003-2「霙さんと白鴎さんは聖女様のお世話をする事がお仕事なんだよね?」
とてつもなく長い夢を見ていたように感じる。
なぜ人を夢を見るのか。それは人が心に抱いている幻想を、体験するためだ。昔私にそう言った人がいた。では私が見る夢は、私が何かを望んだから見ているのだろうか。それとも心に巣食っている黒いものを忘れさせないために見せているのだろうか。
起きてから一時間も経たずにまた眠ってしまったようだ。私が今、目を覚まさないのは、自然の摂理だ。決して目を開けた時に外の景色を見るのが怖いからではない。
私が二度寝をしてからきっとまだ十分ほどしか経っていないはずだ。窓から山吹色が差し込んでいるように見える。
チラリと一瞬目を開けてみたけれど、嫌な予感にもう一度閉じた。
これは朝焼けだと思う。
ベッドで飛び跳ね、落ちて頭を打ったのも、長い夢の一部だった。額のわずかな痛みも、夢を見た事への頭痛が額に出ているのだろう。頭に乗っている冷たいタオルも夢への抵抗だろう。
忙しい人たちが私はたかが頭を打っただけであれほどまでに心配するはずもない。目を開けてみても、その考えは一向に消えない。けれども、私の手を握って目を閉じる白鴎を見て、勘違いにしてはいけないと分かった。
「ごめん、なさい」
自分がやった事を思い返し、あまりの幼さに自身を軽蔑する。私の声で、白鴎も私が起きている事に気がついたようだ。
「! よかった、目が覚めたんだね」
それでも白鴎は安心したように胸を撫で下ろすのだから、こちらの方居た堪れなくなる。替え歌までに迷惑をかけてしまったのだから、謝る以外に言葉が出てこない。
白鴎に痛いところはないかと聞かれた為、ありのままを答えた。私の答えを聞いた白鴎はほっとしたように息を吐き出す。それだけ心配をさせてしまったんだろうと推測する。それに私なんてただの居候で、私が聖女様であるという事以外に、価値は無いのに。そのくらいは分かっている。
「あの、霙さんと績さんは」
「2人は少し席を外しているけど、もう戻ってくるよ」
2人にも心配をかけてしまった事を申し訳なく思う。
そして、窓の外に見える山吹色に嫌な予感を覚えながらも、白鴎に「今って……」と聞いてみる。
「今は夕方だよ」
「!」
顔から血の気が引いていく感覚がする。
「ご、ごめんなさ……」
昨日から自分は何をやってるのだろうかと罪悪感に苛まれる。昨日は逃げ出して迷惑をかけた。今日は勝手に怪我をして眠り、予定を変えてしまった。
迷惑しかかけていない事実に体が一気に重たくなる。衣食住を保証されているのだから、最低限の事はしなくてはいけないのに。
「大丈夫。時間はいくらでもあるから、そんなに急ぐ必要はないよ」
時間が有限とされる世界で生きてきた私にとって、時間の制限のなさは逆に恐ろしく感じる。けれども、白鴎の言葉に安心してしまったのも事実だ。心配をかけてしまったのは申し訳ないけれど、どうやら彼の表情から怒りは感じられない。時間の有限さを心の奥にしまいこみながらも時間の美しさに考えを改める。
思ったよりも体は疲れているのかもしれない。夜夢も見ずに寝ているにも関わらず、これほどまでに眠りについてしまうとは。私の体の大きさの子どもはそういうものなのだろうか。
「お腹は空いてない?」
話題が変わった事に首を傾げながらも罪悪感からどうしてもお腹が減らない。績に食事量を増やすように言われたばかりだというのに、どうにもその目的地までたどり着く事は出来ない。
「大丈夫です……」
ここのご飯は美味しいけれど、毎回量を残してしまうから申し訳なく思う。この世界と私のいた世界では、私が子どもという事を抜きにしても食事量は全く違うのかもしれない。
ノックの音がする。
多分霙と績だろう。白鴎がノックに対して入室の許可を出すと、やはり私が予想した通り、入ってきたのは2人だった。2人はなんだか疲れているような顔をしていたけれど、私の顔を見ると安心したような顔に変わった。
「よかった、起きたのですね」
績が私の側まで歩いてきて、そう言った。私はそれに応えるように一つ頷いた。績は私の隣まで来て私の顔をペタペタと少し触った。医者とは思えないほど、とても柔らかくて優しい手だった。績みたいな人が医者だったら、皆喜んで病院に行くと思う。私だって、績が医者だったら、病院に行く。
「ご飯はどうする?」
「先程、聖女様に聞いたら大丈夫だって」
「そうか。ならば風呂だな」
お風呂ですか。やはり私は1人で入らせてくれないのだろうな。それに関してはもう諦めた。諦めざるを得ない。風呂はまぁ良いとして、今日は寝れるだろうか。日中寝てしまったから、眠れるかは分からない。夜更かしは苦手だから出来るだろうか。
そんな事を考えているうちに、私は霙に抱き上げられて、風呂場まで連れていかれ、服をむしり取られ、上から下まで全部洗われた。本当にお母さんのようだ。眠たくないはずなのに、お風呂に浸かっていると眠たくなってくるのは何故だろう。
「眠いのか?」
霙の言葉に迷いながらも頷く。霙もきっとまだ寝るのかと思っているだろう。私自身もそう思っている。自分でも引いてるよ。あんなに寝たのにまだ眠たいだなんて。けれど、温かいお風呂に浸かっていると気が緩んで、まぶたが少しずつ落ちてくる。
