021-2「お空のお散歩したい!」
「……」
暇だ。ここに来てから私はずっと暇だし、する事もないから、暇でも全然構わないが、それでもただ芋が焼ける姿を見ているだけというのも退屈なものだ。
「お兄ちゃーん」
「……んだよ」
とうとう暇になり神楽に声をかける。彼は芋から一切目は離さずに、私の呼びかけに答える。
「お空のお散歩したい!」
「お前、それしかしたい事ないのか」
やはり彼は芋から一切目を離さない。
「あるけどぉ」
「けどなんだよ」
「お空飛ぶの楽しいから」
「空飛ぶなんて、そんなに良い事か?」
そうか、ここの人たちは息をするように飛ぶ。つまり、空を飛ぶという事は、彼らにとって「歩く」と同義なのかもしれない。今まで彼らが飛ぶ姿を見た事がなかったのは、「お店の中は走らない」という暗黙の了解のようなものと同様に飛ばなかっただけの可能性もある。
「……そもそも何でお前は空を飛びてぇんだ」
何故と聞かれると答えが難しい。空を飛びたい理由というのはしいて言うならば、飛んだ事がなかったから。
「私は空を飛べないから」
地の生き物が海に憧れるように。
月が太陽に憧れるように。
星が地上に憧れるように。
私は空に憧れた。
「そーじゃなくて、あぁ、クソッ説明が難しい!」
彼は頭をかきながら、漸く私の方を見た。
「要するに空を飛んで何がしたいかって事だ」
空を飛んで何がしたいか。そんな事は考えた事もなかった。私にとっては空を飛ぶという事自体が目標だったから。その先の事なんて考えた事がなかった。けれども敢えて言うならば。
「違うところに行く為?」
「どこに行きたいんだ」
「…………」
明確な答えは持ち合わせているものの、それを正確に言葉にする事は出来ない。
「まあいいや」
彼は再び興味をなくしたように視線を芋へと移す。
「空を飛ぶなんて、奇跡でもなんでもないしな」
「…………」
ここの人からするとそうかもしれないが私にとってそれは十分奇跡となり得るものだ。
「お前が叶えたい奇跡は何だ?」
彼らしくない唐突な質問に言葉が詰まる。私の思い描く奇跡。私の理想。それはすでにもう叶っている。私にとっての奇跡はもう神様がもたらしてくれた。
「私の奇跡はもう起きたよ。これ以上なんて望めない」
いつかの「幸せ」という言葉が頭に浮かぶ。幸せと奇跡はとても近いような気がする。奇跡が起きたから私は幸せになれた。幸せになる為に奇跡を起こす。
「いいから、言葉にしてみろ」
もう起きたと言っているのに、それでも私に発言を強要する。それが彼の残酷さであり優しさなのだろう。
「…………私の叶えたい奇跡は、…………空を飛びたい」
それでも私が本当に起こしたい奇跡を起こす為には、それが一番の近道なのだ。本当に起こしたい奇跡であり絶対に起きて欲しくない奇跡でもある。私は奇跡を起こさない為に奇跡を起こす。
ふわりと身体が浮かぶ。まるで、身体に翼でも生えたかのように体が軽い。神楽の能力だという事は分かっているが。中でくるりと一回転する。先ほどまで座った神楽と立った私とでは同じ目線にいたが、今は神楽よりもはるかに高い目線にいる。
「これは俺達にとっての「普通」だ。だから、お前の奇跡も叶えてやれる」
彼は芋の存在なんて忘れたかのように真剣な顔で私を見る。私の存在を無視していた時とは全く異なる態度に本当に彼は神楽なのかと分からなくなる。
「奇跡は叶わないから、奇跡というんじゃないの?」
叶わないと知っているからこそ、私にとっての奇跡は空を飛ぶ事だったのだけれども、彼の力で私は空を飛ぶ事が出来た。それでも空を飛ぶ事が私にとっての奇跡だった。
「じゃあ、もう一つ奇跡を考えればいい」
