018-6「トマトスープ…………」
「焼けましたよー」
奥から緑弥では無い別の男性から声がかかる。
「おー、今行く」
緑弥は私を床へおろして男性の元まで歩いて行った。オーブンを開けたのか、良い香りが先程より強くなる。
「良い匂い……」
「本当に」
何を作ったのか気になり、今すぐにでも駆け寄りたい気持ちがあるが、調理場は危ないと言われているため、呼ばれるまで、じっとしておくのが良いだろう。何より、他の料理人さんは、料理をしている訳だから、邪魔をしたくない。
覚えのある甘い匂いが鼻をつつき、一体何の匂いだっただろうかと首を傾げる。
「クッキー?」
私の知っているお菓子を頭に思い浮かべる。匂いが異なるものは消去していく。そうして残ったお菓子がクッキーだった。匂いからすると、クッキーで間違いはないだろうが、それでも少し違う気がした。
「確かに材料などもほぼ同じですし、似てますね。けど、これは別物でしょうね」
「そぉなの?」
彼の口ぶりからすると、彼はお菓子の正体が何かをわかっているのだろう。
「何ていうお菓子なの?」
「それは緑弥に聞いてください」
「えー」
こういう時に焦らすなんてやはり鶴羽は意地が悪い。しかしせっかくなので緑弥がおやつを持ってきた時に名前を聞くとしよう。
「お待たせ。飲み物は紅茶とココアで良かったか」
「ココア大好きです」
緑弥は小さなバスケットにお菓子を入れて鶴羽に渡した。
「緑弥さん、なんていうお菓子ですか」
「それは後でのお楽しみだところで一つ相談があるんだが」
「何ですか?」
お菓子の名前が気になりつつも、相談の内容の方を促す。
「俺も一緒で良いか?」
どうやら緑弥はすでにバスケットの中に3人分のティーカップを入れていたようだ。その証拠にバスケットの中にはいかにも2人では飲みきれない大きさのボトルのようなものが2つ入っている。おそらくどちらかにココアどちらかに紅茶が入っているのだろう。
そこには美味しい匂いも漂っていたが結局「後でな」と言っておかしな名前は教えてくれなかった。
「構いませんよ」
「一緒に行こ!」
緑弥の参加を特に断る理由もなく、承諾する。
「素敵素敵!!」
やってきたお茶会会場は、卯の花色の花が咲き乱れてとても美しい。なんという名前の花だろうか。
「お、あの東屋なんてどうだ?」
「良いですね。そこにしましょう」
二人が指差す先には花に囲まれた小さな建物があった。建物と呼ぶにはあまりにも小さすぎるが、休憩するにはちょうど良さそうだ。これほどまでの数の花を育てようとすれば、大層手がかかっている事は間違いないだろう。一体誰が世話をしているのだろうか。
東屋には、亜麻色のテーブルと駱駝色のベンチに練色のレースが敷かれていた。
「とっても可愛いところね!」
そして言うまでもないが、ここまで来る道のりは全く覚えていない。このような素敵な場所であるならば一人でも来られるように道順を覚えておくべきだったと後悔する。けれども、向こうの家の方にもこのような綺麗な花畑があった気がする。そこにこのような可愛らしい東屋があったかどうかは分からないが、許可が取れたのならばそこで休憩するのも良いかもしれない。向こうに行けば毎日ろくやがいてくれる訳だから美味しいものもついてくるだろう。
あぁ、なんだか。無性に向こうの家が恋しくなってきた。ここが嫌だとか居づらいとか、そのような事は全くない。むしろ居心地が良すぎてここも私の家という感じがしてくる。けれどもやはり、自分の居場所がある向こうの方を家と感じる。黎翔とともに寝るのも悪くはないが。
「じゃあ今日のおやつはこれな」
「おいしそぉ!」
「流石は緑弥ですね」
中からは焼き立ての良い匂いが漂う。見た事があるかと聞かれるとわからない。クッキーの何倍も分厚く、1つのサイズもクッキーより少し大きい。しかし匂いはクッキーそのものと言えよう。少し、パンに似ていた。
