029-3「もっと、先にっ、」
「良いにぉい!」
神楽を引き連れて緑弥の元へ戻ると、先程よりも秋刀魚の良い匂いが漂っている。
「良いタイミングで帰ってきた。丁度良い焼け具合だぞ」
ひっくり返されて少し焦げ付いた秋刀魚が皿に乗せられる。
「お兄ちゃん、美味しそうよ!」
「知ってる。緑弥さんの作ったもんはうめぇ」
緑弥の料理の美味しさはお墨付きだ。おにぎりまでも用意をしてくれていたようで、皿の片隅に小さく握られたおにぎりが添えられる。
「神楽、食えるか」
「昨日軽く済ませてるんで、平気です」
緑弥は自分の分を含め3人分を装う。緑弥は少なめだが、神楽は私の倍ほどの量が皿に盛られている。緑弥は少ないとは言っても、私よりは多いが。近くの座布団に腰掛け、スケッチブックをそばに置くと、皿を渡される。
「いただきまぁす!」
箸を握りしめ、反対の手でお握りを口に入れる。
「秋刀魚じゃねぇのかよ」
「だって、何処が苦いのか分かんないんだもん」
「…………」
神楽は視線をこちらに寄越した後、大きなため息をついて頭を掻く。膝においている私の皿を奪ったかと思えば丁寧な手つきでそれを解していく。
「ここが肝。にげェとこな。後は食える」
肝と骨を避けたそれを私に返す。礼を言い、食べると本当に苦い所はなく、おいしく食べる事が出来た。興味本位で肝だと言う部分を少しだけ食べてみたけれどやはり苦くて、すぐに食べた事を後悔した。私が苦そうな表情をしていた所までのその一部終始を見ていた緑弥は声に出さずに笑っていた。
美味しいご飯は心を落ち着かせる。神楽はいつも以上のペースで秋刀魚を平らげる。神楽は肝の部分も食べられるようで、私が渋い顔をしているのにも気づかず、食べ進めていた。
がサリと、近くの草むらの揺れる音がした。音の正体を確かめる為に視線を向ければ香楽が驚いた表情で立ちすくんでいた。
「……神楽?」
香楽は神楽がいる事を不思議におもっているようで、私のほうを一切見ようとしない。香楽が本当に来てくれた事に対しての驚きと、何故道の方ではなく草むらの方からやってきたのだろうという疑問が浮かぶ。けれども、そのような疑問は些細な事だ。
香楽は神楽がここに来るだろうという可能性を全く持っていなかった。神楽がここにいる事は知っていたかもしれないが、今現在この場にいるとは思いもしなかったのだろう。恐らく、その驚きの大きさだけ、彼は神楽を傷つけたのだ。そして、それを自覚している。
「親父……」
神楽は驚いてはいたが、彼が来る事は分かっていたようで、それほどの驚きはない。どちらかと言えば、この後どうすれば良いか分からないという表情だ。
それは香楽も同様。彼と話したいけれど、次の言葉が出ない。
「お二人さん、とにかく座んねぇ?」
場を和ます緑弥の手には先ほど焼いた秋刀魚が2匹。それぞれ別の皿に乗せられている。
「香楽さん、あんたも食っていってよ」
香楽はその言葉を聞いて悩んだようだが、私と神楽の顔を見合わせた後、頷いて私の側へと座った。
「美味いな」
まるで珈琲でも飲んで一息ついたかのような表情の香楽。神楽と同じで綺麗な食べ方だ。私の皿とは大違い。まだ途中だけれど、骨が散乱している自身の皿を見て絶望する。
「…………秋刀魚、まだ好きなのか?」
「…………まぁな」
二人の会話に心臓が鳴るが、変に突かないほうが良いだろう。離れた二人が、何事も無かったかのように会話をする姿に安堵と遣る瀬無さを覚える。
神楽は、優しいから、本当は心のどこかで父親がそのような人ではないと分かっているのだ。
神楽は、優しいから、直接会いに行く勇気はなかった。会えばきっと神楽は傷ついてしまう。
「……元気にやっているのか」
「あぁ」
「そうかい」
神楽は、優しいから。今も平気な顔をして笑っている。きっと、神楽の心は安堵で満たされているのだろう。
「なんで……」
ぽつりと、小さく呟く。
部外者の私が、この不満をぶつけても良いはずがない。
「仕事は、うまくいっているのかい?」
親子らしい会話に、心がざわつく。
「ああ、ここなら……、能力も活かせる。結構楽しい」
「そうかい。良かった……」
香楽の表情も安堵に満ちている。まるで今までの靄が全て無くなったかのようだ。
二人の綺麗な皿に対して、私の皿は汚い。
「………………なあ、神楽」
「なに」
神楽の浮き立つ声が不思議と私に刺さる。
香楽のきつく握った拳も、神楽の香楽を見つめる視線も、
「家に……、戻ってこないかい?」
全てが気に入らない。
ガシャン
私の持っていた皿が地面に落ちる。皆の視線が私に集まる。私は今、どのような表情をしているのだろうか。私の心は床に散らばった秋刀魚の残骸の様にぐしゃぐしゃだ。
神楽と香楽の関係の修復を望んでいた。神楽の返事がどうあれ、香楽が神楽を家に呼び戻そうとした事は喜ばしい。
香楽は神楽を傷つけた事を隠して、神楽は絶望した感情を殺して。
そうして、元の関係に戻っていく。手探りでも、歪でも少しずつ元の関係に。
「…………」
それは、とても気味が悪い。
私はこんなの、望んでいない。けれども部外者の私にはそれを伝える権利はない。
「大丈夫か?」
私の顔を覗き込む神楽は優しい。私の方を支える香楽の手は優しい。なら、どうして。
「なんで、そんなに平気な顔でいるの」
何故その手は神楽へと伸びないのか。
「なんで、許せるの」
私なら許せるだろうか。きっと、許せない。
「なんで、平気なの」
でも、きっと許してしまうのだろうな。
「なんで、一緒にいなかったの」
それが親子というものだから。子はどうしたって親を求める。親に裏切られても、ひどい言葉を投げかけられても、結局は劣等感と共に受け入れてしまうのだ。
関係の修復は望ましいはずなのに、私も望んでいた事なのに、私の心が醜いからか、素直に祝福出来ない。「良かったね」その一言で祝福をすれば良いだけなのに。
「もっと、先にっ、」
皆の視線が集まっている事を再認識し、言葉を止めた。
黎翔は、「思う存分やれば良い」と言った。けれどもそれは「現状維持」を前提に言った言葉だ。今、現状が良くなっている状況で、これ以上私が悪化させる訳には行かない。
「…………何でも、ないっ!」
一度私は心を落ち着かせる必要がある。
そうして私は逃げた。




