013-2「ぐにゃぐにゃして難しい……」
いつも目に見えるものを書きたいと思ってから、お絵かき帳を開く。今は何も考えていなかった為、迷う。
「ごはん……、お花、飲み物、うーん、」
決まらない。これが色鉛筆なら、きっと何でも書く事が出来ただろうに。鉛筆の黒一色というだけで、とても難しくなった。いっその事黒いものを書けば、色の濃淡で下手に思われないかもしれない。黒いものは無いかと部屋の中を見渡してみるけれど、黒い色のものというのはなかなか無い。
頭をぐるっと物理的に回してみたら、黎翔が紙に何やら文字を書き込んでいるのが見えた。
「せい、じょ……さ、まの、」
これって、
「私の事?」
「ああ。披露会についてだ」
「ふぅん」
興味がないと言ったら嘘になるけれど、おそらく難しい内容だから、私が理解出来るはずもない。それにしてもこれが字だなんて。こんな絵の羅列がどうして意味を持つのか不思議だ。字なんて、見方によったら絵だ。その人にとっては日常的に使っている文字であっても、普段使わない人からすれば、それはただの絵。
そうは思うけれど、私はこの先、この国で生きていかなければならないから、読めるように、描けるようにならなければならないのだろう。
「えっと、『せ』は……、くるっと回って、こう?」
「惜しい。ここを跳ねる」
「ふむふむ」
やはりなんだか難しい。少しの違いでも別の文字になったりするのだろうか。あいうえお表みたいなものがあれば多少練習しやすいのかもしれない。
「じゃあ、『い』は」
「書いてみろ」
読むのは出来るけれど、書くのは難しい。私が文字を書くにはまず、読めないはずの文字をゆっくりと読んで、その文字を知っている日本の文字と知らないこの世界の文字とを照らし合わなければならない。そうしてやっと、この世界の文字が持つ意味に気付けるのだ。
「ぐにゃぐにゃして難しい……」
「それがこの世界の文字だからな」
遠回しに、この世界を受け入れろと言われているようだ。
「貸してみろ」
黎翔は私からペンを取り、紙にスラスラと何かを書き始めた。
「なんて書いてるの?」
「『空の聖女』だ」
「そらの、せいじょ?」
「この国の聖女という意味だ。書けるようになっておけ」
「はい」
黎翔はすでに私に興味が失せたように仕事に取りかかってしまった。そうなると私には他にすべき事がない。とりあえず黎翔の言葉通り、この文字の練習をするのが良いだろう。
黎翔の書いてくれた文字を見つめながら、それと同じ文字を下に書いていく。文字というより、もはや絵だ。黎翔の真似をして書いているとはいえ、文字を書いているという感覚が全くない。同じ模様を書いているという気分だ。けれども私の視界にはこれが文字として認識されているのだから不思議な事だ。
「『そ』……『ら』」
この2文字は書く事が出来た。私が書いたこの模様のような文字からも私の知っている日本語が浮かんで来たという事はうまくかけているという事だろう。
1文字1文字を書くだけで小さな作品でも描いているかのようだ。とても時間がかかる。これでは自分の名前を書くなどとんでもないだろう。ちらりと黎翔を見るけれど、すらすらとこの世界の文字を書いている事に尊敬を覚える。この世界の人からするとこの世界の文字を書く事はそれほど難しい事ではないはずなのに、元の世界の言葉にすら苦手意識があった私からすると未知だ。
私が苦戦しながら書いていると何やら黎翔からの視線を感じた。
「どうかしたの?」
「いや、それほど難しいのならば講師をつけようか」
「講師?」
「つまり先生という事だな」
先生という事は私に文字や勉強を教えてくれる人という事だろう。それはとてもありがたい事のように思える。けれども
「や」
私はそれを受け入れるつもりはない。文字くらいなら自分で書いて練習出来る。それに、まだ良いではないか。今はまだ。
「私、お勉強しないもん」
「そうか」
黎翔は特に怒るわけでもなく、呆れるわけでもなく、ただ淡々とそう言葉を返した。
「終わったの?」
「ああ」
文字の練習にもう少し飽きてきて黎翔の膝の上でうとうととしていると黎翔が私の両脇を掴んで私を床に下ろした。急に動かされた事に驚きを感じながらも立ち上がり黎翔に問いかけると仕事が終わったとの返事が帰ってきた。
「じゃあ、あそぼ!」
「何をして」
「お散歩!」
「まて、飛び出すな。上着は着ていけ」
部屋から飛び出そうとした私に黎翔は、上着を被せてくれた。
「終わったの?」
「ああ」
「うぅ、さむ……」
中にいると寒さを感じなかったが、庭に出た事で、肌に冷たい風が刺さる。行く前に黎翔が上着を着せてくれて助かった。
「冷えるな。中に入るか」
「やっ!」
せっかく出てきたばかりだというのに、どうしてもう入らなければならないのか。
黎翔とやってきたこの場所は、中庭のようだ。四方を建物に囲まれている。背の高い建物に囲まれているというのに圧迫感がないのは、この中庭がとても広いからだろう。
「お花いっぱいね」
綺麗。可愛い。美しい。
この花たちを指すのにふさわしい名前はなんだろう。
建物の白。
花の白。
土の黒。
黎翔の白。
私の黒。
