017-4「かわいいね。何のお花?」イラスト付き
私はこの世界に来てから何かを「煩い」と感じた事が無い。しかしながら、徐々に近づいてくる騒音をどう紛らわせばよいのか分からない。先程まで静かだった行路は、気がつけば大きな声が聞こえ始めた。
身近で感じる大きなざわめきに不思議と恐怖を感じた。
「な、なに?」
騒音の正体が分からず隣の黎翔の服をぎゅっと握る。少し皺の寄った服に申し訳なさを感じるが、それよりもこの恐怖の行き場が分からない。
「問題ない。民が聖女を歓迎している声だ。多少賑やかでも許してやれ」
この大きな音が人の声だという事に心底驚く。これが人の声だとすると、この声の主たちは恐らくもう近くまで来ているのだろう。そう思い、深く腰掛けていたクッションから腰を浮かせる。先ほどよりもよく景色が見えるようになった所で、白い塊が目に付く。その白い塊は、いくつもの小さな塊が集まって大きな塊を形成している。ヴェールを被っているせいで、先程から視界が定まらない。
「もしかして……」
先ほどまで何も感じなかった白い塊は白茶の石畳と色がよく似ておりさして重要だと思わなかった。よく見るとそれらは一つ一つに意志が宿りまるで人のように動いている。
「あれって」
今まで壁だと思い込んでいたそれらは、どうやらこの国の民らしい。まだ少し距離があるとは言え、決して遠いとは言えない。人だと分かると一瞬で恐怖を土の底で眠らせた。
「聖女様ー!」
「聖女様よ! いらっしゃい、聖女様!」
「アンタのお陰で生活が随分と楽になったよ、ありがとう!」
「聖女様万歳!」
「今度うちの店にも遊びに来てよ!」
「バカ言え! 聖女様、来るならうちの店のほうがいいですよ!」
「おい、てめぇ!」
「これからもよろしく頼むよ!」
騒音だと思っていたものは一つ一つ意志のある温かくて大きな声だった。自分の声を届かせようと皆が声を張り上げているのが分かる。
思わず笑ってしまうような会話も、私を受け入れてくれる優しい声も、全部届いた。中には私の存在が気にいらない人もいるだろう。それでも、温かな声の方がよく届く。白一色という個性が失われたこの空間には多色の色が溢れていた。
「この世界には、たくさんの色があるんだね」
私は、今まで理解しているつもりでも、不十分だった。今まで知らなかった色がこの世界には溢れている。
「私も――」
この世界で生きていく。
「いろんな色を作っていきたい」
皆と一緒に。
馬車はゆっくりと歩き出す。時折焦れたように馬が駆け出そうとするが、黎翔の睨みで元の速度に戻る。民は相変わらず大きな声で叫び続け、その3割も内容を聞き取る事が出来ない。けれどもその多くは負の感情ではない事に安心感を覚える。
荷車から顔を出し、手を振り、時には声をもって民の声に応える。ふと後ろを振り向くと霙達が民から何かを受け取っている。箱だったり袋だったり。一体中身は何だろうかと気になるが今荷車を降りてそちらの方に歩いて行けるほど私の神経は図太くない。まさか金銭のやり取りをしているわけではなかろうかという不安も出てくるが、私がとやかく言ったとしても特に意味はないだろう。
そんな事を繰り返しながら進んでいくと、明るい空気がより一層明るくなったように感じた。他の表現をするならば空気が澄んだと言うべきだろうか。
「黎翔さま……」
「着いた」
疑問を黎翔にぶつけようとしたところ黎翔の声に遮られた。
「ついた?」
黎翔の言葉を繰り返しもう一度荷車を乗り出して前を見ると高いところに大きな鐘がそびえ立っていた。鉛白の鐘に乳白色の翼が付いている。私の身長よりもはるかに大きな鐘だった。家よりも高い所にそびえ立つ鐘は鳴らせば街中に音が響き渡るだろう。
「……」
不安から黎翔の手を強く握る。こんなに大きな鐘を私の力で鳴らす事が出来るのだろうか。
「問題ない」
黎翔はいつもの言葉で私をなだめ、抱き上げて荷車から降ろした。視界がさらに低くなり、鐘の位置も一層高くなる。
