030-4「黎翔様、抱っこ」イラスト付き
2人はしばらく空を飛んだ後に動きを止めた。ゆっくりと揺れる翼は2人の背でそれぞれ息をしている。空の遠い所で佇んでいる2人は、きっと地上なんて翼を休める場所でしかないのだろう。
この距離からでは2人が口を開いてるのかすら分からない。話が出来ているのだろうか。また、黙り込んでいないだろうか。神楽は我慢をしていないだろうか。
2人はなかなか動かない。遠い地上から見ている為、動きがないように見えるだけかもしれない。それでも2人の動揺や、焦りやは不安は伝わってくる。自分から進めた事とはいえ手を伸ばしても届かない距離にいる事に不安を覚える。
2人はぶつからなければいけない。当たってどうしようもないほど傷ついて、そして
砕けてしまえばいい。
そんな醜い感情が私の心の端でかすかに火をともす。けれどもそんな感情はすぐに吹き消された。
神楽が大きく翼を揺らし、その先がかすかに香楽の頬をかすめる。香楽はそれに圧倒されながらも、どこか安心している。彼らの話は終わりが見えない。けれども今ぶつかっている途中であるのだろう。
かさりと小さな足音が地上に落ちた。
「話は出来ているか」
今ここにいるはずのない人が私の横に立って空に浮かぶ2人を眺めた。
「黎翔様、どうしてここにいるの?」
彼は仕事のはずだ。近頃きちんと会話らしい会話が出来ていないが、今このような時間に、このような所にいていい人ではないという事は分かる。彼は私の相手をする暇がないほど忙しい人なのだ。
「2人の様子が気になった」
本当にそう思っているのか分からないほど淡々とその言葉を漏らす。まるで庭に咲く花でも眺めているかのような興味の無さだ。けれどその表情と裏腹に決して視線を2人から離さない。
「どうやら話は出来ているようだな」
黎翔は目が良いのか、ここから2人の様子もよく見えるようだ。私には口の動きが全く見えないから羨ましい。
「どうして今日お話するって知ってたの?」
「なんとなく、だな」
「へー」
どうやら黎翔は私にはない直感という勘でここまで来たようだ。腕を組み空を眺める黎翔の瞳の奥に空への憧れは一切ない。空は彼の居場所でもある。そして空の国の国王でもある黎翔にとって、空は味方でしかないのだろう。空を流れる雲も、大地を照らす太陽も、心を落ち着かせる空の青さも全てがこの国の民にとってあってしかるべきものなのだろう。やはりこの国の民は私とは違う。永遠と空を追い続ける私とは――。
「黎翔様はふたりの所に行かなくて良いの?」
私と違って自由に彼らの元へ飛んでいける翼がある黎翔は今すぐ傍に行って彼らの会話を聞こうと思えば容易に出来る。だがその結論は黎翔の表情を見ればすぐに否と言っているのが分かった。きっと彼らは2人で話をし結論を出さなければならない。黎翔もそう分かっているのだろう。そして神楽と香楽も。
そう空に浮かぶ2人に目を向けると
「?!」
神楽が香楽の腹部に一発入れた所だった。
「え、なっ、なんで?!」
喧嘩かと思い、止めるように黎翔に目を向けるが、黎翔は呆れた目で2人を見るだけだった。
けれどその理由も少し分かった。2人の間に不思議と「怒り」の感情は見当たらなかった。2人の間にある感情はどのようなものか、そう考えた所で黎翔が口を開く。
「……実は神楽に内密で香楽と手紙のやりとりをしている」
恐らく他の誰も知らないであろう事を私に漏らす。驚いたように黎翔を見れば、言うか言わないか迷ったよく分からない表情をしていた。手紙のやり取りをしていた。つまりは、香楽は神楽がここで働いていたという事を知っていたという事であるし、反対に黎翔は神楽の父親の存在を知っていたという事でもある。
「……とは言ってもそこまで定期的にしている訳ではない」
それでも。香楽にとっては息子の所在が分かる大切な一通だっただろう。一体どういうきっかけで手紙のやり取りが始まったのか。それを聞けば、どうやら神楽がここで働き始めた時にまだこの世界でいう未成年だった事から家に連絡が入ったそうだ。神楽本人には知らせていないらしい。そこで香楽から神楽が家を出て行った理由などを聞いた黎翔はそのまま神楽を働かせる事を了承した。
「彼は、神楽自身が能力に絶望している事に気づいていた」
それは、神楽が自身の能力に気づいた時だろう。
そこに香楽があの言葉を投げつけたのだから、神楽の心情は推し量れない、と黎翔は溢す。黎翔は、香楽から事の顛末を詳しく聞いたのだろう。私よりもずっと詳細に。
「言葉は、時折ナイフよりも鋭い」
目を伏せ、思いを馳せる黎翔。私もその言葉に同意する。
「放った言葉は取り消せない。………………いや、取り消そうとしなかった、というのが正しいだろう」
