030-2「どうして今日は空から来たの?」
「…………来たか」
視線を空に向けていた神楽がポツリと呟く。思考を投げ捨て、神楽の視線の先へと目を向ければ、遠くの方に小さな鳥が飛んでいた。
群青色のカバンのようなものを持った小さな鳥はだんだんとこちらへと向かってくる。白い翼をバサバサと振りながらゆっくりと空をかける。空色の空に輝く白は雲よりも明るく星の様だった。
少し近づいた事でようやくそれが香楽である事に気がついた。この国では珍しくも何ともない白髪金目の姿は空ではとても輝いて見える。彼らの居場所は空なのだと遅れて理解した。
気まずそうな顔で近寄ってくる香楽は、私たちの目の前にゆっくりと足をつけた。
「遅くなったね」
そう言いながら翼をしまう香楽。この世界で翼を間近で見るのは2度目。真っ白で鳥より軽やかに飛ぶその姿に目が奪われた。その翼が私も欲しい。自由に空を飛べるならばなんと幸せな事だろう。
「秋刀魚を、持ってきたんだ」
群青色に見えた紺青のカバンの中から新鮮な秋刀魚が出てくる。動きはしないが、つい先ほどまで生きていたと分かるほど生気に満ちている。
「火は、用意をしている」
緊張隠しきれない神楽の声は少し固い。香楽もそれに気がついているだろうに、何事もなかったかのように神楽に秋刀魚を渡した。
「頼んだよ」
「ああ」
そういう香楽の声も少し固かった。香楽が秋刀魚を持ってきた理由。私には分からない。手土産のつもりなのか、気を使ったのか、神楽が好きだからと思ったのか。
理由なんて何でも良い。2人が再び手を取り合える関係となるのならば、きっかけなど些細な事だ。
てっきり持ってきた香楽が焼くのかと思っていた秋刀魚を、神楽も戸惑う事なく受け取り網の上に並べる。
横向きに3匹並んだ秋刀魚は大きい網に対してどこか不釣り合いだ。香楽のカバンの中を覗けば、秋刀魚はまだまだいるようだった。一度に全て焼いたとしても全部を一度に食べられるとは限らない。だから少しずつ焼くのだろう。
香楽とともに火から少し離れた場所へと腰掛ける。相変わらず暖かい空気が肌を包むのに、どこか寒い。
「寒くないかい?」
私の隣に座った香楽が震えた私を気遣ったのか声をかける。
「たくさん着てるから大丈夫よ」
再び視線を前に向ければ、網に乗った秋刀魚たちが少しずつ色を変えてくる。
パチパチと下からの熱に体を焦がしていく秋刀魚たちはどうしようもなく追い詰められている。
「……変わらないな」
ポツリと呟く香楽の声が耳に入る。「何が」というように視線を向ければ、香楽はさんを見つめながら私の耳まで声を届けた。
「昔はよく、家で秋刀魚を焼いていた。下ごしらえは私で、焼くのは神楽。自然とそうなっていたんだ」
家で秋刀魚を焼いていた。きっとその時は今のように七輪ではなく焚き火で焼いたのだろう。きっと神楽はあの頃の事を再現しようとしているのだ。私が知らない2人の過去。それが温かいものであればいい。
自然となされた役割が今も尚続いている。とても尊い事のように思える。変わりゆくものばかりの世の中で変わらないものもあるのだと、心に刻む。
「私は小さい頃から秋刀魚が好きだったけれど、焼くのは得意ではなかったんだよ。焦がしてしまうからね。だからいつも神楽が焼いてくれていた」
遠くを見るように、神楽を眺める香楽の目は優しい。
昨日も聞いた答えを再び問いただしてみたくなった。それをしても無駄だと分かっているのに。
「いい匂い」
秋刀魚の少し声かけた匂いが鼻に届く。不快感を感じない優しい匂いだ。
「香楽さんは」
声をかけると視線を私の方へと向けてくれた。
「どうして今日は空から来たの?」
昨日のように歩いてこなかった事を不思議に思った。飛んでくるのが悪い事ではない。寧ろ彼らにとって、飛ぶ事は歩く事と同意だ。ただの手段の一つでしか無い。だからこそ不思議だった。
翼があるにも関わらず、私は今まで誰かの無意味に空を飛ぶ姿を見た事がなかった。
彼らはどういう時に飛びたくなるのか。何故空を生きる彼らが地上に足をつけたのか。陸を生きる私には分からない。
