016-1「それは……、寝すぎましたね?」
ドキリと、体が弾んだ。
この感覚には覚えがある。夢の中で落とし穴に落ちて、現実で飛び起きるのと同じ感覚。
他に例えるとしたら、――――――思い浮かんだ物はあるが、黒歴史と共に思い出されるので言いたくない。
横にいたみーを抱きしめると、怖い気持ちも落ち着いて来た。
「起きたか」
「?!」
誰もいないものだと思っていたから、驚いた。黎翔はベッドに腰掛け、本を読んでいた。今回も何の本を読んでいるか分からないけれど、難しい事だけは分かる。
「おはよぉ」
「ああ。……身体の調子は?」
「元気だよ?」
あぁ、そうか。昨日、夜中に寒いところに行ったから風邪を引いていないか心配をかけたのだろう。昨日は本当にいいものが見られた。あんなに美しい景色は生まれてじめてだと思う。昼間の青空と同じくらい、心が震えた。
この世界ならば、夕方も愛せそうだ。
そういえば、どうやって帰ってきたのだろうか。綺麗な景色を見て。その後の事を思い出そうにも上手くいかない。
考え事でもしながら歩いて帰ってきたのだと思う。考え事をしていたら時間が過ぎていたなんて、私の中では良くある事だ。
「お前はあの後、立ったまま眠った」
私の検討違いだった様だ。なんて器用なのだろうか。
「そして、それを抱き抱えて連れ帰った訳だが」
「ご迷惑をおかけしました」
そして、と黎翔は話を続けた。
「そこからお前は2日間目を覚まさなかった」
「それは……、寝すぎましたね?」
道理で頭がスッキリとしているはずだ。それだけ眠ったのだから、元気は有り余っている。
「翌日の朝は、……まず起きないだろうと思い寝かせておいたが、昼になっても、夕方になっても起きない。それだけ疲れているのだろうかと思い寝かせるが、夜になっても起きない。もしや風邪かと思い積を呼ぶが、悪い所は見当たらない。呼吸も安定しているようで、見たところただ眠っているだけだ。一晩様子を見ようという事で翌日を迎えるが、やはり目を覚ます訳でもない。霙と白鴎は守護者としてお前と繋がっているから、大丈夫だと答えるが、心配をしない訳では無い。霙と白鴎も鬱陶しくうろつき、緑弥はお前の鼻にニンジンを近づけるし」
思わず後ろに仰け反りそうだった。黎翔がこんなに沢山喋るのは初めて聞いた。霙と白鴎は鬱陶しいと言われてしまっているし、緑弥には何をしているのだろうかと突っ込みたかった。
けれども。
何より、心配を沢山かけたのだと分かった。
「えっと、ごめんなさい?」
悪い事をした自覚は無いけれど、心配をかけたのだから。
「無事なら良い」
頭を撫でられる感覚が気持ちよくて、目を細める。私が猫ならば、喉を鳴らしていた。犬ならば、しっぽを振っていた。うさぎなら鼻を鳴らしていた。
「体に不調は?」
先程と同じ質問を言葉を変えて行う。
「ないよ」
痛いところも無い、苦しい所も無い。
「私、怪我とか病気はすぐ治るのよ?」
そう言って数日前に転んで怪我をしたところを黎翔に見せる。赤みも無くなり、すっかりと元通りだ。もとより今回は寝すぎただけで、怪我でも病気でもないけれど。
ガチャリと扉が開き、入ってきたのは緑弥。
「聖女様が目を覚ましたって?」
美味しそうな匂いと共に緑弥が入ってきた。霙と白鴎も一緒だ。
「よく分かったな」
「霙と白鴎が何かを感じとったからな。丁度飯を作っていたから持ってきた」
くるるぅぅぅぅぅぅ
「聖女様、体調はどう?」
白鴎が私の目をじっと見ながら聞く。
「げんき!」
私がそう言うと霙も安心したように息を吐いた。
きゅぅぅぅぅぅぅ
「大丈夫なら飯にするか」
「ごはん!!」
ぎゅるるるるぅぅ
「それよりもまずは医者の私に知らせるべきでしょう」
ノックも足跡もなしに入ってきたのは積だ。
「良いタイミングで来たな」
黎翔が感心したように績にそう言う。
「普通はまず一緒に知らせるものではないのですか」
「抜け落ちていた」
「全く……」
績は呆れたように息を吐いてから私が眠っているベッドの横に座った。
「体調はどのようですか? 苦しかったら痛いところはありませんか?」
先ほどから何度もされているこの質問に先ほどと同じように答える。
