029-4「……親子って何だろう」
林の中にぽっかりとした空いた空間は妙に居心地が悪い。スケッチブックを持ってくれば良かった。
リスもクマも居ない。
静かな空間はまるで木々の音楽家が木製の楽器を演奏しているかの様だ。
「〜〜♪」
思い出すかのようにいつかの歌を口ずさむ。歌う度に歌詞は曖昧になり、頭の中に靄を作る。
ひらひらと舞い落ちる赤茶の葉を見ながら、視線を親木に向ける。木は自分から落ちていった葉達を気にかけているのだろうか。どのような気持ちで落ちていく葉を見送っているのだろう。頭から抜けていく髪の毛のごとく一本一本を気にする事はないのだろうか。
私だったら、気にかけない。自分から逃げていったものは大事なものでなければわざわざ追いかけようとは思わない。
けれども逃げ出した方はどうだろうか。
私なら追いかけて欲しい。気にかけてほしい。思い出してほしい。忘れないでほしい。捕まえて欲しい。
愛してほしい。
そんな愚かな欲望が駆け巡る。
物には必ず役割がある。動物にも必ず役割がある。全てのものは愛される為に生まれてきた。けれども、愛されないものもいる。愛される価値すらないものもいる。
愛とは何だろうか。
「……親子って何だろう」
親子ならば、壊れた関係があの様にあっさり戻るのだろうか。親子ならば例え切り離されたとしても、歪みながら元に戻るのだろうか。
私には分からない。
けれども子ども心ながらに神楽と香楽の関係が元に戻れば良いと、そう感じる。
それを壊しかけた事に、心臓が痛んだ。
「聖女様」
優しい声が静かな空間に1つ落ちる。
「……香楽さん?」
私を追ってくるとすれば、神楽だと思った。なぜこの場に香楽がいるのか。
「どうしてここにいるの?」
「緑弥さんが、聖女様一人では心配だと言うからね」
今さら迷子になどならないし、ここには危険なものもないので心配をする必要はない。緑弥も私が普段から一人で散歩している事を知っているのだから、本当に心配した訳ではないだろう。
「…………」
きっと緑弥は神楽と香楽を離したかったのだろう。それは意地悪でも何でもなく、私と同じ気持ちだった。2人は一度距離を取るべきだった。
「…………やはり難しいね」
香楽は私の横の丸太に座りながら、罰が悪そうに俯く。香楽も先程の関係の歪さを感じていたのだろう。
「……謝れば良いと思うよ」
他人事だから、私はこう言えるのだろう。他でもない神楽の事だから、私はこう言えるのだろう。きっと、見ず知らずの誰かならば、どうでも良かった。歪な関係でも元に戻ろうが、そのまま壊れたままだろうが、どうでも良かった。
私は最初、香楽の後悔を聞いても、少しも心が動かなかった。
それが神楽に関わる話だと知って、漸く興味を示した。私はそんな薄情な人だ。聖女の定義にはとても当てはまりそうにない。
「……謝罪をすれば、神楽は私を許さなければならなくなるだろう」
神楽は優しい子だから。
その思いが透けて見えていた。
彼は神楽に許されたくないのか。
その気持ちは分かる気がする。どうせならば、口汚く罵ってほしい。何故あの様な言葉を投げかけたのか、何故家から追い出したのか。そう詰め寄られれば、彼は弁解出来る。
けれども、香楽はその弁解の機会すら与えられなかった。
神楽は、弁解の機会を与えなかったのではなく、与えられなかった。これ以上関係が悪くなる事は無いと分かっていながらも、これ以上の悪化を恐れた。修復出来ない関係になる事を恐れた。
踏み出す一歩はあっても、踏み込む一歩が無かった。
そういう事だろう。
なら、私が踏み込む一歩を作るべきだろう。二人が再び踏み出す要因となった私が。2人から最も遠く、最も害になり得ない私が。
「ぶつかったら良いのよ」
黄金に輝く金の瞳が曇る。
「ぶつかって、沢山不満を言ってもらいたいんでしょ?香楽さんが言わないと、お兄ちゃんは、自分から言わないよ」