「え?」
黎翔は再び空へと視線を向ける。その先では、香楽と神楽が笑っていた。
「家にいて慰める事よりも、外に出て、その能力が役に立つという事を実感して欲しかった、と香楽は言っていた」
理想論。それが黎翔の表情から読み取れる。
「それも言い訳だと、零していたがな」
だが、当時の香楽はそれが神楽の心を慰める唯一だと、そう思ったのだろう。
一歩間違えれば、神楽はきっと――――。
そうなれば、彼の後悔は何処へ向かうのか。いや、後悔という生易しい感情では推し量れない。今回は結果的に良い方向へと落ち着いた。けれども、彼の中には黒い物がたまり続けていた。一体、いつから2人は絶え続けていたのだろうか。
最初に、香楽が神楽を――、絶望している神楽を、受け入れられたのならば、神楽の世界はきっと、もっと、輝いていたのに。
そう思わずにはいられない。
2人の鳥が、空を舞う。
「だが、彼らにはこれが必要だったのだろう」
結局、何が正解かだなんて分からない。正解なんてないのかもしれない。
世界で一番近い他人。
それが、家族。
「いいなぁ」
黎翔が金の瞳をこちらに向ける。
「何か言ったか」
「ううん、何も」
「そうか」
笑い合う2人は、話が終わったのか、少しずつこちらに降りてくる。まるで、天使が空から降りてくるようだと、そう思った。
風に吹かれた薄色が花びらを散らしながら空を羽ばたく。上から落ちる一粒の雫と、鉛白の羽根。まるで、現実味を帯びない。全てが物語の一部のように輝く。
「笑ってるね」
「ああ」
昨日見た、取り繕った笑い方ではない。今までを見せた事がないような神楽の笑い方で本当に話が出来たのだと理解する。どんな話をしたのか決して気にならない訳ではない。けれども、きっと私が聞いていい話ではない。私にとっては神楽が今笑っている。それだけで十分だ。
軽やかに地上に着地した2人は、嬉しさを隠そうともせずに優しい顔で私を見た。神楽は乱暴に私の頭を撫でた。そして香楽は黎翔に礼をした後、神楽と違って優しく私の頭を撫でた。
「帰るかー」
スッキリしたとでも言う様に空に向かって伸びる神楽の言葉に心臓を突かれる。
思わず足を止め、そのまま歩き続ける神楽と香楽に視線を止める。足音が一つ減った事に気がついた神楽は怪訝そうな顔で私へと視線を向ける。
「どうした」
神楽が声をかけた事で香楽も同じように視線を向ける。けれど何故かその眩しい視線にどうしても耐えられず、黎翔の影に隠れる。神楽からすれば訳も分からないだろう。けれども私の中には正当な理由がある。今私が黙っている理由。その正当な理由を言葉にする訳にはいかないからだ。
「黎翔様、抱っこ」
黎翔に手を伸ばし抱き上げてもらう。久しぶりの黎翔は暖かく、不思議と安心出来た。あぁ、このまま寝てしまいそうだ。今日はやけに眠たい。それもそのはずだ。昨日は遅くまで起きていたのだから。少し曇っているがほどほどに暖かい空気は私の体に突き刺さった。
「寝るのか」
黎翔の強い手が私の背に触れた。このまま、目が覚めなかったらどうしようか。目が覚めなかったら夢の中で、また会いたい人たちに会えるだろうか。今まで会った事の無い人にも会えるかもしれない。
「では、私はこれで」
その声はきっと黎翔に向けて告げられていたのだろう。香楽に顔を向ける勇気のないまま黎翔の胸に顔を埋める。
「また、いつか、……ここに遊びに来い」
照れたような神楽の声が私の耳まで届いた。それは間違いなく香楽に向けて言っている言葉だと分かる。けれども、それは私の眠気を吹き飛ばすような一言だった。
「ああ、また神楽に会いにここに来るよ」
その言葉を聞いて私は自分でも驚くほど安心した。けれどこの安心は神楽と香楽がこれからも交流を続けていく事に対してではない。ただの私の欲求だ。一度、……いや、二度も零したこの欲求は、それ以上漏らすまいと心にしまっていたはずだ。けれども。
「ふふっ」
安心した様に黎翔の胸から顔を上げ、頭を擦り付ける。黎翔から怪訝そうな視線をもらうが、機嫌がよい私の感情の行き場が今はそこしかない。
旅立つ香楽に手をふり見送る。
帰る場所とはなんだろうか。私にとっては今ここが帰る場所だ。身寄りのない私にとって、この世界のこの建物は唯一帰る事が出来る場所だ。けれども、そういう事ではないだろう。帰る場所というのは今の私のように物理的に帰ってくる場所があるという事でもあるけれど、自分の家とは違っても長年過ごしていた場所とは違っても、愛着が湧いていたり、思いが詰まっていたり。そういう場所も帰る場所になる。
きっと神楽にとっても此処はそういう場所なのだろう。
ああ、なんだか、気分が良い。今日は良く、眠れそうだ。
※この画像はAI生成画像です




