022-3「もったり……」
「食堂は、あっち!」
部屋を出て食堂の方へと突き進む。よく行く場所ならば道を覚えた。それにしてもこの広い建物であまりにも人にすれ違わない。私の想像する広い建物は、建物が広い分、人も多くいる。きっとまだ私が知り合っていない人も多くいるのだろう。
白い床を靴で汚しながら駆け抜けていくのは、とても気分が良い。まるで白いキャンパスに模様をつけているかのようだ。まっすぐ突き進んでいた道を途中回ってみたり回転してみたりと足跡に面白みを出していく。
「お絵かきしようかなぁ」
真っ白なスケッチブックに、カラフルな色で絵をかけたらどれほど楽しいだろう。
「ん?」
スキップをするように廊下をかけていると、鼻に何かの匂いがたどり着いた。
「何の匂い?」
バターのような甘い匂い。レモンのようなツンとする匂い。それともゴーヤのような苦い匂い。今が香っているのは何の匂いだろうか。
ゆっくりと歩いていた廊下を全速力で駆け抜ける。目指していた食堂に近づくにつれ、その匂いは強くなる。にんにくのような匂いもする。炊きたてのお米の匂いもする。これの正体は一体何だろうか。
くぅぅぅぅぅ
腹があげる悲鳴に微笑ましくなる。食事をとる事が普通の生活は、とても幸せで。
「おなか、すいた」
食べたいと思えば食べられる環境。誰にも取られる事なく、自分の分を自分の分として食べられる。以前呼んだ本の戦時中ではとても考えられないような幸せ。それは当たり前に享受している私は、幸せでいなければいけない。
「ろーくやさんっ!」
食堂へ通じる重たい扉を開ければ、大きな釜の前で腕を組んでいる緑弥がいた。私の呼びかけに気づくと腕を組んだまま私の方に振り向いた。
「おう、どうした?」
「お腹すいた!」
調理場に広がる匂いは、やはり何とも言い難い良い匂いだ。それでも匂いを嗅いで余計にお腹が鳴るのだから、私のお腹は本当に正直だ。
「すぐに出す。……と言いたいんだが、今から作るから待ってろ」
「なんで? 今作ってたのは?」
いかにも出来立てだと言う釜の中身は見えないが、湯気が立っている事から、今現在まで試行錯誤していたのだろう。
「作ったはいいが、なかなか味が定まらなくてな」
「一口食べたい!」
味が定まらないという言葉の意味は理解が難しいが、今現在の私はこの匂いの元を目指してここまで来たと言っても過言ではない。その食事を一口でも食べられない事には私は満足しないだろう。
「……一口だけだぞ? あんまりうまくねえぞ?」
「一口だけのお約束は出来ないけど、緑弥さんが作ったものが美味しくない訳無いからいいの!」
「すげぇ信頼。嬉しいけどプレッシャーだな」
緑弥は苦笑しながら、スプーンを持ってきた。釜から一口分を掬い、私の前に持ってくる。
「ほわぁ! お米きらきら!」
やはりバターの匂いがする。けれどもそれ以外は何が入っているのか、スプーンに乗っていないから分からない。
「はぁむ!」
程よい温かさの米が口に飛び込む。まずはニンニクの香り。そして、バターの甘み。塩コショウ。
「美味しい!」
どうしても美味しくないとは感じない。緑弥が心を込めて作った幸せの味がする。けれどもろくやは満足いっていないのが現状である。
「ゴーヤを入れたのが失敗か…………」
やはりゴーヤも入っていたのか。最初に私の鼻にまでたどり着いた匂いだ。私の鼻は信頼出来るだろう。
「ゴーヤ、美味しいんだけどな」
私にはゴーヤを入れた事が失敗には思えない。程よい苦味はバターの甘みを引き立たせるだろう。
「ところでこれってチャーハン?」
釜の中身を見ていない私にとっては、美味しいという事は分かりつつも正体が分からない。
「ああ、すまん」
緑弥は小さな茶碗にチャーハンを入れ、それは私の前に持ってきてくれた。
「おいしそぉ!」
スプーンで見た時よりもさらにお米がキラキラと光っているようだ。この光はバターだろうか。見たところ野菜はゴーヤだけのようだ。チャーハンといえば定番はニンジンや玉ねぎだろう。けれどもゴーヤが入っているところにニンジンや玉ねぎを入れれば、ゴーヤに打ち消されてしまう。このチャーハンはこれで正解なのかもしれない。
「こんなに美味しいのにどうして失敗なの?」
「……んー、なんか、味がもったりしてる気がするんだよなぁ」
「もったり……」
私が分かりやすいようにその言葉を選んでくれたのだと思うけれど、かろうじて理解出来るくらいだ。
もったり。つまり味が少しだけ重たいという事だろう。
