016-3「ありがとぉのぎゅう」
皆が代わる代わる衣装を持ってきてくれ、脱がされ、着せられ、髪をいじられ、と、なかなか忙しい一日だった。
私は立っていただけだけれど。
「なんか疲れたな」
緑弥が頭の上で腕を組みながら息を吐く。緑弥はここにいなくても良かったのだと思う。私が、緑弥にいて欲しくないという事ではなく、緑弥は料理人だからここにいる必要性がなかった。先日倒れてしまった私を心配していてくれたのだろうと思う。私が衣装を合わせている間、緑弥はずっと私の事を見ていたから。
「緑弥さん、ありがとぉ」
「ん? 暇だったからな」
てくてくと歩いていくと、緑弥にぎゅーっと抱きつく。
「どうした?」
「ありがとぉのぎゅう」
「ほんっと、可愛いなぁ」
緑弥も苦しいほど強く抱きしめてくれた。苦しいほどに温かい。
「ところで緑弥」
「ん?」
「明日の準備は?」
「下ごしらえは終わっている。あとは明日調理するだけだ」
「大丈夫なんだろうな」
「ああ、問題ねえよ。」
明日の披露会では緑弥のごはんが出る。美味しいニンジンがあると良いのだが。
私の中で明日が披露会がという実感が全くない。この世界の建物を2つしか知らないし、外に出た事があると言ってもこの2つの建物の行き来ぐらいだ。
でも私はこの世界の美しさを少しだけ知った。生きている人の明かりがあると知った。光り輝く星があると知った。優しい人が生きていると知った。私の声を聞いてくれる人がいると知った。
少しだけ知る事ができたこの世界だから、きっと私はこの世界で生きていく事ができると思う。
「明日は緊張するかもしれませんが、大丈夫ですよ。ここにいる私達は皆、聖女様と一緒にいますから」
「ほんと? 皆いるの?」
「ずっとそばには難しいかもしれませんが、それでも誰かが傍にいます」
「1人にはしないから大丈夫だ」
皆がいてくれて、1人ではないなら大丈夫かもしれない。
「明日は、良い天気だといいな」
「そうですね。その方が空も綺麗ですし、白い翼も良く映えます」
白い翼。私がこの世界に来て初めて見た鳥は真っ白な鳥だった。2回目に見た鳥も。きっと、この国の人が白髪なように鳥も白い鳥が多いのだろう。人の髪と鳥の翼の色に関連性はないとは思うけれど。
「それでは、部屋に戻ろうか」
霙の言葉を仕切りにして、皆が部屋に戻る準備を始めた。
「今日は帰るの?」
「明日は早いからここで休め。他の皆もそうする」
「そうなの?」
「あぁ」
城に皆でお泊まり。普段から部屋は遠いかもしれないが皆と同じ建物で眠っているから気持ち的には差は無い。
「私はどこで寝るの?」
「このままここで寝ろ」
つまり、黎翔と一緒に寝るという事だ。そこまで考えついたところで、ふとある疑問が私の頭の中をよぎった。
「黎翔様、ちゃんと寝たの?」
私が倒れていた間、私は黎翔の布団を占領して眠っていた訳だ。その間、黎翔の事だから、きっと私と一緒には眠っていないだろう。ソファでもどこでも寝てくれていればいいけれど、黎翔の目元を見ると、うっすらと目の下にあるクマを見つけてしまった。
「…………」
黎翔がそっと顔をそらすのが答えという訳だろう。周りを見渡せば、皆の目も少し赤く充血し、目の下にはクマができていた。私は、自分の事ばかりで、全く気づいていなかったけれど、皆、私を心配していた。皆が殆ど寝ずに様子を伺ってくれていたのだろうという事は分かった。
心配してくれた事に対して嬉しい気持ちがある反面、このくすぐったいような気持ちをどう表現していいか分からなかった。心配してくれた事への嬉しさはもちろんあるが、同時に申し訳ないような気持ちも湧いてくる。自分の服の裾を握ってみてもなんだか落ち着かない。
皆の目をみて、漸く実感した感情の処理の仕方が分からない。知らん振りは出来ず、かといって両手を挙げて喜ぶのも不謹慎だ。
「……もう寝ます」
結局表現しきれずに、どんな顔をすれば良いか分からなかったので、眠る事にした。布団を頭から被ると、皆の視界から私の姿が消えるので、少し安心した。
「まて、風呂が先だ」
布団を剥ぎ取って、私よ両脇を掴んで持ち上げるのだから、霙は容赦がないと思う。
「えー」
「明日があるから今日は何が何でも入るぞ」
「えー……」
私の不満なんて誰も気にしない。風呂は嫌いではないのだけれど入るだけでなんだか疲れてしまう。
「それなら私と一緒に入りましょうか」
