013-1「一緒に行く!」
頭を撫でる優しい手が、暖かい。
もっとして欲しいのに、もっとその手を感じていたいのに、感じれば感じるほど、意識が遠ざかっていく。
なんとか意識を保とうと「んぅ」と声を上げるが、その声を上げた途端、手は止まってしまった。暖かな手が止まるのは不本意だったため、寝ぼけながらも手を掴み、頭の上で上下に動かすと、再び頭を撫でるのを再開してくれた。
その優しさに心地良さを感じたまま、私はもう一度意識を手放した。
瞼の裏では、白い手が揺れ、黄金の瞳が細められた。
「ん~ぅ」
ゆっくりと自分の意識が浮上していくのを感じる。起きたくないのに起きなければいけないという葛藤が働いているようだ。朝か、はたまた昼か、自分の感覚ではわからない。しかし、頭の上に感じていた温かな手が、今は感じられない事を寂しく思う。
「起きたのか」
意識は完全に浮上してはいないが黎翔の声が聞こえてきた。起きなければいけないような気はするのに、うまく意識が浮上しない。
「……気のせいか」
気のせいではない。起きたいのに寝たい。けれども、この暖かくて、ふわふわな布団がその邪魔をする。
わしゃわしゃと私の髪を撫でる黎翔の手は乱暴のように感じるけれど、やはり暖かくて優しい。そのぎこち無さや強い力も、不思議と恐怖心を煽らない。
目は開かないけれど、起きている証拠を伝えたくて、黎翔の小指をぎゅっと握る。
「起きているのか?」
小指を一回ぎゅっと握ると、黎翔は納得してくれたようだった。
「食事が出来ているぞ」
その言葉に、少しずつ瞼を開く。昨日よりも眉間の皺が少なくなった黎翔が視界に映る。よく、眠れたのだろうか。
人の側では、よく眠れない。今までそういう人に何人も出会ってきた。黎翔もそうではないかという可能性を考えてもいなかったが、
「……」
黎翔の様子を見る限り大丈夫だろう。
「起きたか」
「おはよ、ごさいます」
「よく寝たな」
高い位置にある太陽は、白い壁を雄黄に染めていく。この国で、一番太陽に近い場所。そして、一番空から遠くて近い場所。
黎翔に視線を移す。黎翔の服装は仕事に行くような格好ではなく、昨日の夜、私と一緒に眠った時の服装のままだ。もしかすると、起きてからもここに居てくれたのだろうか。
「おはよぉ」
嬉しくなって、もう一度、朝の挨拶をする。起きて、一人ではないというのは、とても嬉しいものだ。
「ああ、おはよう」
「服だ」
黎翔がクローゼットから当然のように私の服を出てきた。どうして黎翔のクローゼットに私の服が入っているのかは聞かないでおこうと思う。きっと霙か白鴎が、私のクローゼットから持ってきてくれたのだろう。
相変わらず、下から頭をスポッと通すだけなので着やすい。首後ろのチャックだけ黎翔に閉めてもらえば、着替えは完了だ。強いていうならば、自分でチャックすら閉められないこの手の短さが恨めしい。
「髪を結ぶ。座れ」
黎翔がソファーを指差したので、そこに座る。
「黎翔様、髪出来るの?」
本当に失礼ながら黎翔が他人の髪の毛を結ぶようなイメージが全くもって湧かない。
「これくらいは当然だ」
「へぇ」
この世界では、男性が女性の髪の毛を結べる事は、当然なのだろうか。出来る事が多いに越した事はないのだろう。
当然だという言葉を疑う隙もない程、黎翔は慣れたような手つきで、私の髪の毛を編み込んでいく。二つに分けた後、下の方まで三つ編みをして、それをくるんと巻いている。二つのお団子だろう。この髪型は可愛いから嫌いではない。
「よし」
黎翔は満足そうに頷いた後、私の髪から手を離した。
「ありがとぉ」
「いや……」
黎翔は、照れたように、そっと顔を背けたけれど、私の礼は受け入れてくれた。
「おっにぎり~」
