008-2「これ、食べてみたいです」イラスト付き
「ほら」
私の目の前に真っ赤なトマトのスープが置かれる。さっきからしていた美味しそうな匂いはこれの事だったんだ。コンソメの匂いもしっかりする。
スプーンですくってみると、たくさんの野菜が浮かび上がった。一旦スプーンをスープの中に戻し、その中からニンジンだけをとりだす。そんな私の行動をみて、彼は「ぶはっ」っと吹き出して笑った。
「?」
なぜ笑ったのかは分からないけれど、ニンジンならば食べられる気がする。トマトスープは未知の物だから食べられるか分からないけれど、ニンジンと一緒なら多分大丈夫。
「いただきまぁす」
もぐっ、っとスプーンを口の中に入れる。
「!!!」
スプーンをくわえたまま固まる。
「……おい、どうした? 口に合わなかったか?」
彼の言葉にも反応出来ないほどの衝撃を受ける。口いっぱいに広がるトマトの香り。コンソメの風味。ニンジンの柔らかさ。なにより、出来たてによるあつあつの。ああダメだ。私の語彙力じゃなにも出てこない。
でもでも。
ふわわわわわわぁ、っと私の周りにお花が飛んだ。
「……ぶはっ、お気に召したみたいだな」
口いっぱいに頬張りながら全力で頷く。
「目は口ほどに物を言う……、か。本当にその通りだな。」
トマトとはこんなにも美味しい物なのか。これならば他のトマト料理も食べられる気がする。
「これなら生のトマトも食えそうだな」
彼の言葉に頷きそうになったものの、あの生のトマトの食感を思い出し、急いで首を横に振る。私の反応を見て、彼はまた笑った。
「こんなに聖女様に喜んでもらえるなら、光栄だな」
「んむ? 私の事、知ってる、ですか?」
「ああ。ここにいる小さいのは聖女様くらいだからな」
「そっかぁ」
彼は私の事を聖女様だって分かってたのか。確かに見知らぬ子どもにご飯を与えるわけが無い。私がトマトが苦手だって事は誰かから聞いたのだろう。
「聖女様1人だが、霙と白鴎は今なにをしてるんだ?」
「お仕事……、だと思います?」
「そっか。まあ、あいつらも忙しいもんな。特にこれから聖女様の披露会もあるから余計にな」
「……」
「ああ、別に聖女様のせいで忙しいって言ってるんじゃないぞ。寧ろ、その忙しさは2人にとったらご褒美だからな」
ご褒美。意味が、分からない。
「本来の仕事が出来るって喜んでるんじゃないか」
それなら良かったのだろうか。忙しい事が嬉しいだなんて変わっている。
「それよりも冷めないうちに食えよ」
「はぁい」
そっちが話しかけてきたのにという気持ちをスープと一緒に飲み込んだ。両頬を触り、それがちゃんと付いていたことを確認した。
「ごちそぉさまでした! 美味しかったです!」
「そりゃ良かった。おかわりは?」
「もうお腹いっぱい!」
彼は私の食器を片付けてから私の隣に座る。
「所でここまでどうやって来たんだ?」
「歩いて……、走って?」
この返答で合っているだろうか。
「あと、気のせいでなければ血の匂いがするが、どこか怪我したのか」
「え?」
「職業柄、鼻は敏感なんだよ」
確かに転びはしたけれど、怪我はしてない。驚いて涙が出そうになっただけだ。
「ほら、手見せてみろ」
強引に手を引き寄せてくる姿に、思わず手を引っ込めそうになる。
「……特になんもなってねえな」
だから、そう言った。
「ひぁっ!!」
何故か彼は突然私のスカートをめくった。私は急いでスカートを押さえる。
「な、何をっ?」
身の危険を感じながら、恐る恐る問いかける。早くここから出て行った方が良いのかと焦燥感に駆られる。霙と白鴎に服を剥かれた事はあったけれど、あの時は風呂に入るという目的があったからだ。けれど、今は違う。彼が何を思ってこのような行動に出たのかは分からない。
「あ、膝擦りむいてるじゃないか。」
「え?」
彼の口から出たのは意外な言葉だった。
膝を擦りむいている。
その言葉を聞いて自分で服を膝までめくって見てみると、確かにそこには擦りむいたであろう傷があった。出血もしていて、なかなかに痛々しい。けれども、怪我をした事に全く気がつかなかった。
「……気がつかなかったのか?」
呆然としながらも彼に頷く。
残念そうな顔で見てくるが、本当に気がつかなかったのだから仕方がない。
「たいした、怪我じゃないから」
この程度の怪我で見てもらうのは申し訳ない。出血はしているものの、痛みは特に感じない。
「急いで績に見てもらうぞ」
「ええ……」
私の探索は、たった数時間で終わってしまうのか。
そんなに急いで見てもらう必要はない。痛くもないし、言われるまで怪我してる事に気づきもしなかったのだから。
私のそんな気持ちとは裏腹に、彼はサッと私を抱き上げた。
「あのぉ」
「ん、何だ? とりあえず積の所に行くぞ」
「何だ?」とこっちを向きながらも私に全く拒否権はないようで、すぐに歩き出した。どうしてここの人達は私の事を抱き上げたがるんだろう。私は自分で歩ける。やはり私が小さく、歩くスピードも遅いからだろうか。もしくは、私が怪我をしているから、これ以上歩かせるのは良くないと思われたのかもしれない。その気持ちはすごくのだけど、本当に痛くないのだから歩くのは余裕だ。さっきまで走ったりしていたのだから。
