神楽と気に入らない聖女
気に入らないわけではなかった。ただ自分より小さな子どもをどうすれば良いかわからなかった。
傷つけたいわけでも壊したいわけでもない。ただ
「……ハァ」
あんな幼子に助けられたと思えばため息しか出ない。
自分もまだ子どもである自覚あるが、そんな俺よりも更に小さくか細く、頼りない。生まれたてと言われても全く遜色のないほどに弱々しい存在だ。そんな小さな彼女が聖女だと言われても信じられるはずもなかった。
彼女を聖女だと言われても信じらずに傷つけてしまった事は悪いと思っている。ただ間が悪かったとしか言いようがない。全て自己都合のものだが。当初、俺は苛立っていた。まるでままごとでもするのかというような幼子に向けた家具の設置。成長する事を見越して全てを小さくとまではいかないが幼子でも過ごしやすいような部屋の構造を短時間で考える。そして次は少し成長したから少女でも過ごしやすいような部屋にしてくれ。無茶振りかと言われれば全くそうとは思わない。俺ならば簡単な仕事だ。だからこそ、俺は遊ばれているのではないかと、依頼者を考えればあるはずもない疑心がうずく。たかが数週間という短期間で家具の変更を迫られるような成長を遂げるはずがない。人物自体が入れ替わらない限り。
そのような疑心を抱いていた直後にあれほどまでに小さな子どもに出会ったのだから納得すると同時に、このように小さな子どもにこの国を、世界を救えるのかと不安が募る。
そしてこの頼りない少女が壊れてしまわないか。それだけが疼く。
黒髪黒目の儚い少女は、それだけで聖女というには間違いのないものだった。正直目を奪われなかったと言われれば嘘になる。だがそれよりも、小さい子どもという印象の方が強い。
俺が聖女に対する知識が先輩たちより劣っているという事もある。俺は最近来たばかりでまだここの制度も聖女についても完璧に理解しているとは言い難い。
自分より小さな子どもに接する事などないに等しい俺は、正直この少女と接する事さえ苦痛だった。不敬を犯してはならない聖女相手だった事が更に俺の苛立ちを積み上がらせる。振り返れば、聖女が今の聖女でなければ、俺はとっくに断頭台に立っていただろう。けれども俺のあんな態度を見ても周りの奴らは注意どころか俺と聖女の仲を取り持とうとする。尊敬している先輩たちに「正気か?」と思ったのは何度だっただろう。今ならばわかる。先輩たちはみんな、聖女を聖女ではなく人として扱っているのだろう。俺が行き過ぎた言動をすれば間違いなく止められていた。だからこそ俺は許されていた。
そして正直止めて欲しかったと思った。
俺が言葉を投げかければ、聖女は不快そうに眉を釣り上げ、頬を膨らませる。時折泣きそうな表情に顔を歪ませるような事もあった。その度に自分が彼女を傷つけているのだと後悔の念を抱き、そして、反省と後悔を重ねたまま同じように暴言も重ねた。
反省と後悔をしても自分の本音を止められるほど俺は大人ではなかった。
正直嫌われていると思った。嫌われたと思った。別に嫌われても良いと思った。
けれども。
「何、お前。空飛べねェの?」
この世界には空を飛べない種族はいくらでもいる。この国と魔の国の民が自然と飛ぶ力を持っているだけで。この国の血を引いていても飛べないやつらはいる。別に珍しい事ではない。だが少なからず聖女に何かしらの期待をしていた俺にとっては、聖女はただの陸を生きるものなのだと知っただけだった。
だがそれは彼女の心を突き刺すのは十分な言葉だったようだ。まるで絶望を胸の中に閉じ込めたかのように小さく丸まり布団をかぶる姿は、ただの寂しそうな少女に見えた。
よく考えれば当然だ。聖女の背には浮遊に必要な翼がない。彼女は神に愛されていても、特別な存在であったとしても、ただの少女だ。この世界のどの種族にも属さない、ただの少女。それこそが聖女である所以。もしかすれば俺よりもずっと「1人」なのかもしれない。
相手の不幸を喜ぶ事は間違いだと分かっている。けれどもそれにいくらか俺の心は救われた。
いらないと思っていた俺の能力。この国にいる限り全く役に立たない。天使族ではない奴らには使う事もできるだろうが、わざわざ恩着せがましく使ってやろうとも思わない。それぞれの種族に誇りを持っている人たちからすればただの侮辱だ。
けれどもこの少女には、役に立つのだと思った。
