029-1「優しくて寂しそうで悲しそうだった」
「…………」
不覚にもよく眠れてしまった。寝る前に神楽と香楽について考えていたら、いつのまにか睡魔に負けていた。私は彼らの為に何が出来るだろうか。何もしないのが一番なのかもしれない。けれどもせっかく会えるのだから仲直りはするべきだと思う。仲直りが出来ずとも、話くらいはしてほしい。
「まだ、夜だぁ」
久しぶりに早起きというものをした。まだ外は暗い。せっかく早く起きる事が出来たのだから外を散歩するのも良いかもしれない。
服を着替え、髪のゴムを持って外へ出る。自分で髪の毛は結べないから誰かすれ違った人に結んでもらおう。
外は想像よりも寒く厚着して良かったと感じる。虫達は地面の下にいるのか音がしない。太陽の光もなく辺りは薄暗い。庭園の方に向かって歩いて行くと、ヒュン、ヒュンという不思議な音が聞こえた。まるで何かを振り回しているかのような音だ。
音の正体が気になり、奥の方へと足を進めていく。いつものベンチを通り過ぎ、焚き火をする場所からも通り過ぎる。やってきたのは以前トンボ達を見かけた場所だ。
ヒュンという音はどんどん大きくなっていく。寧ろあれ程遠くにまでよく聞こえたものだ。私の耳が良かったのか薄暗くて静かだった事が原因だったのか。
理由は分からないが木の陰からその人物を除く。
「…………木刀、かな」
黎翔が木刀のようなものを振り回していた。振り回しているという表現は正しいのか分からないが、まるで剣道のように構えて振り下ろしている。毎日この様な薄暗い時間からしているというのだろうか。これは彼にとって必要な行為なのだろう。
「誰だ」
後ろを向いているというのに私の存在に気がついた黎翔は声をかける。正確には私だと分かっていないかもしれないが、それでも誰かがいると気づいただけでもすごい。
「おはよう、ございます」
木陰からそろりと出て行くと黎翔は少し驚いたように目を開いた。
「このような朝早くからどうした」
それはこちらのセリフだと言いたいが、ひとまず黎翔の疑問に答えよう。
「早く目が覚めちゃって散歩してたの」
「一人でか?」
「そうだよ」
この施設の中は安全だ。私が1人で歩いたとしても襲われる事はない。
「黎翔様は何してたの?」
「……剣の稽古といったところだろうか。毎日体を動かさねば鈍る」
「へぇ」
聞いたは良いが、剣の稽古という事に全く興味が出なかった。私自身が剣を振り回す想像がつかない。
「まだお稽古するの?」
「いや今日はそろそろ終わろうかと思っていた」
「そっかぁ。なら、髪結んで」
右手につけていたリボンがついている髪ゴムを見せると黎翔は刀を近くに置き私の髪ゴムを受け取った。
「結び方は何でも良いのか」
「うん、良いよ」
黎翔の前に座ると、優しく髪をとかれる感覚がした。着替えるだけ着替えて出てきたから、髪をといていなかった事を少し後悔する。余計な手間をかけさせてしまった。
「なぜここまで来た」
「ヒュンって音がして何の音だろうと思ってきたの」
「そうか」
黎翔はといた髪を纏め、斜めに編み込んでいく。
「眠れなかったのか?」
「ううん、いっぱい寝たよ。でもねー、」
「……どうした」
話そうとして途中で止める。勝手に人の事情を他人に話しても良いのかと考える。けれども黎翔ならば良いかと感じる。黎翔ならば、神楽の事情も知っていそうだ。
「お兄ちゃんの、…………お父さんに会ったの」
「…………香楽か」
「知ってるの?」
「ああ」
黎翔が神楽の父親を知ってる事に安心する。これならば話が早い。
「黎翔様は、お兄ちゃんがここに来た理由って知ってる?」
「以前神楽に聞いた」