彼は、言わない。言えるはずもない。彼は少しも「怒り」を感じていないのだから。初めて神楽の過去を聞いた時も彼の中に「怒り」の感情は全くなかった。あったのは「傍観」「他人事」「悲しみ」、そして少しの「諦念」。
「憤り」を感じていたとしても、それを「怒り」として消化出来ないだけかもしれない。
突き放されても尚、「親父」として認めている。「親子」である事を諦めていない
まだ、きっと未練がある。本当に吹っ切れているのならば、思い出して、溜め込まない。
「香楽さんは、お兄ちゃんに何を言いたいの?」
香楽の表情は冴えない。自分でもよく分かっていないのかもしれない。
「お兄ちゃんはね、きっと謝って欲しい訳でもないし、許したくない訳でもないと思うの」
もし私が親に捨てられ、その親の事が嫌いになれず、ずっと未練を感じていたならば。私はどうして欲しいと思うのだろうか。
私はたった一つ。してほしい事がある。それさえあれば私はきっとどんなにひどい親でも許してしまうだろう。
親子ってめんどくさい。許したくなくても、縁を切りたくても、どうやったって繋がっているのだから。
「なら、どうすれば良いか……」
「それは、自分で考えないとだめよ」
私は私であり神楽ではないのだから。私がしてほしい事は必ずしも神楽がして欲しいとは限らない。
「当たって砕けるべきよ」
「……砕けけて良いのかい?」
「良いのよ」
砕けたらそれこそ現状維持。支障は特にないのだから。ただ、修復出来ない関係になって終わる。それだけだ。そうなれば、ただの他人としてお互い忘れて過ごす。すれ違っても気づかず気づかれず、
そうして忘れた頃に、もう一度繋がる。
知らないうちに繋がる。
世界は狭い。だから、きっと、今回駄目でも大丈夫。
「そうか……」
香楽は吹っ切れてはいないものの、覚悟を決めた表情で頷く。
「言い訳を、してみる事にするよ」
遠回しに、「神楽と話してみる」と言っているのだろう。彼にとっては間違いなく、大きな一歩だ。
「…………聞いても良い?」
「なんだい?」
覚悟を決めた香楽に今更聞くのはどうかと思う。部外者の私が踏み込んでよい問題とは思えない。けれど、神楽がどういう理由で追い出されたのか、私は香楽から聞いていない。このままでは、私は一方的に神楽の味方だ。それが悪い事だとは思わないが、「子どもを追い出した親の気持ち」が知りたい。
「どうして、お兄ちゃんは家から出たの?」
何故、彼は家を出なければならなかったのか。
「私は……、息子にひどい言葉を浴びせた。」
「なんて言ったの?」
「…………『何故、そんな能力なんだ』と」
残酷な、一言が神楽の心臓を突いたのだろう。神楽は、自身に備わった能力に絶望していた。
「分かった能力に打ちひしがれている神楽に、さらに追い詰めるような言葉を投げかけてしまった」
けれども、絶望していた彼に一言、優しい言葉があればどうだっただろうか。たとえそれが慰めだとしても、同情だったとしても、彼を突き放す以外の言葉があれば、現状は変わっていただろうか。
「私はあの後すぐに、…………彼に何も言葉をかけなかった」
後悔の眼差しが、雲に陰る空に映る。香楽の柔らかな白髪が日差しを輝かせる。太陽の眩しさに少しだけ目を閉じた。
「そんな息子に、
『一緒にいたい』等と、言えるはずもない」
低く、頭に残る声だった。
天を羨むように目を細く閉じる。まるで、飛べない空を追いかけているかのようだ。香楽は空を飛べるはずなのに、なぜかずっと地上にいる。
「ただ……、神楽を前にすると、どうしても欲が勝ってしまう」
子と離れたら、親は寂しがるものなのか。純粋な好意か、それとも打算が含まれた会得感が欲しいのか。
大人はずるい。いつだって子どもを振り回す。子どもはいつだって親について行くしかない。それしか生き方を知らないのだから。
けれども、一度親と離れてしまえば、子どもは一人で生きていける。一人で生きていく術を手にしてしまうのだから。
そうすれば今度は親が子どもに縋る。
なんて都合の良い。