髪を結んだ後すぐに届けられた食事は、私が好きなおにぎりがあった。
まるで、子どもの夢を詰め込んだかのような、幸せの代名詞。誰だって一度は食べてみたいも夢見続ける定番。
「おこさま、ランチ……」
一つのお皿の中におにぎり、ポテト、スパゲッティ、サラダ、ウインナー、デザートのゼリーが入っている。
遠回しに私に対して子どもと言われているようで、若干の不満が心を燻ぶる。
けれども。そんな不満を流し切るほどの多幸感が押し寄せる。
「おいしそぉ」
ずっと、ずっと。食べてみたかった。絵本の中の子どもたちは、いつだってそれを美味しそうに頬張る。時にはレストランで。時には、家庭で。
いつだって、一緒に。
私には、きっと無理だ。
なんて、夢のようなプレートなのだろう。このように特別感のあるもの、今まで食べた事がない。一つ一つを考えれば、どれも今まで食べた事があるものだ。けれど、一つのお皿に乗るだけで、全く印象が変わる。
私はお子様ランチを強請る年齢でも、他人にそれを求める立場でも無い。だからこそ、私はこの世界で、もう一度人生をやり直しているかのように感じる。
幸せで、とても幸せで、とても、苦しい。
どうやったって、私に空を掴む事は出来ないのだから。
「あれ、黎翔様は食べないの?」
「食べたばかりだ」
届けられた食事は私一人分。食べたばかりという事は、朝食を食べた後にまた布団に戻ってきてくれたのだろうか。
「そっかぁ」
「残念ながらお前ほど頻繁に飯は入らん」
「……」
もしかすると、燃費が悪いと馬鹿にされているのだろうか。それについては、事実なので今のところは、反論の余地もない。
「いただきます」
手を合わせて食べ始めるが、その間、黎翔は机に頬杖をついて、私を見つめていた。人が食べてる所を見続けるのは暇ではないのだろうか。私は見続けられると食べにくいのだが、この世界に来てからそれには少しづつ慣れて来た。黎翔に関わらず、ここでは物珍しいものを見るような目で見られる為、動物園の生き物にでもなったかのようだ。動物としての役割は飼われて愛想を振りまく事なので、そう考えると食事風景を見られるくらいはなんて事はないと思おう。
おにぎりは良い。温かな優しい手を思い出す。柔らかな塩気。味気ないのに幸せな味が詰まっている。これ程までに不思議な食べ物があるだろうか。真っ白で、キラキラで、黒とはほど遠い。
「それが好きか」
「うん、好き」
美味しいものはなんでも好き。
「ハンバーグも、うどんも、オムライスも、スパゲッティも、…………お野菜も、みんな好き」
「今、トマトの事を考えただろう」
「……」
気づかれている。
「まあ、良い。それよりも食え。時間が経つと腹が膨れて食えなくなるぞ」
「……!」
それは大変だ。喋りなどしている暇は無い。
「さて、私は仕事をしてくる」
食事を終えた私に黎翔はそう言う。
「……えー」
折角のお泊まりなのにという不満が思わず口からこぼれる。
「……」
黎翔も無言で私を見つめる。私だって負けていない。黎翔が仕事に行ってしまったら、私はする事がなくなってしまう。
「……急な案件が入った。すぐに片付ける」
渋々という言葉が似合うほど苦々しい表情だ。それはやらなければならない事か。ならば、
「一緒に行く!」
「は?」
それなら一人になる事もないし、暇にもならない。黎翔の仕事が終わったらすぐに相手をしてもらえるし。
「来てもつまらんぞ」
「いいの!」
「まぁ、一人にしておくよりはマシか」
「うん!」
「自分で納得するな」
我儘が、通ってしまった。なんて、優しい世界なのだろう。
大丈夫、きちんと良い子にしているから。黎翔の邪魔をしたりしない。
「いくぞ」
黎翔が差し出してくれた手を握る。いつもよりもっと、手が温かく感じた。歩きにくいだろうけれど、黎翔は文句一つ言う事なく、ただ無言で歩き続けた。
