023-1「手伝う!…………ぜんぶ?!」
「……」
空はいつだって黒い。けれど真っ暗ではない。光り輝く星は何色にも煌めいている。どうして星は光っているのだろうか。私が今住んでいる場所も遠くから見れば光っているのだろうか。そもそもこの世界は球体なのだろうか。地球と同じようにおおよそが水で出来ているのだろうか。
空を浮いているこの国は、他の国と一体どれほどの距離が離れているのだろうか。他の国から見るとこの星も空の星のように小さく儚く映るのだろうか。
「きら、きら」
手をくるくると星のように空に羽ばたかせたい。窓越しに見る星は、どこか透明で現実感がなく、写真のようだ。暗闇で足元を照らしてくれる星。そんな星を明るく照らしてくれる存在がこの世界にもあるのだろうか。
「……ねよう」
手に収まっているスケッチブックには今見た星空が切り取られていた。
月はまだ空の上だ。空に太陽の出番が来るまで、私は休もう。
「おい、チビ!」
「ひゃい!」
大きな声に慌てて目を覚ませば、目の前には神楽。
「え、お兄ちゃん、何でここに?」
怒りというよりは拗ねている顔だ。腰に手を当て、いかにも不満という表情を前面に表してくる。
「なんで怒ってるの? ……本当に何でここに?」
太陽の位置を確認すると、まだ真上にはない。という事は、もう少しで昼が来るという所だろう。
何か約束でもしているだろうか。昨日の事を全く覚えていない。昨日は芋を掘っていた所に神楽がやってきて、そして私は本来の目的を思い出し別れた。
一緒に遊ぼうとしてくれるのはとても嬉しいが、神楽から私を誘うのは珍しい。寧ろ、私からした約束をすっぽかそうとする人だろう。
「何でも何も、お前が焼き芋するっつったんだろ」
「……ソウダッタ」
「その顔は思い出してねぇな」
「……えへ」
言ったような気はしなくもないのだが、自信を持って約束したとは言い難い。
「するのか? しねえのか?」
「する! 準備するからちょっと待ってて!」
「へいへい」
私が着替えている間、神楽は私の部屋を物色していた。見られて困るものはない。強いて言うならば、昨夜1人で遊んだおままごとが散らばっているくらいだろうか。片付けは好きではない。
瑠璃紺のワンピースを引っ張り出し、パジャマを脱いで頭から服を被る。
「お兄ちゃん! 着替えた! 行こ!」
「…………」
神楽は私を見つめた後、ため息をつきながら私を椅子に座らせた。
「お兄ちゃん?」
「……お前このボサボサの頭で行くつもりか?」
「だめ?」
「駄目だろ」
神楽は予想よりも優しい手つきで私の髪をまとめ始めた。
「……言っとくが俺は簡単なのしか出来ねえぞ」
「大丈夫! 私は自分で出来ない!」
「威張る所じゃねえだろ」
本来ならば自分でしたいのだが、元々髪をくくるという経験がなかったのと、手が小さくなった事で、こういった細かい作業が難しいのだ。前の手の大きさの感覚が抜けきらず、今だに動かす事に慣れない。
簡単なものしか出来ないなどと言いつつ、さすが神楽と言うべきだろうか。器用な手つきで私の髪を結んでいく。両サイドの髪を編み込み、後ろで全部まとめてくくる。そしてそれをくるっと団子にして結んだ。
「クローゼットはどこだ」
「あっち」
私が指さした方へ神楽は進んでいく。今の流れであそこに行くという事は、髪飾りか何かを取りに行っているのだろう。
暫くすると、瑠璃紺とよく似た色の瑠璃色のオーガンジーリボンを取り出して戻ってきた。
「なんであそこにリボンがあるの知ってたの?」
「デザインにうるさい彩月さんがリボンを用意してない訳ねえだろ」
私の部屋を熟知しているというよりも、彩月の仕事への信頼と言うべきだろう。お団子の上の部分でリボンを結ぶと私の脇を持って立たせた。
「行くぞ」
「うん!」
場所は覚えている。けれども今日は隣に神楽がいる。迷う事も、道を逸れる事もない。
「……」
ふと昨日の出来事を思い出し、自分の集中力の無さに愕然とする。集中力もなければ記憶力もない。さすが子どもとでも言うべきだろうか。けれどこの体は多少は大きくなっているのだ。大きくなっても小さいままであったとしても、中身は変わらなかった。
