028-2「……それには題名をつけない」
「まずは、今まで描いたものに名前をつけてみるか?」
「うん、そうする」
一番最初の頁を開くと、おままごとのおもちゃを描いた絵が出てきた。おにぎり、卵焼き、ハンバーグ、きゅうりにニンジン。私の好きなものだ。
「これはなんという題名だ?」
「うーん」
弁当に入っていそうなラインナップではあるが、「お弁当」ではない。これは皿に乗っているものを描いた。
「じゃあ、『おままごと』にする」
「分かった。全て書いた事のある文字だが、覚えているか?」
「覚えてない」
「分かった」
南葵は「みー」と描いたメモ帳の下に「おままごと」と書いてくれる。言われてみれば、全て見覚えのある文字だ。
ミミズが這ったような文字を絵の横に書いていく。
「……」
何というか、文字を書いているというよりも、描いている。この世界の文字は絵だと思う。覚えるのが難しい。ぐにゃりとしていて、私の知っている文字とは程遠い。
これ程までに歪んた文字なら、書かないほうが良いのでは無いかと感じるが、時間稼ぎの為にやるしかない。
「次は?」
「次は……、ココアっ!」
そういえばこの世界はカタカナという概念はあるのだろうか。日本人はひらがなとカタカナ。そして漢字を操る。今思えばよくそれだけ覚えたと思うが、この世界では今私が習ってる文字しか種類がない事を祈る。もし今習っている文字が日本での平仮名に該当するならばどうしよう。覚える事が増えてしまう。
「ココアはこうだ」
南葵はまたもや、「おままごと」の文字の下に文字を加える。
「『こ』って、さっき書いた『ご』に似てるね」
「そうだな」
同じ文字を2回書いた。2つ目の「こ」のほうが上手にかけた気がする。ミミズが這っている事に変わりはないが。
「それで、次は……」
南葵は次々にページをめくっていく。
「白い鳥だな。それで次は」
南葵は次のページを見た瞬間言葉を止めた。
「………………これはあそこから見た景色か」
南葵の言う「あそこ」が、どこの事を指すのか分からないがとりあえず頷いておく。
「ここからの景色はどうだった」
この絵の場所から見た景色。それは絵を書いた時の事を言っているのかそれとも、私が初めて人前に出た時の事を言っているのか。
「白くて、青くて。空って遠いなって思った。でも夜はキラキラしてて、みんなが生きてるって分かって、世界って、綺麗なんだなって思った」
「…………そうか」
そうだ。私はあの時――――
「これの題名はどうする?」
「……それには題名をつけない」
「ああ。それでいいと思う」
私は「とり」という題名を書いた後、あのバルコニーから見た景色を飛ばした。
焼き芋に星空。トンボに秋刀魚。それぞれに題名を付け加えていく。
途中で葉の絵もあったが、あれにも題名はつけなかった。というよりもそれには題名を決めきれなかった。
何度か似た文字、同じ文字も書いたが、何個かは文字を覚える事が出来た。すぐに全てを覚えられる自信はなかった。けれど、不覚にも。
「本当は文字を書くの、そこまで嫌いじゃないだろう」
文字を書くのが少し楽しいと感じてしまった。
「……どうして?」
まるで私の頭を覗かれたような南葵の言葉に言葉を投げかける。
「楽しそうだから」
「……」
それはきっと少しずつ、このスケッチブックが使うとして完成していく姿が楽しかったからだろう。
「それにしても」
題名を書き込み終わったスケッチブックを南葵がめくっていく。
「お前の絵はいいな」
今まで聞けなかった感想が聞け、少し動揺する。全く求めていなかったと言われれば嘘になるが、最初に私のスケッチブックを見た時点で何も感想を述べなかったから特に期待してもいなかった。
「お前がこの世界を楽しんでいる事が分かる」
しみじみとそう呟いていた。これは絵が上手い下手ではなく、描いてるものの内容を見てそう言っているのだろう。
「お前はこのスケッチブックを好きなもので埋めたいんだろう。素敵だと思ったもの、キラキラしているもの。憧れたもの」