「そこに座っていろ」
たどり着いた部屋は目新しくもなんともない。少しだけ見慣れた黎翔の部屋だ。何度か入ったから見覚えはある。2人掛けの黒いソファを指さされ、腰掛ける。背もたれにもたれかかるとゆっくりと沈んていく感覚が心地よい。ちらりと黎翔の方を見るともうすっかり仕事モードだ。私の方を見向きもしない。
私はただ、黎翔が仕事をするのを眺めていた。そこでふと、黎翔も私の食事風景をじっと見ていたと思い返す。見慣れないものだと、じっと見てても飽きないとは、どうやら本当らしい。大人の人が仕事をしている姿をみる事なんてないから、飽きない。ペンの運び方や紙のめくり方、頬杖のつき方に足の組み方。色々なところに彼らしさが現れている。黎翔を知っていけるようで嬉しい。
ああ、面白い。
もしかすると黎翔も同じような思いだったのだろうか。私の事を知ろうとしてくれたのだろうか。
私が黎翔を見つめて、かれこれ数十分が経っただろうか。
「……暇か?」
ボーッと眺めていたから、急に話しかけられて少し驚いた。
「ううん、大丈夫。楽しい」
「何もしていないのに楽しいのか」
黎翔を見つめるので忙しいのだけれど、何もしていないと言われればそうかもしれない。というよりも、黎翔はこれだけ私に見つめられても集中力を乱さないで、よく仕事が出来るものだ。私に集中力がないといわれれば返す言葉もないが。
でも確かに暇になってきたと言われればそうかもしれない。仕事をしている黎翔を見つめても、これ以上新しい黎翔を発見出来そうもない。
「……もうしばらくじっとしていろ」
「はぁい」
良い子風に返事はしたものの、「じっとしていろ」と言われれば逆に動き回りたくなるのが人間だ。
「よーいしょっと」
ソファから立ち上がり、黎翔の下へ歩いていく。そして、横からよじ登り、黎翔の膝にお邪魔する。
「……何をしている」
「お仕事の見学?」
机の上を見てみると、紙が沢山あった。一見読めない字だらけだけれど、ゆっくりと文字を追えば、何となく知っている文字に変換される。
「ちゅう、お、うひろ、ば……の、き、せいに、つ……いて?」
ち中央広場の規制について。意味は全く分からないけれど、読む事は出来る。
「か、くう……?き、んし?」
こちらも読めるけれど、意味がわからない。
「……字が読めるのか」
「ちょっとだけ」
「そうか」
それから黎翔は私が膝に乗っている事を気にせず仕事をしてくれた。私が黎翔の服で遊んでも、身動ぎをしても、書類を触ってみても、悲しいくらい動じなかった。
後々思えば、私が見てはいけない書類等は無かったのだろうか。
「……書類仕事にもう少しかかる。どこかで遊んでいるか」
黎翔は呟くように私に問いかけた。もう少し、とはどれほどだろうか。体感的には数時間経っているのだけれど、おそらくまだ一時間も経っていない。私が暇そうにしていたからそう言ってくれたのだろう。ここの事は全く分からないから、一人で何処かに行っても確実に迷う。なにより、子どもが見て面白いと思うようなものはここには無いだろう。
「ここにいる」
「そうか」
それでも、暇そうにしていた私を見かねたのか、
「絵でも描くか? 好きなのだろう?」
と、提案してくれた。
「描きたいけどお絵描き帳ないよ?」
「紙ならば、その辺にある」
そう言って黎翔は先ほどまで仕分けたり書き込んだりしていた紙を裏返した。
「……えっ、いいの?」
仕事用の紙だろうに。こんな子どもの落書きに使っていいのだろうか。
「構わん」
黎翔が良いと言うならば良いのだろう。黎翔から鉛筆受け取り、紙に書き始める。黎翔の膝の上で描くと邪魔になってしまうだろうと感じたが、黎翔が何も言わないので良い事にする。




