005-3「これなんていう飲み物ですか?」
くうぅぅぅぅぅ
犬のような音で思わず目が覚めた。
「おはよう」
「目が覚めたんだね」
まだ目は開かないけれど、霙と白鴎の声がしたのは分かった。どうやら私はいつの間にか寝ていたらしい。いつ眠ったのか全く記憶がない。しかもベッドに入った記憶すらないのだから、きっと霙か白鴎がベッドに連れて来てくれたのだろう。
「ぅあい」
どちらの手か分からないけれど、ゆっくりと私の頭を撫でているのを感じる。そんな事をされてしまったら、余計に眠たくなってしまいそうだ。額に少しの痛みを感じながら目を閉じたままゆっくり起き上がってみると、なんだかいい匂いがしてきた。
「いいにおい」
甘い匂い。今まで嗅いだ事のない匂いだ。思わずクンクンと鼻を動かす。
くうぅぅぅぅぅ
匂いを嗅いでいると、私が起きる原因となった犬の鳴き声のようなものがした。けれど、ここまでくるともう何の鳴き声かは分かる。
まごう事なき私のお腹の音だ。先程食べたばかりなのに。図々しいお腹だ。先程あんなに食べたというのに、まだ何かを欲している。本当に贅沢なやつだ。先程まで全く主張しなかったというのに良い匂いを嗅いだ途端、主張を始めるなんて、食いしん坊にも程がある。
などと、自分のお腹に文句を言ってみる。
そろりと目を開けてみると、すぐ傍に霙達の姿が映った。目の前の霙達だって、犬の鳴き声の原因を分かっているのか、私の方を見ながら笑っている。かろうじて声を出していないし、口元を手で覆っているが、あれはもう間違いなく笑っている。
「むう」
笑われたのが悔しくて思わず両頬を膨らましてみる。すると白鴎が私の両頬を潰すものだから、「ぶぶっ」と空気が抜けた変な音がしてしまった。怒りたいところだけど、私を布団まで連れて行ってくれたのだろうから怒るに怒れない。しかも先程まで散らかしていたままごとも綺麗に片付けてくれた様だ。更に怒れなくなってしまった。
「お腹が減ったか」
「……はい」
恥ずかしくて目を逸らしながら答える。お腹が鳴ったのは、美味しそうな甘い匂いがしたからだ。それを求めてお腹が鳴っただけだ。これは不可抗力というもので、私の意思ではない。
「何か食べたいです!」
ここまでくれば、開き直るのも大事だと思う。
「緑弥が聖女様にとお菓子を作ってくれている」
「おかし?」
緑弥というのは誰だろうか。話からすると料理人だと思う。私がまだ緑弥に会った事がない事だけは分かる。その内きっと会わせてくれるだろう。
どのようなお菓子を用意してくれたのか。お菓子といってもレパートリーは沢山あるし、私が食べた事のあるお菓子なんてほとんどないから、イメージがつかない。私としてはスナック菓子も食べてみたいところだけど、この世界にそれがあるのかは分からない。どちらかというと洋菓子が出てきそうだ。
だが、和食が出てくるのだから、和菓子の可能性もあるのではないだろうか。そして、日本人が転生している可能性があるのでは。もしかすると、ここの料理人が日本人だったり……。まさかね。
白鴎がドアの近くに置いてあったトレーを机まで持ってきてくれる。カバーが掛けてあるから、中身が見えないけれど、甘くて美味しそうな匂いが漂ってくる。早く開けてくれないだろうかと思うけれど、霙がキッチンの方で何か飲み物を準備してくれている様だから、そわそわしつつも大人しく待つ事にする。
霙のほうを見てみるけれど、鍋の中で何かを温めている事しかわからない。ココアかなと期待するけれど、匂いで少し違うような気がする。それにココアは先程飲んだ。もしかするとホットミルクかなと思うけど、それもどうやら違うみたい。今まで嗅いだ事のない匂いだ。
「待たせたな」
霙が3人分のコップを持ってこっちに来る。どうやら一緒におやつを食べてくれるようだ。コップの中身を見てみると、なぜか私だけ違う飲み物だった。
「これなんていう飲み物ですか?」
「ん? ああ、飲んだ事がないのか。これは紅茶という飲み物だ。聖女様の分にはミルクを入れておいたから、甘くておいしいと思う」