言われてみればその通りだと思った。初めて見たものや、綺麗だと思ったもの。特に意識してはいなかった。私はその時に描きたいと思ったものを描いていたのだから。
「じゃあこのスケッチブック兼図鑑は、お前の『ときめき』だな」
南葵の口から出たとは思えないようなファンシーな言葉が私の心に刺さった。このスケッチブックが今まで以上にとても素敵なものに見える。ただ目の前の描きたいものを好きなように描いていただけだったけれど、この中に自分の好きなものが集まっているのだと考えると、ついスケッチブックを抱きしめたくなる。
「それでいいんじゃねえか? お前はやりたい時にやりたい事をやれ、描きたいものも描け。そんで、お前の『ときめき図鑑』を作る為に文字を覚えろ」
結局そこに行き着くのかと思うが、文字を覚えるのは誰の為でもない自分の為だ。自分がやりたい事の為に文字を覚える。そう思えば、不思議と文字を覚えるのも嫌ではない。
「うん、分かった」
それに何より。
「ありがとう、南葵」
元の私の年齢よりも幼く見える南葵は私よりずっと大人だ。私がやりたくない事をやれとは言わなかった。最大限に譲歩してくれていた。駄々をこねていたのは私一人だ。子どもは私1人だ。
私は最近自分の事を客観視する事が出来ていない。ただ感じたままに「嫌だ」とごねている子どもだ。
本当はスケッチブックの絵を見られる事にとても緊張していた。けれどもやはり、褒められるととても嬉しかった。
食事のマナーなんて知らないから一人で食べる食事の方がとても気が楽だった。けれども、誰かと一緒に食べる食事というのは本当に楽しいものだった。
文字を書くのも本当はどこかで楽しいと思っていた。自分が新しい事が出来るようになった時、それを喜ばない人がいるのだろうか。
いつも心も底で思っていた事を表に出す事をためらっていた。表に出したとて、言葉にしたとて、誰も何も思わないというのに。
「はじめは何を描くんだ?」
今日描く絵の一つ目を南葵が問う。私は今無性に、「皆」が描きたかった。描きたかったのだけれど、それは今ではないと思った。
「もうちょっと迷ってる」
何を描こうか。散歩に行って鈴蘭を描くのも良い。南葵が花の図鑑もあると言っていたくらいだから。それとも城の東屋か、街の鐘か。
うん、全部描こう。けれど、まずは。
「じゃあ、これがいい」
「……そんなんでいいのか?」
「うん。だって、これがあったから、私は自分にちゃんと力があるって分かったんだもん」
私は自身の腕で仄かに光っている腕輪を掲げる。南葵がくれた、聖女の花が彫られている私の為の腕輪。
私のときめき図鑑にはこれは欠かす事が出来ない。題名は何にしようか。「腕輪」では味気がないかもしれない。「私の腕輪」でも良いかもしれないが、それも何だかつまらない。
「ふふっ」
不思議だ。先ほどまでは題名なんてただの絵の説明だったのに、今は題名を考えるのですらこんなに楽しい。
やはりときめき図鑑に名前を変えたからだろうか。
題名を考えながらも、私は手を動かす。
この腕輪の色といえば、銀色だが、この場に銀色の色鉛筆がない為、諦めて白と黒を混ぜたは良いよで塗る事にした。
楕円を描き、それを太くして塗り潰す。けれどこれではまるで灰色のフラフープだ。光でも加えてみようかと白の色鉛筆で塗り込もうとするが、灰色の上から白色は色が出なかった。灰色が濁っただけだ。
青色の聖女の花を書き入れる為に残しておいた白い空間に青色の鉛筆を持って聖女の花を描き足していく。
完成だけれど、どこか物寂しい。腕輪の青い花が光っているように、この絵の腕輪にも光を描きたい。淡く青い光を放っている腕輪。その光をどうスケッチブックに書き込めば良いのか。青い花の周りに水色と白の色鉛筆で薄く上から色を重ねていく。銀色の上からではあまり色は目立たないが、先ほどよりも少し絵が光っているように見えた。ついでに少し黄色も混ぜておこう。
「でーきた」
けれどもこの広いページにそれだけというのも物寂しい。腕輪がついている左腕の手と反対の右腕を眺める。右腕には以前国王たちにもらったビー玉サイズの国宝を眺める。ブレスレットになったそれは、いつでも私の腕にくっついている。