「これなぁに? パン?」
「これはスコーンという食べ物だ」
「すこーん?」
「そう」
気の抜けそうな名称のお菓子だと感じた。
「本当はこれに玉ねぎやウインナー、チーズを入れても美味しいんだが、今日はプレーンな」
お菓子というよりも惣菜パンに近しいものになりそうだ。
「じゃあ、他のも楽しみにしてます!」
それでも想像しただけで涎がたれそうになるのだから、緑弥の力は凄い。
「スコーンの由来は知っているか?」
「由来?」
スコーンという名前すら今日初めて聞いたのに由来なんて知る訳がない。
「スコーンはその名前に似た国の王様が戴冠した時に食べられた菓子らしい。聖女様も昨日正式に聖女の地位に着いたんだから、似たようなもんだろ?」
「……」
国の方である国王と比べても良いのかどうかという疑問は私だけではなかったようで、隣で鶴羽も微妙な顔をしている。
「食おうぜ」
先ほどのスコーンの由来に関しては頭の隅どころか、頭の外においやる事にした。
「いただきまぁす!」
所々狐色にこんがり焼けている丸いスコーンを手に取る。初めはフォークか何かで食べるのかと思っていたが用意されていたのはお皿だけだった為、クッキーのように出て食べても良いのだろう。
鶴羽が私のティーカップにココアを入れているのを眺めながら一口かじり口に含む。
クッキーよりも柔らかく、口の中に入れるとポロリと溶けていく食感が面白い。けれどもパンよりは硬い。
「おいしい!」
食べた事のない料理を食べるというのは勇気がいる事だ。けれどもこの世界でそれを気にせずに食べられるというのは間違いなく緑弥と皆のおかげだろう。緑弥の作ったものは美味しいという固定概念と安心して食べられるという状況を作り出した皆のおかげだ。本当に私は何という幸せ者だろうか。
「美味いだろ? ほらこれも」
私が手に取ったスコーンにバターナイフで緑弥がジャムを塗る。
「これは何のジャム?」
「これはブルーベリージャムだ」
ブルーベリーというのは酸っぱい印象があったがジャムになるという事は砂糖なども混ぜているだろうから、
おそらく甘いジャムだろう。
「!」
ジャムがついている場所を一口食べると私の周りにふわふわと花が飛んだ。その私を見て緑弥は理解したのか微笑んだ。
「目は口ほどにものを言いますね」
「俺も最初そう思った」
鶴羽の感想に、そういえば初めて緑弥に会った時もそのように言われたと思い返す。あの時は確か
「トマトスープ…………」
トマトは苦手だけれどろくやの作ったトマトスープは本当に美味しかった。
「そうそう。それ食った時。聖女様、よく覚えてるな」
忘れる訳がない。ここで食べたもの感じたもの知り合った人。全部私のものだ。忘れてなんてあげない。
ふと自身の横に置いてあるスケッチブックが目に入る。持ってきたは良いが、描く時間はなかった。本当は今いる東屋を描きたいのだけれど、食べる方に集中したいし、何より食べながら絵を描くのはお行儀が悪い。
また来ればよい。
私は食べる事に集中していたが鶴羽と緑弥の会話は面白かった。
太陽の国は聖女様のお陰で木々が緑に色づいた事。黎翔が最近やって来た猫を可愛がっているが、首輪はきらいみたいなので、何をプレゼントしようか迷っている事。彩月がみーの服を量産している事。緑弥が異国の料理を研究し始めた為、今後の食事にも出てくる可能性がある事。
気になる話もいくつかあって口を挟みそうになったけれど、2人の話を聞いていたい気分だった為、何も言わなかった。
その話を聞いていると満腹だったはずの腹は端の方から空間が出来、その隙間にスコーンが入り込んだ。
綺麗な花に囲まれて大好きな人達と美味しいお菓子、美味しい飲み物に囲まれた。こんな時間を切り取れたらどれだけ幸せだろうと思った。
「ひ、一人で出来るもん!」
黎翔の部屋についている脱衣場に私の大きな声が響き渡った。
「洗面所を水浸しにした奴が何を言っている」
「うぐっ」