通りで先程ミルクの匂いがしたはずだ。独特な匂いがするけれど、果たして私はこれを飲めるのだろうか。飲んだ事がないものを飲むのは、ドキドキするけれど、試さないと美味しいかどうかもわからない。
「今日のおやつはこれだよ」
飲み物が揃ったところで、白鴎がトレイにかかっていたカバーを外してくれた。中から出てきたのは私も知っている食べ物だった。
「これ知ってます! たしか、くっきーですよね? 甘くておいしいって皆言ってました」
「食べた事ないのか」
「ないです!」
クッキーは多くの材料を使うし、高いから頻繁に食べられるものでもない。いつかは食べてみたいと思っていた。
出てきたクッキーは、丸い形で側面にはキラキラと光っている粉が付いていた。多分だけれど、砂糖だと思う。よくある白いクッキーだけではなく、茶色のクッキーや薄桃色のクッキーもあった。一体どんな味なのだろうか。
「いただきます」
一番手前にあった定番の白いクッキーを手に取ると、思った以上に柔らかくて力を入れると崩れてしまいそうだ。口に入れてみると、まず、砂糖の甘さが舌に届いた。砂糖だけ食べるのは甘すぎて気持ち悪くなると聞いたけれど、全然そんな事はなかった。むしろ甘くて美味しくて、もっと食べたくなる。多分少量だからそう感じたのかもしれない。口に入ったクッキーを歯で噛み締めると予想した通り、柔らかくて簡単にホロホロと崩れていった。
「おいしい」
味がする。思わず そう言葉に漏れてしまいそうだった。
口の中に広がる甘さは、今まで想像していたクッキーの味とは全然違った。全然違ってすごく美味しかった。思わずぽつりと呟いた後、手に残っているクッキーを迷わず口の中に入れる。先程は小さくかじっただけだったから、あんまり味が分からなかったけれど、今度は手に残ったクッキー全部だ。先程よりもしっかりと味がわかる。
「気に入った?」
まだクッキーが口の中に入っていたから、白鴎の問いかけに迷わず首を縦に振る。これはニンジンといい勝負かもしれない。ココアとも良い勝負。こんなに美味しいものが、私の口に入っているなんて信じられない。ニンジンの時も、ココアの時も感じたこの感覚はもう忘れる事なんて出来ない。それほど強く残った。
「うまいな」
霙もクッキーを口の中に入れて呟く。その後に紅茶を飲んでいるのを見て、私も飲み物があったのだと思い出す。少し熱いから息を吹きかけて軽く冷ました後、一口目を口に含んでみると、これまた予想以上の甘さが口の中に広がった、でもそれは決して嫌な甘さではなく、むしろほっとするような暖かさを心に届けてくれた。
それから茶色と薄桃色のクッキーを1つずつ手に取る。まずは薄桃色のかわいらしいクッキーを口の中に入れてみる。白いクッキーと同じように柔らかい噛みごたえでホロホロと崩れていく。多分これはイチゴの味だと思う。味も匂いもほんのりとイチゴが漂う。これも間違いなく美味しい。そしてイチゴとは反対の手に持っていた茶色いクッキーに目を向ける。見慣れなくてなんだか食べるのに勇気がいる。美味しいのだろうか。でも、霙と白鴎は美味しそうに食べているわけだから、きっと味は美味しいのだろう。
「はむっ!」
勇気を絞ってパクリと一口で食べてみると、間違いなく美味しかった。
「! これ、ココアです!」
しかも、私が大好きになったばかりのココア味だ。言われてみれば、クッキーの色とココアの色は似ている。あの粉は飲み物にとかすだけではなく、お菓子にも入れ込む事が出来るのか。何とも有能な粉だ。
「おいしい」
思わず二枚三枚とどんどん食べ続けてしまう。白いクッキーや薄桃色のクッキーも美味しかったけれど、ココアのクッキーはそれ以上だ。やはり私はココアが好きだ。むしろココア味だったらなんでも良いのかもしれない。
美味しすぎてどんどん食べてしまった事もあり、いつの間にかクッキーも紅茶も空っぽになっていた。
今までで一番美味しい。ニンジンの方がもっともっと好きなはずなのに、今までで一番美味しく感じる。それがなぜかわからないけれど、……いや、本当は分かっている。
また味わいたいと思うほどに、とても幸せで美味しかった。でも結局のところ、私はクッキーじゃなくても満足したと思う。