「レモンは?」
ふと、ここに来るまで匂っていたのに、この部屋に来て急に匂わなくなった匂いを思い浮かべた。
「レモン?……んなもん、使ってねぇぞ?」
「さっき、匂いがしてたよ?」
「あぁ、洗剤の匂いじゃねぇか?…………いや、ありか?」
緑弥は食材庫から1つレモンを取り出すとレモンを輪切りにし、私用に小分けにしてくれていたお皿にレモン汁を垂らした。
「食ってみてくれ」
「遠慮なく!」
緑弥から受け取ったスプーンを握りしめ、一口分だけスプーンで取り、口元に近づける。レモンは匂いが強いのか、口元に近づけただけで鼻にツンと酸っぱい匂いが届く。そして迷う事なくレモンがかかったチャーハンを口に入れる。先ほどと美味しい事に全く変わりはない。けれども圧倒的にあっさりとする味わいに食べやすさを感じる。
「俺にも一口くれ」
緑弥の開けた口に、迷わず自分が使ったスプーンを使い一口分を取って口に入れる。
「ん、いいな」
レモンを絞ったチャーハンを食べ、彼が満足いく結果になったのか手を口元に当てたまま頷いた。
「美味いな。お前のアドバイスのおかげだ」
特別何をしたという訳でもないが、元はといえばレモンの匂いのする洗剤で洗い物をしていた緑弥のお陰だろう。
「どういたしまして!」
緑弥は満足がいったのか残りの大きな釜に入ったチャーハンにもレモンを絞りかけた。
「たくさん作ったね」
「ああ。黎翔のヤツが、片手で食べれる物を届けてくれってさ」
「黎翔様が?」
「ああ」
片手で食べられるものという事は、本を読みながらや仕事をしながら食べられるものという事だろう。仕事が忙しいのではないか。ならば手伝おうと言いたいところだが、子どもの私では助ける事は不可能だ。
「お使い行く!」
「はあ?」
「黎翔様にご飯届ける!」
「…………」
先程の、味が纏まらないと言った時と同じ表情だ。
「だめ?」
「いや、駄目ではないんだが……」
「じゃあ行く!」
それでもやはり、緑弥の微妙な表情は晴れない。やはり、いくら聖女とはいえ子どもが城に入るのは黎翔の仕事の邪魔になってしまうのだろうか。役に立てれば良いと思って提案しただけである為、邪魔になるならばその提案は手元で抱えておこうと思う。
「……今日はやめておけ。黎翔も忙しくてなかなか捕まらない。それよりもなんか用事があって来たんじゃないのか?」
「あ、ご飯貰いに来たの」
先ほどチャーハンは頂いたが、まだ腹は膨らまない。
「食う量増えたよな。やっぱ身体がデカくなったからか?」
「分かんないけど、緑弥さんのごはん、たくさん食べれるから嬉しい!」
「……お前、本当に可愛いなぁ」
緑弥は明るく笑いながら、フライパンを掲げた。
「何が食いたい? 何でも作ってやるよ」
「ごちそぉさまでした!」
両手を合わせて緑弥に感謝を伝える。目の前の皿が真っ白になった時の緑弥の顔が好きだ。嬉しさと達成感を隠しきれていない表情を見る為に、私は白い皿を緑弥に掲げる。
「お粗末さん」
緑弥は食器を洗い始める。身長が届きさえすれば代わりに洗い物くらいするのに。
「そういえば、もうじきニンジンの旬が来るぞ。甘い人参がよく食事に出るようになるから楽しみにしておけ」
「!!」
今の私の一番の好物であるにんじんが食事でよく出るというのか。加えて今までのニンジンより甘いというのだろうか。
「楽しみだね!」
「そうだな」
洗い物を終えた緑弥は、私が座っている横に腰を下ろす。
「これから何処行くんだ?」
「これから……」
これから何をするのか。そう言われて、思い悩む。私はこれから、何処に向かうのだろう。ここへは何をしに来たのだろう。
「えっとね。お腹が空いたからここに来たの。……でも何か他にも緑弥さんに用事があった気がする。何だっけ」
確かここに来る道中で績に会いに行った。健康診断を受けて空腹を感じた。けれどそれ以前には何か用事があって緑弥を訪れようとしていたはずだ。どこかに向かっている最中で私は歌を歌っていた。その歌の歌詞はすっかり忘れそうになっていた。
「メモ帳!」
忘れない為に、形として残しておく為に、メモ帳必要としていた。
「メモ帳がどうした? 落ちてたか?」
「違うの、メモ帳余ってたら分けて欲しいの」
「そういう事か。構わねぇぞ」
緑弥は引き戸を開け、緑弥の手の大きさほどのメモ帳と、鉛筆、消しゴムを差し出した。
「鉛筆と消しゴムもいいの?」
「ああ。使いさしで悪いがな」
「ありがと!」
鉛筆と消しゴムまで手に入るなんて僥倖だ。




