029-5「私は、嬉しかった」
だが、分からない。まだ肝心の答えを聞いていない。私は香楽が「あのような事」を言う人に、どうしても思えない。
「……香楽さんは、お兄ちゃんに何を求めていたの?」
穏やかな彼が。息子を求めている彼が。何故あの様な言葉を放ってしまったのか。いくら能力に不満をいだいたからと言っても、香楽が神楽を追い詰めるほど攻撃的な言葉を放ったとは考えにくい。
「兄が……、病にかかっていた」
苦虫を潰したような、何のとも言えない表情は、いつかの神楽を彷彿とさせる。空を眺め、もう一度地面を見つめてから、もう一度空を見上げる。
「聖女様は、治癒能力というものは聞いた事がありますか?」
治癒と言うものは聞いた事があるが、それは能力としての治癒ではない。
「ないのよ」
香楽は諦めたように笑う。
「そう、……なのですよ。治癒なんて、お伽噺の中の空想上のものです。私だって、出会った事がない」
けれども、その空想に縋るしか、なかった。彼はそう溢す。
「神楽はまだ能力が発芽していなかった。だから、………………もしかすると、と。期待していた。」
勝手な期待を押し付けられて、そうして期待外れだと突き放された。
あまりにも身勝手だ。
けれども、だからといって、無責任に香楽を責められない。
命がかかっていたのだ。一人の命と、一人への期待。天秤にかけた時どちらを取るか。難しい。
きっと、香楽の兄は助からなかったのだろう。だからこそ、神楽は家を出た。
香楽も余裕が無かったのかもしれない。
「今も、治癒魔法を使えたらって思う?」
「…………分からない」
迷子の子どものような目で、香楽は呟く。
「兄が助からなかった事で、奇跡は……起きないと、分かった。命の終わりは、決まっているもので、何人たりとも覆すものではない。兄の死は、きっと……、そう、決まったものだったんだ」
まるで納得させる為に言い聞かせているみたいだ。自分自身に納得させる為に。
「誰だって、……だれにだって、死は訪れる。兄はそれが少し早かっただけだ」
「……」
「それが、分かっていたのに。私は、分かっていたはずなのに……。何故、望んでしまったのだろうか……――」
死。
それは人にとって、生き物にとって、抗いようの無いもの。終わりのこないものなんて、きっと無い。永遠なんて、きっと無い。
それでも私は、永遠を信じたい。永遠なんて無い方が良い。永遠にこの夢が続けば良い。早く夢から覚めて、私の望む世界へと行きたい。
「香楽さんは、どうして私を子どもとして迎え入れようと思ったの?」
それほど心に刺さっているのならば、子どもをほしいとは考えないだろう。何故今更、初対面の私を子どもとして迎え入れようと思ったのか。たとえ冗談だったとしても、何故その考えが出てきたのか。
「聖女様が…………。君が、神楽に似ていると感じたんだ」
「私とお兄ちゃんが?」
「何処がと言われると、明確な答えは見つからないが、何となく、そう思ったんだよ」
香楽が私の眼の前に座る。外れていた視線が、漸く合った気がした。
葉が、まるで花びらのように降り注ぐ。丁子色や赭の葉が私や香楽の頭部に溢れる。
香楽は私の頭の上の萌黄をそっと地面に落とす。
「そうすれば…………、息子が帰ってきてくれる気がした。ただの贖罪だ。息子にしてやれなかった事を君にして満足しようとしていただけかもしれない」
色が消えた私の頭をひと無でして、立ち上がる。
「結局は、私の自己満足だよ」
「そっか。……………………でもね、」
私も立ち上がり、上にある金色に視線をやる。
「私は、嬉しかった」
冷めた手と、温かい手を握り、先ほどの場所まで戻る。静まり返ったそこは、暗くなる準備をしていた。
「また、明日……。来ても良いかい」
「うん、良いよ」
今日の覚悟を明日へと持ち越そうと言うのだろう。それでも、明日は話をしてくれるかもしれない。長年進まなかった関係が、もし明日変わるとするならば、彼らにとって、意味のある1日となるだろう。
建物に触れそうな太陽を眺め、そっと手を離す。
薄く赤色に染められた白は、背景に消えてしまいそうなほど儚い。
「どこも行っちゃ、だめよ」
「うん?」
「ちゃんと、明日も来るのよ。お兄ちゃんと、お話するの」
「……ああ、約束しよう」
建物に触れ、そして隠れ、当たりの光が無くなる。空が、休む時間だ。
「夜は冷える。君も、早く中に入ると良い」
「うん」
先程まで魚の匂いが漂っていた場所は、草木の爽やかな匂いが、冷たさに乗って運ばれる。
「そうだ。明日は、私が秋刀魚を持ってきても良いかい?」
「香楽さんが持ってくるの?」