「これも描く」
「……っ、それ!」
そういえば南葵にこのブレスレットを見せたのは初めてだった。
「国宝じゃないか!」
「ねー」
「ねーってお前っ! これが何か知っているのか?!」
知っているかと聞かれれば、正直よく分からない。国宝という事は聞いた。大切に持っておくようにと言われたが、どうやって使うのかどういったものなのか分からない。
「んーとねぇ、とっても珍しいもので、大事にしないといけないやつでしょ?」
私のその答えを聞いて南葵は少し興奮が収まったのか、3回ほどため息をついた。そしてようやく落ち着いたのか、最後にもう1回深く息を吐き、話し始めた。
「これは、王珠と言って、まぁあれだ。国王しか作れない貴重なものだ」
コクオウ。国王とは確か国の王という意味だ。この世界に王は何人いただろうか。この王珠をくれた4人は国王で、黎翔も国王だ。私が知ってるだけで5人。これ以上いるのだろうか。国王が5人しかいないとして、そのうちの4人が作ったものが私の腕にあるのだから、これは本当に貴重なものだ。
それだけ貴重なものと分かるとやはりつけておくのが怖い。
「外して大事にとっておいた方がいいかな」
「いや、つけておけ。何があるか分からないからな」
南葵がそういうならそうしよう。
転んだ拍子に割ってしまわないように気をつけよう。もう一度よく自身の右腕を見る。小さくてまるで宝石のような王珠は、こう見るとただの可愛らしいブレスレットだ。赤、青、紫、緑の4つの宝珠は見ているとまるで引き込まれそうになる。
「あれ、国王が作れるっていう事は、黎翔様も作れるの?」
「当たり前だ」
「そっかぁ」
黎翔が作るとしたら一体何色の王珠が出来上がるのだろうか。きっと綺麗で美しいのだろう。
「これってどうやって使うの?」
このブレスレットについている4つの王珠は未だ使った事がない。というよりも使う方法が分からない。何かの手順がなければ使えないのかそれとも祈れば使えるのか。使ったら石はなくなるのか、腕輪のように光るのか。
分からない事だらけだ。
「……すまない明確な方法を知っているものはいないんだ」
「そうなの?」
「ああ。貴重だって言っただろう。言っとくけどそれ1個で屋敷は立つからな」
「ひっ」
今すぐこのブレスレットを外したい。私の右腕には今、屋敷4個分がのしかかってるという事だ。震えが止まらない。こんな貴重なものを現れたばかりの小娘に渡さないで欲しい。
表情に出ているのかは分からないがとにかく顔が強張っている気がする。
「だから、そもそも使い方を試せるほど人々はそれを持っていない」
つまりは貴重すぎて滅多に作る事が出来ず、人々にも行き渡る事はない。運よく国王からそれを授かったとしても盗難が怖く滅多に人前に出さないものなのかもしれない。本来ならばブレスレットにして街歩きに使うなどは論外だろう。たかが聖女とはいえ本当にこのような貴重なものをもらっても良かったのだろうか。
「もしかすると王珠によって使い方は異なるのかもしれない。王珠は作り手の能力が宿ると言われているが果たしてそれも本当か。祈る事で力を発揮するという噂も聞いた事があるし、持っているだけで効力が発揮される事もある。後は…………そうだな。割る事で力を発揮するとも聞いた事がある」
「ひえっ」
何の能力があるかも分からないのに割るだなんて恐ろしい。もし割って何も起こらなかった時、どうしようもないではないか。
もし王珠を使わなければならない場面になったとしても出来るだけ割る事は避けようと思う。
そもそもの話。この王珠にどのような力があるかも分からないのに、一体いつこの王珠を使おうと思う場面が来るのだろうか。
もしそれが絵を描く能力だったならば、私はそれを今すぐにでも使いたい。けれども、試しに使おうにも、気軽に使えるものでもないし、その王珠は一度しか使えないものである可能性もある。
分からない事だらけだ。




