002-2「霙さんがぎゅって抱き締めて、白鴎さんが手を握ってくれているなら、…………頑張ります」イラスト付き
私は自分自身がこのように行動的だなんて思ってもいなかった。本当に自分でも驚いたが今は何より見つからない事が大切だ。
「医務室」「病院」「診断」「検査」「治療」
それらの言葉が苦い記憶を刺激する。実体験と印象に基づくそれは必ず避けて通らなければならないものだ。
そこまで考えて、一層恐ろしい考えに支配される。
彼らの庇護がなければ生きていく事さえ難しいこの世界で、彼らを刺激する恐ろしさを。
背中に冷たいものが走る。
だからといって自分から表に出る事も私の経験上憚られる。
見つからないように出来る限り小さくなる。けれども、白い世界で私の黒は異常だ。この白い空間で自分の黒が見つかってしまわないように、着ているパジャマを頭まで持ち上げてみる。傍から見たら物凄く格好悪いけれども、そのような事を気にしてはいられない。今は見つからない事が大事だ。
狭い場所で膝を抱え、必死に見つからないように隠れる。近くで足音が響くたびに息が止まりそうになりがらも声を殺す。震える手が、壁に当たり音が漏れそうになるが、手を握りしめて見ない振りをする。
こういうかくれんぼは慣れている。きっと見つからない。
「いたか?」
「いや、いない」
とうとうこの部屋の中まで入ってくる足跡と声が聞こえた。
霙と白鴎が私を探している声がするけれど、決して出ていく訳にはいかない。どれくらいここで篭れるだろうか。夜まで隠れきれば、健康診断などしなくても良くなるだろうから。絶対に行きたくない。
「ここか?」
霙の静かな声が先ほどよりも大きくなる。私が今いる場所は自身の部屋の風呂場である。今まで一人では足を踏み入れた事が無いからこそ、気付かれないと感じて隠れた。なにより、私の小さな世界では、知っている場所や入れる場所など限られている。
私はベッドの横に置いていた踏み台を持って風呂場まで来た。そしてその踏み台を浴槽の側に置き、その踏み台を使って浴槽の中に入っていた。私がここにいるという証拠を隠すためには、その踏み台もどこかに持っていくべきなのだろうけど、そんな余裕も方法もなかった。
見つかりたくない。その思いを胸に声を必死に押し殺し、気配を消す。
「いた」
「……っ!」
声が聞こえて思わず上を向いて見ると呆れた顔をした霙と白鴎が私を見下ろしていた。
「ほら、いくぞ」
こちらに差し出される手さえ、とても冷たく鋭いものに見える。霙が私のパジャマを元に戻してから私の脇を掴んで持ち上げようとする。
「い、いやっ!」
必死に浴槽の縁にしがみつき抱き上げられないよう抵抗する。けれども子どもの力と掴みにくい浴槽の縁では成す術もなく足が宙に浮く。呼吸が浅くなり、次々と零れる涙が頬を濡らしていく。
「やだっ!」
行きたくない。怖い。
暗い闇で光る鉄。治る度に増える傷。思い出すだけで嫌な思い出が増えていく。病院や医者は嫌い。無理矢理連れていく人も嫌い。
「我儘を言うな」
「や、」
いやだ。
そう言おうとして改めて気づく。ここには、縋れるものが何も無い。
昔なら大好きなものに縋れたがここには私のものは何も無い。我儘。そう言われて気づいた。そうだ。これは我儘だ。
「……」
ここには、私しかいない。分かりきっていた事だ。今も昔も変わらない。私がここで知ってるのは、霙と白鴎だけ。その二人に、見放されたら。
2人の話を聞かなければ私は生きていけない。この世界で頼れるのは2人しかいない。大丈夫。痛くても生きていける。近くにいた霙に手を伸ばせば、霙は先程の呆れた表情とはうって変わって痛ましい顔をしていた。その表情の理由を理解できないまま、私は足を宙に浮かせた。霙に抱き上げられた事で白鴎の顔とも距離が近くなり、白鴎の表情を視界に入れる。霙と同じような表情をしていた。何故そのような顔をしているのだろう。
そして、私は、どのような表情をしているのだろう。
「大丈夫」
泣きそうな声で白鴎さんがそう言った。何度も何度も、その言葉を繰り返した。私の両目から流れる涙を2人はぬぐってくれた。
「すまない。医者が嫌な事に気付いていたんだ。だが、私達では聖女の体の状態が分からない」
「痛い事をするつもりはないんだよ」
「……?」
白鴎の口から驚くべき言葉が聞こえた。私の常識を覆す言葉だった。
「痛くない?」
「ああ」
「絶対に」