脇を掴まれている私を霙から受け取ったのは績だ。
「績が入れるのか?」
「ええ。皆さんは明日の準備があるでしょう。私は、今のところ、暇……ではないですが、一番時間があるのが、私ですからね」
「私、自分ではいるよ?」
「却下です」
皆が忙しそうだから、風呂ぐらいひとりでするよという私の優しさだったのだけれど、すぐに却下されてしまった。まぁ、無理な事は分かっていたから言ってみただけだけれど。
「なら、今回は、績に頼もう」
績と一緒に風呂に入るのは初めてだから、なんだか緊張する。
――――という事はなく、気持ちの良い入浴時間だった。流石医者と言うべきか、優しい手つきで洗われ、蕩けているうちに終わってしまった。
「この世界には慣れましたか?」
湯船につかりながら績が私に問いかける。
「うん。優しい人達がいっぱいで、楽しいよ」
「そうですか」
「おままごとも、おえかきも、楽しいよ」
おままごとも、お絵描き帳も、「私のもの」
「聖女様がこの世界に来てくれて本当にこの国は明るくなりました」
「そぉなの?」
「ええ。見た目は然程変わらないかもしれませんが、空気がとても軽くなりました」
「……?」
つまり、私がこの世界にした事はさほど影響がなかったという事だろうか。空気が軽くなるだなんて、目に見えない変化だ。績は私がこの世界に来た事への意味を見出そうとしているのかもしれない。
「すみません、難しい話でしたね」
「だいじょぉぶ」
どうせならば、黒い靄がなくなったとか、悪い生き物が出なくなったとか、そういう目に見えた変化が欲しかった。そうであれば私がこの世界へ来た事に意味があったと、両手を上げて喜べるというのに。
「聖女様はこの国、……いえ、この世界で、とても尊い存在です。聖女様が苦しめばこの国が苦しむ。聖女様が喜べばこの国も幸せになる。聖女様はこの国と等しい存在です。それゆえ国と同じように大切にされる存在です。ですから、あなたはあなたが幸せになるためにこの国、人を頼れば良いのです。あなたが幸せになる事を疎む人はこの世界に一人もいません」
績は私を励まそうと、聖女について色々と教えてくれているのだろう。私の役割が「幸せになれば良い」と言われていた理由がやっと分かった。私が苦しめばこの国も不幸になる。私が聖女という存在だから皆が私に優しくしてくれる。この知らない世界で私がもし「聖女」ではなかったら、そう考えると恐ろしくて、温かい湯船の中だというのに芯から体が凍そうだった。
私の体がブルリと震えたのが分かったのか、績は私を抱きしめる。
「正直、あなたが聖女だろうとそうでなかろうと結局は皆どうでもいいのですよ」
績の突き放すような発言に、私は体強張らせる。
「皆ただ、単純にあなたの事が可愛いのです」
「え?」
突き放すような発言とは裏腹に、優しさに溢れた温かい声に耳をすませた。
「行動や発言、何をとってもただ可愛いのです。この世界に子どもが少ないという事もありますが、それを引いても私達はあなたが可愛い。だからあなたはこの世界で思う存分に迷惑をかけてしまえばいいのです」
「迷惑……、かけていいの?」
今まで、「迷惑をかけるな」としか言われてこなかった。こんな優しい言葉を、かけられた事が無かった。
「もちろん」
思わず目から、温かい物が流れそうになったので、急いで手で顔を覆った。
「眠くなってきましたか?」
けれど、そこで返事はしない。返事をすれば、きっとその声は震えてしまうから。きっと績は、そんな事よく分かっていた。
「眠ってしまっても良いですよ。ちゃんとベッドまで連れていきますからね。明日も早いですから。そうそう、明日は――」
それから績さんは、ゆっくりと呟くように、明日のお話をしてくれた。まるで子守唄のように、それは私の耳によく馴染んだ。
披露会は結構大掛かりな会らしい。私自身は準備にほとんど関わっていないから、どれだけ大変かは分からないけれど、数日で準備をするのは、ものすごく大変だったと思う。
「聖女様は笑顔でいてくれたら良いですからね。それが皆にとっての心の安らぎです」
この世界が暖かすぎて、どうして良いか分からない。私の体を撫でる手も、包み込む腕も、全てが優しい。一抹の不安も、寂しさも、全てを包み込んでくれるようだ。私はいつか、この国の人に安らぎを与えられるのだろうか。
今日も綺麗な星が空の上で輝いていた。