「奇跡ってそんな簡単に叶う訳じゃないから、奇跡っていうんだよ」
今回の奇跡は本当ならば叶わないはずの奇跡だった。空を飛ぶという非現実的な奇跡が叶ったのは、きっとこの世界だったからだろう。もしかすると神様は私の奇跡を叶える為に私をこの世界に送ったのかもしれない。
「奇跡は願っちゃいけないって誰が決めたんだ。奇跡なんていくら思い描いたっていい。さっきみたいに言葉にすれば叶えられる奇跡だってあるんだ」
「……叶わないから奇跡って言うんじゃないの?」
「……ならお前の願った奇跡は奇跡じゃなかったって事だな」
彼の顔は何処となくなく優しかった。
「奇跡は叶わないから、奇跡じゃない。奇跡を思い描くからこそ、そうなりたいと動ける。それに、奇跡なんて、ありふれている」
「…………ありふれてる?」
平凡とは程遠い言葉である奇跡。それが、日常にありふれているというのは些か誇張が過ぎる。
「そうだ」
「例えば?」
「俺がここに居る事」
自意識過剰な発言に聞こえるが、彼の表情を見れば、そういった意図で言っている訳ではないと分かる。
「お前がここに来た事も俺達にとったら奇跡だ」
「……」
「そして、お前が空を飛べない事も奇跡」
「……飛べない事が奇跡なの?」
「……お前が飛べたら、俺の能力は何の役にも立たねぇだろ」
「なるほど?」
胸のあたりがムズムズする。彼からも、私がここにいて良いという証明をもらえたかのようだ。
「ちょっとスケッチブック取ってくる!」
「は? おい!」
この胸の複雑な動揺をどう言葉に出せばいいのか分からない。神楽の声を振り切りまっすぐと部屋の方に向かって足を進めた。
部屋までの道を走れば走るほど遠のいているかのようだ。足元がふわふわとして浮き立つ。途中で誰か知り合いにすれ違ったような気もするがそれも気にならないほど夢中で走る。
通り過ぎた白い景色がまるで赤にも青にも黄色にも緑にも見える。それだけではない。橙、茶色、紫、桃など全ての色が見える。
「世界って……」
どうしてこのようにカラフルに色づいているのだろう。
私の知っている世界とは違う。白ですらカラフルだ。目元から雫が二粒こぼれ落ちたが、それは走る過程で床に吸い込まれた。
ここにいたい。帰りたくない。ずっとそばにいたい。もうモノクロの世界に戻りたくない。ゆっくりと立ち止まり空を見上げる。今日もいつものように輝く勿忘草色の空には桜色の雲がのぞいている。
歩いて建物の中にゆっくりと足を踏み入れると、先ほどまでとは違った空気感に心が踊る。ゆっくりと部屋まで歩き、白い廊下を突き進む。
廊下はこんなに長かっただろうか。そしてこんなにも短かっただろうか。歩いている感覚も走ってる感覚も全くない。進んでいる感覚も全くない。それでもようやく部屋にたどり着いた。どれくらいの時間がたったのかも全く分からない。行きよりも長い時間がかかったようにも感じるし、あっという間に着いたような気もする。
部屋に入りスケッチブックを取る過程で姿見を覗き込み、自身の姿を確認する事が出来た。
「あっ、」
そして自分が寝巻きである事にも気がついた。慌てて私専用のクローゼットに向かって足を進め、1着の服を取り出す。先ほどまで寝間着だった事に気付かれると恥ずかしいから、先ほどまでと同じ刈安色に所々あしらわれている藤紫。まるで焼かれていた芋のような色合い。今日にぴったりな組み合わせだ。
「よし」
スケッチブックと色鉛筆を持ってもう一度朝と同じように部屋を飛び出た。
今度は不思議と足が浮き立つような感覚はしなかった。しっかりと地に足を踏みしめながら先ほどまでいた場所へと向かっていく。




