第26話 好きすぎて辛い
「伊都ー、……伊都? 聞いてマスー?」
朝のホームルーム前、顔の前でぶんぶんと手を振られて、話しかけられていることにようやく気づいた。
「アニエス……?」
「最近、心ここに在らずなことが多いデスよー? どうしたんデスかー?」
そう言った直後、アニエスは、はっと何かを考えついたらしい。わたしの「別に何もないよ」という返事を待ってはくれないようだ。
「さては、何かありまシタね? 和泉先生関連のことデスね? さあ遠慮なく吐きなサイ!」
肩を掴まれてぐらぐらと揺らされる。……アニエスにはやっぱりお見通しか。
「話す、話すからとりあえず揺らすのやめて……?」
「分かりまシタ! さあドウゾ!」
きらきらとした深い青の瞳から少し目を逸らして、ひとこと。
「和泉先生が好きすぎて辛い」
まさか自分がこんな発言をするなんて思っても見なかった。でも本当に辛い。和泉先生と言葉を交わすたび、和泉先生を見かけるたび、和泉先生のことを考えるたびに胸がぎゅっとなる。叶わない恋だと分かっているからこそ、余計に辛い。
相変わらず楽しそうにこちらを見ているアニエスが少し憎らしいくらいだ。
「そこまで思ってるんだったら、告白したりはしないんデスか?」
「それ類くんからも言われた……」
「夏川クンも夏川クンなりに気にしているんでショーね。それで、どうなんデスか?」
でも、叶わない恋だから……。わたしは「うん……」と答えにならない返事をした。
「伊都が告白しないなら、和泉先生に恋人ができても仕方がないデスねー」
和泉先生に恋人ができる……他の誰かが隣に並んでいるのを想像しただけで、さっきまでのとは違う苦しさが襲ってくる。……やだ、な。わたしにそれを咎めたり止めたりする権利は何もないのに、勝手にもそう思ってしまう。
「……それ本当?」
「ヤダなー。たとえばの話デスよー。和泉先生は今、おひとり様のはずデス」
……よかった。ほっと苦しさが抜けていく。
「……本当に好きなんデスね」
驚いたようなアニエスに大きく頷いた。ほんのり頬が熱くなる。一体アニエスはわたしを何だと思っていたのか。
「だったらさっさと告白しちゃえばいいじゃないデスかー。返事こそ卒業後になるでショーけど、和泉先生が好意を持ってくれているなら、それまで両片思い状態になりまセンかねー?」
もしそうなってくれたら、なんて嬉しいことか。……でも、和泉先生がそういう意味の好意を持ってくれているとは思えない。本当に、先生の心が知りたい。
始業のチャイムと同時に教室へ入ってきた和泉先生。じっと見てみても、やっぱりその心は分からなかった。
「伊都……! ちょっとこれ和泉先生までお願いしマス! ワタシは用事があるので、また明日デス!」
放課後が始まってすぐ、そうやってアニエスにプリントを押し付けられた。何かを企んでいるのか、本当に用事があるのかを判断する暇もなく、アニエスは帰っていく。受け取ってしまった手前、放っておくこともできない。
わたしは和泉先生がいるであろう国語準備室に向かった。
……それまではよかったのだ。国語準備室の中から女子のこんな声が聞こえてくるまでは。
「和泉先生……好きです。もちろん、恋愛的な意味で」
扉にかけた手をそっと離して、耳を澄ませる。完全なる盗み聞きだけど、内容が内容なだけにそうも言っていられない。
和泉先生は女子生徒隠れ人気ナンバーワンだから、わたしの知らないところでこういうこともよくあるのかもしれない。……先生はどう答えるんだろうか。わたしが告白したわけでもないのに、心臓が緊張を主張している。
「ごめんね、その気持ちには答えられない」
「っ……どうして、ですか? 私が、生徒だから?」
「……好きな人が、いるんだ。優しくて、可愛くて、真面目で、友達思いで。実は怖がりなところもあって……そんな、真っ直ぐな人。だから、ごめんね」
愛しいものを語るその声色には、優しさと穏やかさと……甘さが多分に含まれていた。和泉先生、好きな人いるんだ。
部屋の中から女子の「失礼します」という声が聞こえる。わたしは慌てて廊下を引き返し、今来たから何も聞いてないよ感を出しながら国語準備室へ向かう。すれ違った女の子は、涙を浮かべながらもどこかすっきりとした表情を浮かべていた。
ずん、と重くのしかかってくる、和泉先生の好きな人がいる発言。その気持ちを精一杯隠して、国語準備室の扉をノックした。