途中、見慣れない表札を見つけた。医務室や私の部屋、霙や白鴎、他の部屋の表札も、何処も同じ様な表札なのにここだけはやけに異様に映る。けれども、シャボン玉を思い浮かべられるような色鮮やかさは嫌いでは無い。一体誰の部屋だろうかと眺めていると、「ナギの研究室」と言うような文字が見えた。
ナギとは何だろうか。人の名前か、それとも研究対象なのか。
しばらく抱き上げられたまま大人しくしていると、見慣れた扉が現れた。間違いなく医務室の扉だ。
「邪魔するぞ」
彼はノックもなしに医務室の扉を開けた。相変わらず私の苦手な医務室の匂いだ。
「お邪魔をするのは構いませんが、せめてノックぐらいはしてほしいですね」
邪魔するのはいいのか。
「績さん!」
「おや、聖女様ではありませんか」
績に対しての警戒心は働かない。彼の腕の中から、思いっきり績さんにむけて手を振る。
「今日はどうしましたか?」
「あのね、スケッチブックありがとぉございます!」
「そうじゃねぇだろ」
私はスケッチブックがとても嬉しかった。績に会ったら必ず礼を言おうと決めていた。だが、それも彼の言葉に無惨に切り捨てられてしまう。
績は私達の様子を見て苦笑した。
「お礼は受け取りますよ。どういたしまして」
床に降ろされ、今度こそ用件を伝える。
「よーいどんしてたら、つまずいて転んじゃった」
それを聞いた料理人は吹き出すように笑った。彼は、私が怪我をした事は知っていたけれど、なぜ怪我をしたのかは知らなかった。
少し失礼だとは思うけれど、私も他の人が同じ転び方をしていたら笑う。転ぶ瞬間を見ていたならば尚更だ。
「それは痛かったでしょう」
「ううん、大丈夫」
績の前の椅子に座ると、スカートをめくられる。
「……結構血が出ていますね」
績は席を立ったかと思えば、奥の方からふわふわしたティッシュのようなものと液体の何かを持ってくる。
あれは消毒というものではないだろうか。噂では結構しみるらしい。逃亡しようにも椅子に座っているから、後ろには下がれないし、逃げようと行動した瞬間に捕まえられる自信もある。
「ふふ、あなたは医務室が苦手ですが、ここに来る頻度は高いですね」
全くもってその通りだ。少し転んだくらいで大袈裟すぎる。この子どもの肌が弱すぎるのだ。
績は私の膝に消毒を垂らす
「ひぅっ」
冷たい感覚が肌を刺す。何度やってもこの感覚には慣れない。慣れたくもない。
「はい、もう大丈夫ですよ」
消毒を終えて、ガーゼも貼ってくれた積さんがそういう。転んだときの怪我よりも、その後の消毒の時の方が痛かったような気がする。
「ありがとぉございました」
「どういたしまして。また怪我をしたらいらっしゃいね」
「はぁい」
また来てねという言葉に対して、これほど心が踊らない事はないだろう。
「じゃあ、聖女様を部屋まで送ってくる」
「はい、お願いします」
どうやら帰りも送ってくれるようだ。道は覚えているけれど、送ってもらえるのだったらその方がありがたい。
探索はもう終わりだ。ここは広いから少ししか探索出来なかった。ここなら私はどこに行っても怒られないらしい。自分の家を動き回るのにわざわざ許可なんていらないだろうし、ずっと誰かが傍にいるのも変な話だ。
この家は私の家だというけれど、私以外にもたくさんの人が住んでいる。いわゆる家族のようなものだろうか。一つの家に誰かと一緒に住むなんて、家族以外の何者でもないと思う。
私はここに住んでる人達の事を家族と認識してもいいのだろうか。とはいえ、家族として認識するほど、私は彼らの事をよく知らない。出会ったばかりの、今私を抱いているこの男の人だってそうだ。信頼なんて言葉は私には重たすぎて使えない。
「着いたぞ」
考え事をしているうちに、いつの間にか私の部屋についたようだ。私を床に下ろしてくれたので、私は遠慮なく地面を踏みしめ、今朝散らかしていたおままごとセットの方へ向かって歩いていく。歩いてきたはいいけれど、ここまで送ってくれた彼にお礼の一つもしていない事に気付き、彼の元へもう一度走って戻ろうとする。しかし、私はとあるものを視界に入れてしまった。
「よいしょ」
それを持って彼の元へと、もう一度走っていく。
「ん、どうしたんだ?」
私がもう一度戻ってきた事が不思議でならなかったのか、きょとんとした顔をして聞いてくる。私が戻ったのは、お礼を言いたかった事もあるが、私の腕の中にあるものを見て欲しかったから。
「これ……」
私が今持っているのは、おままごとセットの食材だ。
「これがどうしたんだ?」
その反応は正しいと思う。確かにいきなりこれと差し出されても困るだろう。
「これ、食べてみたいです」
私が差し出した二つの食材に目を向けて、あれは「ああ、これか」とつぶやく。
「今日はもう食っただろ。明日作ってやるから」
「!」
私はこれが何と言う食べ物か分からなかったのに、さすが料理人だ。
やはりここは、伝えた言葉が返ってくる。
言葉というものは素晴らしいものだと私の頭の奥底の方に刻まれ始めた。
「約束ですよ!」
「ああ。約束だ」
いつも楽しみなご飯の時間だけれど、もっと楽しみになってしまった。あの人なら、私がおままごとで作った弁当をそのまま再現出来そうだ。
「んじゃ、また明日な」
「はい!」
そう言えば、彼の名前を聞いていなかったと気付いたのは、彼と別れてからだった。
それからお風呂に入った時に膝の傷を見て、霙と白鴎に驚かれたけれど、績に診てもらったと伝えると安心していた。
※この画像はAI生成画像です




