018-5「それって、わがままとは違うの?」
今まで私の隣にあった扉を開けて中に入ると、皆が座って書類と向き合っていた。ギィという音を立てて扉が開くと、皆は私が入ってきた事に気づいた。
「どうかしたか」
霙は書類を纏める手を止め、私の元まで来て座り込む。座り込んだ霙より低い事は変わりないが、以前よりも目線は近い。
「スケッチブック、お散歩に持っていこうと思って」
「そうか。……一人で行くのか」
「ううん、鶴羽さんと一緒に行くの」
開たままにしていた扉の向こうにたっている鶴羽に視線を向け説明する。
白鴎がもって来てくれたスケッチブックを受け取り部屋を出る。
「待て」
私の歩みは黎翔の低い声に遮られた。
「どぉしたの?」
「調理場に行けば菓子を用意してもらえる」
「行ってきます!」
黎翔の言葉を聞いた後の私は迷いなく言葉を返し、扉の方に足を向ける。
「スケッチブック落としてますよ」
扉の前に立っている鶴羽を追い越したところで、その鶴葉から声がかかる。その言葉を聞いてようやく自分の手に何も収められていない事に気がつく。
「あれ?」
信じられなくて、自分の手を見る。先程までのスケッチブックは確かに色鉛筆と一緒に、この手に収められていたのだ。一体いつの間に床に移動したというのだろうか。
「菓子と聞いて両手を上げた時に落としていた」
黎翔の言葉になるほどこれは確かに私が悪い、とスケッチブックの自立性を疑っていた自身を責める。なぜだかスケッチブックに責められているような気がし、無意識とはいえ、落としてしまったスケッチブックを丁寧になでる。心の中での言い訳を添えながら。
「行ってきまーす」
今度こそ行こうと仕事をしている三人に手を振る。白鴎以外は手を振り返しはしないが、目線を合わせてくれていたため、問題はないだろう。
鶴羽と共に調理場に向かって、足を進める。調理場までの場所は分からないため、鶴羽に道案内を頼む。一人でこの城の中を歩く時のために、歩きながら地図を頭の中に入れようとするが、どうにも上手くいかない。やはり地図は、頭の中に思い描くのと実際に行ってみるのでは、全く感覚が違う。実際に歩いているため、何度か行けば覚えられるだろうが、今回に限っては、それも難しいと思う。私は、道順を距離と感覚で覚えている部分もある。その距離と感覚というのはどのように歩くかで、全く変わってくる。例えば、人と歩いている時は時間が早く過ぎていくためそこまで距離を歩いたように感じない。しかしながら、一人で歩いた時は、道のりは、とても長く感じる。きっと、次に来た時は、この道は長く感じるのだろうな。
「所で、随分と成長されましたね」
今更ながらに以前会った時と今では私の身長に大きな差がある事に気がつく。自分の身長が変わっていたという事実を忘れかけており、改めて自身の姿を見下ろす。確かに大きくなった手足がそびえていた。
「びっくりした?」
「ええ、とても。この分だと、直ぐに素敵なレディになりそうですね」
レディという聞きなれない単語を聞いて、どういう意味だっただろうかと思い返す。私の記憶が正しければ、素敵な大人という意味だったはずだ。つまりは、もうすぐで素敵な大人になるという事だろう。
「そぉなの。もうお姉さんなの。だから、お風呂だって今日から1人ではいるの」
「それは、どうでしょうね」
「えー」
「シャワーヘッドに背が届くのですか?」
「届くよ。だって、お姉さんになったんだもん」
「うーん、届かないと思いますけどねぇ」
実際に風呂にまで行ってみないと届くかどうか分からない。けれども、身長は間違いなく伸びているのだから、届かないという事は無いだろう。
「鶴羽さんは、なんだか意地悪ね」
「可愛いものほどいじめたくなるのです」
意地悪である事を認めた鶴羽の言葉に首を傾げる。
「私、可愛いの?」
「そうですね。私が今まで出会ったものの中で、上位を占めていると思いますよ」
「そうなんだ! 私、すごいねっ!」
どうやら、私は初対面にもかかわらず彼の中のランキングの上位に位置しているようだ。そして話しているうちに本当に道順を覚える事なく調理場までついてしまった。扉が閉まってるにもかかわらずなぜここが調理場であるという事がわかるかというと、ここまで近づくにつれ良い匂いが漂ってきていたからだ。食事をした為、空腹ではないが甘いものは別腹という言葉がある通り、菓子ならば問題なく腹に入るだろう。
