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逃げても無駄だと知る路地裏で

「歩乃華ごめん、許して」


 カンナは買った荷物を投げ捨て、歩乃華を抱き上げた。そして、そのまま全速力で道をかけていく。

 思考が追いつかない。

 ただ一目見ただけでわかる。


──あの人は、危ない。


 風を切るような速さで、とにかく離れる。

 道行く人たちもギョッとした顔で、海を割るように道ができていた。

 これじゃあ場所を教えているのと変わらないのではないか? そんな不安が心を襲う。

 しかし後ろを向いても姿は見えない。諦めたかな。

 二人は道をはずれ、人のいない路地裏へと逃げる。人の中にいてもバレるだけだから。


「挨拶に来ただけで逃げられるの、悲しいよ? お願い、挨拶はさせてネ」


 なんで!?

 さっきまでそこには誰もいなかったのに……。

 いつの間にか、そこに"いた"。

 見落とした可能性を考える。いや、だとしても早すぎる。先回りしていた、なんてよりかは魔法の方が説明が着くかも。

 汗で前髪が張り付くカンナとは対照的に、少年は何も変わっていなかった。


 だからか、余計に不気味さを醸し出している。



「我が命ずるは虚像也、罪に嘯かれたまえ 虚針(こしん)



 ジィルが指を鳴らす。すると何も存在していない空間から、いきなり棘のような物が飛出てくる。

 カンナは歩乃華を庇うように避けるが、右太ももに棘がかする。

 棘は太ももをえぐり、血を跳ねさせる。

 カンナの悶えるような、声が、嗚咽が、聞こえた。


 カンナの回避技術が高いのか、殺すつもりはないのか、何も分からなかった。

 しかし性格が悪いのはわかりやすい、痛めつけるようなやり方だ。故意的じゃなくても……辞めないのだから。


「あなたは、あなたはなんなんですかっ!? どうして急に……」


 歩乃華が声を上げる。だいぶ薄暗くなった路地裏。まだ袋小路な訳では無いが、追いつかれたところを見るにもう逃げるのは意味ないだろう。

 歩乃華はカンナから少し離れる。彼は送り人と言っていた、きっと用は私だ。

 足が震える、怖い。ただの小学生である私が、私をすぐに殺せるような人間の前に立つことが、怖くて仕方がない。

 でも、それでも勇気を出さないと。


「ボクはただ挨拶したいだけだよ? でもようやくできそうだネ」


 そう言って彼はくるりと回り、シルクハットを外して紳士的な礼をした。子供みたいに軽やかで、なのに憎たらしい仕草。


「はじめまして、ボクはジィル。アノニマスが誇る天才三兄弟の末っ子。ボクの担当は虚像、よろしくネ!」


 笑っている。さっきまで、平気で人を傷つけておきながら……!

 

 アノニマス……って、何なの? ネット関係のものではなさそうだし、なにかの組織名?


「もう少し詳しくやっておく? ここには誰もいないしネ」


 聞いてもいないのに自己解決して、話し出すジィル。人の話を聞かないタイプだ、あまり好きではない。聞き役に徹していれば楽だが。


 しかし問題はそんなものじゃない。


 カンナが傷つけられたところから溢れ出す血は、赤黒くてグロテスク。

 そんな場面で、楽しげに話し出すなんて、正気じゃない。

 早く止血……いや回復魔法があれば便利なのに。こんな時に魔法の使えるフジくんがいないのが歯痒い。


「誕生日は三の付く日で、好きな食べ物は甘いもの! 痛みが嫌いだからネ、辛いものも苦手だよ」


 人に痛みをあたえることはするのに。なんていやな言葉なのか。

 聞いてもいないのに好きなことは楽しい事とか、色んな情報を垂れ流してくる。

 正直、本当にやりずらい人間だ。


「アノニマスって組織に所属しててネ、お兄様達と一緒に頑張ってるんだよ。あ! 送り人は自己紹介してくれないの? ネーネー」


「……あなた、人間ですか?」


 素っ頓狂なことを言ってしまった気がする。それでも、そうじゃないとおかしいくらいに人間味がない。

 ジィルは愉快に笑いながら、舌を出した。

 人間と何も変わらない舌。つまり、歩乃華の考えは間違いに近づいた。


「ボクは人間だと思うよ。確信はないけどネ」


「じゃあただとち狂っているだけだね!