「言っとくけど昨日の芋があるから今日は掘らねえぞ」
「わ、分かってるもん!」
昨日採った大きな芋を思い出せば、それも仕方がない。
「まぁ、明日にでもあの辺の芋全部掘り起こすから手伝えよ」
「手伝う!…………ぜんぶ?!」
「ああ。本来なら、もっと早い時期に掘り起こすんだが、今年は聖女がいるからか、土が元気なんだよな」
「土が元気?」
それならば反対に早く掘り起こせるのではないだろうか。土が元気で芋が育つならばもう少し早く掘り起こせたはずだ。
「土から栄養をもらえると甘くなるんだよ」
「なるほど。確かにこの間食べたお芋はとっても甘かった!」
「んで、いつまで栄養もらい続けられるか実験中って訳。でもまあそろそろ収穫しねぇと」
「何で今日しないの?」
「今日はもう時間ねぇからな」
「まだ朝なのに?」
「………………もう夕方だ」
「…………え?」
改めて太陽をよく見る。先ほどまで太陽があった場所から少しずつ上に上がっていると感じていたけれど、その太陽は先ほどよりも下にあった。
つまりは太陽が落ちてきているという事だ。
「……ほんとだ」
通りで神楽が起こしに来た訳だ。私が寝坊したからわざわざ部屋まで来てくれたのだ。きっとこれが朝ならば起こしに来てくれていない。そうなると神楽は長い間私を待ってくれていたのだろうか。もし待ってくれていたとしたら申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちが胸にせめぎ合う。
私は大寝坊をかましたようだ。なぜこうも起きなかったのだろうか。きっと夜中に一度起きたせいだ。寝る時間はいつも通りだった。
「じゃあ今日はよく寝たね」
「本当にな」
誰か私を起こしてくれればよかったのに。いや起こしに来てくれたのかもしれない。霙と白鴎は毎朝私の部屋に来てくれるから、恐らく今日も来てくれたのだろう。それでも起きなかった私に原因がある。
「お芋って他に食べ方あるのかな」
「たくさんあるぞ」
「ほんと?!」
ならば、沢山芋をとっても食べ方には困らないだろう。緑弥も呼ぶ必要がある。むしろ緑弥に作ってもらおう。
「明日は皆でお芋パーティーだね!」
「どこからそういう結論になったのかわからないが、いいんじゃないか」
「やったぁ! 皆も呼ぼう! 緑弥さんにおいしいのお願いするの!」
楽しい予定に心躍らせていると焚き火場へついた。すでに新しい枯れ葉や小枝は積み重ねられている。神楽が準備をしてくれていたのだろう。
「火ぃつけるから離れてろ」
「はぁい」
神楽が火をつける間、手持ち無沙汰になってしまい、飛んでいるトンボに目を奪われた。
「ぶぅん」
手を横に広げてトンボを追いかける。けれどもこの場から離れて迷子になるような真似はしない。
「ぶーん!」
トンボが右に曲がれば私も一緒に右に曲がる。トンボが止まれば、私も止まる。トンボが左に曲がれば私も一緒に左に曲がる。
「あぎゅっ!」
私が転べば、トンボも止まる。
「…………何やってんだ」
トンボを頭に乗せた私に神楽が呆れたような声を出す。
「トンボと遊んでたの」
「トンボに遊んでもらってた、の間違いだろ」
「……そんな事ないもん」
私の頭の上から飛び出したトンボは私の方振り向きながら少しずつ飛んでいく。
「あ、まって!」
「焼けるまで少し時間があるからトンボと遊んでろ。あんまり奥には行くなよ」
「分かった!」
神楽の許可も得られた為、トンボを追いかける。躑躅色をした可愛いトンボはきっと女の子だろう。トンボは茜色だと思っていたけれど違う種類の可能性がある。
「まって!」
優しいトンボは、私が声をかけると少し速度が落ちる。どこに向かっているのだろうか。5分ほど走り続け、私の体力と息が切れかかった時。トンボはゆっくりと速度を落とし、止まった。
「トンボさん?」
未だ来た事がないこの場所は芋を植えてある畑のように周りは緑で囲まれている。
リンリンと小さな虫が鳴く音もする。