良い匂いに惹かれ足がふらりと調理場の扉の方へと向かう。これは何の匂いだろうか。甘くて何かを焼いたような香ばしい匂い。
「良い匂いするね」
「そうですね。少し小腹が空いてきました。ここでお菓子を頂いてお庭でティータイムなどいかがですか」
「すごく素敵!」
「ではお菓子を頂きに行きましょう」
鶴羽はドアをノックして重たい扉をゆっくりと開く。間違って怪我をしないようにか調理場の扉は厳重だ。重たくギーッと鳴る音からすると私では開けられない事は間違いないだろう。鶴羽の影から扉の中を見ると複数の人が動き回る気配がして、ひとまず鶴羽の後ろに隠れる。鼻を動かすと扉を開ける事でより一層強くなった匂いは私の鼻と腹を刺激する。もし食事を終えていなかったならば、私の腹はとうに鳴っていただろう。
「すみません、菓子と飲み物を頂けますか?」
「はいよ。あんたが菓子を取りに来るなんて珍しいな」
「ええ。聖女様と頂こうかと思いまして」
鶴羽の声を聞いていたが、会話相手の声にも聞き覚えがあり顔を鶴羽の足のから離し、相手の顔を覗き込む。
「あれ、緑弥さん? 帰ったんじゃないの?」
一足先に向こうに帰ったはずの緑弥が、そこではオーブンの前で何かが焼けるのを見ていた。
「一度帰ったんだが、聖女様は今日はこっちにいるんだろ? 途中小腹が減った時用に菓子でも作っておこうかと思ってな」
「お菓子!」
「どうやら出番は思ったよりも早かったようだな」
先ほどから漂う良い匂いはどうやら私のためのお菓子だったようだ。
「成長したから食事量も増えたんじゃないかと思ってな。あれだけじゃあ、足りなかったろ」
この世界の人達は優しすぎる気がする。
「えっとね。お腹いっぱいにはなってるから足りないなんて事はなかったの。でもね私、緑弥さんのご飯大好きだから、たくさん食べられるようになったのが嬉しいの」
「……は、なあ鶴羽、こいつ可愛すぎねぇか」
「わぁっ!」
緑弥は先ほどまでいたオーブンの前から立ち上がり私の目の前までやってくる。そして私を抱き上げたかと思ったらそのままくるくると回った。こういう経験がなくどういう反応すれば良いかわからなかったが視界が高くなった事に少し緊張するもくるくると回るのがアトラクションのようで楽しさは隠せなかった。
「聖女様の可愛さにはとっくに気づいていましたよ」
「そうなんだけどさぁ、何て言うか自分の気持ちを伝えるようになってさらに可愛くなったというか」
緑弥は回るのをやめ、私を腕の上に座らせたまま鶴羽と話を続ける。
「そうなのですね。それは良い傾向です」
自分の話をしているというのに、どこか他人事のように思う。
「それって、わがままとは違うの?」
首を傾げながら聞くと、二人は少し思案しながら頷いた。
「そうですね。自分の思った事を伝えるという事と、やりたい事を伝えるという事でしょうか」
「気持ちを伝えるっていうのは、自分の事を知ってもらえるという意味でもあるな」
その言葉に思わず目を見開いた。
「知ってもらう為には、気持ちを伝えるのが良いの?」
「まぁ、そうだな。言わなくてもわかる事はあるが、伝えなければ分からない事もあるからな」
「……」
「難しく考えるな。聖女様の場合はまだ子どもなんだし、何でも口に出して良いんだよ」
「そうですよ。気持ちを伝える事も立派なレディへの道のりです」
私は黎翔に「私を知って」と伝えた。あれは完全に黎翔へ任せ切りの発言だった。二人の会話から自身を知ってもらうためには、私の努力も必要なのだという事がわかった。何もしないで知ってもらおうなんて傲慢だ。
そして知ってもらうには、他人の事も知らなければならない。私は自信を知ってもらう事だけに重きを置いて、相手を知ろうなどと考えた事がなかった。
目の前にいる二人ですら、緑弥の作る料理は美味しい事、鶴羽は優しいけれど、少し意地悪な時があるという事しか知らない。知っているの事なんて、それくらいだ。ずっと一緒にいてくれている霙や白鴎ですら私は、彼らの事を何も知らない。
「これから知れば良い」
「聖女様がもっと自身の気持ちを知らせてくれるならば黎翔様もきっとお喜びになられますね」
「そうなの?」
「ええ、もちろん」
今まで私は他人を知ろうなんて考えた事がなかった。だからこそ、他人を知れる余裕があるというのは、とても幸せな事のように思えた。