鐘の元へ歩いていくと、先程までに賑やかだった民たちは静まり返り、代わりのように鋭い視線が四方から飛び交う。その視線に悪意は感じないが、期待の重圧に押しつぶされそうだ。ぞろぞろと民も遠くから鐘を囲うように集まってきているのが分かる。恐らく先程バルコニーから見下ろした人よりも多くが集まっているのだろう。ヴェールがあって良かったと感じる。
先ほど感じた不思議な感覚が肌を突き刺す。鐘に吸い込まれていきそうな感覚に恐ろしさは感じない。
まるで、私の訪れを祝福しているかのような見えない光を放つ。私が鐘へと足を踏み出すと、まるで鐘を囲うように霙達は立つ。
「今、」
黎翔の声が聞こえたが、自分でも無意識に歩き始めた足を止めるすべを持たない。
「浄化の鐘を鳴らす時」
遂に鐘の下まで来てしまった。鐘から垂れ下がる紐は何処か古めかしく、それでいて新しい。色一つでこうも印象は変わるものなのか。
霙、白鴎を筆頭に、皆が膝を付く。それは民も同様だった。そして黎翔すらも。その中で一人立つ私は周りが気にならないほど鐘に視線を奪われる。
「聖女の誕生を」
鐘が私に話しかける。
鳴らせと――
「ここに祝福を」
強い力等必要無い。ただ、祈りを込めて紐に触れるだけで十分だった。
カーン カーン カーン
大きな鐘の音が数回に分けて鳴り響く。鐘の音以外の音がすべて消えた。今まで透明のように感じていた空気は、白を纏い街中……、いや、国中へと飛び交う。
まるで蛇亀のようにゆったりと。虎のように勇ましく。鳥のように軽やかに。龍のように雄大に。四方に流れてゆく白は人々に何をもたらすのか。
暫くは誰も声を発さず、顔すら上げようとしなかった。しかし、鼻をすする声だけが、耳に届いた。
私の周りにいるものの足取りが軽い事とは正反対に、私の帰路は足が重かった。疲れでも出たのだろうか。相変わらず民は有難いほどの歓声を上げてくれている。行路と同じ、、それ以上の歓声は少しずつ私の身に染み込んでいく。
歩みを進めていくたびに、どうしても違和感が拭いきれない。周りを見渡しそこでようやく気づいた事が一つ。男性、女性、老人。それらがいる中で子どもという人種が全く見受けられない。
「ちっちゃい子、いないの?」
「ああ、そうだな。子どもは少ないからな」
子どもが少ないという言葉を聞き、反対に大人が大勢いた事を思い出す。久しく耳から遠ざかっていた少子高齢化という言葉が口から零れそうになる。
「なんで?」
「我が種族は寿命は長いし、女性も少ないからな」
再び、日本で問題になっていた少子高齢化という言葉が口から出そうになる。女性が少ないという事はつまり子どもを産む人間が少なくなっているという事だ。この先の未来など、容易く想像出来る。
「聖女様と遊べる友だちでもいればよかったんだけどね」
「……」
それに関しては元年齢15歳の身からすると何も言えない。本当の子どもなど、相手の仕方が分からない為、寧ろ避けたい。
行路ではよく響いていた馬車のガラガラという音も今となっては聞こえない。もし声を色に例えると何色になるだろうか。優しい声は蒲公英色。冷たい声は鉄納戸。怒りの声は濡羽色。喜ぶ声は撫子色。人によって違う。今までだって悲しい色の怒りを見てきた。きっと、全てのものに色がある。感情にも、言葉にも、……命にも。
「聖女様、持って行ってよ!」
突如透き通る声が、私を呼び止めた。
横幅の広い女の人が私に小さな花束を差し出した。受け取って良いか分からなかったが黎翔の頷きを確認し、女性から花束を受け取る。
「ありがとぉ」
若草色の葉に卯の花色の小ぶりの花が下を向いて頬を膨らませている。
「かわいいね。何のお花?」
彼女は何故、この花束を差し出したのだろう。
「これはねぇ、鈴蘭ってんだよ。本当はねもうちょっと後に咲く花なんだけど聖女様の訪れを感じたのか、この花たちも一斉に花をつけだしてね。幸福、希望って意味だよ。聖女様がウチらの事を守ってくれるんだろう。ならうちらだってあんたの幸せくらい祈らせてくれよ」
何の敬いもない言葉だった。彼女は私を聖女として見ているけれど、ただの小娘としても見ている。それを聞いた時、空は勿忘草色に輝いた。
「ありがとう」
受け取った時同様の感謝の言葉をもう一度口にする。穏やかな優しい笑みが私に向けられていた。
※この画像はAI生成画像です