──アノニマス!!」


 カンナが血を流しながら、アックスをジィルに振り下ろす。早くて重い一撃。しかしそれがジィルに当たることはなかった。

 猫とじゃれるようにあしらって、また棘を出しカンナを後退させる。

 圧倒的なまでの実力差がそこにはあった。


「こわーい! 付き人! そんなに怒らなくても良くない? ボクらはまだ送り人と敵対するわけじゃないし、大事な話もできてないよ!!」


 頬を膨らませて怒るが、その行動に可愛さの欠けらも感じ取れない。

 それにしても、"まだ"か。いずれ敵対する可能性もあると示唆している。

 雲のように掴めなくて、強い。相手に対話の意思があるのが助かるぐらいだ。


「大事な話って、なんですか?」


 戦う意識が消えていないカンナに付き添いながら、ジィルに問いかける。

 ジィルという人とはやりずらい。それが短時間でも私が出した結論だ。下手に遠回りするよりも、率直に聞いた方が早く終わる。



「急がないで。大事な話に部外者がいるのは嫌でしょ?」



 我が命ずるは虚無也、罪に嘯かれたまえ 虚牢獄(ころうごく)


 ジィルが唱えた。

 その瞬間、内蔵だけ遅れて着いてくるような感覚があった。上も下も、分からない。体が自分のものじゃないみたいだ。気持ち悪い……っ。

 歩乃華は吐き気に耐えるため目を瞑る。そして自己防衛的意識で体を丸め、少しでも身を守った。




 二人が消えたあと、その場には残されたカンナとシルクハットが落ちていた。



………

……



 どれくらいの間かは分からないが、長い時間だったような気もする。

 地獄のような時を終えて、地面にふせた。




「ごめんネ。でも二人きりがよかったの。落ち着いてからでいいけど、対話、始めようか」


 自然の香りも何もない。

 芝生の上には場違いなガラスのイルカ。夕暮れの空には、月が2つ浮かんでいる。

 星空のような川が流れていて、時間も季節も何も分からなかった。

 ここは、作り物の箱庭のようだ。


 歩乃華は立ち上がりたい。それなのに、体に力が入らない。なぜだがこの空間内を、心の奥底から否定したいのだ。

 私がそう思っている? いいや、違う気がする。これは、私の祝福が嫌がっているんじゃないか?

 馬鹿みたいな考えでも、私にはスッキリした。


「……大丈夫、全部どうせフィクションだから」


 呟かれたその言葉に、なんの興味ももてない。

 ジィルの気が変わらないうちに、対話の席に座ろう。下手に長い時間かかると、カンナを心配させてしまうし、私がこの空間にいたくない。

 ジィルの言動や笑い方も全て無視をして、歩乃華はゆっくりと立ち上がった。

 何度も何度も転けそうになりながら、ジィルが座るガラスのイルカの上に向かう。


 ガラスのイルカの上には机と二つの椅子がある。机の上には紅茶とチェス台。

 座っているジィルは紅茶を飲みながら、駒を弄って待っていた。

 神様にでもなった気分なのか。そう思えてしまうほど自信満々で愉快そうだった。


「本当に辛そうだネ。ボクからしてみれば好都合なのかな? 安心して、傷つけることはしないから」


 安心できる要素なんてないけれど、言質だけでもとった気にならないと心がやっていけない。

 胃がキリキリしてきた。具合だってまだ悪い。

 こんな状態でジィルと話さないといけないなんて、なんて地獄なんだろう。


「そうですか……。それで、大事な話とは?」


 これから始まる対話に飲み込まれる訳には行かない。今も言葉に表せない気持ち悪さに耐えるため、強くで握る。たとえ血が出ようと、構わない。


「えぇー、告白? ……ちがうよ、嘘だからそんな目で見ないでネ」


 ジィルは足を組んで、身を乗り出す。

 歩乃華はのまれないように、ポーカーフェイスを作った。


「さぁ、話そうか、送り人。アノニマスが君に伝えたいことはたくさんあるんだ」


──君の"力"を活かせるチャンスだよ。

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