編み終わった髪をゴムで結び、そっと髪を離す。まるで高い塔に住むお姫様のような髪型だ。
「私、昨日街で霙さん達が迷子になっちゃって、一人になってたの」
その台詞に黎翔の眉がピクリと動く。けれど、私はそれに気づかない振りをして話を先に進める。
「そうしたら、香楽さんが声をかけてくれて一緒にいてくれたの」
あの時の香楽は。
「優しくて寂しそうで悲しそうだった」
まるで、神楽を見ているかのようだった。
「私にはどうしてもお兄ちゃんを捨てたような人には見えなかった。…………ねえ、黎翔様私はどうしたら良いのかな? 何もしない方が良い? 私は……、2人の為に何かしたいよ」
これを神楽に直接投げかける訳には行かない。私がこの言葉を神楽に投げかければ、神楽の気持ちを否定する事になるだろう。神楽にとっては香楽はすでに信用出来る父親ではないのだから。
けれども香楽の事を「親父」と呼んだ事や、あの傷ついた表情を見ればいくらだって未練はあると感じた。神楽だって本当はこのままでは嫌だと思っている。けれどそれは全て私の想像でしかない。香楽の後悔や、神楽の寂しさを全て呪い切る事も出来ないかもしれないが、それでも――。
「お前はお前がやりたいようにしたら良い」
私の頭をわしゃりと撫でる大きな黎翔の手に顔を上げる。
「それで余計に喧嘩しちゃったらどうしたら良い?」
「何も問題ない。ただ、何も変わらないだけだ」
「そう……、かなぁ」
「……現に私達は今まで状況を知っていながら何もしてこなかった。思う存分口を挟んでやれ」
「…………分かった!」
黎翔の許可が出た事だ。午後から香楽を呼んでいるし、話を聞くだけでも聞いてみようと思う。いきなり今日2人に話をしろと言っても神楽が逃げようとするのは目に見えている。
「頑張ってみるね!」
「……………………」
「……そんなに不機嫌になるな」
「なってないもん」
ただ勢いが消えただけだ。先ほどまでの意気込みを返して欲しい。
「じゃあ、今日は昨日書いた文字の復習をしよう。絵本も何冊か選んで来た」
私はすっかり勉強の事を忘れていた。だからこそこのように落ち込んでいるのだ。香楽と神楽の為に何が出来るかと考えながら部屋に戻れば南葵が私の部屋で待ち構えていたのだから。
「……まだ朝ごはん食べてないもん」
「いつもこんな時間から食事をしないだろう。そもそも朝からどこに出かけていたんだ。探したぞ」
「…………探したの?」
「ああ」
昨日の今日で探させた事を申し訳なく思う気持ちと、方向音痴の南葵が再びこの部屋にたどり着けた事に対する感動を覚える。
私がこの部屋を出たのはまだ夜も明ける前の事だ。黎翔とあったのは少しずつ明るくなり始めた頃。そしてそこからまっすぐ部屋に戻ればいつもの起床時間だ。
そうあくまで戻ればだ。
私はあの後、全ての芋が掘り起こされた畑に行ってみた。その畑のさらに奥の方まで行くと大きなかぼちゃがあった。美味しそうなそれを持って帰って緑弥に調理をしてもらう事を考えた。けれども私は2つの難題にぶつかった。私はハサミも何も持っていなかった為、かぼちゃを蔦から切り離す事が出来なかった。そしてもう一つ。単純にかぼちゃが重たかった。
そこで先ほど出会った黎翔を連れてかぼちゃのところへ戻ろうとしたが、いつの間にやら黎翔は先ほどの場所からいなくなっていた。黎翔ならば、あの木刀で蔦を切る事も出来ただろうに。
諦めて誰か別の人を探してかぼちゃを持ってきてもらう事にした。けれどもこういう日に限って誰も見当たらない。医務室に行っても績は居らず、調理場に行っても緑弥はいない。さすがに昨日の今日で神楽に助けを求める事は出来ない。少し遠いが自分の部屋付近まで戻って、霙か白鴎に手を貸してもらおう。その前に一度自分の部屋に戻って汚れても良い服に着替えてこよう。そう思い自分の部屋の扉を開ければ、南葵が待ち構えていた訳だ。
