019-5「私が寝たら、何処か行くの?」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「…………」
満足した私は再びベッドと上に下ろされる。神楽は先ほどよりは表情は柔らかいが、複雑そうな表情は消えていなかった。
「楽しかったのか……?」
「すごく」
私の夢が叶った。夢をかなえてくれた神楽に対しての警戒心はもうない。
「そうか……」
彼の複雑そうな顔の理由が分からない。
「どこか痛いの?」
「……いや、」
けれども彼は痛そうな表情していた。怪我をしているのではない痛いのは彼の胸だ。
「お兄ちゃんが痛いのは、ここ?」
「!」
彼の胸にそっと手を当てると、彼は息を呑み、そして、それをゆっくり吐き出した。
眉を寄せた表情に、何故か少し胸が痛む。
小さく口を開いた彼の口から、恐ろしく低い声が漏れた。
「…………この世界のものに能力が宿る話は聞いてるんだろう」
「うん」
彼が話し始めた為、私は大人しく聞き役に徹する事にする。
「俺の家……、さ、高能力を持つのが当たり前の家系で、……俺も当然家の役に立つ能力が備わる予定だったんだ」
予定だった。つまり彼は、家庭の当たり前に当てはまらなかった訳だ。
彼にはもうすでに能力が備わっている。その能力は、役に立たないはずなど無い。十分に立派だ。
「だが、俺に宿った能力は飛翔だった」
何故、彼はそれほどまでに自分の能力を卑下するのか。
少し考えて、なんとなく、分かってしまった。この国では息をするように空を飛ぶ、と霙と黎翔は話していた。息をするように誰もが飛べる国で飛翔の能力というのは、一体何の役に立つのだろうか。私でも考えがつく事を彼の家庭、彼自身が思いつかないはずがない。
「当然、俺を見る目は冷たかった。すぐに家から追い出された。能力を隠して建設現場で働いたんだが色々あって、そこも辞めた」
「…………」
今まで家がないという事を経験すらしなかった私にとって、想像もしがたい出来事だ。
「そんな中、路頭に迷っている所を拾ってくれたのが黎翔様だ」
彼が黎翔を信頼する理由が分かった。私がこの世界の人を見る目と同じようなものだろう。
「俺は自身の能力が嫌いだ。だが、俺の能力を含めた技術を黎翔様は買ってくれてんだ」
当時の彼の様子など、全く分からない。けれども、黎翔が、一体どれほど彼の救いになったのか。それは、少し分かる。
「でも、能力を見られるのは好きになれねぇ。だから、能力使う仕事中は誰も入れたくねぇんだよ」
彼のあの態度は劣等感からくるもの。彼が信頼している者たちに無条件に優しくされている私が気に入らなかったのだろう。それでも私に空を飛ばせてくれたのは彼なりの誠意という事だろうか。それとも私への態度の罪悪感からか。
「…………話してくれて、ありがとう、お兄ちゃん」
だからといって、私は彼に何も出来ない。彼を救う事も、心震わす言葉をかける事も、出来ない。
「なぁ、そのお兄ちゃんって何なんだ?」
ただ、出来るのは、彼の能力を肯定する事のみだ。
「私の夢を叶えてくれたから!」
彼の劣等感をこれ以上刺激しないように、意味のあるものだと、伝える為に。
「答えになってねぇよ」
彼の温かな手を、これ以上冷やさない為に。
「あと、黎翔様がお父さんだから!」
黎翔がここに私達を残したのは、彼の為だろう。私の昼寝は口実だったに違いない。
「意味分かんねぇ」
神楽は初めて見せる優しい顔を私に向けた。
「お兄ちゃ、」
「お前の……、おかげで。少しこの能力を好きになれた」
「私の?」
「俺の能力を必要としてくれるのが、お前だったって話だ」
神楽は満足そうに自己完結した。
私の存在意義が、1つ、生まれた。
「私、何にもしてないよ?」
「良いんだよ」
私は楽しく空を散歩しただけだ。礼を言われるような事は何もしていない。
「何より、黎翔様はこれを見越して聖女と二人にしたんだろォしな」
「え、なに?」
ぽつりと呟いた神楽の声は、私の耳までは届かなかった。
「何でもねぇ」
神楽は「ほら、寝るんだろ」と言いながら布団をめくった。
「……」
「どォした」
「眠くない」
あれだけ燥いだのだ。今更睡魔なぞ来る訳がない。大体私の睡魔を彼方まで追いやったのは神楽自身だ。
「子守歌、歌って」
「俺がうたうよォに見えるか?」
「じゃあ、絵本読んで」
「……正気か?」
「じゃあ、」
「ったく!」
彼はめんどくさそうにつぶやいた後、私を布団の中に押し込め、そして彼自身もベッドの中に入ってきた。
「ベッドが小せぇ」
「そんな事ないもん」
「ちっ」
彼は私を抱きしめるようにベッドの中に入り込み私の頭と背中に手を回した。
「言っておくが、俺は子守唄は歌わねぇ。絵本も読まねぇ。……ここにいるだけだ」
