017-1「あめちゃん、ください」
カーン カーン カーン
綺麗な鐘の音で目が覚める。ゆったりと鳴り響くそれは、まるで平和の訪れだ。とても大きな音だけれどゆったりと綺麗な音で鳴り響いている為、不思議とうるさく感じない。大きな車の音や犬の鳴き声で起床していた事を思えば、とても穏やかな目覚めと言えるだろう。
空はまだ薄暗く、日は出ていないように見える。けれど部屋全体が不思議と明るく見えるのだからそれは私の世界がそれほど輝いているという事だろう。この世界に来て2週間以上経った。短いようでとても長いその期間は私がこの世界に馴染むために十分な時間だった。冷たい地面を足の裏に感じながらベッドから降り窓の方へ向かった。用意されている台に乗り、そっとカーテンと窓を開けると、ちょうど朝日が昇るところだったらしく、部屋に一筋の光が差し込ん出来た。一筋温かさを感じると同時に少しの冷ややかさも部屋の中に入り込んでくる。けれど不思議とそれは不快ではなかった。むしろ頭をすっきりさせるその冷ややかさは冬特有の冷たさといえよう。
肌で季節を感じ取るというのはきっとこういう事だ。
「起きたか」
外から紛れ込む冷ややかな空気で体が冷えたのか黎翔も目を覚ました。
「ごめんなさい、起こしましたか?」
「問題ない。元より起床時間だ」
黎翔は寝起きもとても綺麗だ。まるで窓から差し込む光が黎翔を照らしているかのようだ。
「準備をしてくる。顔を洗って――――、何もせずにこのまま待っておけ」
黎翔は私に顔くらい洗っておけと言いたかったのだろうけれど黎翔の使っている洗面台が私に届くわけもない。頷いてベッドに戻ると黎翔も納得したのか風呂場の方へ姿を消した。何故夜に風呂に入っていたのに今もお風呂に入るのだろうかという疑問はあったが、この世界ではそういうものなのかもしれない。私も入った方が良いのだろうかと思うが、言われないのだから勝手な事をすべきではないだろう。もしかすると今日は披露会だから一層身なりには気を使っているのかもしれない。
「……」
今日は初めて、この世界の人と会う。おそらく緊張しているのだと思う。そうでなければこの胸の高鳴りは説明がつかない。喜びか期待かと聞かれるとおそらくそれは違うと思う。どちらかというと不安や恐れ。決して喜ばしい感情ではないものが私の胸にうずいている。私は何もしなくていいと散々説明を受けてはいるが、絶対に失敗出来ないと言う不安感が消えない。どうにかしてドレスの予備を使うような事態にならないようにしなければならない。
「暇か」
風呂場から出てきた黎翔はベッドの上に放心状態で座っている私を見てそう呟いた。黎翔はズボンは履いているが上半身は裸だ。おまけに髪も乾いておらず頭にタオルが乗っている。けれど一緒にお風呂に入った事がある私としては恥ずかしいという感情よりも風邪をひかないのだろうかという心配が先に立った。
「考え事してたから忙しいのですよ」
「そうか。髪を乾かしてくるから、その忙しい考え事にもう少し興じておいてくれ」
「はぁい」
黎翔は時折難しい言葉を使う。
髪を乾かし終えた黎翔は気がつけば、いつもおろしている髪を高い位置で1つに結んでいた。
「いつもと違う?」
「今日は披露会だからな。私たちにも聖女様の隣に立つものとしてふさわしい服装というものがある」
「ふぅん。でもとっても綺麗ね」
私としては褒めたつもりなのだけれど、黎翔は顔を横に背けてしまった。客観的に見れば上半身裸の男の人を褒める幼女というのは客観的に見て少々おかしい。
「それよりも、もう時期霙と白鴎が来る。準備をしておけ」
「はぁい。でも私に準備する事はないですよ」
「……心の準備でもしておけ」
それは今の私に一番必要なものだ。私が悶々と考え事をしている間に黎翔はシンプルなシャツと、とてもキラキラしたベストを羽織っていた。黎翔曰くこの後ジャケットも羽織るそうだ。きっとジャケットもとてもキラキラしているのだろう。キラキラしたものは好きだから見るのが楽しみだ。
「おはようございます、聖女様。黎翔も」
「私はついでか」
黎翔の発言とは異なり、まず現れたのは目の下に鉛色の隈をこしらえた彩月だった。
「彩月、その隈はどうした」
あの黎翔が無表情ながらに若干引きながら彩月に尋ねた。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません。ですがその甲斐もあり、聖女様の衣装は最高のものを仕立てる事が出来ましたっ」
興奮を隠そうともしない彩月に思わず私も一歩下がってしまう。
「そうか……」
黎翔も若干引きながら納得している。けれど彩月がこうなるのも仕方がないのだろう。なにせ昨日最初で最後の衣装合わせをしたばかりだ。そこから衣装を少し調整すると言っていたし、時間がない中むしろよくやってくれたと思う。目の下の真っ黒な隈がその証拠だ。寧ろ彩月は寝ていないのではないだろうか。
「彩月さん大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。今までで一番興奮しています」
「それは大丈夫なの?」
私はまだ彩月との付き合いが浅い為、決めつけたような事を言う資格はないけれど、彩月はもっと静かな人だと思っていた。