「誰にもバレていないと思ったのにぃ」
「霙さんから、朝早くから庭を探索していると聞いたからな」
「バレてたの?!」
別に隠れようとした訳ではないが、なんだか悪い事をしていた気分になる。
「で、何をしようとしていたんだ?」
今朝の一連を南葵に話せば、意外な事に「楽しそうだな」と同意の返事をもらえた。
「だが、先日大量の芋を取ったばかりだろう。かぼちゃまで取ったら食べきれるのか?」
「あぅ……」
そこまで考えていなかった。何なら昨日大量の秋刀魚や鱈も連れて帰ってきたばっかりだ。
「それだ!」
たった今ひらめいて頭の中に電球が浮かぶ。
「なんだっ?」
急に叫んだ私に南葵は怪訝そうな顔をする。
「緑弥さんにお願いしてくるから、ちょっと待っててっ!」
「おいっ!」
南葵の返事を待たずに部屋を飛び出して調理場に向かう。ありがたい事に今回は緑弥は調理場にいた。
緑弥にお願い事を伝えると、「分かった」そう笑って快く受け入れてくれた。
うまくいかなくても良い。私は一度で諦めるつもりはない。
「じゃあ最初は昨日の復習な」
南葵は私に何をしに行っていたかを聞く事なく授業を再開した。別に聞かれて困る事ではないのだけれど、失敗した時に少し困るから聞かないでくれてありがたかった。
「はぁい」
昨日書いた文字達が1枚の紙に箇条書きで書かれている。南葵の字はお手本のように綺麗だ。昨日書いたからどの字も見覚えがある。それを横に同じように書いていく。南葵の字は丁寧で真面目だ。
「でーきたっ!」
十数個ある文字をひたすら書き進める。日本語よりも作りが複雑なのが厄介だが、時間をかければ、見覚えのある、知っている文字だ。南葵の目を気にせず、二十分程の時間をかけてすべての文字を書き終える。想像よりも時間はかかってしまったが南葵が急かさないのは良い事に思い切り時間を使ってやった。これだけ時間を使えば勉強の時間も減るだろう。
「うん、お疲れ様。丁寧にかけている」
「…………南葵は、上手か下手かっていつも言わないよね」
絵を「上手い」とは言われた事があるけれど、字に関しては一度も言われた事がない。それが少し、不安でもある。
「だって、お前は頑張って書いてるじゃないか」
南葵は意味が分からないとでも言うように首を傾げながら私の練習した文字を見続ける。
私の字はお手本を見ながら書いているとはいえ、払うべきところで払えていなかったり、止めるべきところで止める事が出来ていない。合っているかと聞かれれば首を傾げるほどの出来だ。そういった所は指摘を受け、直しているが元々の字の汚さはどうしようもない。けれども、南葵はそれに対しては何も言わない。
「上手じゃなくても良いの?」
「別に良いよ」
「ふぅん……」
(へんなの)
その後は絵を描いた。南葵と庭園を散歩しながら、ときめくものを見つけて描いた。
煤竹色の松ぼっくり。以前見つけた栗。龍のような鱗雲。
見慣れていても、描くのは難しい。けれども、自然は好きだ。寒いけれど、暖かい色が多い。橙も赤も黄も、布団に入ったかのような温かさをを分けてくれる。
「明日は今日描いた絵の文字も復習するからな」
「うん」
南葵の授業は嫌いでは無い。強制される事が無い。好きにはなれないけれど、逃げ出したくなるほどではない。
「また、明日ね」
南葵は私の素直さに驚いたようだが特に何も言わずに去って行った。指摘をする事で私の心変わりがある事を避けたのだろう。