「うん、元気」
強いて言うなら
「お腹空いた……」
「あー、さっきから腹鳴ってたもんな。ほら言っただろう。2日も飯食ってないんだ。飯の匂いで起きるって」
緑弥が私の鼻にニンジンを近づけた理由が少し分かった。ふざけてやった訳ではなさそうだ。緑弥的には眠ったまま食べれらる訳がないと分かってはいるだろうけれど、良い香りで起きたら万々歳というところだったのだろう。
「ほら食え」
緑弥が小さな土鍋を持って近づいてくる。良い匂いがすると同時に、またお腹が一つなる。
「その前に診察ですよ」
積から悪魔の一言が聞こえてきた。
「お腹減らしてる聖女様を我慢させるなんて鬼か」
緑弥がそう言うけれども、診察ならば仕方ない。
なんて、私がそう割り切れるはずもない。私は病院や診察の類が大嫌いだ。診察からなんて逃げたいに決まってる。
「積さん、先にご飯食べてもいい?」
「いけません。すぐに終わりますから、先に見せてください。もし体調に異変があったらどうするのですか」
「元気だもん」
「それを確かめる為の医者です」
そこまで言われてしまうと、私には返す言葉がない。
「じゃあ、ちょっとだけですよ。……本当にちょっとのちょっとだけですよ?」
「はい、直ぐに終わりますから」
「ちょっと」とは一体何分の事なのか、事前にきちんと話し合いをしておくべきだった。
私の腹の虫が十回なった頃ようやく食事にたどり着く事ができた。むしろ、私の腹がなったのに、績は全く取り合ってくれなくて、なんだか涙が出てきそうだった。
ちなみに体調に問題は無かった。
待ちわびていた食事が緑弥の手によって、目の前にやってきた。
「粥だ。すりおろしニンジンも入ってる」
土鍋の蓋を開けた瞬間に心地よい香りが漂ってくる。柔らかそうな米の上には、明るいオレンジ色が輝いている。
「ごはん!」
ようやく待ち望んでいた食事が目の前に来たのだから、喜びが隠せない。正直に言うと、もっとしっかり食べたい気分だけれど、緑弥がそれを許してくれそうにない。
「に~んじん」
まずはオレンジ色の宝石をスプーンで掬うと口の中まで持っていく。何も考えずに、口の中に入れたけれど、熱くて舌を火傷する事はなかった。決してぬるくはなっていないのだけれど、熱々すぎず、むしろ食べやすい温度だ。
積は、これを狙って診察をしたのだろうかという思いがよぎるが、それこそまさかだろう。
白くて、橙色のおかゆという宝石をどんどん口の中に詰め込んでいく。取られないと分かってはいるけれど、つい焦って口に入れてしまう。急ぐなと言われるほど急いでしまうのが、人間だ。何に急かされている訳でもなく、ついおかゆが口に入ったまま、次のおかゆを口に詰め込もうとしてしまう。
「誰もとらない。ゆっくり食べな」
「はむ」
ゆっくり食べろと言われてそう出来たら苦労しない。どうしてお粥ってこんなにも美味しいのだろう。優しい味で体だけではなく心も温まっていく。
食べ始めたら腹もう少しずつ満たされ始め、心も落ち着いてきた。そしてやっと周りを見渡せるようになった。
「……」
ずっと無言で私を観察し続けている黎翔。観察しているというよりもむしろ思い悩んでいるというような表情だ。
「どうしたの?」
スプーンを握ったまま黎翔に尋ねる。黎翔は眉を寄せ、口を開いたり閉じたりしながらもう一度口をつぐんだ。
黙っていられると逆に気になるというのが人間だ。緑弥も不思議そうに黎翔を見ている。言いたい事を
言うのが黎翔ではないのか。それこそが黎翔様の持ち味ではなかったのか。粥を食べながら待つ事数分。ようやく口を開いたと思った黎翔の放ったセリフが
「……明日の披露会は延期しよう」
これだった。
「え」
「は?」
「むりだろ」
「正気か?」
黎翔の言葉を聞いた皆からも心の声が漏れていた。
「いや、無理だろう。国民にも知らせを出しているし貴族への手続きも済ませている。街道も貸し切っているし、何より諸外国に聖女様の発現を知らせなければならない。……国王であるお前がそれを理解していない訳ではないだろう?」
「……分かってはいる」
珍しく黎翔様の端切れが悪い。目線をそらしながらつぶやくように言った。
