ってもいなかった。布団では絶対に出来なかった。もう一度ピョンと跳ねて両手でバランスを取りながら、片足で飛び跳ねたりしてみる。きっと今ならばトランポリン選手になれる。
そこで私は足元にくまのぬいぐるみが転がっている事に気づいた。このままだと、この子を踏んでしまう。そう思った私は両手でぬいぐるみを抱き抱えたまま再び飛び跳ねてみる。これはこれで楽しいけれど、さっきまでより両手が塞がっている分バランスが取りづらい。
だからこそ、ムキになってしまうというものだ。飛ぶのに慣れてきたら、今度はまた再び片足でぴょんぴょん飛んでみる。やはり両手がふさがっているから飛ぶのが難しい。
「わっ」
ベッドの端に行き過ぎてしまい、危うくベッドから落ちるところだった。気を取り直して、もう一度。さすがにベッドの上で飛び跳ねて1回転なんかはできないけれど。とっても楽しいけれど、霙と白鴎は怒るだろうか。
怒られる前に1度くらいは1回転に挑戦してみても良いかもしれない。あと数回で終わろう。私は元々トランポリン選手とかでもないから出来るか分からないけれど、なんとなく、今ならできる気がする。それに今は受け止めてくれるふわふわのベッドがある。高く飛び跳ねてから、くるっと1回転してみる。
一度窓の方を眺めてから、ベットを見る。今度は扉。そして、天井を見たことで、回転できたことを知る。できたという喜びを胸に弾ませ、足をベッドに着地させようとした所で、その感触がなかなか来ない事に疑問を覚える。
なぜ、ベッド側面がみえているのだろうか。そう思った私の視界に迫っていたのは、ふわふわな布団ではなく、硬い床だった。飛び跳ねすぎていつの間にかベッドから外れてしまったようだ。
ゴチンッ!
大きな音が鳴ったのが自分でもわかった。
「……っ!」
しっかりと床で額を打ってしまった。すごくいい音がしたと思う。痛すぎて思わず額をおさえる。額を触り一度手のひらを見つめるが、血液はついていない。もう一度触ってみるとわずかな凹凸を感じ、だんだんと状況を理解し始めた。
痛みを訴えてくる額に意識を集中させる。そしてもう一度手で額を抑えた。
「ふぇ」
意識をそらせば良いということは分かっているが、私の意識ではどうにもそれが難しい。
「ぅわーんっ!」
何故我慢できないのだろう。痛くても、押さえていれば、痛みは引くと思っていたのに。
痛みは放っておけばいつか引く。
いつもそうしていたのに。
やはり体が小さくなった事で精神年齢が幼くなってしまったのだろうか。今まで流した事がないような量の涙を流しながら、大きな声をあげてしまう。
「聖女様!」
「大きい音がしたけど?!」
霙と白鴎が勢いよく扉を開けて入ってきた。
「!」
それにすら驚き、余計な涙が追加された。
「ふぇーーんっ!」
おかしい。
自分でもそう感じるほど体の制御が効かない。私の涙腺はいつからこのように弱くなってしまったのだろうか。溢れ続ける涙を止める術を私は忘れてしまったようだ。
「額が!」
「?! 頭なら、動かさない方がいいのか? 急いで績を呼んでくる」
霙と白鴎に額を見られるけれど、目の前に顔が迫ってくる事が怖くて、さらに頬が濡れた。霙が部屋を出ていっても気付かないほどに私は泣いた。この痛みはどうすればいいのかわからない。この部屋に備え付けてあったのか、白鴎がタオルに氷を包んで額に当ててくれたけど、それすらも痛くて放り投げてしまった。
「やぁあー!」
途中から自分でもなぜ泣いているのかわからなかった。額は痛いことは確かなのに、それだけではない気がした。そうして少し過去のことを思い出せば、静かな嗚咽が漏れるだけだった。
それでも私が暴れないようにか、白鴎は私を抱きしめた。だけど、抱きしめられるのが拘束されているような感じがして、私は手足を攻撃性を持って振り回した。本当に迷惑をかけたと思うけれど、この時の私は痛みでそれどころではなかった。
「聖女様、落ち着いて」
「やぁーー!」
何も考えられないほど痛い。冷静に考えれば、落ちた時にくまのぬいぐるみがクッションとなってくれていたから、そこまでの衝撃はなかった。
「聖女様! 頭を打ったと聞きましたが!」
績は2人と同じようにノックもなしに扉を開けて入ってきた。績が来る頃には、手元にあったくまのぬいぐるみを抱きしめて少しだけ冷静になっていた。一緒に落ちたから近くにあったのと、何かを掴んでいないと、もっとどうにかなってしまいそうだったからだ。績は入ってすぐに私の額に手を当てようとしてきた。痛いのにどうして触ろうとするのかが分からなくて績の手を払ってしまった。
「ふぇー!」
でも、霙と白鴎は績の味方なのか、2人で私の両手を拘束して績に額が見えるように体を起こされてしまった。潤む視界の中で績の手が伸びてきているのを感じて目をぎゅっと瞑る。これ以上痛い事をされるのは嫌だ。績の手がそっと額に触れるのを感じる。想像以上に優しい手で少し涙が収まった気がした。
「…………少し、腫れていますが、脳等に異常はありませんね」
「そう、か」
「よかったぁ」
績の言葉に霙と白鴎は安堵の息を零しているけれど、私はそれどころじゃない。痛くて痛くて堪らないのに。
「聖女様、これで額を冷やしてください」
「これ、なぁに? 冷たい……」
績が私の額に当てたのは先程白鴎が当てようとしてくれた氷だ。
「少しは痛みがましになると思いますから」
「……っ!」
冷たい氷は直接刺激が来て、あんまり好きになれなかった。無理矢理拘束された事で、嫌でも落ち着かされた。また暴れだしそうになる体を私自身も必死に抑える。叫びそうになる声を必死に抑える。
「ひっ、く。痛いの、ない? なくなっ、た?」
不思議と、先ほどよりも痛みがなくなったような感じがする。おそらく痛いと思い込んでいた相乗効果だったのだろう。
「痛みが少し引いてきましたか?」
「……」
小さく頷く。私が落ち着いてきた事が分かったのか、私の手を掴んでいた霙と白鴎も手を離した。けれども、績は私の額に氷が入ったタオルをあてたままだ。少し触ってみると不思議な事にタオルから温度を感じない。氷が入っていて冷えているはずなのに温かくすら感じる。
「あぁ、目も赤くなって……」
今も自然に流れる涙が止まらない。
「これなら赤みはすぐに引くでしょう」
「そうか……」
霙と績が話している間、私は白鴎に抱きしめられていた。白鴎は自分の洋服に私の涙が染み込んでいくのも気にしないでいてくれた。人の体温に触れていると、安心と言うのだろうか。心でもやもやしていたものが、少しずつ透明になっていった。この背中を撫でる一定のリズムが心地よい。ぎゅっと白鴎の服を握ると、白鴎の私を抱きしめる力も強くなる。この、返してくれる感覚が、とても嬉しい。
「泣いて疲れているでしょう。少し、おやすみなさい」
眠たかったはずは無いのに、績の言葉を聞きながら、私の意識は少しずつ暗闇に沈んでいった。