今まで自分を自由に飛ばせる事や、物を浮かせる事にしか役に立ってこなかったこの能力。
「…………………………空、飛ばせてやろォか?」
それを可能にするのが自分の能力だと思えば。少し、胸が弾んだ。
思いっきりはしゃぎながら自由に空を飛ぶ少女。俺が飛ばせてやっているというのに、その表情はまるで初めて歩く事を覚えた子どものようだった。
俺がこの能力を解けば今すぐにでも床に叩きつけられるというのに、彼女は全く不安がる様子はない。どうしてこうも俺を信用できるのか。そこまで考えて別に信用しているわけではないと思い直す。きっと彼女はこの世界の誰も信用していない。当たり前だ。この世界に来てから数週間しか経っていない。そんな人たちを信用できると言われた方が信じられない。けれどきっとこの幼子はそれを表に出さない。自分と少し重なって見える。
知らない環境で、自分しか信じられない状況でなぜ彼女はこうも心折れずにやっていけるのだろうか。
一度彼女の心を折ってやった方がいいかもしれない。そんな考えが浮かぶが出会ったばかりの俺が何を言おうと彼女の心に刺さるものは何もないだろう。
食べ終わってからも心底楽しそうにするこの生き物が少し不思議だった。
彼女との時間は穏やかなものだった。仕事の休憩時間を利用して焚き火をする俺に興味深そうに近寄ってきた。彼女は知らないものが多すぎる。知っていても食べた事がないものも多すぎる。さつま芋も秋刀魚も栗も一般的なものであるはずのに、彼女がそれを珍しそうな目で見る。元の世界には存在していなかったのだろうか。だからこそ彼女にとっての「美味しいもの」は彼女にとって彼女の幸せになっている。気に入ったものをスケッチブックに書き記すその姿も、まるでこの世界の大切なものを一つ一つ見つけて逃さないようにしているようだ。幸せは逃げないと教えてあげたいけれど、言ったとしても彼女には伝わらないだろう。
何より俺は口が悪い。
俺の言葉で彼女を傷つけるのは本位ではない。彼女を聖女として見るつもりはなかった。彼女はただの少女であり好きなものに一生懸命なただの子どもだ。それは分かっているけれど。
彼女の採ったさつまいもの大きさに、やはり彼女は聖女なのだと頭に突きつけられた。彼女のほっとしたような表情が意味がわからないが例年よりも何倍もの量を収穫でき、しばらくは芋料理を楽しむのも良いかもしれないと考えた。
そしてさつまいもを運ぶ道中考える事は。
少しずつ能力を受け入れ始めているのかもしれない。
今まで誰かがそばにいる時は決して能力を使おうとはしなかった。馬鹿にされると思ったわけではない。ただ単純に自分の能力がこれなのだと周りに吹聴するようで嫌だった。
けれども俺は現にさつま芋を運ぶ段階でその能力を使っていた。こんな小さな少女の存在が俺の価値観を変えたと思えば口が引きつる。聖女というものは立ちが悪い。けれども聖女である事を含めて彼女なのだろう。
親父との関係も俺の中では完結していた。親父には親父なりの考えがあって、だからこそ俺にあのような言葉を言ったのだと分かっていた。当時は当然傷ついたし、親父に怒りも湧いた。どうすれば良いかわからないこの気持ちをぶつけたくて翼をもぎ取りたくなったし、何かに当たりたくもなった。
けれど落ち着いて考えれば親父はそんな事を言う人ではないし何か理由があったのだとすぐにわかる。今まで長い間一緒に暮らしてきた親父を思い返せばすぐに冷静になった自分もいた。普通はもっと怒ってもいいし殴ってもいいし、文句を言っても良いと思う。けれど俺はそうしなかった。俺にとって家から追い出された事は一種の挑戦のようにも思えた。今までずっと家の中で育ってきて、外の世界を知ろうとしなかった俺にとっては自立する機会でしかなかった。
俺はずっと幸せに暮らしていた。この神殿に来てからもずっと、俺は幸せだった。俺の能力が活かせる俺に向いている仕事があって、俺は受け入れてくれる先輩たちがいて、安心して生活できる環境がある。家に帰りずらいという点を除けば全くもって不満はなかった。
偶然とはいえ聖女が親父と現れた時は心底驚いた。親父も聖女も驚いたように俺を見た。俺は動揺した自分に驚いた。少しでも怒りを抱いた自分に驚いた。
完結させたはずだった俺の感情はどうやら行き場をなくして腹の底に溜め込まれていただけだったようだ。
それでも表情には出さなかった。親父の事情もなんとなくは把握していたから。