散歩から帰ってきてしばらくすると夕方になった為、風呂に入ろうと思ったのだが、一人で脱衣場の方へ向かって行くと黎翔に止められてしまった。
「私大きくなったの! お姉さんになったから一人で入れるの!」
「もう少し身長と精神年齢を成長させてから言え」
「意地悪!」
拳を握りしめ真っ向から黎翔を睨む。近くにいた霙と白鴎に助けを求めようとしても、2人も「黎翔と共に入らないのならば、私達と入ろう」と私の1人風呂を許可してくれなかった。
「分かった。では今日のところは一緒に入る。私は何もしないから聖女が一人で風呂に入れるのを確認したら明日からそうしよう」
ここが私が譲歩出来るラインだ。と黎翔はため息をつきながら言った。
「……分かりました」
黎翔も譲歩してくれたのだから、私も少しは譲るべきだろう。霙と白鴎も納得してくれたようで黎翔の部屋から出て行った。
服を脱ぎ風呂場へ入るといつもの手順通りに、まずシャワーヘッドを取る事にした。大きくなったのだから届くはずだ。鶴羽に届くと宣言したばかりだ。
私の予想ではずっと手が届くはずだったシャワーヘッドに大きく背伸びをしてつま先立ちをしながら手を伸ばす。
「とっ、どいた!」
シャワーヘッドの持ち手の下の方に手が届いた為、そこをつつきながら取っ手から外す。取っ手から離れたシャワーヘッドは、私の手の中に収まらず、頭に向かって落ちてくる。迫り来る衝撃に目を閉じるが、痛みはやってこなかった。
「?」
目を開けると黎翔がシャワーヘッドを掴んでいた。
「そんな事だろうと思った」
「え、えっとぉ」
呆れた顔で私の方を見た黎翔に嫌な予感がした。
「1人風呂は禁止だ」
「そ、そんなぁ」
嬉しくない事に予想は的中し、私の一人風呂は機会を失った。
風呂上がりにテーブルを見ると見覚えのあるプレゼントを見つけた。
「あ、これ」
昨日国王達からもらったプレゼントだ。昨日は眠ってしまい今朝は体のサイズが変わってそれどころではなかった為、開けるのをすっかり忘れていた。
「黎翔様、開けても良い?」
「ああ」
一つずつ順番に開けると中から出てきたのは4つとも同じものだった。
「何これ?」
中から出てきたのはビー玉サイズの小さな玉だった。別々に用意しただろうに、こんなにもプレゼントが一致する事かあるのだろうか。それよりもこれは一体なんだろうか。宝石のようにキラキラしており安くない事は想像に難くない。
「中々良いものを寄越す。これには、国王達の力が封じられている。つまりはこれを使えば何かしらの能力が使えるという訳だな」
「……力、能力?」
今朝聞いたばかりだがまだ、聞き慣れない単語に思わず言葉を繰り返す。
「言ってなかったか? この世界のものはごく一部ではあるが聖女と同じように能力を持つ。聖女様のように浄化の力を持つものはいないが」
初耳だ。という事は黎翔も何かしらの能力を持っているという事だろうか。ただしそれを聞いても良いものかわからない。
「まぁ、使用回数、時間は限られているが、全部国宝と呼べる代物だな」
「こく、ほう」
「国の宝と書く」
「国の宝……。それって、高いやつ?」
「まぁ、普通には買えないな」
「ひ、ひぇ」
そんな大切なものを、こんな小娘に渡すなんて、何を考えているのだろうか。正直、美味しい食べ物をもらった方が心は穏やかだった。売り払ったら、一体いくらになるだろうかと考えていたが、そもそも、普通には買えないのだから、売れないだろう。何より私はお金を必要としていない。
「彩月に腕輪にでもして貰え」
国宝を腕にぶら下げて歩けという事だろうか。そんな恐ろしい事を出来るはずがないだろう。黎翔にそう訴えるが、「いざという時に使える力がない事の方が恐ろしいだろう」と、冷静に返されてしまった。
どうやら私はこの石をつけるアクセサリーが完成した瞬間からそれを身につけて行動しなければならないようだ。自身の総額が恐ろしい。




