024-4「わらっ、って……、たよ」
「わらっ、って……、たよ」
何故、私は笑えないのか。
「だって、ここは毎日幸せで……、」
両手を頬へと運び、その筋肉を解す。
「ご飯もあって、寝る所も、服だって」
まるで役に立たない、自らの意思に反するその頬を叱咤するかのように、より一層力を込める。
「欲しいもの、全部、……全部あるの」
恵まれている。幸せだ。満たされている。
「幸せじゃないと……、」
両頬を支える手が、微かに震えるのを感じる。
「ちょっと落ち着け」
神楽の声だって、私には届かない。
「落ち着いてる! だって、本当に楽しいの! 楽しいから、笑えてないはずないの! 幸せじゃないとだめなの!」
そうでなければ、私は。
「私はっ!」
ここに、いる意味がなくなってしまう。
「…………何故だ」
南葵の静かな言葉に、心臓の高鳴りが静まる。きっと、私は。
「だって……、私が、楽しくないと、帰されちゃうっ……」
ここにいたい。ここから、消えたくない。
「誰に帰されるんだ」
「神、さま……」
「何故?」
何故。
「だって、私、聖女だから……。聖女は、この国を幸せにする為にここに来たんでしょう? 私が、幸せだったら、この国も幸せになるの。でも、私が幸せじゃなかったら、この国も幸せじゃなくなる……。私の事、いらなくなっちゃう……っ!」
心の奥にこびりついた恐怖は、南葵のせいでこぼれ落ちた。言わないように、大事に閉まっておいたのに。どうして出会ったばかりの彼が、土足で踏み込んで来るのだろう。私は、彼が私の中に入る事を許可していない。
「南葵だって、私が要らなくなったら、捨てるでしょ!」
「捨てない」
「なんで?! その時になったらわからないよ!」
「絶対に捨てない」
「…………何で、言い切れるの」
私は私が愛していた人に捨てられた。大好きだと言われていたのに不要だと分かると捨てられた。
そこからの黒い世界は私を疲弊させるには十分だった。もう、戻りたくない。いい子でいないと、要る子でいないと、愛される子でいないと、捨てられる。
あぁ、けれど。笑えていないと言われた時点で私は欠陥品だ。ポツリと、今まで降った事がない雨粒がこぼれ落ちる。
「泣くな」
泣いていないよ。私は欠陥品だから、よっぽどの事がなければ涙は出ない。
「無理に笑う必要はない」
けれど、笑わなければ、感情が無くて気持ち悪いと言われる。
「私たちは何があっても捨てない」
「…………じゃあ、私が聖女じゃなくなったら?」
彼らが大切にしているのは聖女である私だ。私に聖女という価値がなくなれば、一層必要とされなくなる。
ああ、どうして今日の私はこうも悲観的なのか。こういう自分は好きではないのに止められない。
「そうなれば、私の子になれば良い」
「え?」
予想外の黎翔の言葉に、黎翔の顔を見つめる。
「そうすれば、聖女でなくとも共にいられる」
「……聖女じゃなかったら、私に価値なんてないよ」
「ならば、我々はもとより価値のない人間になるな」
「……っ!」
その様なつもりはなくとも、自分を貶める発言は、彼らを貶める発言になった。
「でも、みんなは空を飛べる」
「空なら、俺が飛ばせてやる」
「……私、大っきくない」
「背は自ずと成長するものですから」
「…………聖女の力なんてないよ」
「いるだけで助かっているが、力が消えたとしても、お前である事に変わりはないだろう」
本当に酷いのは私だ。誰かの言葉で自分を満たそうとしている。「聖女の力だな」「いてくれて助かった」「ありがとう」
この言葉を聞く為だけに、問いかける。自分に力があるうちは、捨てられない。安心する。そういう心を見透かされないように、必死に謙遜で隠す。慰めでコーティングして、自分の気持ちを守っていたのだ。
「……はぁ、お前は聖女なんだぞ。この国で一番偉いんだ。もし捨てられそうになったら、『私がこの国を捨ててやる』くらいの心持ちで居れば良いんだよ」
「でも、そしたらこの国が困るでしょ……」
「なら、この国がその程度だったって事だ」
国王がいるこの場で、南葵は、余りにも大胆な事を言う。けれども、南葵よ言葉に黎翔も頷いている事から、異論はないのだろう。