「分かってはいるが、倒れたんだぞ。原因が分かっているならまだしも、何の脈絡もなく急に倒れたんだ。もしまた倒れたらどうする。特に披露会の途中で倒れたら国民の不安を煽る事は間違いない。聖女様自身も次は無事でいられるか分からない」
そういえば私は倒れたのだった。その事すら忘れそうだった。というよりも披露会はもう明日なんだという事に驚いている。心の準備をする時間はもう少しあると感じていたけれど、倒れて寝ている間にもう日にちが近づいてきてしまっていた。明日という事にとてつもない緊張が押し寄せるとともに、何とかなるかという謎の自信も浮かび上がってくる。一応私は子どもであるし、笑って手を振っていればなんとかなるはずだろう。しいて言うならば聖女が子どもという事に国民が不安を感じないかという事だけだ。
黎翔の心配は私がもう一度倒れた時にどうなるかという事だった。その可能性が必ずしもないとは言い切れない。私自身も否定しきれないけれど、今回倒れた原因は決して原因不明なんかではない。ならば原因は何かと聞かれると私には答える事ができないけれど、それでも。
「大丈夫!」
深く沈みかけていた空気を戻すようにあえて大きい声で叫ぶ。
「今は大丈夫!」
「……根拠は」
「えっとね、しんどいとかじゃなくて、教えてくれてたの」
「何を」
「分からないけど、覚えてないけど、たぶん神様がね、色んな事を見せてくれたの」
確証はないし内容も全く何も覚えていないけれど、そんな気がする。きっとこの世界に来た私がこの世界に馴染む事ができるようにこの世界の事を教えてくれた。私をこの世界に連れてきてくれた神様がきっとこれから私がここで過ごす事が出来るようにしてくれたのだ。
「「……」」
黎翔だけでなく、霙や白鴎、績や緑弥まで意味が分からないというような表情で私の事を見てくる。正直分からない事もない。私も自分で何を言っているのかよく分からないから。けれどそうとしか言いようがない。内容を全く覚えていないから、どんな事を教えてもらったのかも分からない。だから説明のしようがない。
「大丈夫」
だから根拠は全くないけれど自信を持って皆の顔を見ながらそういう。
「それに……」
「まだ何かあるのか」
「この緊張がまた別の日まで持ち越される事になったら私は緊張しすぎて倒れちゃうかも……」
「「…………」」
正直最後の言葉の方が私の本音だったかもしれない。
「まぁ、そうだな……。正直延期は難しい」
「当然だ」
黎翔が冷静になったのか、言葉を放つと、霙がそれに冷静に突っ込んだ。
「延期の理由はそれだけではなかったのだがな……」
息を吐きながらボソッとつぶやく黎翔の言葉が気になった。
「まだ何か理由があるの?」
「本来ならば今日の夕方あたりから街道の警備が始まるから人が一気に減る。もちろん脇には国民が聖女様を見られるように観覧はするが、道の中心には人がいなくなる。当日にいきなり街道を歩く事になると聖女も緊張するだろうと思い、今日の夕方から事前視察をする予定だった」
「行く!」
事前に通る風景を知っておくのと知らないのとでは心構えが全く違う。よし行こう。今すぐ行こう。全ては明日の私のために。と思ったのだけれど黎翔の最後の言葉が気になった。
「……ん?予定だった?」
「聖女様は2日も眠っていただろう。本来ならばそこで衣装合わせを行う予定だった為、明日は披露会だというのにまだ終わっていない。つまりこれから衣装合わせだ。事前視察ができない」
「な、なんと……?!」
それでは、ぶっつけ本番という事だろうか。
「大丈夫。前にも伝えたけど、手を振るだけでいいから」
白鴎の言葉にも安心できない。何やら台詞を言う必要性も出て来ていた訳でもあるし。
「私から言える事は一つだ」
黎翔がかつてないほど真剣な目で私を見る。
「はぐれるなよ」
人を小さい子ども扱いして。見た目的には間違ってないのだけれど少し心外だ。今まで私がはしゃいではぐれたり迷子になるような行動をしたと言うことだろうか。第一、披露会では緊張して迷子になんてなれるはずもないし、そんな度胸もない。
「絶対はぐれない」
ずっと誰かの手を掴んで乗り切ろう。