「…………この時期は、どうしても沢山買ってしまうんだ」
「私も秋刀魚好きだから嬉しい!」
昨日20買った秋刀魚は、きっと直に無くなるだろう。
「明日、待ってるのよ」
私が飛び出した事で、本日話す機会が失われた。きっと、明日こそ。
ああ、今日はやけに腹がすく。
部屋の窓から覗く空は、いつだって遠い。
「きらきらな、お星さま」
空で輝く星は、3つの団子も、大きな砂時計もない。
空の広さに、世界の広さに、
世界の遠さを脳裏に刻む。
一番光る星は、黒に支えられて、眩しいくらいに輝く。きっと、あの星にも誰かが住んでいるのだろう。きっと、どうやったって、あの星まではいけない。
月あかりに照らされている『ほしぞらのキャンプ』にも、星まで旅する事は描いていない。今日見た雲は、何処まで流れていくのだろうか。
「まだ、寝てねェのか」
暗闇に、突如銀色の光が映り込む。
「お兄ちゃん? どうしてここに?」
私の自室に音もなく入りこんで声をかけたのは神楽だ。
「何となく、気が向いてな」
顔を反らしながら、私の部屋を見渡す。
「そんなに静かに入ってこなくても、声かけてくれたら良かったのに」
「寝てるガキを起こす訳にはいかねェだろォがよ」
腕を組みながら、ベッドサイドの椅子に腰掛ける。
星空を見つめる神楽は、何処か儚げで、香楽を連想させる。
「で。まだ、寝てなかったのか」
最初と同じ質問を返す。
「お空、綺麗だったから」
私の視線の先へ、神楽も同じ様に目を向ける。
「……もうすぐ、満月だな」
静かな声が、広い部屋に落ちる。
完成に近い姿をした輝く月は、堂々と空に浮かんでいる。
「お月さま見てるとね、ほっとするの」
「はぁ?」
意味が分からない、とでも言うように首を傾げる。神楽らしいと思いつつ、もう一度月を眺める。
「ここに、来たときもね。満月だったの」
「……」
あの世界で、最後に見たのは何だっただろうか。暗闇を映す前に、円く輝くそれを眺めた気がする。
「真んまるな、お月様。かぐや姫ならお迎えがきそうね」
この世界にもかぐや姫はあった。ここに転移してきた人が知らせたのかもしれない。
「………………お前とかぐや姫は、程遠いな」
「そう?」
「ああ。かぐや姫はそんなにガキじゃねぇだろ」
「かぐや姫だって、子どものときはきっとあったのよ!」
「…………」
静かに月を眺める神楽の横顔を眺める。何故神楽はここに来たのか。何となく気が向いたと彼は言ったが、気が向いたからといって彼がここに来るとは考えにくい。
「…………親父と、何か話したか」
表情を変えずに淡々と、呟く。
どうして、そこまで気になるのか。「何かあったか」と私に気を使っているのか。それとも、父親の事が気になるのか。どちらにせよ、神楽からすれば、わざわざ夜中に私の元まで訪れる意味のある内容なのだろう。
「……うん」
「そうか……」
なにを話したかを聞きたい訳ではないのか。きっと神楽は今、「落ち着かない」のだ。
「ねぇ、お兄ちゃんは、香楽さんともう一度一緒に暮らしたいの?」
月を見つめながら淡々と尋ねる。
「お兄ちゃん、……ここを出ていくの?」
無意識とでも言うように言葉が漏れる。きっと寂しいのは私だ。神楽と香楽の関係が良くなれば良いと願う気持ちがありつつも、そうなってほしくないという矛盾が私の中には存在する。2人の関係がもう一度結ばれるというのならば、離れた親子もいつかはもう1度絆が結ばれると証明される。私もいつかは――……、どこかでそう思ってしまう。
けれどもそうなってしまうと、神楽はここを出て行ってしまうのではないか。ここが彼の仕事場である限り、彼と会えなくなる訳ではない。けれども心のどこかでは会えなくなるという予感を感じている。私はこの世界での知り合いが少ない。だからこそ少しでも知ってる人を放したくない。
自己都合だ。
「……正直、分からねェ」
空から雫が一粒落ちる。
「お前にガキ、チビって言っておきながら、情けねェな……」
いつまでも、彼にとって香楽は父親なのだ。離れたって、離れられない。まるで太い鎖のように、いつまでもしがみついて切れない。
「向き合うって決めたは良いが、結局、何一つだって、変わらねェ」
私は否定の言葉を持ち合わせていない。持っていても、言葉にする事は無かっただろう。
「もっと、怒れば良いのに……」
怒って、喚いて、縋って。何故追い出したのかと、口汚く罵れば良い。顔も見たくないと突き返せば良い。
けれども、神楽はきっと、そうしない。出来ない。
彼自身がその怒りを自覚していないから。
何もしなくて良い。このままで良い。
向こうから近づいて欲しい。変わってほしい。
他人よがりな私の本音を彼にぶつけたりはしない。