思えば全てが聖女の思い通りのような気がしてならない。俺と親父を再び空へと解き放った事も、聖女が俺と親父に話をさせようとした事も、聖女が俺と親父を再び出会わせた事も、聖女が親父と出会った事も、聖女が迷子になった事も、今日買い物に俺を連れてこようとした事も、俺が焼いた秋刀魚を食いに来た事も、俺と食事をするような関係になってしまったのも、聖女と俺が出会ってしまったのも。
全てが聖女の思い通りのような気がしてならない。それを不快だと思わない自分に一番腹が立つ。あんな小さな子どもにしてやられたとすら思う。けれどもその小さな少女よりも俺の方がずっとずっと子どもだった。
親父と一緒に空を飛んだ。何年ぶりだろうか。親子の絆を確かめ合うように、飛んだ。
久しぶりに飛ぶ親父の姿は、いつも見ていた光景と全く同じで、親父は昔のままだと頭に叩きつけられる。きっと優しい親父は目の前にいる。
能力を操り意のままに飛べば、親父は目を大きく見開く。この顔が見たかった。俺はこの能力を受け入れたのだと知って欲しかった。言葉では伝わらなかったから、せめて知ってほしかった。俺はもう大丈夫だと。親父の事を許していると。俺はこの能力と共にこれから先も生きていく。それを刻んで欲しかった。
「本当に、すまない」
動きを止めれば気まずそうな親父が目をそらす。けどその視線はすぐに俺と向けられた。昔から変わらない優しい瞳だ。親父の大きな手がずっと羨ましかった。俺も親父のように大きな存在になりたかった。たくましい背中を持ってみんなを守っていけるようなそんな立派な大人になりたかった。俺はまだガキだけれど、親父とはずっとずっとほど遠いけれど、それでも少しは大きくなった。親父と会わない間に大きくなった。好きな仕事だって見つけたし、頼りになる人だって見つけたし、世話をしてあげたい人だって見つけた。
俺は俺なりに生きている。
「私は、神楽に……」
言葉がなくても翼を見れば十分だった。親父の後悔は、もう十分に伝わっている。きっと俺が親父の言葉で傷ついたり怒りを持った分、親父はそれ以上の後悔に苛まれたのだろう。優しい親父だった。怒る時は怒るけれど、愛情が感じられない時なんてないほど俺に愛を注いでくれた。たった一瞬の嫌な出来事に支配されそうになったけれど、それよりもずっとずっと注いでくれ続けていた愛情の方が俺にとっては重要だった。
確かに自分の能力は嫌いだった。親父があそこで一言「立派な能力だ」そう言ってくれたら俺は救われていたのかもしれない。家を出る事もなかっただろう。追い出される事もなかっただろう。
親父はずっと後悔している。だからこそ俺は、「家を出た」。追い出された事にしておいた方が、親父の後悔が大きくなるだろう。だから俺は言わない。俺は半分は自ら望んで家を出た。だから親父は後悔すればいい。息子の大事な成長期を見逃した事に対して一生後悔し続ければいい。
親父の事情なんて、予想はできていた。俺に言葉を放った意図も、少しは分かっていた。
下へと視線をそらせば聖女がこちらを見ているのを感じる。やはり全てがあの少女の思い通りのようで気分が悪い。
親父の聖女へと向ける視線は柔らかい。子どもの頃俺はいつもこのような視線で親父から見られていた。そう思えば少しくすぐったくなる。
本当に厄介で不思議で立ちの悪い聖女だ。何も分からないようで全てがわかるような視線をしている。笑顔すら見せない少女の笑顔を見たいと思ってしまう。けれど、自分が彼女を笑顔にしてみせるとはどうしても言えない。ただ、彼女が嬉しい時にいつか自然と笑えるようになってほしいとは思う。
彼女はこれからもずっと面倒で生意気な子どもだ。彼女が背負っている荷物が重たくなった時は、それを蹴り飛ばすくらいはやってやっても良いと思う。
親父にどんなに言葉を浴びせても、俺に怒りはわかない。親父の後悔を募らせるだけだ。それは面白くない。
俺は全くもって親父に対して怒りを持っていない。そう思っていたけれど心に浮かんだ怒りは確かに俺のものだった。これを無視するという事は、俺は自分の感情に嘘をつくという事になる。
「一発だけ殴らせてくれ」
思いっきり殴った。俺の左手は少し痛んだ。けれど、全てがどうでもよくなった。どうでも良いほどに吹っ切れた。少し赤くなった親父の頬も、全てひっくるめてもらえるようになったのは不覚にも認めたくはないけれど、聖女のおかげだと思った。