「私たちは皆、空を居場所としているけれど、同じくらい地上にも大切な場所なんだ」
「そうなの?」
「ああ。空を飛ぶ事は、本能なんだ。こうやって地上で翼を休められるからこそ飛ぶ事を楽しめる」
つまりは、今日空を飛んで来たのには大した理由は無いという事か。飛びたいから飛んだ。私が走りたいから走ったというのと同じ様な感覚なのだろう。
「聖女様は、空を飛びたいと思うのかい?」
「うん、思う」
空は私の憧れだ。何処にだって行ける翼が、私にはない。
「お兄ちゃんがね、お空を飛ばせてくれたの」
「そうか……」
何処となく安心をしたように穏やかな表情になる香楽。
「なら、神楽はあなたのおかげで救われたんだね」
「え?」
秋刀魚ををひっくり返す神楽を眺めながら香楽は呟く。
「自分の能力を活かせる相手が初めて出来たんだ。嬉しくない訳がないよ」
家から去った神楽を知っているかの様な発言に心を揺さぶられるが、今の彼の発言は神楽の事を知っているというより一般論だろう。
「香楽さんにも、そういう事あった?」
「……ああ」
手元に落ちていた小枝を放り投げ、火の中へと入れる。こんなに遠い所から投げて目的場所まで届くものだ。
「お兄ちゃんはね、とてもすごいのよ。お仕事だっていろんなもの浮かせて、すぐに終わらせちゃうの」
「そうなのかい?」
「うん。最初に私の部屋を作ってくれた時も、あっという間だったのよ。まるで魔法みたいなの」
「へえ」
面白い話を聞いたとでも言うように香楽の目は輝く。
「他には?」
「他って?」
「何でも良いよ。神楽の事ならば」
「じゃあ、私がお兄ちゃんに初めて会った時の事ね」
香楽に神楽の事を全て吹き込むつもりで話を始める。
「チビとか、ガキとかって言ってくるのよ! お兄ちゃん、お口悪いのよ」
「……そ、そうなのかい」
恐らく香楽は私が悪口を吹き込むとは思っていなかったのだろう。神楽の良い話が聞けると予想していたのだろう。けれども傍から見て、神楽が私にしている優しい関わりというのは目に見えないものだ。
どうしても私の口も悪くなってしまう。
「後ね――――」
ともに出かけた時の事。眠った事。笑ってくれた事。空の旅をした事。暴言を吐かれた事。思い出せばもっともっといくらでも出てくる。
けれども。神楽の話で私が知っている事と言えば、そう多くない。出会ってからそれほどまでの時間が経っている訳ではないのだから。けれど秋刀魚が焼けるまでには十分な時間だった。香楽は珍しい話を聞くように、時折相槌を打ちながら最後まで話を聞いてくれた。
「話してくれてありがとう」
そう言って香楽は立ち上がり焼けた秋刀魚の元へ向かう。そんな香楽を引き止めるかのように「でもね」と呟く。
「酷い事は沢山言うけどね、酷い事は絶対しないのよ」
私の言葉に香楽は振り向いた。
「お兄ちゃんは、いつだって優しいの」
人はきっと簡単に変われる。人の優しさに触れたり人の醜さに触れたり。そんな簡単な事で人は180度変わってしまう事もある。けれどもきっと、根本的な所は何も変わらない。
「そうか……。神楽は変わっていないんだね」
「うん」
香楽の中の神楽はいつだって優しい。けれどもその優しさを当然と思い切ってはいけないのだ。優しい人が損をする世の中になってしまうのだから。
「何話してたんだよ」
訝しげな神楽の目線が私に向けられる。
「え、えっとぉ……」
目線をそらせば、神楽の視線がより痛くなる。誰が本人に向かって「あなたの悪口を吹き込んでいました」等と言えよう。正確には悪口を言おうとした訳ではないが、私から見た神楽を正確に伝えようとするとそうなってしまった。香楽を見れば苦笑交じりの表情で神楽を見た。
「聖女様が神楽の事を好きだと言う事が良く分かったよ」
答えになっているようでなっていない返事を神楽に向けた。確かに間違ってはいないけれど、それは正直に言われると少し恥ずかしい。けれど私は見た目的にはまだ小さな子供だから好きをばら撒いても不思議ではないだろう。
神楽は納得はしていなさそうだったけれど、取り敢えずは追撃を諦めてくれたようだ。
「さあ、食べようか」




