理解不能な異世界で
……あれ、なんで私、生きてるの?
誰かが言い争う声が、聴こえる。
「……だからっ!」
「そっちこそ……!」
私はいつもの癖で、"聞かないふり"をした。
「ここはっ」
歩乃華は布団を蹴り飛ばして、体を起こす。
するとその勢いに驚いたのか、目の前で喧嘩? をしていた少年と少女はピクリと跳ねた。
歩乃華は無理やり思考を止めて、呼吸を整える。
体から力を抜き、"なんでもない"顔を作った。
「あの……すみません、えっと、お二人が助けてくださったのですか?」
眉を下げながら歩乃華は問いかける。
少年と少女はにこりと笑って、膝をついた。
「発言することをお許しください、送り人様」
少女が仰々しく言う。
……何を言っているのだろうか。
歩乃華は思考を止めようとした。でも、止まらなかった。
送り人? そして、ここはどこ?
あなた達は……誰?
疑問が次々と浮かぶ。
……ダメだ、せめて取り繕おう。
「まず送り人様の仰ることは間違いではありません。助けた、という形ではあります。しかし私たちとしましては──」
聞いた以上の言葉が返ってきて、頭が追いつかない。
歩乃華が固まっていると、隣で頭を垂れていた少年が少女を突っついた。
口には出さないけど、少しだけ安心した。
「自己紹介を先にしよう」
少年は胸の前に手をやり、歩乃華と目を合わせた。
クールな目元が、優しく微笑む。
「僕の名前はフジ・フルシベル。貴方様の付き人です」
「ちょ、先越さないでよ! ……ってすみません!」
少女は顔を真っ赤にして慌てる。そして胸の前に手をおいた。
「私の名前はカンナ・フルシベル。右に同じく、付き人です」
二人とも丁寧に頭を下げる。しかし、歩乃華の意識はそこになかった。
ここは──チグハグだ。
私の知ってる世界とは思えない。
言葉は日本語なのに、名前の順番が違う。
この家も……和洋折衷にも程がある。
それに、あんな生き物見たことがない。
極めつけは机の上にある変なオブジェ。
知ってる宗教が混ざりすぎて、妙だ。十字架に鳥居に……。
「ありがとうございます。私は小暮歩乃華です」
全部が、おかしい。
やっぱりここは──"異世界"なの?
異世界なんて、好きな人が行くんじゃないの?
私、何も知らないよ。
えっと確か、追放? とか。
なんか最弱のスキルだと思っていたら実は……みたいなものを、クラスの子が言っていた気がする。
──いや、それよりも。
「あとあの、ごめんなさい、先程から言われている送り人とか付き人とはなんですか?」
何とか言葉を紡いだ。
「……送り人様、その前に一度落ち着かれてはいかがでしょう?」
フジ、と名乗った方の少年が苦笑する。
なんで……? 答えはすぐに分かった。
「追放も最弱のスキルも──ありませんので……」
……え?
歩乃華は固まった。
今、もしかして、心を──読んだ?
わからない、わからないよ……。
混乱して、頭が真っ白になる。
手が、震える。
そんな歩乃華に気づいたのか、そっとマグカップが置かれた。
「これ、アイスココマです。どうぞ!」
アイスココマ……? アイスココアに似てるけど……。なら名詞の違いかな。
「あ! 無理に飲まなくても、平気ですからね!」
ありがとうございます、と言って受け取る。
一口飲んでみたが、甘くて美味しい。ココアと似ているけど少し違うかな。
これは……アイスココマだ。
張り詰めていた緊張の糸が、少しだけ和らぐ。
でも、心を読めるんだよね。
2人は向かいに座り、説明を始めた。
「"送り人様"というのは……」
フジは本棚から大きな本を取り出し、そのまま開いた。
表紙には読めない言語で書かれている。
「この世界を"救える可能性がある人"のことです」
「そう! つまり貴方様のことです!!!」
送り人……。
真っ直ぐなフジとカンナの目が、歩乃華は恐ろしかった。思わず目を逸らす。
期待されていることが、痛いほどわかる。
そっと布団の下で左手を抓って、両手を強く握った。……血が出たことには、気づかずに。
「あの! 本当に私が送り人なんですか? あとこれって……家に帰れますか?」
そんな大層な力は持っていないと思う。
というか私は……。
見たくないから、顔を俯かせる。
それに、もし家に帰れなかったら……困る。
今日も塾やお稽古があるし、お母様にも怒られてしまう。
「貴方様が選ばれた理由はわかりませんが……」
「貴方様が清い人間だからなんです! 歩乃華様はきっと、いや絶対あの祝福を授かってるはずです!!」
フジの言葉をカンナが遮る。
そして身を乗り出し、俯いていた歩乃華に顔を近づけた。
曇りなんてひとつも見つからない。そんな、快活な目だ。
そんな瞳は逃げ場がないと告げているようで、凄く怖かった。
選ばれた理由が分からないなら、私じゃなくても良かったってことじゃないの?