今はまぶたが閉じても平気だ。霙が私の事を抱きしめていてくれるから、水の中に顔からダイブをする事はきっとないだろう。霙は今だけは私の背もたれなのだ。
「眠いなら寝てもいいぞ」
霙は優しいからそう言ってくれているけれど、さすがに本当に寝てしまうのは申し訳ない。あと少しだから、頑張って起きていよう。ところで白鴎はどこだろうか。普段なら一緒に入るのに。首を動かして探してみるけれど、やはりいない。
「白鴎さんは?」
「ああ、白鴎なら部屋を整えている」
部屋を、整えるという言葉に聞き覚えはないが、部屋を綺麗にしているって事だろうか。誰の部屋を整えているのだろうか。白鴎本人の部屋だろうか。そういえば私は、霙と白鴎の部屋に入った事がない。もちろん勝手に入る気などないけれど。
「霙さんと白鴎さんは聖女様のお世話をする事がお仕事なんだよね?」
「ああ、そうだ」
「私をお風呂に入れる事もお世話なの?」
「それは、聖女様が幼いからだな。もし聖女様がもう少し大人だったら1人で風呂くらいには入れていたかもしれんな」
やはり私はすぐに大きくなる必要がある。そういえば、睡魔はすっかりとどこかにいなくなった様だ。よかった。話をしていると口を動かすから睡魔が飛んだのかもしれない。
「そろそろ上がるか」
「はぁい」
霙が体を拭いてくれているけれど、やはり丁寧だ。手つきが優しい。擦って拭くのではなく、トントンと水気を取ってくれている。髪の毛の水分もしっかりと拭き取ったところで、霙がパジャマを出してくれた。
「……、これは?」
けれどそのパジャマは見た事が無いもので、先程まで着ていたものとは全然違う。
「これは聖女様のものだ。新しく作らせた。サイズはだいたいだが。」
「えっ?」
パジャマなど、1、2枚あれば十分だろう。けれど既に用意してくれている。私が着なければ、他に着る人もいない。水色のフリルがついた袖が、少しだけ揺れた。可愛い、と思ってしまう。そして結局私は欲望を抑えきれず。
「ありがとうございます……」
パジャマに腕を通してしまった。着心地はもう最高だった。ツルツルの生地はずっと着ていたとしても、肌が痛む事はないだろう。腕がふんわりとしているのも可愛い。
「部屋に戻ろう」
「はい」
霙は私を抱き上げるつもりだったかもしれないけれど、私は歩きたかった為、霙の差し出してくれた手をつかみ、横を歩く。ここの人達は皆私が歩くペースに合わせてくれる。それがどれだけ嬉しくて安心出来るか、きっとみんなは知らないのだろう。私は、本当に嬉しい。まるで、大切にされているみたいで。
つないだ手が、とても温かい。
「あれ?」
部屋に戻ってくると、先ほどまで私が寝ていた布団はきれいになっていた。シーツは洗ってくれているのだろうか。さっきまでのものと少し違う。白鴎が部屋を整えているというのは、もしかして私の部屋の事だったのだろうか。布団を変えるくらい、自分でするのに。そこまで考えて、この小ささでは難しいのか、と思い至る。けれど正直、定期的に布団を洗濯してくれる事は嬉しい。気持ちよく寝られるしね。
「白鴎さんは?」
「おそらく風呂だな。入れ違いだったか」
「そっか」
残念。お礼を言いたかったのに。
「ほら」
「ありがとうございます」
霙からコップを渡されて、中を見てみると、透明のようだからお水だろう。そう思って飲んでみると、ほのかにりんごの味がした。いつの間にりんご水をこの部屋に持ち込んだのだろう。お風呂で火照った体にしみわたって気持ちが良い。レモン水より好きかも。
「おいしぃね」
「そうか、気に入ったならよかった」
飲み終わったコップは霙が回収してくれた。美味しかったから、出来る事ならば明日もりんご水が飲みたい。でも何が出てくるかは分からない。
ベッドに寝転びながら何をしようか考える。きっと睡魔もすぐには来ないだろうから、絵本でも読もうか。そう思ったのに、何故か私の体はベッドに寝転んだまま起き上がろうとしなかった。
「あれぇ?」
「慣れないところで過ごしているから、無意識に体も疲れているのかもしれない」
まだここに来て3日からというのに、これほどまでに体が疲れるものだろうか。やはり子どもというのは侮れない。両手を顔に乗せると先ほどぶつけた額に指が当たる。触ると痛みが来るだろうと予感していたが、不思議と痛みもこず、凹凸も消えていた。
績は昨日私の体の回復が遅いと言っていたがこの額はどうなのだろうか。もしかするとこの世界の人は治りがさらに早いのかもしれない。けれど前の私ならばたんこぶを作ったとしてもこれほどまでに早く回復することはないだろう。痛みだって普通はこれほどまでに早く引かない。
「ほら、今日はもう寝てしまえ」
「……はい」
今日の私は寝すぎではないだろうか。今日した事と言えば、ベッドから床に落ちて泣いて、お風呂に入ったくらいだ。けれど布団に沈むと、それだけで体の力が抜けていく。先程まで白鴎がここにいたのだと思うと、少しだけ胸の奥が温かくなる。
目を閉じれば、闇が視界を覆った。
月の光が差し込む真夜中。
遠くで扉の開く音がした。白鴎が戻ってきたのだろう。誰かの足音がひとつ、ふたつ、近づいて、また止まる。
「……回復が」
小さな声だけが、眠りの手前でかすかに耳に触れた。闇にの中で響く小さな3人の声に、何も考えずに眠った。




