029-2「……一人じゃないよ。皆いるもん」
この後の動きは決まっている。その為に緑弥に頼んだのだ。絵を書いていた庭よりさらに奥に行くと良い匂いが漂ってくる。
焦げた魚の匂いだ。スケッチブックを持つ手は自然と揺れ、足取りは軽くなる。
「緑弥さんっ、来たよぉ!」
庭に行けば、緑弥が七輪の準備をしていた。私がお願いしていたとはいえ寒い中で調理をしてくれている事を申し訳なく思う。けれども緑弥に頼めば美味しく焼いてくれる事は間違いない。
「早かったな。さっき神楽も来たぞ」
「お兄ちゃんも?」
「ああ、何でも魚の匂いに釣られたらしい。焼けるまで時間がかかるっつったら、後からもう1回来るんだとさ」
緑弥は魚を1匹くるりとひっくり返す。少し焦げた体がとても美味しそうだ。
「……お兄ちゃん今日はお暇なのかなぁ?」
「ああ、今日は依頼がないつってたな」
「へぇ」
少し風が吹いただけで寒い。まるで空気も冬になる準備をしているかのようだ。この寒さに耐えられる生き物は特別な賞状でももらうべきだと思う。むしろ私が欲しい。寒い中頑張っているで賞が欲しい。ただ、「何」を頑張っているかと聞かれれば、私自身特に何かを頑張っている事が見つからない。
「緑弥さん寒くない?」
「ああ、俺は寒いのは平気だな」
現に、緑弥はそこまでの厚着をしていない。火の近くにいるとは言っても私には耐えられそうにない。おそらく私とは体の作りが違うのだろう。
緑弥の隣に座り込むと、温かいと言うよりも熱い熱気が肌を指した。この熱気は、私には温かいと同時に痛いかもしれない。今日が特別寒い為、そう感じるのだろうか。
「ここに居たら魚の匂いが服につくぞ」
緑弥の言葉に自分の服を匂うが来たばかりの私の服は匂いもあまりしないだろう。けれども隣にいる緑弥の服にはしっかりと魚の匂いがついていた。けれどもそれは不快感を催すようなものではなく焼けた魚の美味しそうな匂いが届くだけだ。
けれども緑弥は遠回しにもう少し出かけても良いと言ってるのだろう。
「じゃあお兄ちゃんと遊んで来ても良い?」
調理をしてくれている人を放置して出かけるのは果たしてどのようなものか、とは思うが提案したのは緑弥自身だ。
「ああ、そのうち焼けるから、しばらくしたら食いに来い」
「うん!」
神楽が遊んでくれるかどうかは分からないが、当たって砕けろだ。スケッチブックを緑弥の近くに置くが「燃えても知らねえぞ?」という言葉にすぐさま持ち上げ、少し離れたところに置いた。
誰にも取られたりはしないだろう。
「お兄ちゃんはどっちに行ったの?」
「ん? 向こうだな」
火から目を離さないまま、緑弥は指を林の方へと向ける。
緑弥に声をかけ、林の方へと向かう。静かな林は、一層寒さを誘う。「寒さ」の色は何色だろうか。私の中のイメージは瑠璃色だが、これは人によって異なるだろう。
様々な緑が林を覆い尽くす。
今、神楽の心はどの様な色をしているのだろうか。
木々が茂る林の中にぽっかりとした空間がある。まるで、その部分だけ木が刈り取られたかのようだ。
その端に神楽は立っていた。空間を眺めるように、主役がいない舞台を眺めるように。光に翳されたそこを羨むように。
「お兄ちゃん?」
神楽に近寄り声をかける。私の足音に気づいていたのだろう。大して驚く様子もなく振り返る。
「こんなとこで何してんだ」
「それはこっちの台詞よ」
神楽の近くにある木の幹に腰掛ける。足を揺らせば、葉や木の香りが鼻に届く。緑は心を落ち着かせる。だから神楽もここに居るのだろう。
目を閉じれば、光と神楽の匂いを運んでくる。寂しい匂いだ。空間の真ん中には薄緑と瓶覗きの美しい鳥が羽を休めている。ここで飛び立つ為の準備をしているのだろう。羽を寄せ合い、顔を擦り合わせる姿を見ると、神楽の頬を触りたくなった。
神楽の頬に手を伸ばしかけた所で神楽から声がかかる。
「お前は馬鹿だな」
「なんで?!」
この雰囲気でいきなり罵倒を受けるとは思わなかった。この罵倒は何にかかっているのか分からない。私のどの行動が彼をその様に感じさせたのか。ここに来た事か、それとも存在そのものか。
どちらにせよ失礼な事だ。けれどもそれこそが神楽だと感じるのは私が彼に慣れてきている証拠だろうか。
「昨日は……、悪かったな」
「?」