「俺が楽しいっつった時、親父は、どんな表情をしてた」
「あの時は……、安心した顔をしてた」
「……俺には、疑心を抱いている顔に見えた」
私にはそうは見えなかったが、神楽が言うならば、そうなのだろう。彼の方が私よりもずっと、香楽について知っているのだから。
「まあ、仕方ねぇよな」
神楽は椅子から立ち上がりベッドに腰掛け、背を布団に付ける。
目を閉じる神楽は何処か幼い。
「結局、さ」
腕で目元を覆った神楽は今までで一番弱々しい声で呟いた。
「俺は、俺の気持ちを伝えきれてねェんだ。俺が『楽しい』っつっても、親父には強がりにしか聞こえねェ。俺自身が、本心でそう感じてねェからな」
ゆっくりと、心を打ち明ける。
「……今、楽しくないの?」
「……いや、」
目元を覆っていた手をそっと外す。
「楽しい。だが、そう思う度に、楽しいと感じる度に、どうしたって親父がチラつく」
「……どんな香楽さんを思い出すの?」
もう一度目を閉じ、思いを馳せるように記憶を巡らせる。
「……追い詰められた顔の親父」
きっと、彼は側でずっと父親を見てきたのだ。だからこそだろう。
香楽の遣る瀬無さが、神楽を侵食していた。
「それに、結局は能力を隠したまま。劣等感を感じたままだ。その事が罪悪感になってる。俺自身でも、俺の能力を完全には受け入れられていねぇんだ」
寂しそうな神楽のすぐ横に寝転ぶ。
「多分……、俺は相当参ってる。……んだと思う」
「そうなの?」
「ああ。そうじゃなかったらお前に相談なんかしねェ」
「……確かに」
「お前のアホ面ァ見て落ち着こうと思ってきたんだがなァ」
「なんでちょっとずつ罵倒していくの?!」
小さくため息を付きながら、徐々に声が小さくなっていく神楽。月あかりに照らされ、神楽の横顔がはっきりとうつる。まるで光と闇の狭間で揺れ動かされているようだ。
「迷惑を……、かけたくなかったんだ……――――」
そうつぶやいた彼は、それを最後に一言も話さなくなった。
「お兄ちゃん?」
「…………」
「寝ちゃったの?」
返事は無い。彼が眠る姿を初めて見た。上を向いて、ベッドの向きに習わずに寝ている。これでは寒かろうとそっと布団をかぶせ、その横に座る。
「…………」
少しは、私に気を許してくれていると思っても良いのだろうか。嫌われていないとは思う。眉間にしわを寄せながら眠る神楽を見ていると、何故だか黎翔を思い浮かべてしまう。
今回の事で私は初めて神楽について知った。少しだけれど神楽に近づけた気がする。けれどもやはり、私は皆について何も知らない。神楽の事が分かったとしても他の皆の事は分からない。家族も境遇も、何もかも。
知りたい。けれども、知るのは怖い。対価を要求される事はないと分かっていても、いざ要求された時にどうすれば良いのか。
今回だって、私は神楽に対してどのように逃げ回れば良いか迷っているというのに。
けれどもやはり気になる気持ちは抑えられない。彼は父親の存在を強く意識している。ならば、母親はどうなのだろうか。彼の口から一度も母親について聞いた事がない。聞くのは父親ばかり。そこ私が踏み込んで聞いて良いとは思えない。けれど彼にとって母親は特別重要な存在ではないのかもしれない。
誰にとって誰が重要なのか。そんなものは人それぞれだ。私が想像つくはずもない。
私は神楽ではないから、彼の気持ちなんて一切分からない。分かろうともしない。分かりたくもないし、分かってもきっと相容れない。
昔の記憶で頭に残っていた優しいメロディー。教えてくれたのは誰だったか。
「〜〜♪」
優しい、子守唄。きっとこれは、星の輝きには届かない。
部屋の隅にある歌詞を書いたメモ帳も、今書けば更に空白が増えるだろう。そのうち、メロディも思い出せなくなる。
例え、歌詞を忘れても、メロディを忘れても。
「消えないものはある」
その歌を歌った思いは消えない。
絵だってそうだ。絵はいつか衰え、廃れる。それは仕方の無い事だ。その絵を描いた事すら忘れる。それも仕方の無い事だ。けれども、絵を描いていた時の思いは、決して消えない。
思い出せないだけだ。失われる訳ではない。
だから、神楽の父親への思いか失われる事はない。例えそれが忌避であろうと、拒絶であろうと、憎悪であろうと。愛した記憶が消える事は無い。
だからこそ、辛い。
憎いのに、突き放したいのに、心がそれを許さない。
「親子」だ。
そんな関係を、少し羨ましく思った。
怒って、喚いて、縋って。何故構ってくれないのかと口汚く罵って、引き止めれば。
そうすれば何か変わっただろうか。
冷たく震える風が、冬の訪れを知らせた。