「改めて今聖女様に自分の作った服を着ていただくという事を実感して感動にうち震えているのです。私の作った服をこの世で最も尊いお方に着ていただけるという事実が堪らなく、こう……身体中に溢れ出てきて、………………昨晩は何もせずにはいられなかった」
けれどこの興奮の仕方は嫌ではない。むしろもっと親近感が湧く。
「あのね、私は私がどれだけ偉いのかよく分からないけれど、でもね。彩月さんのお洋服が大好きだから、彩月さんが作ってくれたお洋服を着れるのがすっごく嬉しいの。……ありがとう」
彩月が私ではなく聖女という存在の衣装を作る事に感動を覚えているが、どちらも私なのだから私が礼を言っても良いだろう。
今日は私がこの世界に来て15日目、いや、寝込んでいた2日を入れたら17日だ。とういう事は今日の日付は――。そこまで考えて言葉を放つ。
「あめちゃん、ください」
「急にどうした」
「何か食べたくなったの」
「……取ってくる。服を着ていろ」
私の急なお願いにも黎翔は承諾してわざわざ取りに行ってくれた。申し訳ない気持ちがありつつも、どうしても食べたかったのだ。私の部屋に行けばキラキラした飴があったけれど、きっと今それを取りに行く事は出来ないだろうから。
それよりも黎翔は私に服を着ていろと言った。まるで私が何も着ていないような言い方をする。パジャマはちゃんと着ているのに。だが、ドレスを着るならば1人では無理だ。彩月に手伝ってもらうしかない。そう思って彩月の方を見るが、気のせいでなければ彩月の目がキラリと光ったように見えた。
「えっと、彩月さん……?」
「何でしょう」
「いいえ、何でもありません」
白いドレスを持ってこちらを凝視している彩月を見れば、私から言える事は何もなかった。
「ドレス、着ましょうか」
「ハイ」
キラリと目が光っている笑顔の彩月を前に誰が「いいえ」と言えようか。言うつもりはなかったとはいえ、なんだか圧が怖い。
ドレスは昨日一度着ている事もあってスムーズに着られた。けれど彩月が言っていた修正箇所は私にはよく分からなかった。彩月が満足そうに頷いていたのだから私はそれで構わない。
「やはり聖女様は白がとても似合いますね。美しい黒髪によく映える」
「……」
私には、白髪の方が羨ましい。黒色なんてただ珍しいだけで、この世界では異端だ。
ガチャリと扉が開き、小さな瓶を持った黎翔が帰ってきた。
「口を開けろ」
黎翔の言葉通り口を開けると待ちわびていた甘みが口の中へやってきた。しかしながら思った食感とは少し違った。
「これあめちゃん? なんだかトゲトゲするよ」
この間食べた飴は表面がツルツルしていた。けれども今食べてる飴は表面がトゲトゲと出っ張っている。
「これは金平糖だ」
「こんぺいとう……」
聞いた事がある。まるでお星様を飴にしたようなお菓子だ。それが今口の中に入っているなんて信じられない。そして今食べたのが何味なのだろうかと味わうけれど、いくら考えたって味なんて分からない。先日食べた飴より小さい。それは味わっているうちにすぐ口の中から消えてしまった。
「黎翔様、もう1個」
口開けて催促すると、もう一つ分口の中に放こまれた。味わってみるけれどやはり味は先ほどのものと変わらない。砂糖の味とでも言えば良いのだろうか。先日食べた飴とは食感が違ってとても美味しい。
「聖女様、髪を結ぶので座ってください」
「その前に金平糖をもう1つください」
「……食べ過ぎは良くない」
「金平糖はちっちゃいから大丈夫です」
私の訴えは虚しく、黎翔は金平糖をくれなかった。
そして、彩月は私を椅子の上に座らせてしまった。私は15歳だから多少の我慢は出来るので大人しく椅子の上に座る事にした。ただし多少頬が膨らんでいるのは許してほしいと思う。
「あんなに美味しいものがあると教えたのは黎翔様なのに、くれないのはひどいです」
小さな声で文句入ってみるが、「教えてくれなければよかった」と思わないのは知らない方が後悔すると思ったからだろう。
この世界に来てから私の髪質はぐっと良くなった。櫛で髪の毛を梳いても引っかかる事なく下まで櫛が下りていく様は見ていてとても気持ちが良い。私のサイドの髪の毛が編み込まれていくのを黎翔はじっと見ていた。
「出来ましたよ」
髪飾りがドレスと同じ生地で作られていた為、まるで頭がドレスを着ているかのようだった。
「黎翔様、披露会頑張るから、あと1個だけ……」
「……1つだけだ」
黎翔はしばらく私とにらめっこをした後に、口の中に金平糖を1つ入れてくれた。
「黎翔も聖女様には甘いんだな」
「……我儘は言うべきだ」
もしかして我儘だと思われていたのだろうか。これからは気をつけよう。
「それでは聖女様はこれからもっと我儘を言うべきですね」
「?」
結局言った方がいいのか言わない方がいいのかどちらか分からない。
「後はヴェールを被れ」
「何で?」
「聖女は尊い存在だからだ。顔を隠すと決まっている」
ヴェールをかぶるならば髪飾りはいらなかったような気がするが彩月のこだわりがあるのかもしれないから口には出さないでおこう。
ヴェールをかぶると視界が一気に悪くなる。前が見えない事はないが出来る事ならば手をつないで介助されたい。そう感じたのが伝わったのか、ヴェールの前を上げられた。まるで新婦のウェディングヴェールだ。