清いって、何?
「今すぐはそれを証明する方法ないですけど……!」
興奮気味なカンナをフジが抑える。そしてそのまま椅子に座らせた。
「カンナ落ち着け。……送り人様、突然で誠に申し訳ございません」
フジが代わりに頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……」
カンナは何歩か引いてから頭を下げた。
髪の毛も元気を無くしてしゅんと落ちたのが、少しだけ面白い。
歩乃華は小さく笑った。
「僕達は何であれ説明させていただきますよ」
とても緊張している顔。なのに、声はやけに優しかった。
そして迷うように瞬きする。
少しなのに、長い間があった。
「……帰ることは、できます」
えっ!
歩乃華の顔が明るくなる。
これは今1番聞きたかった言葉だ。
フジはさらに言い淀む。だけど口を開いた。
「……お役目をして下されば」
どこかで何かが割れた気がした。
手から滑り落ちたマグカップ。
もしくは……"心"だったのかもしれない。
そのほほえみから目をそらす。
どうしてか、息が詰まって仕方がない。
「それは、なぜですか……?」
世界を救うしかない? そんなこと、出来るわけない!
私はただの小学生。
選ぶことすら、できないような人間だ。
本当はこの人達が騙しているのではないだろうか。
早く、早く帰らなければ行けないのに。
思わず、少しだけ距離をとる。
助けてくれた人……だけど。
この人達は信用出来ない。
私は、失敗できない。
「帰るには条件があるんです。そしてその条件は、お役目を果たしたあとじゃないとできないんです」
……未だに疑問が尽きない。
世界を救わないと帰れないなんて、意味がわからない。
……そんなの、嫌に決まってる。
歩乃華は手を強く握りしめた。
フジが口を開きかける。しかし、すぐに口を閉じた。
部屋に沈黙が降りる。
歩乃華は俯いたまま動かなかった。
私が死んでも困る人はいない。
でも──跡取りは違う。
私は……"跡取り"なんだから。
もしかしたら……失望、されちゃう。
……"お母様"に、怒られてしまう。
『あなたには、跡取りの自覚が……』
フラッシュバックする。あの目はもう二度とみたくない。
絶対に嫌だ。
息が、上手く吸えない。
歩乃華は困惑した目で、もう一度二人の顔を見た。
二人とも、申し訳なさそうに目線を下げている。肩も落としていて、小さく見えた。
私は、一体どうしたらいいのだろうか。
二人を責めるのはお門違いな気がする。でも、だとしても、私は……。
ここにいたくない。
「……帰りたい」
「帰らないと、ダメなんです」
2人は何も言えずに、視線を落とした。
歩乃華も、空気が重くなったのを感じる。
しばしば沈黙が続く。実際は数分だろうが、何時間もの間静かだったような気分だ。
「怖い、ですよね」
フジが伏し目がちに、慮るように呟いた。
「……歩乃華様。一度、ここの小屋から出て国の中心をめざしませんか?」
カンナが全身を使って説明する。
このまま停滞しているよりは、いいかもしれない。
どうせ足掻いたって……、今すぐは、帰れないよね。
自暴自棄のように、乾いた笑いをこぼす。
だったら今はとりあえず色々詳しく知りたい。
……今は、従おう。
でも"全部"を信じるつもりはない。
──嫌われる、かな。
ここでも、上手くやらないと……。
そういえば、カンナさんの言う国の中心って?
「私がいるここはどこなんですか? 中心? にはどのくらいかかりますか?」
「ここは共和国『タリス』の外れです。中心までは10日程かけて馬車に乗って行くことになるかと。……そうだよね、フジ」
カンナがフジに確認していることは気付かないふりをして、歩乃華はそっと目をつぶった。
──少しの間行方不明になるけれど、みんなに忘れられませんように、嫌われませんように。
頑張ろう。歩乃華は小さくそう決意した。
「わかりました。……今は、そこに行った方がいいですよね」
私の言葉に二人は顔が一気に明るくなる。
さっきまでの気まずい雰囲気が嘘みたいで、ちょっとだけ面白い。
「では私は馬車を手配してきます! 気になることは全部フジに聞けば何とかなりますので!!」
カンナは軽い足取りで扉から出ていく。
空いた扉から強風が吹いた。鳥が何かから逃げているような気がする。
……気のせいかな?
ふわふわ揺れる髪の毛が馬のしっぽみたいだ。
くすっと笑う歩乃華の目の前に、フジが何冊か本を抱えて座る。
……少なくとも、何も分からないままにはならないかな。
「送り人様の世界に帰る方法を……
──知ってる限り"全て"お話します」
一瞬だけ、フジは視線をそらした。
まるで、何かを隠すように。