痛くない。その言葉を複数回、口の中で唱える。医者とは、怖い目で痛い事してくる人という認識だった。それは、私の中の常識で、だから、あの人は……。
「怖いのと、痛いのはない?」
「ない」
ない、のか。ならば。
「がん、ばる」
恐怖は全く消えていない。指先が冷えたままだ。これが、彼らが私を騙そうとする言葉だったとしても、私は驚かない。私が了承の返事を返すと、霙はほっとした顔をして歩き出した。
怖い事は嫌いだ、ずっとずっとそうだった。
痛い事も嫌い。ずっとずっとそうだった。
私はずっとずっと我慢してきた。ここでも一緒だ。だけど、少しだけ感じた。ここは向こうとは少し。ほんの少しだけ……、違うのかもしれない。
「…………」
再びあの部屋にたどり着いた。医務室。そう書かれている扉の前に3人で立つ。本当はとても嫌だけれど、出来る事ならば今に出も逃げ出しそうなほど意識は長い廊下に向かっているけれど。でも、痛くないと言ったから。霙がゆっくりと扉を開ける姿を見て、まるで地獄の門を開けるようだと感じた。
「…………っ」
この医務室独特の匂いが鼻につく。嫌な思い出が蘇る。近くに白鴎がいた為、白鴎の足に力を込めて縋る。中に、人影が見えた。霙と白鴎と同じ白髪に金の瞳。見てしまうと、目が合ってしまうと逃げられない。今まで見た、どんな人より鋭い瞳が恐ろしくて、
「こんにちは」
優しかった。彼が医者だろう。白衣を着ている姿が見えてしまった。この挨拶は私に向かってしてくれている。優しい声が怖い人ではないのかもしれないという感情と、余計に恐ろしいという感情をせめぎ合わせる。
「こん、に……ちは」
「おや。挨拶が出来ていい子ですね」
まさか、挨拶をしただけで褒められるとは思ってもいなかった。私は声を出しただけで白鴎の後ろからは一切出てない。それでも、褒めてくれるのか。
「僕はお医者さんの績ですよ」
「…………」
だからといって、白鴎の足の後ろから出ていけるかと聞かれれば、それはまた別問題だ。績は優しそうな目をしているけれど、優しそうな目をした人ほど怖い。それは私が知っている事だ。
「お顔を見せてくれませんか?」
白鴎が私の背中にそっと手を差し伸べてくれるけれど、それでも私の勇気は出ない。我儘はいけないと分かってはいるのだけれど、それでも染み付いた恐怖は簡単には拭えない。
「い、」
「はい?」
口を開きかけて閉じた私を不思議に思ったのか、績が静かに言葉を待ってくれている気配がする。
「いたいの、ない?」
霙と白鴎から痛い事や怖い事はないと聞いていたけれど、それでも不安だ。2人からすれば痛くないけれど、私からすると痛いかもしれない。だからこれは医者に聞くのが一番だ。
私は痛い事や怖い事には慣れているはずだった。泣かずに耐えられるはずだった。
だが今はどうしても耐えられそうにもない。それはこの体が小さくなったからだろうか。心まで幼くなってしまったのだろうか。私は私のはずなのに、まるで私ではないような感じだ。足元の床が無くなる幻覚に襲われながらも白鴎の足に縋る。いっその事私から痛みや恐怖などが消えてくれればいいのに。そうすれば、このように怯える事もない。染み付いた恐怖が記憶から消えてなくなればいいのに。
「痛い事はありませんよ」
績は再び優しく、でも、力強い声ではっきりとそう言った。
「ほんと?」
「ええ」
信じきるには危ういが、痛い事がないという事が分かったので、恐る恐る白鴎の後ろから、績を見てみる。
「おやおや、目が真っ赤ではありませんか」
少し笑った績は白鴎や霙と同じ容姿をしていた。私達日本人が黒瞳黒髪で生まれる人が多い様に、この世界では白髪金眼が多いのかもしれない。績が私の方に手を伸ばそうとするけれど、恐ろしさから固く目を瞑りもう一度白鴎の後ろに隠れる。
「ふふ、白鴎は懐かれていますね」
私が隠れても績は全く嫌な顔をする気配がない。寧ろ感心したように笑っている。
「聖女様。霙と白鴎の事が好きですか?」
績は私にそう聞く。霙も白鴎も昨日会ったばかりで、まだ、全く知らない。けれども、私がこの世界で頼る事が出来るのは2人しかいない。だから、ここはあえて頷く。全くの嘘のつもりはない。2人はとても優しい。決して嫌いにはなれない。
私の返答に績も微笑んで頷く。そしてその足で何処かに行ったと思えば。
「これをどうぞ」