神楽に謝られる意味が分からない。罵倒した事を謝っているのならば分かるが、神楽が謝っているのはその事についてではなく昨日の事だ。私は神楽に傷つけられてもいないし、ひどい言葉を浴びせられた訳でもない。神楽が「何」について謝っているのかはなんとなく察するものがあるが。その明確な内容を言葉で説明する事は出来ない。
「どうしてお兄ちゃんが謝るの?」
「…………」
きっと神楽は知りたかったのだろう。なぜ私が香楽といたのか。
昨日動揺した気持ちを、自分なりに落ち着かせてきたのかもしれない。
「私は、おでかけ、楽しかったのよ」
私の口から言える感想といえばそれだけだ。香楽と会った事。それ自体も私の中ではお出かけの一部だ。
香楽と、神楽。笑った顔が似ていた。優しい顔も似ていた。目元も似ていた。優しいところも似ている。そして少し傷ついている心も。悲しそうな表情も。寂しそうな手も。
この林は心を落ち着かせる。それと同時に寂しくもさせる。この広い林に、この広い空間は孤独感を味あわせるには十分だ。
「お前は……、すげえよ」
罵倒の次は称賛だ。それがどのような意図で紡がれた言葉かは分からないが。けれども神楽が弱っているからこそ出た言葉であるならば私はそれを受け入れがたい。神楽はいつだって神楽らしくいて欲しい。
「この世界に1人出来たっつーのに、よくやっている」
「……一人じゃないよ。皆いるもん」
「……そうだな」
神楽は再び考え込むように両指先を合わせ、顔の前に持ってくる。
無言の時間に、鳥が歌を奏でる。一つとして同じ音はない。
透明な風の葉の音を私達の耳に届ける。目を閉じれば、子守唄が聞こえる。遠くから香る魚の匂いが食欲をくすぐる。流石にまだ焼けてはいないだろうが、そろそろ戻っても良いかもしれない。
けれども動く気配の無い神楽を放っておいても良いのか。普段ならば気にしない。神楽も気にしない。
「…………」
普段の力強さのない神楽の手を見る。大きさは変わらない、薄い色の手だ。
解かれたその手を後ろに突き、大きく背筋を伸ばす。
「なんで昨日あいつといたんだ」
「あいつ」という言葉に少しの寂しさを覚える。
世間話でもするかのように、意図を込めず、目を閉じたまま小声で呟く。これは、本当に神楽の声かと、疑うほどだ。
「えっとーね。お兄ちゃん達が迷子になっちゃって、一人だったところに声をかけてくれたんだ」
「そうか………………、ん?いや、待て。迷子はお前だろォが」
「それは置いといて」
「おい」
神楽の声が戻った。大きく息を吐き出し、時間をかけて吐き出す。そして、短い毛先を跳ねさせる様に掻きむしる。
「あいつは、……昨日何か言ってたか」
「何か?」
優しい言葉で私と話をしてくれた。彼にとっての聖女とはどのようなものか。彼は自身の認識を誰かに押し付けたかったのだろう。それは決して信仰心からではない。
私を養子にと誘ってくれた。けれども思い返せば、その表情は決して同情でも優しさでもなかった。
「たぶん、後悔……、してた」
これを神楽に言った所で、どうしようもない。
後悔するくらいならば、「何故」神楽を傷つけたのか。それは私には知る由もない。知ったところで、私には関係のない事だ。私にとっては、「神楽が傷ついている」、それ以上でも以下でもない。
だから決して香楽の味方をする訳にもいかない。彼らの望みが同じ目的地となっているのならば、例え道を違えようと、再び出会う事が出来るように私は協力する。
けれども、そうではない。
香楽の目指す目的地と、神楽の目指す目的地は大きく外れている。
「お兄ちゃんは、香楽さんに会いたくない……?」
「………………さぁな」
ごまかしているという訳ではなく、本当に自身の心が分からないというような表情だ。
子を突き放した親を望む事。それは求めても良い事か。
「……じゃあ、会いに行こ」
「はぁ?」
「お兄ちゃんも知ってるでしょ?今日、香楽さんを呼んだの。会ってみようよ」
「…………」
私は、卑怯だと思う。私には出来ない事を他人に押し付けている。私の理想を神楽に押し通させようとしている。
「駄目でも、大丈夫だよ」
駄目ならば、現状維持だ。良くもならなければ、これ以上悪くなる事も無い。
「それは、聖女サマの命令か?」
「……! そう! 命令!」
「なら、行ってやっても良い」
一歩踏み出す為のきっかけが必要なんだ。そのきっかけは、何でも良い。無理矢理でも、他人任せでも。
私には、その一歩が無かった。