彼は私の後頭部を撫で、反対の手で背中を一定の速度で叩いた。彼の胸に押し付けられた私の耳に彼の心臓の音が一定のリズムで鳴り響く。
「私が寝たら、何処か行くの?」
「行ったら悪いのかよ」
「悪い」
「そォかよ」
これは私なりの我儘だ。彼は私に対してそこまで良い印象を持っていない。という事はいくら私が彼に我儘を言っても、これ以上彼が私への評価を下げる事はないだろう。
何より兄は妹のわがままを聞き入れるべきだ。
「寝ろ」
寝ろと言われてすぐに寝られる訳がないだろう。けれども不思議と私の意識は夢の中へと旅立っていた。
彼の能力はいつか私の夢を叶えてくれるだろうか。
「んーぅ、とぁとのおぅしゃまが……」
「起きろチビ」
「ふぁ」
鼻を摘まれた事で意識が覚醒する。このよう起こされ方をしたのは初めてだ。
「な、なに?」
目が覚めて目の前を見ると、寝る前と変わらず神楽が私を抱きしめていた。
「ずっと一緒にいてくれたの?」
「……ちげえよ。お前が俺の手を離さなかっただけだ」
そう言われて寝る前に握りしめていた手は気がつけば彼の服を握っていた。
「ご、ごめんね?」
「……別に」
彼の服を離すと私を離し、大きく背伸びをした。彼が何と言おうと、彼は起きるまで私のそばにいてくれた。理由なんて何でも良い。
「お兄ちゃん、また一緒にお昼寝しようね!」
「やだよ」
「えー!」
「お前の昼寝は長えんだよ」
「そんなぁ」
彼の言葉に窓の方へ目を向けてみると、昇りきっていなかった太陽は、現在沈みかけている。確かに間違いなく寝すぎた。
「子どもは寝て育つのですよ」
「やかましい」
軽く頭叩かれた。地味に痛い。
「仲良くなったようで何より」
「!?」
突然声が聞こえてきて私も神楽も驚き振り向く。そこには黎翔は壁に寄りかかり腕を組んで立っていた。
「黎翔様!」
どうやらいつの間にか扉を開けて入ってきていたようだ。
「……いつからそこにいたんですか」
「神楽が起きる少し前からだな」
「!」
神楽が起きる少し前という事は。
「お兄ちゃんも寝てたの?」
「……寝ていない。少し目を閉じただけだ」
「私が来た事にも気づかないくらいにはな」
「……コイツに比べたら眠りは浅かったですよ」
「何を張り合っているんだ。聖女はまだ正真正銘の子どもだ」
「…………」
神楽はそれを聞いて再び目をそらすがそのような神楽を見て黎翔はまた吹き出すように笑った。
「聖女よ、空中散歩は楽しかったか?」
「はい!」
「良かったな」
「コイツ、大声あげて叫んでたからなぁ」
「だって、楽しかったもん!」
「随分と仲良くなったな」
最初と同じく繰り返された黎翔の言葉に私たちは顔を見合わせる。そして私からは深い頷きを、神楽からは無愛想な顔反らしを贈る。
そこは空気を読んで頷いて欲しかった。
「ヘッタクソだなぁ」
「じゃあ、お兄ちゃんは書けるの?!」
「当たり前だろ」
私が今何をしているかと言うと、一昨日国王たちからもらったプレゼントのお礼の手紙を書いているのだ。しかし考えても見てほしい。私はこの世界に降り立ってからまだ一度しか文字の練習をしていない。そんな私が文字を書ける訳がない。
「蛇かよ」
「……」
今回ばかりは神楽の言葉を否定出来ない。黎翔の書いた文字を真似して「プレゼントありがとうございます」と書きたいのにままならない。ようやく1枚を書き終えたが、まるでミミズが這っているかのようだ。
「……」
果たして国の代表である国王にこのような手紙を渡しても良いものだろうか。
「……これじゃダメ」
書き直そう。丸めて捨てようと手紙に手を伸ばしたところで手からそれを抜き取られてしまった。
「お兄ちゃん?」
ミミズがはったような文字を神楽は見つめる。
「……これでいいんだよ。ですよね、黎翔様」
「ああ、これで良い」
「え?」
このような汚い文字の何がいいというのだろうか。
「……頑張って書いたんだろう。じゃあそれでいい」
投げかけられた優しい言葉に、そうか、手紙は気持ちを込めて贈る物だと言っていたがこういう事だったのか。日本でもSNSという機器が流通している中で未だに手紙という文化が衰えないのはそこに込められている気持ちを届けるからであろう。
先ほどまで捨てたいとすら感じていた手紙はなぜかとても輝いて見えた。
そして私は長い時間をかけながら計4つの手紙を書き終えた。あれだけの短い文章にとても多くの時間がかかったが黎翔や神楽が急かしてこない事がありがたかった。
そうして手紙を書き終えた頃にはすっかりと日が落ちていて、城から戻ってきた白鴎に風呂に入れられた。風呂から上がれば美味しいジュースを飲み絵本を読み、眠るといういつも通りの夜の生活が過ぎた。