そう言ってベージュ色のくまのぬいぐるみを差し出した。ふわふわで可愛らしくて、私には似合わない。こんな素敵なものを貰っても良いのだろうか。白鴎に抱きついたまま視線を上に向けて目で問いかけてみる。白鴎は私の方を見ながら頷き微笑んだ。これは貰っても良いという事だろう。そっと白鴎の後ろから出て績が持っているぬいぐるみに手を伸ばす。
「くまさん、好きですか?」
「……うん、ふわふわ。すき」
触ってみれば、予想を超える柔らかさに喜びを感じる。
「ふわふわ……」
可愛い。このような可愛いものをくれるなど、医者とは大変なのだと医者について分かった新たな知識を頭に入れる。これが医者の常識ではなかったとしたら、績は優しすぎる。医者とは体を見てくれる人ではあるけれど、このような可愛いぬいぐるみをくれるような人では無いはずだ。
「聖女様はお医者さんが怖いかもしれませんが、このぬいぐるみと一緒に頑張ってみませんか?痛い事は何もありませんので」
「……」
痛い事は何も無い。再び伝えられたそれに唾をのみ込む。それが信用できるのかは分からないけれど、今は可愛いぬいぐるみを抱きしめていれば多少の痛みは耐えられそうな気がする。
痛い事があっても今度こそ逃げられない。けれども、この世界にいる限り、私には逃げる選択肢なんて残されていない。状況を理解し、こくりと、ひとつ頷く。
績だけでなく、霙と白鴎もほっとしたようにため息を零した。
医者は嫌い。けれど、績は私に選ばせてくれた。
「では、最初は、身長体重などを測らせてくださいね」
この言葉にすごく驚いた。最初から痛い事が待ち受けてると思っていたから。奥の方から、績が体重や身長を測る機械を持ってくる。その姿形は日本で見るようなものと全く同じで、確かにこれなら痛いと感じる事はない。
「さぁ、ここに乗ってみてください」
績が最初に指さした方に乗ると少しひんやりとはしたけれど、痛くはなく、身長も体重も無事に測る事ができた。ついでに胸囲も測られた。
「さあ、お口を開けてください。喉の奥を見ますね」
「はぁい」
績が私の喉の奥にぐっと棒を突っ込む。気持ちが悪くて変な声が出そうにはなった。けれども、「あーって声出してみてください」と言われ、吐き気をたえながら「あー」と声を出すと、「可愛い声ですね」と褒められた。
「じゃあ次は心臓の音を聞きますね」
「はぁい」
これも知っている。小さな機械を当てて心臓の音を聴くやつだ。時折、やった。その時の苦い記憶が蘇るが、痛くはない事を知っている為、大人しく服を捲る事にした。今回は冷たくて、少しくすぐったかった。
「それでは、次に少し血液をいただきますね。」
「血液……?」
血液という言葉に若干の気味の悪さを感じつつ、声を潜めた。じりじりと、績から離れるべく後ろに後ずさり、ぬいぐるみの毛を握りつぶす。そんな私を見つけた績は、少し苦笑いをしながら、正面へ向き直る。
「お約束したでしょう?痛い事はしませんので大丈夫ですよ」
そういえばそのような事を言っていた。績の事を完全に信頼している訳ではない。嘘はつかない人だという確証もない。けれども、人を見る目はあると、拳を握る。
「血液、どうやってとるの?」
「これで取りますよ」
績が出したのは、日本でもよく見られた注射針だ。
「……」
思わず期待していた私の感情が、地の底まで下がっていくのを感じた。これは間違いなく痛いだろう。注射針を使って血液をとるのに、痛くないなどという事が起きるはずもない。思わず腕の中にいるぬいぐるみを抱きしめ後ろ後ずさりをする。
「大丈夫ですよ、絶対に痛くありませんから」
これに関しては本当に績を信じられない。
「頑張ったら美味しいご飯を食べましょうね」
「!」
脅しのような卑怯ささえ感じる一言に唇を噛みしめる。果たして績の言葉にそこまでの意図があったのかは分からないが、私の心には十分に突き刺さった。
また、あの美味しいニンジンが食べたい。頑張らなければ、いつまでご飯が貰えない。逃げたら逃げただけご飯が食べられない。
逃げたいという気持ちと一種の諦めが、脳内で衝突を繰り返す。
そのうちやらなければならないって事ならば、早めにやってしまった方がよいだろう。
「み、」
「はい?」
このような事をお願いしても良いのか分からないけれど。注射針から目が離せないまま、そっと口を開く。
「霙さんがぎゅって抱き締めて、白鴎さんが手を握ってくれているなら、…………頑張ります」
絞り出したその一言に思わず涙目になってしまうのは仕方がない。大っ嫌いな注射針を刺さなければならないのだから。
※この画像はAI生成画像です