白に囲まれたこの景色はモノクロのように見えるけれど、白という色がある。この場所で唯一はっきりと白ではないものは、土。土は、この白い世界で何を思って黒で居続けているのだろうか。白になりたいとは思わないのだろうか。
「誰がお世話してるの?」
「庭師だ。今は別の場所で作業をしている。」
花は枯れたら茶色くなるのに、ここにはその茶色がない。しっかりとお手入れされているという事だろう。
「……どうして、白いお花ばかりなの?」
「……象徴だ」
「ふぅん」
「聞いておきながら興味がなさ気だな」
「そ、そんな事ないよ?」
ただ、少し難しかっただけで。象徴なんて、壮大な言葉はすんなりと受け入れるには重すぎる言葉だ。否定してはいけないし、受け入れがたい。
思わず天を仰ぐと、視界に白くて速いものが映った。
「あ、鳥さん」
一昨日の朝に描いた鳥だろうか。真っ白な鳥だ。けれどよく見ると少し灰色がかってるような気がする。光の加減だろうか。
「おいで!」
思いっきり 空に向けて両手を広げてみる。来るはずもないと分かっているけれど、来てくれると、いいなと思った。予想通り 鳥は来るはずもなく、そのまま大空を自由に飛んでいた。もともと来るはずもないと分かっていたから、落ち込むわけもなく そっと手を下ろした。しいて言うならば、格好つけて大声で鳥を呼んだにも関わらず、鳥に無視をされている場面を黎翔に見られた事が恥ずかしい。いっその事見なかった事にしてくれないだろうか。
「はぁ、」
黎翔はため息をついて手を自身の口元に持っていった。
「?」
首を動かしげ、黎翔を見つめる。すると、
ピィーーー
という不思議な音が鳴り響いた。
「!?」
その音の正体は分からないけれど、黎翔の口元から響いたように聞こえた。
バサッ
私の視界を白が遮る。速くて、少し灰色で、でも真っ白。気づけばそれは、私の右肩を占領していた。
「えっ?」
一体どういうカラクリだろうか。もしかすると この鳥は 自然に生きている鳥ではなく黎翔たちが作った機械なのかもしれない。
そうでなければ納得がいかない。ただの人間が大空に飛ぶ鳥を地上に連れてこられるわけがないのだから。
「どうして鳥がおりてこられたの?」
「私達は鳥と相性が良い」
黎翔はきっと、空の住人なのだ。あぁ、そうか。ここは 空の国だから ここの住民は空の生き物と相性が良いのだろう。そう思わなければ自分自身で納得がいかない。
「すごいすごい!」
それでも自身の肩に鳥がとまるという体験はそう出来るものではない。興奮 あらわにしたいけれど、 鳥を驚かせないように静かに騒ぐ。
「これくらいの事、この国の人間なら誰でも出来る」
やはりこの国の人間は黎翔だけではなく他の住民も空の生き物と相性が良いのだ。空の国だから。どうせならばここの住民に空の生き物と仲良くなる能力を授けるのではなく 鳥が人間と仲良くなる能力を授かればよかったのに。そうすればこの国の人間ではない 私ももっと自由に鳥と仲良くする事が出来ただろうに。
「こっち、おいで」
鳥が乗っている肩に向かって 反対の手を差し出すと鳥は素直に私の腕に乗ってきてくれた。
「あれ?」
私の腕に乗った鳥は驚くほど綺麗な白色だった。灰色など全くないほど この世の全てから色を抜き取ったような綺麗な白 だった。
「黎翔様、この子、さっきは少し灰色じゃなかった、ですか?」
「……そうだったか?」
黎翔は心底不思議そうに首を傾げながら まじまじと私の手に乗っている鳥を眺める。まさか 鳥が入れ替わったという事もないだろうし 一瞬で鳥の色が変わったなどというマジックも起こる訳がない。だとしたら残された可能性としては 私の見間違いか 光の加減で少し暗く見えただけだろう。
「たぶん、きのせい」
「そうか」
そうだ。今は鳥の色はさして重要ではない。綺麗な鳥だ。体は真っ白で瞳は黒い。そのアンバランス さが より一層、白を際立てる。よく見ると くちばしは白のようで 薄い黄色だ。帰ったらあの絵にくちばしの黄色を足そうか。いや、 まだこの鳥が あの絵を書いた時に見た鳥と決まった訳ではない。違うか合っているかを試す方法はないけれど。
ツンツンと私の腕をくちばしでつつきながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように動き回る。まるでうさぎのようだ。この可愛らしいトサカがうさぎの耳に見えてきた。
出来る事ならば、ずっとこの腕の中で綺麗な姿を見せてくれたら良いのに。しかしそのような願いが叶わない事は分かっている。次の瞬間、鳥は小さくて大きな翼を広げ 大空へと飛び立ってしまった。
「あっ……」
地を生きるものと、空を生きるもの。相容れないと分かってはいるけれど、もう少し一緒にいたかった。その青空へ私を連れて行って欲しかった。私もいつか。
「時間切れだ」
私ががっかりした声を出したからそう言ったのだろう。鳥が飛んで行った原因は私にあるのではなく 鳥が空に帰る時間が来た。そういう事だろう。
「空が好きか」
「はい」
空が好きかという疑問に迷う事なく答える。おそらくこの感情は憧れだ。広くて大きくて自由な空に憧れた。一生手の届く事がない、夢だ。
「空だけじゃなくて、この国の色々なものが好き」
ここは 白が多いけれど、決して モノクロではない。世界がカラフルに色づいている。
優しい世界だ。