カサカサと木々が揺れる音もする。
暑い後、寒くなる前の特有の風の気持ちよさが頬を撫でた。
背の高い木は、きっと上から皆を見守っているのだろう。
トンボはゆっくりと目的の場所まで飛んでいく。このトンボは、常に私の視線の先を飛ぶ。決して手の届かない所で飛ばない。私に捕らわれる事を恐れていないのだろうか。それとも、私は捕らえないと思われているのか、捕らえられない自信があるのか。
私への信頼の証なのか。
トンボが辿り着いた先には、小さなトンボが一匹、床に伏していた。真赭のトンボは羽根がもがれている訳でも身体に傷が入っている訳でもない。
「あなたの子ども?」
トンボに話しかけても、何を言っているのか分からない。けれども、心配そうに見守っているのは分かる。
この子は母親に思われているのだ。
「……いいなぁ」
私は聖女だけれど、心優しい訳では無い。高潔な心も持ち合わせていない。だから、このトンボがこのまま死んでいっても、明日になったらその事をすっかり忘れてしまうのだろう。私にとって、このトンボはその程度だ。
このトンボに、出会ったのだって、ささいな偶然が重なっただけ。
寝坊して、たまたまこの時間帯にあの場にいただけ。火をつけている間、芋を焼いている間、暇だっただけ。私の視線の先を飛ぶトンボが珍しかっただけ。茜色ではないトンボに興味を示しただけ。子を想う母に憧れを抱いただけ。
私には、この子を治す力なんてない。
せめて安らかに行けるように、枯れ葉と小枝のベッドを拵えよう。
優しくトンボを掴み、ただ寄せ集めただけの枯葉の上に寝かせる。
「元気になぁれ」
私が出来るのはここまでだ。せめて安らかに行けるように親子で過ごさせてあげるべきだ。
私は来た道をゆっくりと戻っていった。
「早かったな。まだ芋焼けてねーぞ」
炎が焚き木の中で揺れている。そしてその中でじっと耐えている芋は、まだ長い時間その中で熱さに耐えなければならないのだろう。
「トンボの親子見つけて、でもあんまり遠くに行ったら迷子になっちゃうから戻ってきたの」
「そりゃ賢明な判断だ。お前まで迷ったら探しに行くのも面倒だからな」
神楽が何処となく遠い目をしているのは、何度も迷子を探すという経験をしたからだろうか。そして私の脳裏には失礼ながらある一人の人物が見つかった。
「南葵ってそんなに迷子になるの?」
「………………俺はもう探すのは諦めた」
「…………そっか」
しっかりしているように見える人に限ってどこか抜けているというのはこういう事だろう。
「南葵とお兄ちゃんって、どっちの方が先にここに来たの?」
「南葵さんだ。俺はまだまだ新人だ」
ここは時間の流れが違うから新人だという神楽も、ここに来て恐らく数年、数十年は経っているのだろう。
「ここの人達は、皆仲良し?」
「多分な」
「多分?」
「俺以外の人たちの関係性を俺が勝手に決める訳にはいかねぇだろ」
「なるほど」
傍から見て「仲良し」と感じる事はあれど、それを他人に押し付ける訳にはいかない。
「あの親子は仲がいい」
傍からはそう見えたとしても、実際は全く口をきかない親子の可能性もある。その人同士の関係はその人たちでなければ決めつける事が出来ない。
けれども私は傍からどう見えるかがとても大事に思える。
「お芋何個焼いてるの?」
「2個」
「お兄ちゃん食べれるの?」
ここの人たちは食事の回数が驚くほど少ない。おとといも一緒に芋を食べてくれた神楽は、今日も食べられるのだろうか。
「食える」
神楽は、成長期の年齢である為、たくさん食べられるのかもしれない。羨ましい事だ。
大きい芋を焼いたのかと思っていたが、焼いた芋は私が以前掘ったものの半分にも満たなかった。私が掘った芋は火に入れられる事なく足元に置かれている。
「これは焼かないの?」
「お前が取った芋を焼いてもいいんだが、これはでかすぎる」
確かに大きすぎて食べきれなさそうだ。
「あと掘った芋は大抵すぐには食わねぇ。大抵は数日置いてから食う」
「へぇ」
それならば私が採った芋は、すぐには食べれない。また一つ知らない事を知った。