「俺たちは何があっても、捨てない」
周りを見渡すと、真剣な目をした8人の顔。
「私は、今まで…………」
私は今まで何を見てきたのか。どのような時間を過ごしてきたのか。彼らが本当に私を裏切ると思うのか。
「思わない……」
彼らが私を捨てるとは思えない。だからこそ
「怖い……」
私自身の全てを預けて、捨てられるのが、怖い。
「捨てられるのが、怖い……」
柔らかい雨が、少し激しくなる。
「だぁから、」
「だって!」
呆れたような声を出す南葵の言葉を遮る。
「……だって、私は、そうだった」
「……は?」
「私は、捨てられたの! だからここにいるの!」
私は一度捨てられた。あそこに私の居場所がなかった。だからこそ今ここにいる。
「それって」
呟くような績の声に耳を傾ける。
「いえ、それは……、そこだと聖女様が幸せになれないから、ここに連れてきてくれたのでは?」
「……?」
「つまり、神は聖女様の幸せを望んでいるのでしょう? 聖女様が幸せになる為にここに連れてきてくれたのなら、聖女様はここで幸せになれるという事では無いでしょうか?」
「……」
績の言葉に目が丸くなる。
「私は、聖女様が聖女だろうと、そうでなかろうと、どうでもいい。けれど、聖女がここにいない事の方が困る。まだまだ貴方に着せたい服は沢山ある」
「俺も食わせたい飯は山ほどあるな」
「……我々が聖女を裏切る事は無い。そう言っても、まだ1ヶ月近くしか一緒に過ごしていない我々を完全に信じるというのは無理があると理解している」
私がこの世界に落ちてきた時に、初めて出会ったのが霙だ。知らない手を握る事に緊張したのを今でも覚えている。けれども差し伸べてくれた手が暖かかった事も覚えている。
「私たちは聖女様の事をほんの少ししか知らない。聖女様に会ったのは初めてだから、どこまで踏み込んでいいのかも分からない。聖女様に対してどこまで聞いてもいいのか分からない。だから、これから教えて」
白鴎の優しさも知っている。初めて会った時に会わせてくれた優しい目を今でも覚えている。
「けれど、この者たちが貴方を裏切る事は無い事を覚えていて欲しい」
完全に信じられるかと聞かれると否だ。けれども
「皆と、ずっと一緒にいたいっ!」
私の行動原理はこれだ。
「当たり前だ」
霙の言葉に、自然と肩の力が抜けるのが分かった。白鴎が、私の濡れた頬を拭う。
「雨か涙が分かんないね」
「……泣いてないもん」
「そうだね」
皆はいつだって優しかった。
分かっていたのに。
「……皆、聖女様の表情を気にはされていました。」
近くに来ていた績の言葉に耳を傾ける。
「けれども、それを本人に言うのはつらい過去を思い出す可能性があるという理由で口を噤んでいました」
だから、今の今まで誰にもその事を言われた事がなかったのか。
「けれど、南葵の考えは違ったようですね」
「……もっと時間が経って、聖女が自分で気づいてしまった時の方が、本人が傷つくだろ」
南葵に言われた言葉を反芻して、納得する。ある日誰かに髪を結んでもらっていたとして、笑っているはずの自分の表情が全くと言っていいほど口角が上がっていなかったら。今までの自分の表情を全て信じられなくなる。今まで笑顔を向けてきたはずの人々を見て罪悪感に苛まれる。人と接するのが怖くなる。
今この場で南葵が言ってくれた事で、私が人と接する事を恐れる事も笑顔が作れない恐怖に苛まれる事もなくなった。出会ったばかりで私の気持ちに土足で踏み込ん出来た南葵は私以上に私の事を知っていたようだ。
空を見上げると、少しずつ空からの雫が収まってきた。
「私ね、見てみたい物があるの」
「俺さ、見てみたいものがあったんだ」
私と南葵の言葉が重なる。
「空にかかる、橋。とっても綺麗なんだって」
「それ、虹の事だろう。俺が見たいのもそれだ」
「色んな色で、人の目には七色に映るけど、本当は数え切れないほどの光で満ちているの」
「雨上がりの空を照らす、空の架け橋」
『聖女は生きていなければならない』
南葵は空から降り注ぐ雫を目にして、不覚にもその言葉の意図を理解してしまった。




